教室案内

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所在地 〒969-1785
福島県伊達郡国見町板橋南
15-6
電話番号 024-585-2992

震災前の LIBERO

佐野塾通信 LIBERO

震災前のLIBEROの目次

2010年度

2011.03.02 第49話:部活あれこれ

2011.02.07 第48話:彼らの正体

2010.12.01 第47話:半農半塾

2010.10.05 第46話:文武両道で拓ける道

2010.06.01 第45話:福島高校って何だ?

2009年度

2010.03.08 第44話:内申点の重み

2009.11.30 第43話:農作業の楽しさ

2009.09.28 第42話:ドラゴン桜からのメッセージ

2009.07.16 第41話:理想的難易度?

2009.05.30 第40話:第1回学校紹介

2009.04.24 第39話:5年間の総括

2008年度

2009.03.02 第38話:本人次第

2009.02.02 第37話:中レベル問題とは?

2008.12.04 第36話:佐野塾ファーム構想

2008.09.29 第35話:社会科への目覚め

2007年度

2008.03.15 第34話:花の季節到来

2008.02.22 第33話:Ⅰ期選抜で求められる力

2007.12.12 第32話:究極の定期テスト対策

2007.10.03 第31話:小学英語について

2007.04.22 第30話:福島西高普通科必勝法

2006年度

2007.03.15 第29話:暗黒時代に終止符

2007.02.09 第28話:ラストスパート

2006.10.16 第27話:驚くべき作文

2006.09.19 第26話:ゆとり教育と入試問題

2006.08.18 第25話:柔道とJudo

2006.06.26 第24話:梅雨の早朝

2006.05.22 第23話:Sano Juku誕生

2006.04.22 第22話:環境整備

2005年度

2006.03.23 第21話:野獣の存在

2006.03.01 第20話:カウントダウン

2006.01.11 第19話:ターニングポイント

2005.11.09 第18話:今年もやります!

2005.09.20 第17話:塾は必要悪?

2005.07.01 第16話:大学進学率

2005.06.04 第15話:成績アップの秘密

2005.05.17 第14話:飢えた狼

2005.04.15 第13話:桃の開花直前

2004年度

2005.03.17 第12話:開塾初年度の受験結果

2005.02.25 第11話:この時期に控えるべきこと

2005.01.25 第10話:塾講師の帰り道

2004.12.16 第09話:第1回佐野塾芸術祭

2004.11.17 第08話:佐野塾文庫から

2004.10.20 第07話:進学先選択の基準

2004.10.04 第06話:最近の悩み相談から

2004.09.11 第05話:佐野塾の小5クラス

2004.09.06 第04話:夏の充実と秋の楽しみ

2004.07.21 第03話:種明かし

2004.06.22 第02話:頼りになるスタッフ

2004.05.20 第01話:佐野塾へようこそ

2011.03.02 塾講師という仕事(第49話:部活あれこれ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

最近、ちょっと気になる噂を耳にしました。地元K中陸上部が部員減少に伴い廃部になった、とか。真偽を確かめたわけではないので、話題にするのはどうかとも思いましたが、事実なら残念ですね。さぞ歴史のあるクラブだったでしょうに。やはり少子化の影響なのか?指導者がいなくなったからなのか? 

K中陸上部と言えば、当塾には過去在籍者が6名いました。これが、皆成績優秀者ばかり。ちなみにこの6名とも県北地区を代表する進学校へ巣立っていきました。ところが、ここ数年どういうわけかK中の陸上部員だけがさっぱり当塾に来なくなったので、不思議に思っていたところです。

久々に自分の中学時代を思い出しますね。当時も陸上部のない中学が圧倒的多数でした。だから、毎年中体連の陸上競技大会の中長距離種目は、全員サッカー部員から選手が選ばれました。私もその一人。中3男子800mの選手に選ばれ、名取市の大会で2位に入り、7月下旬の県大会に進みました。予選で出場したレースは1位になり、気分良く初日を終えます。しかし、翌日の準決勝の競争相手はレベルが高く、あと一歩で決勝進出を逃しました。県大会の決勝進出という当初の目標が達成できず、ほろ苦い記憶が蘇ってきます。(>_<)。

さて、クラブ活動というものは、日本では学生時代を彩る大きな楽しみの1つ。これから中学生になる現小6生、高校生になる現中3生、大学生になる現高3生や浪人生は、期待に胸を膨らませていることでしょう。自分は何をやろうか?調べてあれこれ考えるのも楽しみの1つです。

皆さんは信じないかもしれませんが、実は私、小学生の時は柔道少年でした。人は見かけによらないでしょ?小学2年生の時、父の知人が道場を開くというので、どんなものか入門してみたのがきっかけです。それ以来、毎週土曜日のスケジュールはこうなります。午前中は学校の授業が4時間、家に帰って昼食、午後は夕方まで柔道。夕食後、夜は「柔道一直線」「8時だよ!全員集合」「キーハンター」を見て22時就寝。

柔道は、小6まで自分なりに真剣に取り組みました。年数回の柔道大会では、よく優勝もしましたが、負けると悔しくて、よく泣いたっけ。日本柔道の聖地、講道館へ出稽古に行ったのも懐かしい思い出です。今でもオリンピックがあると、サッカーと陸上のトラック競技以外なら、柔道は結構テレビ観戦します。「金じゃなきゃメダルじゃない!」そんな高い志を持ち、日本柔道界独特の重圧を背負いながら外国選手と戦う代表選手の奮闘に胸を打たれるのです。

ただ、当時の日本柔道界はそれほど元気ではなかったと記憶しています。それは、1964年東京オリンピックの決勝で日本のエース神永がオランダのヘーシンクに負けたショックがあまりに大きかったからです。山下と斎藤が登場するまで、日本柔道界は自信を失っているように子ども心に感じました。

そんな時期に柔道と出会った私でしたが、その後サッカー小僧に転向。当時の日本サッカーはあまりに弱く、魅力的とは思えなかったにもかかわらず。それは単純な理由で、進学先の中学に柔道部がなかったからです。今後柔道で培った自分の足技の器用さと俊敏性を生かせるのは、与えられた選択肢の中ではサッカーしか思い浮かばなかったのです。走力には、ある程度自信があったし。その後、転校先の中学には柔道とサッカー両方の選択肢があり、どちらにするか随分悩みました。最後にどちらを選択したかは、ご存知のとおりです。

柔道をやっていて良かったと思うことは数多くありますが、今回は1つだけ挙げます。それは、「喧嘩やっても負ける気がしない」という心の余裕から、無益な喧嘩をせずに済んだこと。自分一人でいる時、もし相手が凶器を持っていて生命の危険を感じたら、一発蹴りを入れて逃げればいい。つまり、逃げるが勝ち。高校のサッカー部でチームを代表する俊足が、普段ブカブカ煙草吸っている運動不足の兄チャンやオッサンなんかに走り負けるわけないし。

当時の私が唯一怖かったのは、パーマかけて眉毛剃って怖い顔(メイク)した超ロングスカート姿のヤンキー姉チャンの集団のみ。なぜわざわざあんな醜い格好をするのか?どうしてもわからなかったのです。怒らせたら、集団で何をやらかすのか?全く読めなかったし(@_@;)。

2011.02.07 塾講師という仕事(第48話:彼らの正体)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

節分を境にようやく寒さが和らぎ、春の雰囲気が感じられる今日この頃・・・今年度もいよいよ大詰めです。中3生は私立高入試に福島県立高Ⅰ期選抜を終え、あとは約1か月後のⅡ期選抜を残すだけとなりました。現時点で、当塾の中3生は既に9名が進学先を決めています。まずは速報から。

☆聖光学院高(情報電子)1名   ☆橘高:1名

☆福島北高:1名         ☆福島工業高(機械)1名

☆福島工業高(情報電子)1名   ☆福島商業高(情報処理)1名

☆福島西高(普通)1名      ☆福島東高:1名

☆福島南高(文理)1名

合格者の皆さん、おめでとうございます。これだけの塾生が進学先を決めてきたため、本来メインであるはずの県立高Ⅱ期選抜挑戦者が少数派になってしまいました。公表されているⅠ期選抜の倍率を考えれば、彼らの合格率は相当高いと見ていいでしょう。

「偶然幸運に恵まれただけ!」との見方は、大きな間違いだと断言しておきます。少なくとも当塾からのⅠ期選抜合格者は、全員Ⅱ期選抜でも合格できる実力者揃い。それは、最近数回の新教研模試の結果でも証明されています。

では、「元々能力の高い子が集まっただけ!」との見方はどうか?そう言えば、現中3生が中学生になりたての頃、ある保護者からこんな質問を受けたっけ。「今度の中1は全体のレベルが相当低いようなんですが、先生から見てどうでしょうか?」そう、彼らが元々大人から高い評価を受けていなかったのは間違いありません。

中1時点での内申なんてサッパリだったこともそのことを裏付けています。特に国語の力なんて凄まじかったしね。しかし、学年が上がるにつれ内申点が上昇気流に乗り、部活引退後に化けました。そう、彼らの正体はズバリ「狸軍団」だったのです(@_@)。


普段は狸寝入りをしているため、大人はそのことに気付かず前評判は高くない。ところが、ここぞという勝負所で化け、きちんと結果を出す。大人はまんまと彼らに一杯喰わされたわけです。ここまで大人を欺ける彼らを賢いと言わずして何と言えばいいのでしょう。まるで本番直前まで狸寝入りをして周囲を欺き、いざ本番で世界を驚かせたサッカー日本代表を思い起こさせます。

なぜそんな手の込んだことをしたのかって?そりゃ周囲から「デキない!」「レベルが低い!」なんて言われ続けるうちに、大人を苛立たせることに快感を覚え、虎視眈々とチャンスを窺い、「然るべき時に正体を現そう」と決め込んだのではないでしょうか?(^_^)

さあ、最後にⅡ期選抜挑戦者にエールを送るとしましょう。彼らは今回のⅠ期選抜合格者と比べて何が違ったのか?狸寝入りの時間を長くとりすぎ、化けるタイミングを間違え、中2までの内申点がⅠ期合格水準まで到達し損なった、というだけのこと。最も重要な本番での戦闘能力に関しては、既にⅠ期選抜合格者と肩を並べる水準に達していることは間違いありません。ここまできたら、もうひと踏ん張りして1か月後に迫ったⅡ期選抜で合格を手にし、皆で歓喜を味わいましょう。塾生全員の第一志望校合格は、私にとって開塾以来の悲願。7回目の今年こそ悲願を達成し、祝杯を挙げる瞬間が訪れる。そう信じています。

ところで、最近うちの子から「バイキンマン!」と言われてショックを受け、すっかり元気をなくしている男子中学生が目立ちます。どうか元気を出してください。うちの子は今アンパンマンとやらにハマっており、数あるキャラクターの中でもバイキンマンが大のお気に入り。だから、「バイキンマン!」と声をかけられた男子中学生はうちの子に気に入られた証拠。3歳児なんかにモテてもしょうがない?いや、相手の年齢がどうあれモテるっていうのは悪くないことだと思うよ(^_^)。

2010.12.01 塾講師という仕事(第47話:半農半塾)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

ついに2010年も最後の月、師走に入りました。この1年をさっと振り返ってみると、インドアの代名詞とも言える塾講師のイメージとは裏腹に、これまでアウトドアにかなりの時間を割いてきたことが我ながら印象に残ります。「半農半塾」とまでいきませんでしたが、畑で過ごす時間と本業で過ごす時間の比率は1:3くらいにまでなっていたはずです。

動機はいたって単純そのもの。もともと東京にいた頃から畑を借りて農作業をやることに対する憧れはありました。恥ずかしいことに田植えは今でも未経験。高齢化の進行で、福島県内に耕作放棄地があちこち転がっていることは予想していました。ちなみに、今年の生活のテーマは「我が家の食料自給率はどこまで上げられるか?」。そこで、自分でもできそうなことを実践してみました。今回は、その実験的試みについてのレポートです。 

 以前LIBERO(第43話でご紹介した1aの畑も、ナス科の野菜の連作を避けるべく徐々に開墾を進め、気がつくとまるで台形のような形に。上空を舞うトンビの目にはどう映るのかを想像しつつ、その面積を人間流に(小5レベルの算数で)計量化すると(11+17)×13÷2=182㎡で1.82a、すなわち約2a弱。

 少量多種生産をモットーに、この1年畑で栽培に挑戦した食材は次の通りです。キャベツ、白菜、大根、春菊、カブレ菜、レタス、ブロッコリー、カリフラワー、ジャガイモ、タマネギ、人参、ツルムラサキ、カボチャ、キュウリ、ナス、トウモロコシ、オクラ、ピーマン、シシトウ、トウガラシ、ズッキーニ、枝豆、小松菜、赤カブ、白カブ、水菜、ネギ、ホウレンソウ。

昨年の倍以上の種類を作りましたから、今年の食料自給率が一気に上がったことは間違いありません。うまくいったものもあれば、失敗したものも・・・特に、昨年人に送れるほど収穫できたジャガイモが、今年は大失敗。収穫量の少なさもさることながら、せっかく収穫したイモがまるで北斗神拳で秘孔をつかれたように次々に腐ってしまい、多くを廃棄処分することに。おかげで、これだけはほとんどを買わなければならないという情けなさ。せっかく作っても大失敗して買う羽目に陥ることが、どんなに屈辱的なことかよくわかりました(>_<)。

しかし、そんな屈辱を打ち消してくれるほどに新しい発見も数多く、実に有意義な時間を過ごすことができました。

最大の驚きは、市場に出回らない間引き菜の美味しさです。大根の間引き菜なら地元のスーパーで見たことがありますが、小松菜に白菜にカブにホウレンソウに人参の間引き菜となると、地元の直売所でも見たことありません。さすがに人参の葉はパセリのように癖が強くて使えないだろうと思いましたが、かき揚げにしてみたら、これが美味い♪すき焼きに入れる春菊の代用としてもイケる!こんな楽しみが生産者の特権なんですね。農家の方にとっては、当たり前すぎて話題にするまでもないことかもしれません。でも、今の私には驚きの連続です。都会人がこの味を知ったら、泣いて喜ぶだろうな~(^_^)。

第二の驚きは、やはり国見の自然の偉大さです。今年は天気雨が多く、農作業中何度虹に感激したことか・・・ここは虹が出る確率が高いんです。虹をキーワードに本気で町おこしをやれば、きっとうまくいくでしょう。「今日の虹予報」「虹占い」なんか出しちゃって集客したりして。人材は当塾が育成します(^_^)。

2010.10.05 塾講師という仕事(第46話:文武両道で拓ける道)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

長く暑かった夏が急に去り、突然やってきた今年の秋。体調を崩す塾生が目立つ今日この頃ですが、昨年猛威を振るった新型インフルエンザに比べれば、まだましかも。

さて、これから3学期にかけては1学期とは全く異なり、どの学年も学習内容が非常に濃くなっていく時期です。同時に、秋は体もよく動きます。特に、中高生は学業ばかりか部活動でもかなりのハードトレーニングを課せられることでしょう。塾生は体調管理に注意し、学業と部活の両立を目指してがんばりましょう。

おっと、つい何気なく書いてしまいましたが、学業と部活の両立・・・どこの中学でも当たり前のように掲げられ、何の疑問も持たれない教育目標です。高校になると、それは「文武両道」と表現され、最重要の教育目標としている学校も全国に多数存在します。ところで、そもそも「学業と部活の両立」や「文武両道」って、なぜそんなに大切なのでしょうか?

東京にいた頃のことです。塾の個別面談や家庭教師先で、何度かそう訊ねられたことを今思い出しました。「文武両道なんて絵に描いた餅。」「二兎を追うものは一兎をも得ず。」「普通学業と部活はどちらか一方に偏るもので、文武両道を掲げる高校でさえ学業で成果を出す者と部活で成果を出す者は同一人物ではない。」「部活を重視する都立高校なんぞへ子どもを進学させたくないので、何としてでも中学入試で難関私立中学に合格させたい。」文武両道に疑問を投げかける親の考え方とは、概ねそのようなものです。

「中学受験をマジに考える親って、なんてドライな割り切り方をするのだろう。」と内心思いましたが、当時の私はそれに反論することはしませんでした。こちらもこちらで、プロとして請け負った仕事をやり遂げればそれでいいのだと割り切っていました。

いや、実を言うと反論できなかったのです。確かに文武両道は難しい。誰でもそう簡単にできるわけではないからこそ目標になるのですし。中学・高校と部活で大活躍し、難関と言われる大学に進学した例ならいくらでも挙げられます。でもねえ~その程度で話が終わるようでは、文武両道を擁護する上での説得力としてあまりに弱い。文武両道が良いことだと言うのなら、それを目指したことによって、その後いかに魅力溢れる仕事・人生を開拓できるのか?その具体例を語らなければ。当時の私は、そこまで踏み込んだ例を挙げることができなかったのです。

しかし、私もいつの間にか福島に住んで6年半余り。この間、貴重な情報を収集してきました。そこで、今回は興味深い例をご紹介してみます。


まずは、私が高校時代所属していたサッカー部の1年先輩のMさん。現在某大手機械メーカーの管理職で、本業が終われば酒を飲みながら仲間とサッカー談議に興じるただの酔っぱらい(?)。週末は主にサッカー観戦。たまに少年サッカーの指導や試合の審判を務める程度。プレーはお世辞にも上手かったとは言えず。にもかかわらず、現在日本のサッカー界に少なからぬ影響を与えている只者じゃない酔っぱらいなのです。

実はMさん、1980年代からサッカーをテーマとする文章を書き続け、自らを「サッカー人」と称し、現在ウェブ上でサッカーをテーマとするブログを公表しています。中学時代に出会って以来取り組んできたサッカーを日本語で表現する道を歩んできたのです。あくまで趣味の領域とはいえ、週数回ペースで更新し、これまで蓄積したものは、質・量ともに驚くべきものです。

並のジャーナリストや研究者では、彼の仕事のレベルを凌ぐことは難しいでしょう。すでに日本のサッカー界では知る人ぞ知る「サッカー講釈師」として一目置かれる存在になっています。彼のブログに一貫しているのは、何と言っても日本サッカーに対する揺るぎない愛情。多くの読者を惹きつけている魅力は、きっとそこにあります。

ちなみに私は現在週1回程度のペースですが、彼のブログの愛読者の1人。コメント欄を設けているため、時には誹謗・中傷の書き込みで荒らされることも・・・特に、FIFAワールドカップ南アフリカ大会の開幕前は凄まじいものでした。

オシム氏が病に倒れた後、日本代表監督に就任した岡田武史氏の仕事ぶりを彼は高く評価し、岡田氏を擁護する立場を貫きます。そのため、大会前は岡田監督解任論を盛り上げるマスコミ情報を鵜呑みにする輩の仕業でコメント欄が炎上しかかり、大会終了後でさえ往生際の悪い輩の嫌がらせを受け、さすがに私も心配したほど。しかし、ご存知のように日本代表があれだけの結果を残したことから、「観るプロ」としてMさんに対する周囲からの信頼はますます厚くなったことでしょう。

本業の関係上、今彼はJ1湘南ベルマーレの本拠地に在住していますが、J1ベガルタ仙台の熱心なサポーターでもあることから、宮城県内のサッカー関連の講演会にもよく講師として招かれています。また、サッカー専門誌やラジオ局のインタビューや対談の依頼に応じたり、雑誌向けの原稿を書いたり、ラジオのサッカートーク番組に出演したりしてアグレッシブに活動しています。報酬はたかが知れているでしょうが、さぞやりがいのある仕事でしょうね。

私がMさんから最も見習うべき点は、何と言っても強い情熱と我慢強さ。私が日本のサッカー界に絶望し振り向きもしなかった時代でさえ、Mさんは負け続ける日本代表をずっと応援していました。そして、ついに「悔しさもまた一種の快感なのだ」という境地にまで辿り着きます。人間は悔しさを積み重ねると、強靭な精神力が養われるということかもしれません。おそらくサッカー強豪国には、Mさんのように目の肥えたレベルの高いファンが数多くいるのでしょう。

思えば私の中・高時代・・・日本サッカーはあまりに弱く、ワールドカップに参加できる今のような時代が到来するなんて想像できませんでした。韓国はもちろん中東のチームと対戦すればボコボコにやられっ放し。世界で最もサッカーのレベルが低いアジア相手でも勝てないのか・・・私は日本のサッカー界に絶望し、期待するのを完全に諦めました(>_<)。そして、その後はヨーロッパ文化を追い求め、どっぷり浸かっていくのです。

そんな暗黒時代に、ついに夜明けがやってきます。1993年5月にJリーグが開幕し、日本のサッカー界には大きな夢が広がり出しました。しかし、一度裏切った私です。日本代表のことをあれこれ語る資格などありません。だからでしょう。あのサッカー暗黒時代でもずっと貫いてきたMさんの強い情熱と我慢強さに敬意を表さずにはいられないのです。今ではもうMさんに足を向けて寝られなくなりました(^_^)。

 

う~ん、やはりサッカーを語り出すと、キーボードを叩く指が止まらなくなってくるな~この勢いで、ついでにもう1人ご紹介します。今度もやはり高校のサッカー部の2年後輩S君。えっ、そんな話はもう勘弁してくれって?まあ~そうおっしゃらずに、もう少しお付き合いください。

私がS君を知ったのは高2の時。当時の私の愛読雑誌『サッカーマガジン』に全国中学サッカー優秀選手として白黒写真入りの記事が載っていました。今の時代で言えば、まさにU15サッカー日本代表選手のようなものです。白いユニホームを着て背が高くてやけに細く、まるでブラジルかアフリカの黒人選手のように見えたのが印象的でした。

高3の新学期、サッカーマガジンに載っていたそのサッカー小僧は、新入生としてサッカー部に現れました。高校の同級生でバスケット部員のS君の弟だということも知りました。やはり彼は本物でした。ボール扱いは見事なまでに正確で、見たこともないフェイントを繰り出すし・・・敵に回すと、何をやらかすのか先が全く読めず、2年上の私でも彼を止めるにはファウルしかない。中学サッカーの国内トップクラスのプレーとはこういうものか・・・と舌を巻いたのを今でも覚えています。

しかし、その後のS君の活躍は宮城県高校選抜選手として国体に出場する程度にとどまり、大学進学後は読売クラブ(現J2東京ベルディ1969)に所属するものの、そのサッカーセンスを十分開花させる夢は叶いませんでした。何しろ兄貴とは全く違う体質の持ち主で、筋肉のつきにくい華奢な体に加え怪我に相当悩まされたそうです。スポーツ選手として生きていくのって、本当に難しいものですね。でも、彼は大好きなサッカーから離れることはありませんでした。

ちなみに彼が進学したのは医科大学。同様に医学部に進んだ兄と共に整形外科医となります。彼らの実家は仙台市内の病院です。お父さんが整形外科医でお母さんが内科医。ですから、そこまでの彼の進路はごく自然な流れだったでしょう。最近お父さんを亡くしたそうで、仙台の実家の病院は私と同学年の兄が現在院長を務めているはずです。では、S医院の次男であるS君が選択した道とは?

実は彼、普段は横浜市内の医療施設に所属する整形外科医師でスポーツ医学の専門医ですが、現在あのサッカー日本代表チームのチーフドクターを務めています。日本代表チームが練習や試合をするときには「いざ鎌倉!」とばかりにチームに帯同するのです。まるで将軍に仕える御家人です。もうかれこれ10年以上この仕事を任されているそうですから、少なくともトルシエ、ジーコ、オシム、岡田と続いてきた歴代の代表監督からよほど信頼されてきたに違いありません。あのオシム氏も「サッカーのチームドクターは、サッカー経験者が望ましい。」と述べたそうです。

今回のワールドカップ南アフリカ大会で日本代表チームがベスト16という良い結果を残せた最大の要因は、あらゆる準備がうまくいったためだと言われています。マスコミの流す情報は活躍した選手のパフォーマンスや監督の手腕が中心になるため、あまり知られていませんが、「選手をサポートする医療スタッフ」という貢献の道があったのです。ワールドカップ出場国の中には、1つの病院を丸ごと送り込んでくるような国もあるそうです。ドイツあたりなら、きっと・・・。世界一を目指すには、いろんな分野での戦いがあるものですね。


いつか青い芝生のスタジアムでプレーしたい!その一心からサッカーに夢中になっていた自分の高校時代を思い出し、つい長々とご紹介してしまった2人の例。少なくとも言えることは、中・高時代に「文武両道」というものを経験すればこそ拓ける道がある。それを指摘したかったのです。

2010.06.01 塾講師という仕事(第45話:福島高校って何だ?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今回は、久々に学校紹介コーナーにします。2回目となるこのコーナー。今回執筆を担当するのは、3年前の当塾卒業生で、今春福島高校を卒業して大学生になったばかりのKさんです。LIBEROの読者向けに学校紹介文執筆を依頼したところ、快く応じてくれました。高校生から大学生に脱皮する直前の慌しい春休みに、サクッと書き上げたKさんの学校紹介文をまずはお楽しみください。


>福島高校って何だ?

福島高校とはどんな高校でしょうか。福高の自由で楽しい1年間をさらっとご紹介したいと思います。

まず新年度が始まって最初の行事・・・そう新入生の歓迎会。ピカピカの1年生と先輩方が対面する始めての場となります。まず1年生はその手荒さ、騒がしさに驚くことになるでしょう。新入生の挨拶では、「マイク使うな!!」の罵声。(お約束なので、どうかビビらないで下さい。生徒会長もマイクは使いません。)

高校生は何かとはしゃぐものですが、福高生も例外ではありません。福高にだって、髪の色が鮮やかなお兄ちゃんも、朝から化粧ばっちりなお姉ちゃんもいます。

某高校のわかっていない男子は、「福高ってかわいい子いないよねぇ」とマックでほざいておりましたが、決してそんなことはありません。むしろレベルは高いです。知ってる人は知っている、福島高校は美女ぞろい♪なるほど頑張って受験をする価値はある。

では男子は?ご安心ください。私自身、あまりクラスの男子に気を配ったことはないのですが、結構格好いいらしいですよ。文化祭を見に来た友達は、クラスの男子を格好いい♪と言っていました。彼らが廊下に出ていただけで、いつもより客が入ったとか入らなかったとか(ちなみに文化祭での出し物は劇でした)。

いつの間にか文化祭の話に食い込んでしまいましたが、歓迎会に軽くプレイバック。文化祭の話はまた後ほど。そんなわけで、新1年生は歓迎会にて福高のすばらしさを知るわけです。

歓迎会を終え、なんとなく1年生が福高に慣れ始めたころ、生徒会総会が始まります。

小中学校での総会はどのようなものだったでしょうか。体育館のしらけた空気の中、椅子にきちんと座り、堅苦しい委員会からの発表を終え、堅苦しい質問を繰り返す。と、そんな感じではなかったでしょうか(違ったらすみません。ジェネレーションギャップですね)。

しかし高校はそうではありません。みんな地べたでおしゃべり(ほどほどな)をしながら、どこかゆるい空気、休日の朝の二度寝のようなリラックスムードで総会は始まります。

総会の大部分を占めるのは、花の質問タイム。その中でも特に文化祭についての意見がもろもろです。みんな様々な質問・意見・要望を述べていきます。時に、笑えるものもあったり、またなるほどなぁと思うものもあり。なかなか終わることの出来ない質問タイムで、午後の授業が短縮になったこともありました(それが目当てなこともあるとかないとか)。兎にも角にも、それほど本気になれる福高生です。有意義な総会で話し合った文化祭が楽しくない訳がない。

先ほどから、何を語るにも文化祭に繋がるわけですが、そう!梅宛祭(=文化祭)なくして福島高校を語ることはできないのです。しかしそうは言っても、梅宛祭は福高生にとってなくてはならないイベント、とても語りつくせるものではありません。が、全くの紹介なしではやはり物足りない・・・という事で、生徒たちから見た梅宛祭を少々ご紹介しましょう。

まず梅宛祭が近づくと、クラスは一気に盛り上がります。なにをやろうかわっくわく。どんなに男女間が冷え切ったクラスでも、ボルテージアップ間違いなしです。福島高校の一大行事、どのクラスも優勝(梅宛大勝)を狙います。しかし梅宛祭は夏休み明けすぐに行われることが多いため、夏休み中に準備を進めなければなりません。みんなが楽しんでいる夏休み中に、クラスの人を集める事は予想以上に大変なことです。時には、クラス内で言い合いになることも。夏休み前のわっくわくボルテージアップはどこへやら、気まずい雰囲気に包まれたりもします。しかし福高生はやり遂げます。アドレナリンがハンパない!さすが福高生だ。やるときはやるんです。

そして二日間に亘る梅宛祭。福高生の汗と涙と大量のダンボールにガムテープが詰まった、盛りだくさんな文化祭。楽しくない訳がない(二回目)。思い立ったが吉日、是非一度来てみて下さい。特に3年生は今までの経験値が余すことなく発揮され、その勢いたるや、え?100万カラット(?)の輝きです。

ちなみに私の代では、劇の他に、ジェットコースターやパイレーツオブカリビアンが!パイレーツオブカリビアンとは、海に見立てた水の上を、船に乗って冒険する企画です(確か)。驚くなかれ、企画場所は教室です。教室に水が張ってあったのですよ。結構な水の量です(超すごくない?)。もちろん水漏れはしていません。またジェットコースターもなかなか内臓が浮くスリルでした。

輝いているのはクラス企画だけにあらず。その年によって内容は若干異なりますが、バンドも有志も屋台も!一切手は抜いておりません。先に述べたように、イケメン・美少女にも出会えます♪(※写真撮影は本人の許可を貰ってから行いましょう。)おいでませ福島高校梅宛祭!一見の価値有りです。いやいや一見と言わず、何度でも。家族の毎年恒例行事として。ちっちゃい子も楽しめますよ。言い忘れましたが、福高のお化け屋敷もレベルが高いです(がたぶる)。福高興味ねーよ!って方も一度来なさい。きっと福高に入りたくなるでしょう。佐野塾で勉強頑張れば入れます♪

文化祭のことを長々と語ってしまいましたが、つまり何が言いたいのかと言うと、福高生は勉強だけではないということ。正直、福高生みんながみんな成績優秀という訳ではありません。当たり前ですが、テストでは1位から320位までの順位がつきます。1位周辺の人はもちろん90点台。しかし300位周辺の人は10点台だったり一桁だったり・・・。

勉強を頑張っても10点台をとってしまうのか?福高に入っても授業についていけないのではないか?全くそんなことはありません。勉強をすれば順位は上がります。授業には充分ついていけます。進研ゼミの漫画のように、「黒板が目まぐるしく変わって、ノートに写すのが間に合わない!」なんてことはあるわけないので安心してください。板書の時間は先生がちゃんと確保してくれます。わからないところは先生がきっちりかっちり教えてくれます。見捨てられることは絶対ありません。では逆に、何故10点台をとる人がいるのかというと、はっきり言って勉強しないからです。福高には色んな人が来るので、中にはそういう人もいます。しかしそんな様々な種類の人間がいる事で、福高はより楽しい場所になっている、というプラス思考も大事です。というか実際変な人ばっかりで本当に飽きません。

福高の楽しさ、伝わったでしょうか。一言でまとめるなら「自由」。フリーでパワフルでワンダフルな誰でも溶け込める学校です。卒業アルバムを見るとわかるのですが、ふざけてるふざけてる。是非どこからか入手して見て頂きたい。福高に入って、後悔した人はあまりいないでしょう。もし勉強でつまづいても、それを押しのける魅力が福高にはあるわけです。1年間まるっとご紹介できなかったのは残念ですが、ご紹介しきれなかった他の素敵要素は、ご自分自身で確かめてみて下さい。きっと愉快なスクールライフが待ってるはずです。


いかがでした?様々な感想を持たれたことでしょう。ちなみに、私が衝撃を受けたのは、この学校がホントに男女共学高のようで、しかも「知る人ぞ知る美少女ぞろい♪」とのこと(@_@)。私の知る福島高校は男子校。東京にいた頃、福島高校の卒業生には何人か会いましたが、全員男子(♂)です。3年前に女子のKさんを送り出しているにもかかわらず、男女共学高だなんて何かの間違いだろうと今まで思っていました。でも、もういい加減その事実を認めざるを得ないようですね(^_^;)。

もう1点指摘しておきます。毎年、中3の夏休みに入って間もない頃「高校見学会」と称する行事があります。何校も顔を出す閑人が必ずいますが、ズバリあんなものに参加するのは時間の無駄ですから、おやめになったほうがいいでしょう。教師ばかり気合が入るイベントなんて、見てもつまらないし、参考にならないものです。高校の実態は、生徒が本気で盛り上がっている場面を見なければわかりません。ですから、Kさんの言う通りなのです。高校の魅力を本当に自分の目で確かめたいのなら、生徒不在の夏休みに教師主導の「高校見学会」なんぞに参加して貴重な勉強時間を潰すのではなく、自分が進学する可能性の高い高校の文化祭に直接足を運んでみることをお奨めします。 

2010.03.08 塾講師という仕事(第44話:内申点の重み)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年度もいよいよ大詰めです。既に私立高入試に県立高Ⅰ期入試も終わり、中3生も次々に進学先を決めています。不合格者はいまだゼロ。そう言えば、現時点でゼロというのは開塾以来初めてです。最終結果がどうなるか?

さて、もうすぐ3学期が終わると通知票が渡されますね。中学と高校の多くは5段階評定がつき、中学だと学年評定までつきます。今回はこの通知票を話題にしてみます。私の小中学校時代と今の小中学校で最も大きく違う点は、通知票の評価法とその重要度かもしれません。

まず、私の小学校時代は5段階評定でした。小1の1学期だけが4段階評定だったと記憶しています。「いや、今と同じだ!」と言う方は相当若い証拠。年齢をごまかしてみたい方は、この判定法をご利用ください(^_^)。今の小中高生・大学生が知ったら、昔の小学校はなんてシビアなんだと感じるでしょうね。

中学に進学してもそれは変わりませんでしたが、宮城県の中学に転校した時は驚きました。通知票が10段階評定!でも、驚いたのはその時だけで、自分の評定のことをあれこれ気にした記憶はありません。今の時代より学習すべき内容がずっと多く、評定の段階も細かいあの時代に、なぜ今の中学生よりはるかに能天気でいられたのか?それは、一見シビアに見えながら、実はあれこそ真の意味での「ゆとり教育」だったからでしょう。

まず、内申点が今ほど重視されていませんでした。県立高入試と国立大入試に推薦入試などなかった当時、中学の教師からはこう聞かされていました。「高校入試も大学入試も本番の筆記試験の出来が全て。ただし、入試で合格ラインギリギリの位置に同点で並んだ場合だけは、内申点の高いほうが受かる。」

つまり、学校成績はいざという時の保険のような意味しかなかったのです。この情報はまんざらデマではなかったはずです。もし内申点が重視されていたら、相対評価(例えば、5段階評定で5がもらえる子はクラスの7%と定められていました。)の当時、仙台市立五橋中1校だけから毎年仙台一高に50人以上も進学していた事実は説明がつきませんからね。

もう1つ指摘しておきたいのは、通知票の各教科にある「評価の観点」という項目です。今の学校が最も重視しているのは、ご存知のように「関心・意欲・態度」。それは、私の中学時代にはどうでもいい項目でした。最低限の提出物を出し、定期テストで結果さえ出せれば、それでOK。

ところが、どうでしょう。今の中学生は常に自己アピールを要求されます。授業中はできるだけ手を挙げ、自主勉用ノート等を何度も提出して「関心・意欲・態度」の項目でポイントを稼がなければなりません。私が今の時代に中学生なら、たぶんノイローゼです(>_<;)。

一方、教師の側も相当な負担でしょう。生徒の「関心・意欲・態度」を見逃さぬよう日常的な監視を義務づけられるのです。要するに、今の学力評価法は互いのエネルギーを無駄に消耗させ、むしろ窮屈さを蔓延させる不毛なシステムでしかない。そう思えてなりません。

しかし、福島県にも多少救いはあります。文部科学政策決定者にうまく抵抗しているなと思われる良心的な県立高校が、少数ながら存在します。その高校とは磐城高と福島東高の2校。本番の入試得点を5倍にし、事実上内申点の無力化に成功。橘高と福島南高の2校も本番の入試得点を3倍にし、ささやかながら抵抗を見せています。でも、福島県にはそういう学校があまりにも少ないですね。ちなみに、当塾からの県北地区上記3校の合格率は、開塾以来100%を維持しています。

2009.11.30 塾講師という仕事(第43話:農作業の楽しさ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)


2009年も残すところ1ヵ月となりました。ここしばらく地元の小・中学校ではインフルエンザが猛威を振るい、当塾生も半数以上が感染した模様。クラス授業は、なかなか全員揃うことがなく、こちらも対応に追われて落ち着きませんでしたが、今はホッとひと息です。

でも、油断は禁物。特に、受験生は今後風邪にも注意しながら、これからの冬を無事に乗り切りましょう。いくら注意しても感染することはありますが、感染の可能性をゼロに近づける努力は必要です。基本は食事と睡眠ですが、日本独特の習慣「うがい」はこまめに実行したいもの。

こんな笑い話があります。「東洋人を見かけた時、うがいをしている奴がいたら、それは日本人に間違いない。」そうなんです。「うがい」って、日本人独特の習慣で、外国人はしないのです。

私ですか?ご心配なく!何しろ今まで40度台の高熱は経験ないし、大人になってからは39度以上出したことがありません。国見に住み始めてからは、さらにパワーアップし、38度台さえ出したことありません。それもそのはず。ジャンクフードをほとんど口にしなくなり、地元産の美味しい野菜や果物を食べまくっていますからね。地元の農家の方には本当に感謝しています。

おっ、そう言えば、今年野菜は結構自給しています。試しに自分で作って食べてみたのはジャガイモ、ニンジン、カボチャ、ナス、オクラ、シシトウ、ズッキーニ、枝豆、小松菜、大根、白菜、ブロッコリー。最も楽しみにしていたズッキーニが散々でしたが、他は意外にうまくいきました。春になれば、キャベツにタマネギにレタスにカブレ菜がきっといい具合に・・・ふふふ♪

以前LIBERO(第36話に書きましたが、探していた休耕地が借りられることになったのです。貸してくださったのは、戦争中シベリア抑留経験を持ち、現在鶉町在住のIさんという方です。とにかく初めての本格的(?)農作業をスタートさせました。土地の面積は約1a。ここからだと2.5km弱と歩くには少々遠いのが難点ではありますが、遠景に厚樫山も半田山も臨め、用水路が流れ、車の往来も滅多にない静かな点が気に入っています。

今年比較的うまくいったのには、訳があります。ズバリいい師匠に出会えたからです。今借りている畑の近所に住む、この道30年以上のベテランYさんという女性で、「近くを通りかかったら、ぎこちない手つきで独りで農具を扱っている見慣れないお兄ちゃんが気の毒に思えて、声をかけてみた」んだそうです(^_^)。その後、鍬の選び方・使い方に始まり、私は今着実に農業の奥深さを学んでいます。

2009.09.28 塾講師という仕事(第42話:ドラゴン桜からのメッセージ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

およそ2ヶ月半、LIBEROの執筆をサボっているうちに、国内の政治が大きく動き出しました。例の衆議院議員選挙による政権交代のことです。

専門家なら多くの根拠を挙げて「今回の選挙結果は論理的帰結だ!」などと冷静に分析してみせるのでしょうが、私はどうしても興奮を抑えられなかった一人です。何しろ私が生まれる前から今までずっと第一党に君臨し続け、難攻不落かと思えるほど強かったあの自民党が、サンドバック状態でノックアウト負けするシーンを生まれて初めて見たのですからね。

立場の違いによって捉え方は様々でしょう。自民党支持者からお叱りを受けるかもしれませんが、塾講師という立場からすれば、少なくとも好ましい状況になったと私は捉えています。何と言っても社会科の公民の授業がやり易くなりました。あくまで小選挙区制の長所の説明に説得力が出るという意味ですが。

死票があまりに多く、少数政党には圧倒的に不利だという小選挙区制の短所については、誰もが納得するはず。ところが、「政権交代し易く二大政党制になりやすい」という通説は、これまで説得力に欠けていました。衆議院議員選挙に小選挙区制を導入してから長いのに、日本ではなかなか実現しなかったからです。  

いくらアメリカやイギリスで機能しているからと言って、二大政党制が日本でも最適だとは私は思いません。しかし、先行する理論に現実がようやく追い着いてきたという意味では、日本も政治文化の成熟へ向けて一歩前進したのではないか?そんな気がします。

さて、初めてのシルバーウィークとやらも終わり、刺激的な2009年も残り約3ヶ月となりました。あとはベガルタ仙台がJ1昇格を決め、モンテディオ山形がJ1残留を決め、東北楽天がプレーオフ進出を決め、快進撃の末日本シリーズであの強い巨人を破って日本一に!などと微かな個人的願望を並べてみます。そんなこと、あり得ないって?でも、あの自民党だって第二党に転落して政権を失うことが現実に起こったくらいですからね~今年ばかりは何が起こるか最後までわかりませんよ(^_^;)。

というわけで、今回の私からの話はこれくらいにしておきます。

ここで、2009年の春を振り返り、こんな文章をご紹介します。実は、私が当塾を開く直前に勤務していた東京三鷹の塾BRAIN代表の「ドラゴン桜」中原先生が送ってくれた塾通信の一部です。阿部ちゃん演じるドラゴン桜って、フィクションではなく、塾に実在するのです(^_^)。この機会にお楽しみください。


>今年の桜は長かったですね~。今まで受験勉強で苦労していた生徒たちもその努力も実り、桜の下で入学式を迎えることができました。本当におめでとうございます。この先、楽しいことも多いと思いますが、やはり、苦労することも多いと思います。是非、いろいろな局面で力を発揮することができるよう頑張ってもらいたいものです。

中学入試に出ます

さて、今年も恒例になりましたが、福島県まで桜を見に行ってまいりました。昨年は、東京から上越新幹線で政令指定都市新潟へ。新潟から羽越本線で江戸時代に西廻り航路・東廻り航路の起点であった山形県酒田へ。酒田から最上川沿いを陸羽西線で山形新幹線の終点山形県新庄へ。新庄から陸羽東線・東北本線とまわり政令指定都市「杜の都」仙台へ。さらに仙台からは仙山線に乗って再び山形県に入り山形へ。そして、山形新幹線に乗って福島へ。こんな具合にあちこちまわって福島までいったわけです。ちなみにこの行程に書いてあった事項や都市名、そして線名まですべてが中学入試には出題されます。高校入試には一部が出ます。大学入試で地理をやっている生徒はこんなこと常識レベルで知らなきゃ完璧落ちます。

一路福島へ

今年は、4月16日木曜夜授業終了後夜11時にmy軽自動車の三菱EKワゴン出発。福島では、数年前までBRAINで教師をやっていたんだか、BRAINにただ酒を飲みに来てたんだかわからない「伝説の男」佐野先生が「佐野塾」を開いており、BRAIN菌を福島県にばらまいてるわけでして、そちらに到着は午前2時30分。ちなみに深夜ETC割引で、高速代2,500円です。

深夜にもかかわらず、佐野先生は料理まで作って待っていてくれたんです(涙)。毎回恒例「自宅の周りでとった野草大会」です。タラの芽はてんぷらです。絶品でした。ブロッコリーは塩茹でです。よくマヨネーズをつけますが必要ありません。それだけでうまいんです!!! ほうれん草も塩茹で。醤油いりません。酒が進みます。朝5時でおひらき。それにしてもこの野菜たち、すべて植物本来の強さが出てるんですよ!! でも、何でこの福島の野菜たちはうまいんだろう? 東京ではこんなうまい野菜はありません。実は東京でも1軒だけうまいとこがあるんですが内緒。

桜咲く

朝9時半起床。やたら小さくてうまいイチゴを食べコーヒーを飲み出発。このイチゴは1パック150円・・・。さて、やっぱり三春の滝桜は最高です。もう何年も続けて見てるのに、やっぱり感動。武蔵野市だって市役所前の桜並木は素晴らしいですが、この滝桜1本の感動はそれを上回るものです。是非見に行きましょう。ここで何年も通っていて初めて気づいたことがあります。それは、桜は「毎年咲く」ということです。当たり前のことじゃないかと笑われるかもしれませんが、よく考えれば凄いことです。1,000年も続けて必ず毎年4月に咲くんですよ。どんなことがあったって毎年咲く、つまり哲学的に言えば「普遍」なんです。

普遍的

よく考えてみると、巨大なこの桜は、雪がつもると雪の重さで枝が折れてしまいます。1,000年もこの巨木が生き残ったのには理由があるんです。理由は簡単、1,000年も前から、この滝桜の姿を守り続けた人がいることなんですよ。「普遍」的なことでもそれを守っていかなければならない。それじゃ「普遍」ではないのだろうか? いやいや、桜が毎年咲くのが「普遍」、桜を毎年守る人の行為が「普遍」。すべてあわせて、三春の滝桜は「普遍」なんです。

最近の子供

よく老人たち(?)は「最近の子供は~」「最近の若者は~」と文句を言いますが、これはおかしな話です。私が思うに「子供なんて昔も今もずっと同じ」だということですよ。子供はわがままで、親の言うことなんか聞かない、悪いことばかりやる。勉強なんて大嫌い。これが当たり前じゃないですか。それが、子供としての「普遍」です。しかし子供はまだ「人間」として「普遍」ではない。その子供を「人間」として「普遍」的な存在にするのが周りの大人の役目であり、それが教育です。

いろいろな勉強を教え、吸収させ、努力をさせて、それが成果となってあらわれることを快感に思い、さらに自分を深めようと勉学に励む。そして、大事なものをつかみ「人間」として成長する。

勉強が性格を悪くする!?

「勉強できても性格が悪ければしょうがないじゃないか」という人もいますが、それは誤った教育がなされた結果です。「他人を蹴落としてでも自分が上に立つ」という貧困な発想しかない親を含めた教育者が多いことが原因でしょう。特に中学受験ではこの度合いは激しいようで困ります。勉強とは「自分との戦い」であって他との競争ではない。受験合格は合格最低点を取るだけです。

最近の「ゆとり教育」も正しい教育から離れてしまいました。なぜか? 理由は、「子供を人間として『普遍的』な存在に育てる」という教育の本来の姿を忘れて、「いじめが増えたから」とか「学級崩壊してるから」とか言って「子供の負担を減らそう」なんてくだらない方向に進んでしまったからです。

福島の野菜がうまいわけ

なぜ、盆地で夏が暑く、冬はめちゃくちゃ寒い福島の庭で取れる野菜が、うまく、力強いのか。それは、野菜たち自身が、厳しい環境を耐え抜いて芽吹くからです。翻って子供はどうなのか。前述の通り子供はわがままで、勉強なんか大嫌いが当たり前です。子供が天使なんて、そんなのはせいぜい3歳まで&寝顔を見てるときだけです。そんな子供たちに「負担を減らそう」なんて考えるのがそもそも間違いなんです。

では、この「ゆとり教育」の結果、いじめ問題は減ったんですか? 学級崩壊は減ったんですか? かけらも減りません。むしろ増加しています。結局「ゆとり教育」の結果残ったものは、九九もまともにいえない小中学生や、暗記もできない子供、都道府県の位置も名前も県庁所在地すらいえない子供、さらには授業中に教師の話も聞けない子、席についてることさえできない子、無気力な子・・・。こんな子供たちです。

老人政治家&官僚たちが子供に残したもの

つまり、子供を守り、人間として成長させる大人が教育の「普遍」性を見失ってしまったことが、老人たちの言う「最近の子供は~」「最近の若者は~」という人間を作ってしまった。しかも、そういう人間を作ってしまったのは、そう言っている老人たち自身であるということをわかっていないんです。

滝桜を守ってきた人は、滝桜が立派に美しい花を咲かせることだけを考えてきた。しかし、教育する人たちは、行き当たりばったりの場当たり的なことばかりを考えてきた。

今こそ、私たち大人は、ブレることなく子供たちが立派に成長するように、そして「人間」として「普遍」的な存在に子供たちを育てることだけを考えて教育にあたっていきましょう。それが、私たち大人の責務であると私は思います。

2009.07.16 塾講師という仕事(第41話:理想的難易度?)

平均点国語
数学英語
理科社会
5教科総合
平成08年27.824.328.022.423.0125.5
平成09年32.325.425.428.226.1137.3
平成10年24.620.024.823.822.1115.3
平成11年23.820.825.824.522.0117.0
平成12年28.723.521.927.924.8126.6
::::::
平成17年27.522.427.519.929.0126.3
平成18年27.726.025.623.427.3130.1
平成19年30.923.027.628.822.1132.4
平成20年28.526.426.621.026.5129.2
平成21年26.124.624.824.825.4125.7

福島県立高校Ⅱ期選抜年度別平均点(過去14年度分)

さて、上の表をご覧ください。ここ数年5教科総合の平均点が250点満点中130点前後と比較的安定した難易度を維持してきた福島県立高校Ⅱ期選抜の入試問題。

しかし、今年は全般的に難化しました。平成10・11年の大パニックに比べれば、はるかにましですが、今年の受験生は近年稀に見るほどの苦戦を強いられたことでしょう。何しろ今年の県北地区の人気校はどこも高倍率で、突出した実力者でない限り、Ⅱ期選抜本番では得意教科で思うように得点させてもらえなかったのです。

最新のデータで最も興味深いのは、どの教科の平均点も5割前後できれいに揃っていること。5教科それぞれの平均点がこれだけバラつきなく揃ったのは、私の知る限り初めてのことです。一見すると、福島県が理想とする県立高入試の難易度設定に最も近づいた例では・・・と判断したくなりますね。

しかし、受験生からすれば、「そんなの関係ねえ!」(>_<)。本人の関心事は、自分の得意教科で高得点し、5教科総合で合格最低点をクリアできるかどうか?それだけですからね。

もう1つ、新教研が公表している、上の表からは読み取れない興味深いデータがあります。本番で各教科41点以上得点できた受験生が福島県内でどれだけいたのか?今年は国語がわずか166名、数学が260名、英語が751名、理科が240名、社会が386名。自分が1教科でもこの中に入れるのかどうか?冷静にお考えください。

また、5教科総合で191点以上取れた受験生が375名。この人数・・・随分少ないと思いませんか?福島県内で、たったこれしかいないのですよ。実は、どの教科も標準偏差が一桁なのです。これは、正答率の高い簡単な問題と正答率の低い難しい問題が目立ちすぎて、点差のつき易い中レベル問題が少ないことを意味します。得点分布が団子状態となって点差のつきにくい作問というのは、入試問題の理想からはかけ離れています。問題の難易度というものは、平均点だけでは判断できないのです。

ちなみに今年福島南高(文理)に合格した当塾卒業生Yさんの場合、35点以上とれた教科は1つもなく、最高得点教科と最低得点教科の得点差がわずかに3点。得意教科が封じられた時、最後に受験生を救ってくれるのは、5教科のバランスの良さなのです。

2009.05.30 塾講師という仕事(第40話:第1回学校紹介)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今回はいつもとは趣向を変え、現役高校生に学校紹介をしてもらいます。第1回は福島東高。この学校は、当塾からの進学者数が福島工業高、福島南高に次いで3番目に多い学校です。

今回学校紹介を担当するのは高3生のS君LIBEROの読者向けに学校紹介文の執筆を依頼したところ、真っ先に応じてくれました。特に中学生にとっては参考になるでしょう。


>東高についてアピールできる点と言えば、何と言っても部活動が盛んなところです。進学校なのに部活か!?・・・って、ちょっと変かもしれませんが、それが東高。

「文武両道」が基本の東高は進学校でありながら部活は盛んなのです。文は学習、武は部活動。その2つが両立できて初めて模範的人間になれるという東高の理想的人間像。それに従った教育方針を採っている東高に通えば、模範的人間になれる・・・ようです。部活が盛んなので、放課後は勉強モードから切り換えて皆部活に熱中。特に運動部は血気、いや活気に溢れ、大会でも良い成績をたくさん残しています。

さて、東高の雰囲気は?一言で言うなら、割と和やかな雰囲気に包まれています。その大きな理由は、先生方の多くが若くフレンドリーであるということ。学校に1人はいる名物先生。それが我が校の教員の半数を占めているわけです。授業は楽しいし、先生と接しやすいために、質問がある~という場合もためらいなく職員室へ聞きに行けます。さらに年に2回あるスポーツ大会ではチームがクラスで組まれると同時に教員チームも参戦。そんな先生方が多いため、学校はいつも賑やかです。

もちろん、ひとたび勉強となればどこの高校にも負けないくらい熱心で真面目に授業を展開してくれます。東高に入ったら皆心して授業に挑むように!

東高に限らず高校の授業はとにかく内容が難しい。いわば中学は基礎、高校は発展。中学は練習、高校は本番・・・といった具合にレベルが格段に違うわけなんです。しかも東高は他校に比べかなりペースが速く、中学なら1週間かけてやるような内容を1日でやってしまい、気を抜けばあっという間に置いていかれてしまうんです。

特に数学は大変です。中学でやってきたことの積み重ねがないとお手上げ状態。ここで、佐野塾で数学を受けていたのが生きるわけですね。数学と並んで大変なのが英語。特に高2の半ば頃になると、1問解くのに5分近くかかることもしばしば、といった感じです。辞書が手放せない!

以上挙げたように、東高には和やかに過ごせる面と、頑張らないと乗り切れない面の2つがあります。和やかな面は、明るく仲良く過ごせる楽しさ。頑張らないと乗り切れない面は、努力して乗り切った時の達成感。それぞれの楽しさがあります。2つの楽しさを同時に味わえるなんて、お得ですね~。


いかがでしょう?今後もたまにはこの欄の執筆を私以外の人物(当塾卒業生、保護者、等)にお任せしてみましょうか。原稿料?もちろん出します。それにしてもS君の初めてのアルバイトが当塾のLIBEROの原稿執筆になろうとはね(^_^)。 

2009.04.24 塾講師という仕事(第39話:5年間の総括)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

保護者の皆様、お子さんのご進学にご進級おめでとうございます。早く新しい環境に慣れることを祈っております。さて、2009年度のスタートに当たって、この春当塾を卒業した11名の進学先をまずご報告しておきます。

◎大学進学者(2名)

☆埼玉女子短期大学(国際コミュニケーション学科)1名

☆日本大学(工学部)1名

◎高校進学者(9名)

☆白石女子高(看護)1名

☆聖光学院高(普通)1名

☆橘高:1名

☆福島工業高(建築)1名

☆福島商業高(マネジメント会計)1名

☆福島西高 (普通)1名

☆福島南高 (文理)1名

☆福島明成高(生物生産)2名

当塾も2004年ゴールデンウィーク明けのスタート以来ちょうど5年になります。今年の卒業生の特徴は、初の大学合格者をはじめ新たな進学先を開拓する子が目立った点です。開塾初年度以来の通塾生はいませんが、最長通塾者は3年8ヶ月。3年が最も多く、最短は7ヶ月。

ちなみに、3年以上の通塾生なら、第一志望校の入試での不合格者は、いまだゼロ。こんなこと言うと、逆にネガティブな見方に陥る方が必ずいらっしゃいます。「そのジンクスを最初に破るのは、うちの子かも・・・」みたいな。いけませんよ!「継続は力なり」とは確かなことです。3年以上通塾すれば、必ず道は拓ける。そう信じてポジティブに捉えることが重要なのです。

次に、この5年という月日を総括する意味で、これまでに当塾を中3で卒業した68名全員の進学先をこの場で公開しておきます。お子さんの将来の進路をイメージする上で参考になるでしょう。

・白石女子高:1名(看護)1名

・聖光学院高:4名(情報電子)1名(電気)1名(特進)1名(普通)1名

・橘高:4名

・福島高:1名

・福島北高:3名

・福島工業高:13名(環境化学)2名(機械)5名(建築)2名(情報電子)3名(電気)1名

・福島商業高:6名(国際経済)2名(情報処理)2名(マネジメント会計)2名

・福島成蹊高:5名(特進)3名(普通)2名

・福島東稜高:1名(普通)1名

・福島西高:2名(数理科学)1名(普通)1名

・福島東高:8名

・福島南高:10名(国際文化)4名(情報会計)3名(文理)3名

・福島明成高:4名(食品科学)1名(生物生産)3名

・保原高:3名(普通)3名

・梁川高:3名

2009.03.02 塾講師という仕事(第38話:本人次第)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年度もいよいよ大詰めです。県立高入試もカウントダウンに入りました。当塾中3生からは6名が挑戦しますが、私も全員が第一志望校に合格することを信じて、受験指導もラストスパートに入っています。

そんな中、すでに当塾にはひと足早く吉報が届いています。これから挑戦する6名に強烈な追い風が吹くことを願って、ここまでの成功例をご紹介しておきましょう。

◎大学入試合格者

☆埼玉女子短期大学(国際コミュニケーション学科)1名

☆日本大学(工学部):1名

◎福島県立高校入試Ⅰ期選抜合格者

☆福島商業高(マネジメント会計):1名

☆福島西高(普通):1名

☆福島明成高(生物生産):1名

現役塾生で初の大学入試合格者が誕生しました。今回は、そのうち郡山の日大工学部に合格し、昨日卒業式を終えたばかりのY君をご紹介します。実は、以前LIBERO(第28話で彼のことを話題にしたことがあります。さっぱりダメだった数学が入試直前の2月に入ってから急に伸び出して別人になり、県立高Ⅱ期選抜の理科では塾生中最高得点をマークして福島工業高校(環境化学)にギリギリ滑り込んだ、あの彼です。

中3の夏に入塾して以来、早いもので、もう3年8ヶ月になりますか。高校生になってからは苦手の英語を克服するべく、この3年間貴重な土曜日によくがんばりました。

ところで、志望校を選択する際にこんなふうにいわれることがよくあります。ギリギリで合格するような学校は選んではいけない。たとえ運良く合格しても入学後ついていくのに苦労するだけだ。リスクはなるべく避け、余裕で合格できる実力相応校を選択せよ、と。

しかし、Y君のような子を担当していると、そうしたアドバイスが無意味なことに改めて気づかされます。良い環境を活かす能力さえあれば、スタート時点での実力がどうあれ、人は良い方向に変わっていける。上位で合格しようが、ギリギリで合格しようが、進学後は本人の心がけ次第でどうにでもなるのです。

さあ、話を戻しましょう。今回6名の挑戦者が受験する学校のほとんどは、昨年より倍率が上がってしまいました。不安になっている塾生もいることでしょう。そんな時は、Y君の例を思い出してみてください。ビリでもいいから、何としてでも合格者の仲間に入れるようベストを尽くすのです。第一志望校の入試は、状況が厳しいほど合格の喜びも大きいのですよ。

2009.02.02 塾講師という仕事(第37話:中レベル問題とは?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

中学生の保護者と面談をすると、こんなご質問をよく受けます。「自分の中学時代と比べると、うちの子は定期テストはともかく実力テストになるとなぜこの程度しか得点できないのでしょう?」百聞は一見に如かず。今回は、福島県立高校Ⅱ期選抜の社会科の入試問題を例に、いわゆる「ゆとり教育」って何なのか?考えてみましょう。

まずは、平成17年度の1番(3)①から。LIBEROの紙面の都合上省略しましたが、実際の問題用紙には世界地図(白地図)が載っていて、カナダにA、アルゼンチンにB、イランにCと、それぞれ記入されています。

下の表は、A~C国に関する統計の一部である。表を見て、問いに答えなさい。

項目(単位)  A国     B国    C国

面積(万k㎡)997   278     165

人口(万人)3151 3843   6892

A~C国の中で、人口密度が最も高い国はどれか。符号と国名を書きなさい。また、その国の人口密度を計算し、小数第1位を四捨五入して整数で答えなさい。


まず、1つ目の設問です。人口密度の最も高いのがC国であることは、計算するまでもなく判断できたはず・・・ところが、ラッキーと思ったのも束の間。たとえ地図があるとはいえ、今の中学の授業ではほとんど扱われない中東の国名を書くよう求めてきました。驚くべきことに、現在の中学校用教科書の世界地理には、合衆国、マレーシア、フランスの3国についてしかまともな記述がありません。こんな程度で、何が「国際化に対応」でしょう(@_@;)?ちなみに、この設問の正答率はわずか14.9%。

せめて地理分野の貿易の単元で、日本の原油輸入先ベスト3の国名と位置を正確に覚えていれば・・・何しろ今の中学校用地理教科書では中東を学ぶ機会はゼロに等しく、歴史教科書にはペルシャの記述もないのですし。

次に、6892÷165の正答率は40.1%(@_@)。無理もありません。4桁÷3桁だと小学校では電卓の使用を許可され、筆算で解いた経験すらない子もいるのですからね。いや、人口密度を計算するための式さえ思いつかないのかも・・・。

これで少しおわかりでしょう?今の子にとって、学校の授業だけでは、中レベルの入試問題さえ解くのに苦労する理由が!知識・技能を公教育で修得する機会を奪われているのです。

せめて小学校時代に、こんな問題を筆算で解いた経験があれば・・・。「1周50cmにできるだけ近くなるように画用紙に円をかきたいと思います。半径を何cmにすればよいですか?円周率は3.14とし、答は小数第1位を四捨五入して考えなさい。」ちなみに当塾の小5算数の授業は、そんな中レベル問題が解けるようになることを目標としているのです。


もう1題は、平成20年度の6番(2)bです。正答率は48.8%。

円高と輸出製品の価格の関係について説明した次の文の(X)、(Y)に当てはまる数字をそれぞれ書きなさい。

日本で製造した自動車を、1台あたり200万円でアメリカに輸出するとする。まず、円とドルの交換比率を、1ドル=125円とした場合、その自動車は、ドルに換算すると1台あたり(X)ドルになる。次に、円高になって、1ドル=100円になると、1ドル=125円のときと比べて、その自動車は、ドルに換算すると1台あたり(Y)ドル高くなる。


中3公民の年明けあたりに学ぶ円高・円安についての問題ですが、賢い小学生なら解けます。1980年代の日本経済を想定していますが、現在日本の製造業が苦悩している一因を考えさせる良問です。「ゆとり教育」って、知識・技能のレベルを落としてでも、本来こういう問題に強い子を育てることを目指すはずではなかったでしょうか?


こうしてみると、当塾の役割とは、中レベルの問題を高い精度で解ける子を育てることとなりそうです。中レベルの問題とは、高得点するにはできるだけ正答しなければならず、入試では合否のカギを握る問題なのです。

2008.12.04 塾講師という仕事(第36話:佐野塾ファーム構想)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年も師走に入りました。私にとっては、ここ国見に移住して5回目の冬を迎えることになります。2004年5月の開塾以来もうすぐ5年になります。この間、自分の中に何か変化はあっただろうか?

思い出しているうちに、わずかながらも向上したと思える点にふと気づきました。それは、食に対する意識です。

都会生活にどっぷり浸かっていた頃、私の食に対する意識は希薄そのもの。「美味いものは金さえあれば手に入る!」という今では考えられないほどの傲慢さ。日常食についても、スーパーかデパートで食材を調達する以外の選択肢は考えられませんでした。

ところが、その意識はここに移住してから確実に変わりました。そう、「食材を自給する」という新たな選択肢が加わったのです。国見在住期間の長さについては私よりはるかに先輩である塾生達に笑われそうですがね。「そんなの当然でしょ!」みたいな。


さて、話は遡ります。東京の塾で小6や中3の社会科の授業を担当していた頃、私は生徒にこんなふうに伝えていました。「日本の食糧自給率は約40%だ。穀物に関しては、驚くべきことに小麦が15%を切り、大豆なんて5%を切っていて、主食である米でさえ100%を切っている。中学入試・高校入試に挑戦する受験生にとっては常識で、入試問題を解く際に欠かせない重要な知識だから、これらの5の倍数は覚えておけよ。それにしても悲惨だな。これほど気候に恵まれているというのに・・・砂漠の国じゃあるまいし、こんな国が先進国どころかまともな独立国だと思うか?」

こうした説明は、都会っ子にはそれなりのインパクトを与え、入試本番の社会科で合格点をとらせることには成功してきました。

しかしその一方、毎年のようにこんな説明を繰り返す言行不一致の自分に嫌気がさしていったのも事実です。「偉そうなことを口にしておきながら、自分はあるべき方向を目指して何を実践しているというのか・・・(>_<)。」


その後、私がここに移住したばかりの頃、まず感激したのは野菜の美味しさでした。東京のスーパーにも福島県産の野菜は並んでいて、よくお世話になりましたが、特別美味いと思った記憶はありません。ところが、どうでしょう。ここの野菜は、東京で売っていた福島県産野菜とは全く別物です。

最初はこう思いました。「福島の人って、実は本当に美味いものは自分達だけで楽しんで、本物の味を知らない都会人にはどうでもいいヤツを売りつけているんだな。」まあ~生産者の特権で、それもアリかなと思いますがね(^_^)。

でも、本当はそうではなく、朝採りの野菜がその日の食卓に並ぶかどうかが決定的な違いなのでしょう。こうなると、自分で作った採れたて野菜を味わってみようという気になってきます。既に暇を見つけて試行錯誤していますが、いろんな発見があって楽しいものですね。特にこの地域では、ズッキーニがなかなか売っていないので、自分で作らなければダメだと決意しました。

まず自らの肉体と頭を使い、自給可能なものはなるべく自給する。そうしたライフスタイルの継続が、究極のエコへの近道かも。いずれ近所で休耕地を借りて、「佐野塾ファーム」なる皆の遊び場でも作ろうかと本気で考えています。候補地に心当たりのある方は、ぜひ情報をお寄せください。 

2008.09.29 塾講師という仕事(第35話:社会科への目覚め)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

暑さ寒さも彼岸まで。こうした季節の変わり目は体調を崩しやすいもの。また、これから3学期にかけては1学期とは異なり、どの学年も学習内容が非常に濃くなっていく時期です。塾生は健康に注意し、たっぷり勉強して、秋の夜長を楽しんでください。

何を勉強するかって?算数・数学・英語の重要性は今さらここで指摘するまでもないでしょうから、問題はそれ以外の教科、例えば社会科なんていかがでしょう。私の知る限り当塾生で社会科が強い子は稀のようです。逆に、苦手としている子なら山ほどいます。

どうしたら社会科に強くなれるのでしょう?難しい問題ですが、今回は私の体験談を明かすことにします。それが問いに対する答になるかどうかは、わかりませんがね。

実は私、小6から中2頃にかけて日本の歴史には全く興味が持てなくて悩んでいました。大人は決まってこう言います。「日本人が自国の歴史を知るのは当然だ!」と。

しかし、当時の私は納得できませんでした。「日本の歴史と言ってもその中心は西日本。東日本なんて、先進国西日本の奴らに都合のいいようにかき回されているだけじゃないか!」そう感じると、まるで教科書の記述がやかましい関西弁のように思えてきて頭痛がしてくるのです。「これが日本の歴史だというなら、北関東以北なんて本当に日本か?」「東北・北海道の人間にはそんなの関係ねえ!」みたいな。えっ、そんなの私だけだって(^_^)?

今でもこう思うのです。例えば、北海道や沖縄の子とキョナラ地方(京都・奈良)の子とでは、日本の歴史を学ぶモチベーションは比べものにならないだろう、と。東北の子はきっと北海道や沖縄の子に近いはず。自分の高校時代を振り返ってみても、周囲は自然科学に拠り所を求める者が数多く、進学先も理系の工学部や医学部等の進学者数が文系学部進学者数を圧倒していた事実は偶然とは思えません。ですから、ここ国見も社会科より理科に強い子が多くなるのは、自然なことのように思えるのです。

さて、話を戻します。私が社会科に関心を持つきっかけとなったのは、ズバリ中3の時の学年主任で社会科教師O先生との出会いでした。埼玉から宮城に引っ越したばかりの春休み、転校先の中学に挨拶に行った時に初めて会った教師です。「どこかで見たことがある・・・そうだ!まさにポマードをつけた髪をオールバックにした北京原人!」同級生は既に「ペキン」と呼んでおり、「考えることは同じだな。」と思わず笑ってしまいました。

当時はまだ冷戦中です。「私はアメリカとソ連という大国が大嫌いでしてね・・・。」O先生が発したこの一言は、とても印象に残りました。今思うと、この一言がきっかけで、私は近現代史に関心を寄せていったような気がします。


特に印象深いのは中3の修学旅行。行き先は東京と日光でした。初日の夕食後のことです。いくつかのグループに分かれ、教師の引率で行動することになりました。一番人気は後楽園球場でのプロ野球観戦。私は散歩を選択。散歩希望者はわずか数人で、引率教師は例の北京原人。思わず「しまった!」と後悔しましたが、実はこれが大正解!

北京原人に連れて行かれた先は、なんと夜の銀座。水道橋から電車に乗り秋葉原で乗り換えて有楽町で降り、そこから延々と歩きました。その時、初めて知りました。東京の風景で最も美しいのは夜のネオン街で、そこに群がる大人が実に楽しそう。(^o^)/O先生の粋な計らいを機に、これまで眠っていた私の社会に対する思考回路が一気に広がり出します。

偶然と言えばそれまでですが、真剣に悩む者には幸運が訪れることを信じましょう。

2008.03.15 塾講師という仕事(第34話:花の季節到来)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

ついに当塾にひと足早く花の季節が到来しました。まだ梅も咲かないこの地域で、少なくとも当塾だけは桜の花盛り。

まずは先週のことです。当塾第1期生Aさんが福島大学に合格したとの吉報が入りました。彼女は、2004年5月に開塾した時の中3入塾生第1号です。3年前の高校受験の時は、福島南高(国際文化)にⅠ期選抜で合格した子です。いつかこんな吉報が入ることを信じて4年間辛抱した甲斐がありました。何しろ当塾の新スタッフ候補(いや、私の新たな飲み相手と呼ぶのが正確か?)がようやく当塾卒業生から誕生したわけですから、これは嬉しいですね。(^o^)/

次は、県立高Ⅱ期選抜本番の3月10日(月)。63年前のこの日といえば、東京大空襲。一晩で民間人10万人以上がアメリカ軍に焼き殺されたという歴史的事件のあった日です。受験生なら常識のはずなんですが、果たして今年度当塾卒業生のうちの何人が記憶していることやら・・・まあ1人いれば上出来かな。

それはともかく、東京大空襲をきっかけに、久しく足を運んでいない東京での生活を懐かしく思い出していたその時です。私の前職場の塾から、教え子(当時中2クラス)のうちの1人H君が東京大学(文Ⅰ)に合格したという吉報が飛び込んできました。

そういえば1月のセンター試験の前日。「先生、明日のセンター試験に向けて激励のお言葉をお願いします!」そう電話してきたのはH君にS君にSさんでした。その彼らが、今次々に難関大学合格の栄冠を手にしています。東京での新たな若い世代の飲み相手誕生の瞬間です。今後の楽しみが増えました(^_^)。

さて、当塾も今年度高校入試結果が全て判明し、中3卒業生全員の進学先が決定しました。

では、当塾に咲いた桜の花をご覧ください。

☆福島工業高(情報電子)1名(電気)1名 ☆福島商業高(情報処理)1名         ☆福島成蹊高(普通)1名  ☆福島東高:4名

☆福島南高(文理)1名(情報会計)2名  ☆福島明成高(食品科学)1名(生物生産)1名 ☆保原高(普通)2名    ☆梁川高:1名

開塾4年目に当たる今年度卒業生の多くは中学入学直後からの通塾生。昨年度の卒業生は、最も早い入塾者が中1の晩秋でしたから、当塾で3年間みっちり鍛えられた学年は今年度の卒業生が初めてです。中には開塾以来4年間通い続けた子もいます。少なくとも彼らを全員第1志望校合格へ導けた点については、最低限の責任は果たせたかな・・・そう思っています。

ただ、今年度の卒業生の第1志望校合格率は15/16。合格率の高さを評価してくださる方もいらっしゃるでしょうが、プロの合格請負人としては、まだ満足できません。分子を分母と等しい数字にしたいのです。

こうなると、皆さんの関心事は不合格校でしょ?そう、皆さんの予想通り福島西高普通科です。開塾以来ここだけがなぜか4戦全敗!(>_<;)???例えば、福島南高が9戦全勝、福島東高が8戦全勝まで伸びたのとは、あまりにも対照的。西高受験生だけが、なぜ試験会場で蛇に睨まれた蛙になってしまうのか?実は、西高必勝法についてはLIBERO(第30話で1度分析を試みていますから、そちらをご参考に。 

2008.02.22 塾講師という仕事(第33話:Ⅰ期選抜で求められる力)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

ゆ~き~やこんこ♪あ~られ~やこんこ♪降っても降ってもまだ降りやまぬ♪い~ぬ~は喜び、庭駆け回り♪ひ~と~はコタツでLIBERO読む♪

なんて歌っているうちに、いつの間にか寒さもピークも過ぎ、春めいてきた今日この頃。当塾の中3生も私立高校入試、県立高校Ⅰ期入試を終え、あとは県立高校Ⅱ期入試を残すだけとなりました。これまで7名の塾生が進学先を決めています。

☆福島工業高(情報電子)1名(電気)1名

☆福島商業高(情報処理)1名

☆福島東高:1名

☆福島南高(文理)1名(情報会計)1名

☆保原高(普通)1名

現時点で既に栄冠を手にしている合格者の皆さん、おめでとうございます。特に、当塾の県立高Ⅰ期選抜合格者は、Ⅱ期で受験しても余裕で合格できる実力者ばかり。彼らが既に合格を決めたのは当然の結果です。

なお、高倍率のため運悪くⅠ期選抜で不合格とされた受験生は、悲観する必要ありません。これまでメインのⅡ期選抜の筆記試験に照準を合わせて厳しいトレーニングを積んできたのです。ここで弱気は禁物。ぜひ最後のⅡ期選抜本番で本来の実力を発揮し、合格の喜びを味わってください。

ところで、実は私、県立高Ⅰ期選抜についてはこれまで真面目に考えてきませんでした。すみません。しかし、いつの間にか当塾もこの春で4回目の卒業生を送り出すことになり、気がつくと県立高Ⅰ期合格者だけで19名。さすがにこの数字を無視するわけにはいかなくなりました。いい機会です。彼らのどんな点が評価されているのか?今回はⅠ期選抜合格への近道を探ってみましょう。

まず注目すべきは、Ⅰ期合格者の9教科の5段階評定には2がないという事実。これは偶然でしょうか?現在の中学は絶対評価ですから、教師の心情として1はつけにくい。だとすれば、2は事実上最低だと判定されても不思議はありません。高校にもよるのでしょうが、Ⅰ期選抜では内申に2のある受験生は足切りされている可能性を感じます。

また、当塾のⅠ期合格者は突出した得意教科の持ち主ではなく、バランスのとれた学力の持ち主であるという事実。昨年度、英検準2級を持っていながら福島南高(国際文化)のⅠ期で不合格にされた塾生がいます。当塾の平常授業で国語と理社を受講していた彼女は、その後Ⅱ期選抜で168点とってリベンジしましたから立派ですね。それにしても英検準2級という資格が南高(国際文化)のⅠ期選抜で通用しなかった事実は注目に値します。「英語の力だけではダメだ!」と宣告されたようなものです。

おそらくこういうことでしょう。中学段階での得意分野などたかが知れる。能力を開花させるのは高校進学後で十分。つまり、スポーツや芸術等の分野を除き、高校はけっして特定分野に秀でた中学生を求めているのではなく、むしろバランスの良さや潜在能力の高さを感じさせる子を求めているものと思われます。 

2007.12.12 塾講師という仕事(第32話:究極の定期テスト対策)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

あくまで個人的なことですが、近頃私はどうもツイていません。あのオシム監督が倒れて以来です。彼の率いるチームが2010年に世界のサッカー強豪国を恐怖に怯えさせるシーンは幻になり、ベガルタ仙台の来シーズンJ1復帰もなくなったし。これで福島東高卒のストライカー萬代宏樹(福島民報のCMに登場する例の兄ちゃん)がJ1デビューする日は、まだ先か・・・。なぜか私の望むことが次々に消え去っていくように感じる今日この頃。

だから、現在スランプに陥っている受験生の気持ちはよくわかります。悪いことが続くのは、「今は我慢せよ!」との神の思し召しでしょう。しかし、前向きに努力を重ねている限り、悪いことはそう長く続くものではない。年が明ければ、一転して良い方向へ事が動き出す。そう信じています。どうですか?成績が思うように伸びなくて悩んでいる受験生諸君!少しは私のプラス思考を見習ってスランプ脱出に成功してください!えっ、そんな能天気な人間は、見習いたくないって(^_^;)?

ところで、話は変わります。最近、学校の定期テストで思うような結果が残せなくて、半ば諦めの境地に達しているかのような中学生が目につくようになってきました。事前に詳細な範囲が公表され、しかも基本問題が大半を占めるだけの試験なのに、自ら対策が打ち出せないとは困ったものです。

こういう場合、迷える子羊を救うために塾はいかなる手段を講ずるか?結果さえ出せればいいというなら、実は「究極の定期テスト対策」があるのです。一昨年度、私がたった1度だけ使った手です。

開塾初年度、私は当時の塾生を通じて、地元K中の中3用定期テストの問題をすべて入手しておきました。その後模範解答まで作成し、それらを次年度の中3クラスで、ある定期テスト直前に配布。前年度と試験範囲が一致した絶好のタイミングを見計らいました。「今の中学教師は忙しすぎて、毎回新しく作問する余裕はないだろうから、前年度の過去問を使ってくる教師は必ずいる。」その読みは的中しました。ある教科で、前年度の問題がそのまんま出題されたのです。当塾生はもちろん満点続出。これは、当時地元K中では問題になったかもしれません。

生徒に好成績をとらせるためなら、塾はそんな手を打つこともできます。これに懲りて教師が毎回きちんと作問しても大丈夫。毎年コツコツ情報収集に励めば、かなり高精度の試験対策用プリントが作成可能です。

では、こうして満点をとった彼らをうらやましいと感じますか?当時、満点を取って狂喜する男子とは対照的に、浮かない表情で発したある女子生徒Nさんの一言が、今でも印象に残っています。「どうもうれしくないんです。自力で勝ち取った気がしなくて・・・。」

世の中は、どんな手を使ってでも結果がすべて。そんな風潮に疑問を持つ感性と自立心。ハッとしました。そして、このやり方は間違いだとNさんから気づかされました。塾講師という仕事は、とにかく結果が求められるもの。しかし、目先の目標達成に目がくらめば、つい過保護とでもいうべき手を打って、子どもの感性と自立心を奪う危険性を抱えています。現在、私があえて「究極の定期テスト対策」だけは避けている理由。ご理解いただけたでしょうか?

もう1つ、重要な点があります。塾の授業はやはり対面授業でなければならず、少人数集団指導という当塾のこれまでの方針は正しいと確信したことです。授業での教師と生徒との対話による予想外の展開や軌道修正こそ、お互いを成長させてくれるからです。  

2007.10.03 塾講師という仕事(第31話:小学英語について)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

ここしばらく、受験生の保護者向けの内容に偏ってしまった佐野塾通信LIBERO。たまには別な話題を盛り込んで、バランスをとろうと思います。今回は、小学生編です。

皆さんは、当塾に小学生向け英語クラスがないことはご存知ですね。この点については、小学生の入塾希望者を中心にこれまで何件問い合わせを受けたかわかりません。その都度、私はこんなふうにお応えしてきました。

「当塾では、小学生は国語と算数のみで、英語はやっていません。英語は小学生からやる必要はなく、中1から密度の濃い学習を積んでいけば満足のいくレベルに到達できると考えているからです。今英語に時間とお金をかける余裕があるなら、その時間は国算理社のレベルアップと読書の習慣づけに充てたほうが長い目で見ると賢明です。」

英語の早期教育に熱心な親は、私の少年時代から少数ながらいました。ただ、当時小学校の授業に英語導入を求める声までは聞いたことがありません。ところが、時代は変わったものです。例えば、近頃文科省がまとめた学習指導要領改訂案(2011年春より実施)では、ついに小学校高学年で英語を週1コマ必修とし、その分だけ総合学習を減らすことが柱になっているそうです。世論の動向を見極めた上での案でしょうから、実現する可能性が高そうですね。

そこで、改めて問いたいと思います。日本人の多くは小学校で英語を学ばなかったことをそれほどハンデだと感じてきたのでしょうか?もし本当にそう感じているなら、日本の小学生にどういうレベルの英語が身につけば気が済むのでしょうか?

こうした動向は、不透明な将来に対する単なる漠然とした不安感の表れではないでしょうか?そのうち明確な根拠もなく早期教育神話に救いを求める親が多数派に・・・。まるで早期教育神話という新興宗教の信者が急増している異常事態のように私には見えます。この国に学校制度が誕生して以来、たかだか130年余り。例えば何百年もかけてカリキュラムを練り上げてきたヨーロッパ人と比べると、日本人は常に不安を抱え、右往左往しているかのようです。いや、日本人に限らず短期間で急速に経済発展を遂げた国民って、そういうものかもしれません。

しかし、現在外国語を使って仕事をしている日本人でも、英語の早期教育の必要性を主張する者は、少なくとも私の知人の中にはいません。要は、一般に外国語の習得はスポーツや楽器等とは異なり、スタート時期は関係なく、必要に応じて常に自分なりの目標を設定し、どれだけ内容の濃い学習を積むかで決まります。

どんな時代になろうと、日本の小学生に最も必要なのは、日本語による豊富な読書経験と算数をベースとして培われた言語能力。中学進学以降学業で頭角を現すのは、この能力に長けた子なのです。特に、大学受験向けの英語指導や他の外国語を楽しんでいる立場からすると、英語学習は中学以降が最も重要で、小学校からやる意味はほとんどないと結論せざるを得ないのです。

では、帰国子女はどうでしょう。たまに帰国子女に憧れを抱き、彼ら彼女らに近い家庭環境(例えば、家では英語で会話する)を作ろうとする人もいます。ちなみに、私が東京で仕事をしていた頃、帰国子女の生徒は随分担当しました。中にはとても優秀な子がいたのは事実。それは、まずその子の親がとても優秀で、しかも塾との付き合い方がとても上手なケースです。そんな優秀な帰国子女でも、実は大きな悩みを抱えています。それは、自国語すなわち日本語の力に対するコンプレックスです。私が出会ったざっと10名ほどの帰国子女で、国語に自信があると答えた子は一人もいませんでした。

全く言語体系の異なる日本語と英語を小学校から同時にやることの危険性って、既に明治時代の人が気づいていたはずです。この点については、明治時代から今日まで小学校で英語をやらせなかった先人達が正しかったと私は思います。当塾で小学英語をやらない理由、少しはわかっていただけたでしょうか?たとえお金になったとしても、長期的に効果は望めないと自分が思うことをやるわけにはいかないんです。

それに、今の財政破綻の状況下で、所詮気休め程度の効果しかないであろう小学英語の授業担当者養成なんぞに巨額の税金を投入している場合でしょうか?ただ英語が母語だというだけで容易にALTという「おいしいバイト先」が転がり込む白人が大喜びするだけでしょう。えっ、私が尊王攘夷派(^_^;)?

もし今後気が変わるとすれば・・・可能性は1つだけ。ある日突然若い美人教師が「佐野塾の小学英語の授業は、私に全部任せてください!」と強引に迫ってきた時のみ。えっ、あり得る(^_^)?

2007.04.23 塾講師という仕事(第30話:福島西高普通科必勝法)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年も花の季節がやってきました。早いもので、当塾も2004年5月の開塾以来もうすぐ3年が経とうとしています。この3年で中3クラスの卒業生は合計43名(K中42名・J中1名)に達しました。彼らの進学先は、次のとおりです。

☆聖光学院高:3名 ☆橘高:3名     ☆福島高:1名

☆福島北高:3名  ☆福島工業高:10名 ☆福島商業高:4名

☆福島成蹊高:4名 ☆福島東稜高:1名  ☆福島西高:1名

☆福島東高:4名  ☆福島南高:6名   ☆保原高:1名

☆梁川高:2名

このうち第1志望校に進学した子は37名。これで開塾以来3年間の塾生の第1志望校合格率は86%となりました。まるで当塾の指導力に86点という点数がつけられたかのようですね。この数字をどう評価するかは皆さんにお任せします。

当塾での短い在籍期間を考慮すれば、全般的にはまずまずという見方も可能でしょうが、私にとってはまだ満足するまでには至っていません。そう、どうしても私の思い通りにならない学校が1校だけあるからです。当塾が目標とする第1志望校合格率100%を阻む厚い壁・・・それは県北地区を代表する人気校、福島西高普通科です。

「我が子を西高へ!」実は、当塾に対する保護者の皆さんのご要望で最も多いのがこれです。保護者の皆さんにこの学校の卒業生が多いことも存じております。ところが、当塾の西高受験生は、普通科Ⅱ期選抜でどうしても合格できない。開塾以来、対西高普通科の戦績だけが3戦全敗。ついに私はキレました(>_<;)。単に「相性の悪さ」で済ませてもいいんですが、それでは不合格になった卒業生や保護者の皆さんに対して、あまりに失礼というもの。そこで、今回は塾生が西高普通科の受験で苦戦している原因の真相に迫り、必勝法を探ってみたいと思います。

まず、西高普通科のレベルを再確認しておきましょう。現在福島新教研模試では偏差値58にランクされています。

本番では何点取ればいいのでしょう?注目すべきは、当塾卒業生で不合格になった3名に共通しているのは、本番の得点が150点をわずかに切っているという事実です。また、彼らがいずれも新教研模試でC判定だったことを考え合わせると、西高普通科Ⅱ期選抜の合格ラインは、ズバリ250点満点中150点、つまり平均6割以上の得点力だと考えられます。もし本番で目標点をクリアしたのに不合格になったケースがあるとすれば、「20点を切った教科がある」「内申点が悪すぎる」のような確かな根拠があるはずです。

K中でこのハードルをクリアできるのは、どのレベルでしょう?当塾にはまだ成功例がないものの、貴重な失敗例があります。彼らの実力から、次のことが推測できます。おそらく中3の学年順位で10番台後半あたりの層でギリギリ。20番台の子になるとこのハードルは高く、どうしてもあと一歩届かない。30番台の子では奇跡でも起きない限りクリアするのは極めて難しい。

ところで、以前LIBEROでこんなことを述べたことがあります。この地域は県庁所在地に近く、おまけに宮城県内の高校も受験できるため、中学生は高校進学の選択肢が多い点で恵まれている、と。その点について、もう少し説明を加えてみます。

実は、この地域から進学先の高校を選択する際に悩める層が存在します。それは、K中3年次の学年順位20番台、新教研模試の偏差値なら55前後の層です。このランクの子にとって実力相応の県立進学校が、残念ながら福島県北地区に見当たりません。この状況を仮に「K中20番台地獄」と呼ぶことにします。

例えば、彼らが福島商業や福島工業を受験すれば楽勝です。ところが、何としても普通科系の高校に進学したい子は、玉砕覚悟で西高か南高に挑戦するしかありません。同じことを考えるライバルも県北地区には山ほどいます。こうして、南高文理科よりわずか1ポイント偏差値の低い西高普通科に狙いを定めて多くの受験生が殺到し、毎年Ⅱ期選抜は激戦になるのです。この層に大量の不合格者が出るのは当然のことで、当塾のみならず福島県北地区の他塾にとっても、またK中の教師にとっても悩みの種になっているはずです。

実は、彼ら20番台の受験生に国見峠を越える勇気があれば、宮城県内に普通科の白石高校や白石女子高校という実力相応校への挑戦権があります。しかし、これまで私のアドバイスはことごとく無視されてきました。理由を訊くと「田舎は嫌!」だとか・・・(@_@;)。

そこまで都会(?)福島にこだわるなら、仕方ありません。私としてはこう言うしかないでしょう。どうしても西高普通科へ行きたいなら、猛勉強してⅡ期選抜本番で不調でも150点というハードルをクリアできる実力を身につけよ!そのためには、とにかくK中の学年順位20番台地獄と新教研模試の偏差値55ポイント地獄から脱出せよ!

では、どうしても地獄を脱出できず、福島ブランド信仰も捨てられない場合は?県立高校へのこだわりを捨てるしかありません。例えば、県北地区には私立に福島成蹊高校特進科があります。今のところ入試の難易度では西高普通科より少し易しい気がしますが、いずれ県内屈指の進学校になることは時間の問題でしょう。学費の高さがよく問題とされますが、この学校に進学した場合、塾・予備校の必要性がゼロになるかもしれません。もしそうなら、県立高校から大学を目指す場合に比べて、むしろ安上がりかもしれません。実は、努力する者には地獄なんて存在せず、希望への道が用意されていたわけですね。

えっ?Ⅰ期選抜の必勝法ですか?う~ん、そこまで西高普通科にこだわりますか。最も大切なのは中学教師に好印象を与え、内申点をガッポリ稼げる性格になるようお子さんを育てること。これは塾講師の仕事ではなく、ご家庭のお仕事ですね。もう手遅れだったりして・・・(^_^;)。

2007.03.15 塾講師という仕事(第29話:暗黒時代に終止符)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年度の当塾中3卒業生の高校入試結果が全て判明しました。まずは、速報です。

☆福島高1名

☆福島北高2名

☆福島工業高(環境化学)1名(機械)1名

☆福島成蹊高(特別進学)2名

☆福島西高(数理科学)1名

☆福島東高1名

☆福島南高(国際文化)1名(文理)1名

☆梁川高1名

さて、開塾3年目に当たる今年の中3卒業生。開塾当時、彼らはまだ中学生になったばかり。以来、どういうわけかこの学年だけは長いこと入塾希望者ゼロの状態が続きました。初めて入塾希望の連絡が入り、ようやく中1英語クラスが成立したのは11月。2人目が入塾して中1数学クラスが成立したのは年明け2月半ば。ですから、今回の卒業生も3年間当塾に在籍した子はまだゼロということになります。

学校の成績がたまたま良かったため、通塾の必要性を感じなかったのか?それとも単に能天気なだけだったのか?そもそも当塾の存在自体を知らなかったのか?いや、存在は知っていたものの、通塾に値するかどうか評判を辛抱強く待つほど慎重だったのか?何しろ、皆さんにとって当時の私は正体不明の宇宙人、いわゆる「よそ者」でしたからね。えっ、今でもそうでしょうって?(^_^;)

では、今年度の入試結果を簡単に分析してみましょう。今年度卒業生の最大の特徴は、新たな進学先を開拓したことです。まずは、開塾3年目で初めてこの地域のトップ校福島高の受験生が育ち、合格者が出ました。また、福島西高にも初めて合格者が出て、2年前の悪夢がほんの少しだけ消えました。

あの時、西高だけが2戦2敗と惨敗し、以来私はその悪夢にうなされてきたのです。2年目は敬遠されたせいか受験者はゼロ。3年目の今年は1勝1敗。Ⅱ期選抜に限れば、通算で3戦全敗という屈辱的な結果です。私と福島西高とは相当相性が悪いようです。西高の卒業生(塾生の母親に多い)との相性は抜群(?)なのに・・・なぜ?みたいな。でも、ご安心ください。西高に合格する方法は既に分析済み。分析結果は次号のLIBERO(第30話で特集しますので、どうぞお楽しみに!

ところで、今年度のスタート時、私はこの学年の入試結果についてはかなりの苦戦を覚悟していました。それは、昨年度の卒業生と対照的に野獣(=男子)が少ないからです。野獣が少ないと、なぜ苦戦するのでしょう?

実は、当塾の女子生徒は学校での評価が非常に高く、野獣と比較するのは失礼なほど内申点が高い。しかも、福島県は内申点と当日点のウエートを1:1とする高校が大半を占める。それなら女子が多いほうが好結果を期待できると普通は予想するでしょう。

ところが、福島県北地区の県立上位5校のⅡ期選抜に限れば、その予想が通用しないのです。ここでいう上位5校とは、福島西・福島南・福島東・橘・福島を指すこととします。

以前指摘したように、現在の中学校の5段階評定は、教科に対する日頃の「関心・意欲・態度」が最も重視されます。そして、予告された狭い範囲で基本問題中心に作問された定期テストの得点力が評価されているに過ぎません。それが、出題範囲が広く応用問題中心にセットされた入試本番での得点力、言い換えれば、複雑な問題に遭遇した時の対処能力や潜在能力の有無については、現在の中学校の5段階評定はほとんど役に立ちません。

話を戻します。ズバリ、内申点の高い子は自分の実力を過大評価し、志望校を選択する際に高望みしがちで、ここに甘さが生じます。秋以降、模試の結果が合格レベルになかなか到達できない厳しい現実を目の当たりにして精神的に追い詰められ、入試本番で思うように力を発揮できない子の大半は女子なのです。でも、女子の塾生の皆さん、悲観しないでくださいね。これまで当塾から福島高と福島南高に合格した合計7名も、全員女子なのですから。

一方、学校からは高い評価が得られず内申点が悲惨な野獣達・・・彼らは単純ですが、心に迷いがなく冷静です。Ⅰ期選抜は最初から眼中になく、Ⅱ期選抜で高得点することに集中してくれるため、秋以降急激な伸びを見せて第1志望校に滑り込みセーフになる子が多い。これまでⅡ期選抜本番で自己ベストを更新して(模試ではとったことのない点数をとって)合格した当塾卒業生は、いずれも野獣だけです。

その典型例として、今年度のⅡ期選抜で福島東高に合格したS君をご紹介します。彼こそ、例の入塾生第1号。「苦手の英語の成績を上げたい!」というのが入塾志望の理由でした。確かに英語はボロボロ。初めて受けた学力テストも英語は100点満点中30点で偏差値38。本人は数学と理科に自信を持っているようでしたがパッとせず、5教科総合偏差値は48からのスタートです。

私はむしろ彼の国語力、特に長文読解力と記述力に注目していました。初めて受けた学力テストの国語で、漢字・語句等の知識分野がボロボロにもかかわらず80点、偏差値60という結果を出したのです。初めての学力テストの国語で80点取った子は、この地域では彼が初めて。「これだけ論理的にものを考えられる子なら、あと2年強この塾で鍛えれば上位高を狙える。」私はそう直感しました。

その後、彼は英語・数学・社会の3教科を受講。まず1月に福島成蹊高(特別進学)に合格し、Ⅱ期選抜本番では5教科総合181点で東高に合格。数学は塾生中トップの42点。苦手の英語は36点。ちなみに、彼の中3の1学期の5段階評定には5など1つもなく、4と3が中心で、2もありました。9教科の合計は30ポイントですから、学校成績だけで判断されれば福島工業あたりを奨められたはずです。中学の先生は首をかしげたことでしょう。

それにしても福島東高の存在は有難かったですね。この地域では、唯一内申点と当日点のウエートを1:5で合格判定してくれます。能力が高いのに、学校で冷や飯を食わされているS君のような子に救いの手を差しのべてくれるのですから。これで当塾の対福島東高の戦績は通算4戦全勝。

証明するのに3年かかりましたが、少しはおわかりいただけたことでしょう。当塾の指導方針を信じてしっかり勉強を積んでいけば、少なくとも福島県北地区で合格できない高校は存在しないことが。おっと、「西高を何とかしろ!」という怒りの声が聞こえてきそう。確かに、それは当塾の今後の課題です。でも、「高校受験対策には、お金と時間をかけてでも福島駅界隈の塾に通わせなければ・・・」という、この地域で長いこと常識になっていたらしい暗黒時代にやっと終止符を打ったような気がしています。それは、国見の子の学習環境に新たな選択肢を加えたという意味です。 

2007.02.09 塾講師という仕事(第28話:ラストスパート)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

久々のLIBEROです。ほぼ2ヶ月半のブランク・・・つい執筆をサボってしまい、楽しみにしていた読者の皆さんを苛立たせてしまったようです。この場を借りて、お詫び申し上げます。

さて、いつの間にか受験生も私立高入試、県立高入試のⅠ期選抜を終えて、最後のⅡ期選抜本番まで1ヶ月を切りました。あとは、多くの受験生が第1志望としているⅡ期選抜本番を残すのみ。

今、ラストチャンスを目前にして大きなプレッシャーを感じている受験生も少なくないでしょう。そんな受験生は、ぜひ1つだけ私からのアドバイスを頭に入れて、充実した残りの日々を過ごしてください。

不安のあまりあれこれ悩んでいる暇があったら、寸暇を惜しんで準備に専念せよ!

昨年度、こんな受験生がいました。

部活を引退した7月に入塾し、数学を受講し始めました。その凄まじさに、私は仰天・・・関数、図形はもちろん平方根、式の展開、因数分解・・・何もできません。中3の1学期の学校の成績は理科が4で、あとは2と3が半々。数学は予想通り2。英語も2。志望校を訊くと「県工です!」(@_@;)

一瞬、耳を疑いました。この地域の常識では不可能と見なされても仕方ない成績ですから。「技術・家庭までが2か・・・しかし、本人の最も好きな教科が理科だという点は買える。既に塾生である弟の能力から推察すれば、頭は悪くないはず。」そう思った私は、彼を徹底的にしごくことにしました。

こうしてモノになることを信じてはみたものの、そう簡単に成果は上がりませんでした。何とか2学期の数学の成績が3に上がり、1月の聖光学院の入試で本人の希望する学科に合格できるまでにはなりました。1月の模試では、これまでD判定しか出なかった県工に初めてC判定が。でも、悲惨な内申点を補うだけの試験の得点力にはまだ遠い。私は半分諦めかけ、もしどうしても県立高へ行きたいのなら、せめて志望校を保原高か福島北高あるいは福島明成高の中から選択するよう伝えようかと思っていました。

ところが、2月に入って間もないある日の数学の授業。彼は・・・どういうわけか私の発する問いに的確に答えるのです。この日を境に彼はついに化けました。これまでの様子が嘘のように、目に自信が満ち溢れ、問題を解く時の手つきが実にスピーディーに。「数学が急にわかるようになりました!」彼はそう言いました。土壇場に追い込まれてから日に日に変わっていく彼と接しているうちに、私はついに迷いが吹っ切れ、彼の県工受験にゴーサインを出しました。

結局、B判定とは無縁のままⅡ期選抜本番を迎えます。当日、彼は得意の理科で何と塾生中最高得点をマーク。数学も自己ベスト。英語は・・・たったの10点(@_@;)。これが足を引っ張り、5教科総合で120点をわずかに切ったものの、Y君は見事に第1志望校である福島工業(環境化学)合格を勝ち取りました。高校生になった今では、数学は得意科目だとか。

これで、おわかりでしょう。寸暇を惜しんで努力を続ければ、土壇場の2月に入ってからでも得点力は伸び続け、常識を覆すことができる。自分の能力と運を信じて最後まで努力する者にこそ勝利の女神は微笑むのです。

2006.10.16 塾講師という仕事(第27話:驚くべき作文)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

3ヶ月ほど前のことです。夏期講習の準備をしようと荷物を整理していたら、懐かしいものが出てきました。やはりこのコピーは捨てずに保存していたのです。

あれは確か・・・私が東京の某進学塾の専任講師にデビューした翌年の199×年初夏、小4国語Ⅰクラスの授業でした。その授業で、「もし・・・ならば、~だろう。」という例文を扱いました。最後に「私が○○だったら」という題で原稿用紙400字の作文を書いてくるよう宿題を出したところ、翌週ある女の子がこんな作文を書いてきたのです。ご紹介しましょう。

>私が風だったら

                           J.M

私が風だったら、きっとすてきだな。緑や黄緑の葉を、さわさわと音をたてて走りまわることもできるし、池や湖にさざなみをおこしたりできる。秋になったら、春や夏とちがった音で、この葉をカラカラシャラシャラいわせ、ちょっと速いスピードで海の上を走り、ザッブーンと波が岩をけずろうとするのを見物しよう。冬になったら、ずっとずっと冷たくなって、すごい速さでビュービュー走り、残った葉もみんな落とし、雲をちぎる。空にフワフワのいろいろな形を作って遊ぼう。雪がふる日はふぶきにしよう。みんな、がいとうのボタンをきっちり止めて、ボタン色のほほをしているだろうな。私はいつまでも飛んでいよう。いつまでもおどろう。楽しいな。

でも、私はただの女の子。いつまでもおどれない。もうねむる時間。風になったゆめが、見られるといいな。お休みなさい。


一読して衝撃を受けました(@o@;)。これは詩ですね。当時小4のJ.Mさんとは、こんな子です。塾に在籍した3年間を通じて国語の成績が抜群だったことは、お察しのとおり。その後、算数がどうしても超難関中学の合格レベルには届かず、ミッション系の私立女子校(ユーミンの母校)に進学しました。趣味はやはり読書、将来の夢は作家。一人っ子で、常に文庫本を持ち歩き、家では基本的にテレビは禁止。たまに見せてもらえるのはNHKだけだとか。母親と面談したら、しゃべり方が娘とそっくりなので、面談中母親の前で笑ってしまったのを思い出します。母親の影響って、大きいですね。

なぜこんな例を採り上げたかって?何も、女の子は「箱入りのお嬢様」に育てるよう保護者の皆さんに求めているわけではありませんよ(^_^)。子どもの言語能力の育成にとって最も重要なのは、生活習慣つまり日頃の意識の積み重ねであることを指摘したかったのです。

そういえば、開塾以来1つ気になることがあります。塾生が書く作文や数学の証明問題の答案で、「だから」「したがって」「よって」「ゆえに」を使わずに「なので」を使う子が実に多い!おそらく近年女性・子どもの間で流行している新種の接続詞だと思われます。ちなみに、私は立場上塾生が文頭の接続詞に「なので」を使うことは禁止しています。まず、今のところ活字では目にしたことがないので、入試で使えば減点対象となる可能性が高い。案の定、いつもの癖でうっかり新教研模試に使った中3生は1点減点され、ようやく通用しないことを悟ったようです。習慣って恐ろしい!

でも、言葉は生き物で、時代とともに変わるもの。みんなで使えば怖くない!なので、使う人が多数派になれば、難色を示すオジサン達もいずれは降参し、市民権を得る可能性もあります。さて、皆さんはどうされますか?

2006.09.19 塾講師という仕事(第26話:ゆとり教育と入試問題)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

本題に入る前に、まず佐野塾文庫から1つお知らせです。今年も読書の秋がやってきましたね。今回は、久々に佐野塾文庫所蔵の新刊本からお奨めの1冊をご紹介しましょう。『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』講談社, 2006年。

近年こんな発言を繰り返す世襲政治家・御用学者・財界人・文化人が目に余ります。「日米関係は絶対だ!」「日本も普通の国になろう!」「もはや時代遅れとなっているアメリカの押しつけ憲法などいい加減破棄して、日本人の手で自主憲法を制定しよう!」「教育基本法の教育目標に愛国心を明記しよう!」みたいな。憲法の本質を学んだ経験がないと、大の大人でもうっかりだまされてしまいそうな甘い誘惑の言葉。

しかし、彼らの真意がこんなふうだとしたら?「世界第2位の経済大国の地位を死守するには、堂々とアメリカのイエスマン(=奴隷)に徹することだ!特に、物価が安く、人権・環境問題に関心の薄い海外で思いっきり金儲けできる日本企業を危険から守るため、1%のエリート以外の99%の日本人は強い愛国心を養って奉仕せよ!そんな世の中を実現するには、今の憲法は邪魔なのだ!」

いい機会です。望ましい社会のあり方を考えていく上で、改めて日本国憲法のエッセンスに触れてみてはいかがでしょう。そこで冒頭の1冊です。作家井上ひさしが「朝日小学生新聞」紙上に連載した文をもとに、いわさきちひろの絵が加わり、素敵な絵本に仕上がっています。社会科(特に公民分野)が苦手だという塾生にも社会に対する関心が芽生え、これからの時代を生き抜くヒントが発見できるかも・・・。

 

さて、ここからは本題。受験生の保護者の皆さんと面談をやっていると、こんな疑問をお持ちになっている方が多いようです。「今の公立学校は、ゆとり教育の浸透で学習内容がレベルダウンしているはずなのに、なぜ我が子は自分の頃より高校入試問題で高得点できないのか?」その疑問について、まず福島県立高校の入試問題の傾向から考えてみます。

実は、知識・技能を問う問題については、確実に易しくなっています。学習指導要領の改訂に伴い出題範囲が限定されたわけですから、当然どの教科もそうなります。でも、受験生自身はゆとり教育下で学んだ限られた知識・技能を頼りに入試に臨むわけですから、問題のレベルダウンを実感することはないでしょう。

次に、作問者の立場になってみましょう。これほど狭い出題範囲内で、受験生の点差がつく問題を考えたらどうなるのか?まず、どの教科でも資料の読解や記述問題の量を増やし、特に数学や理科では作業の手順をいっそう複雑にする以外に打つ手がないでしょう。理数教科担当教師がゆとり教育賛成派とは到底考えにくいので、作問者の力の入り方には怨念すら感じます(@_@;)。

ところで、学校の定期テスト段階での話ですが、一般に出題範囲の広い回よりも出題範囲の狭い回のほうが、問題が難しいと感じた経験はありませんか?そう、ゆとり教育下での入試問題って、まさに出題範囲の狭いテストなんです。受験者の点差をつけるために、作問者には無意識のうちに余分な力が入り、出来上がった問題は難しくなる傾向になるわけです。こうして、ゆとり教育下での入試問題は受験生には従来以上に得点しにくくなり、高度な学習に免疫のない子は絶望的な気分に陥るという、実に皮肉な事態が生じているように感じられます。

では、この辺で気分転換に、旧くて新しい驚くべき入試問題を1題お楽しみください。


>歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立往生をすることもしばしばであったが、その中でつぎの二つの質問だけは、鮮明に記憶している。

「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」。これは、ほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌倉初期の内乱、南北朝の動乱、戦国・織豊期の動乱の授業をしているときに現われた。伝統の利用、権力者の弱さ等々、あれこれの説明はこの質問者を一応、だまらせることはできたが、どうにも納得し難いものが、私自身の心の中に深く根を下ろしていったのである。

もう一つの質問に対しては、私は一言の説明もなしえず、完全に頭を下げざるをえなかった。「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか、説明せよ」。

この二つの質問には、いまも私は完全な解答を出すことができない。

(網野善彦著『無縁・公界・楽』の序文より)

上記の文章中の二つの疑問は、高等学校で日本史を学んだ誰もがいだく疑問であろうし、日本の歴史学がいまだ完全な解答をみいだしていないものであると思われる。

この二つの質問のうち、下線部分の質問にたいして、歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を8行以上13行以内でのべよ。

東京大学1983年度入試問題(日本史)


いかがですか?網野善彦さんの本を読んで、大いに刺激を受けた経験のある私にとって、この出題は興味深いです。それにしても、まさか日本の歴史学の専門家が頭を抱えるような未解決問題を18歳の若者にぶつけてくるとはね・・・(^_^;)。「正解はないのだから、自分独自の解を作り出せ!」「大学が目指している教育とはこうだ!」というメッセージを大学入学前の若者に送っている驚くべき入試問題です。

最後に、素朴な疑問を1つ。国が進めている「ゆとり教育」って、こういう問いに喰らいついてくる人間を本気で多数育てようとしているのでしょうか?でも、実際には皮肉なことに、こういう問いに喰らいつくのを最初から放棄する子が増えているような気がしてなりません。塾講師という仕事をやっていると、「ゆとり教育」の狙いがますますわからなくなるのです。

2006.08.18 塾講師という仕事(第25話:柔道とJudo)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

学校の夏休みもいよいよカウントダウンです。当塾の夏期講習もお盆休みを経て、ついに最後の第4週へ!事前に受講生と約束したとおり、学校の夏休みの宿題が済ませてある(?)ことを前提に授業を行います。サッカー日本代表のオシム監督並みのハード・トレーニングを連日用意していますので、受講生は覚悟して本講座に臨んでください(^_^)。

さて、当塾の夏期講習も開塾以来これで3度目に。今回は、中学生の受講生全員に1学期の通知票を見せてもらいました。これまでは中3生になってから把握しておけば十分だと思っていました。しかし、福島県立高校入試の内申点は中学3年間の成績を総合して決定され、特にメインのⅡ期選抜においては、学校の内申点と本番の筆記試験のウエートを1対1とする高校が依然大多数を占めているのが現状です。一方、本番の得点力に圧倒的なウエートを置いている県立高といえば・・・この地域では橘・福島東・福島南のわずか3校のみ。ちなみに、この3校はいずれも当塾との相性は良く、卒業生の合格率は今のところ100%です。しかし、塾生全員がこの3校のいずれかを目指しているわけではない以上、やはり中1・中2時点の成績は無視できず、早い段階から塾生の学校成績を把握しておく必要性を感じたわけです。

こうして、夏期講習の授業の合間に受講生の5教科の成績をチェックしているうちに、興味深い事実を発見しました。少なくとも、学校の5段階評定と私の見方にズレが目立つのです。例えば、授業の感触から潜在能力の高さを感じさせる子がいるとします。その感触は当塾で実施する学力テストでほぼ裏付けられるため、自分の見方に狂いはないことを確信します。当然学校の評定は5だろうと予想します。ところが、どうでしょう。実際には、4どころか3だったりして・・・私は何度も自分の目を疑いました。この傾向は男子に顕著で、逆に評定が私の予想を上回るケースは女子に多い。これは、どう説明すればいいのでしょう?

まず、現在の学校における学力評価の観点が、教科に対する「関心・意欲・態度」へ重点をシフトしたことを知っておくべきです。この影響により、とりわけ重要なのは日頃教師に対して積極性をアピールできること。そして、予告された出題範囲のテストできちんと結果を残せること。この2つの要件を満たしてはじめて成績優秀者になれます。一方、たとえ潜在能力は高くても「能ある鷹は爪を隠す」ことを信条とし、「アメリカ人じゃあるまいし・・・心にもなく積極性をアピールする奴らなんてタコだぜ!」などという感性の持ち主(昔は結構いたタイプ)は冷や飯を食わされる運命なのです。前者のタイプは女子に、後者のタイプは男子に多いということでしょう。

今や、子どもにとっては教師から常に監視される窮屈な時代が到来したといえるでしょう。それでも、お子さんが前者のタイプなら問題なし。では、後者のように損なタイプに育ってしまったら?ズバリ、性格を変えることです(^_^)!それが無理な場合は?ズバリ、信頼できる塾でハード・トレーニングを積み、圧倒的な得点力を発揮して自分を認めさせるしかない!塾講師はこの方法で、冷や飯を食わされている子をこれまで何人も救ってきました。

ところで、最近思うんです。今の中学生活って、まるでポイント制のJudoのようだ、と。本来の日本柔道は、「一本」しかなかったそうです。私が小学校時代に習っていた頃、勝敗の決め手は「技あり」と「一本」の2種類でした。つまり、中間テストや期末テストで「技あり」を決めれば好成績が残せたし、本番で「一本」を決めさえすれば入試では合格できました。ところが、国際競技となって久しい今のJudoは、たとえ「一本」や「技あり」がとれなくても「効果」「有効」などのポイントを積み重ねて勝つことが可能です。最大の特徴は「教育的指導」でしょう。つまり、自分が消極的になると主審から「指導」を受け、相手にポイントが転がり込む。「注意」さらには「警告」でも受けようものなら、いつの間にか好成績は遠のく。それが積み重なれば、入試でも不利な立場に追い込まれるというわけです。

現在の教育改革の立案者って、実はJudoをヒントに発想したのかもしれませんね。これがグローバル・スタンダード!みたいな・・・そして、この流れにうまく乗ることに成功したのが多くのたくましい女子であり、いまだに乗り切れずに苦悩しているのが多くの気の毒な男子ということでしょう。まさに、女は強し!男はつらいよ!ですね(^_^;)。

では、こんな時代の塾講師のあり方とは、一体何なのか?やはり時代の流れに乗って確実にポイントを稼げ!そう指導する塾講師も少なくないことでしょう。しかし、当塾は違います。私をイタリア人だと思っている方もいらっしゃるそうですが、実はどうも日本人らしいのです(^_^)。ですから、日本人柔道家の苦悩を私も共有し、あくまで入試本番で「一本」をとって美しく勝利する道を模索したいと思っています。冷や飯を食わされている「迷える子羊」を救うためにも。その代わり、そのための指導が甘くないことは言うまでもありませんよ(^_^)。

2006.06.26 塾講師という仕事(第24話:梅雨の早朝)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年も梅雨がやってきました。この地に住み始めてから梅雨を迎えるのは、これで3度目に。不思議なもので、以前あんなに嫌いだったこの季節が最近とても好きになってきました。

なぜ今までこの季節が嫌いだったのか?・・・まず、梅雨の時期には祝祭日がないからです。ゴールデンウィークがある4月・5月とはあまりに対照的。やっと定休日がやってきたなと思うと、外は雨だったりして。そう、小学生の頃の感覚から全く進歩しなかったんです(^_^;)。

また、今の時期の東京はとにかく蒸し暑いし、降水量は相当なものです。どこへ出かけるにも傘は必需品。傘を手にしたままの満員電車が快適なはずありません。そこで、気分転換にと帰りに一杯ひっかけると、いつの間にかもう終電。しばらくすると、やっと目の前が空席に。「ラッキー♪」さあ、ひと眠り・・・駅の改札を出た頃ようやく気づきます。「あ~あ、また傘忘れちゃったよ!飲むんじゃなかった・・・」何度反省すれば気が済むのやら・・・(>_<)。

中・高時代に遡りましょう。・・・サッカー小僧として過ごした仙台でも、やはり梅雨にいい思い出はありません。何しろ学校のグランドは土ですから、泥水を吸って重くなったボールでも我慢してヘディングするしかありません。もちろん頭部は泥まみれ。「もし学校のグランドが全面芝だったら、雨でも快適なのに・・・」何度そう思ったことでしょう。

そんな私が、生まれて初めて梅雨の季節を好むようになりました。きっと周囲が緑に溢れている国見の自然環境が私に新たな刺激を与えてくれたのでしょう。降水量が比較的少ない点も気に入ってます。特にいいのは早朝。それも3時半過ぎから4時台、5時台。とても涼しく、カッコウをはじめ野鳥がとにかく元気です。ちなみに、清少納言は枕草子で「冬はつとめて(早朝)」とおっしゃっていますが、この一節だけは納得できません。梅雨のこの時間帯を眠って過ごすなんて、あまりに惜しい。お年寄りがなぜ早起きなのか?長い間謎だったんですが、その謎が少しだけ解けたような気がします。恵まれた自然環境の中で生きていると、感性が研ぎ澄まされてくるようですね。

いつからそんなに早起きになったのかって?あはは・・・ワールドカップのおかげです♪実は、徹夜しているだけだったりして・・・(^_^;)。

さあ、梅雨の早朝の魅力がわかった今、ようやく東北の塾講師にふさわしいライフスタイルが見えてきました。私もそろそろ夜行性動物は卒業し、「遅寝早起昼寝」動物へ進化しようと思っています。これでついに地域の奉仕作業とやらにも参加できそうです。これまで朝寝坊が原因で払わされ続けてきた出不足金とやらが、ようやく免除されるかも・・・(^_^)。

2006.05.22 塾講師という仕事(第23話:Sano Juku誕生)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

2006年度ゴールデンウィークが去りました。塾講師にとって年間で最もくつろげる時期が、風と共に去りぬ。黄金の週とはよく言ったものです。今回、当塾は異例の9連休。本当はもうちょっと欲しかったな~と思いますが、保護者の皆さんからお叱りを受けそう・・・。

何しろ教室改装に伴う自宅内のシステム変更に要する時間で約1週間。これ、私にとっては事実上仕事ですから、仕事から完全に解放されて充電するのに3日は必要・・・そう見積もったわけです。結局、一日中充電できたのは事前の予想通り本当に3日だけ。私にとっては例年になく短い黄金の休日だったかもしれません。

しかし、その甲斐あって当塾はついに新教室始動に成功しました!まずは、新教室に初めて足を踏み入れた塾生の反応をご紹介します。

「先生、かくれんぼした~い♪」(小3生)「・・・」(小4生)「わ~すご~い♪」(小5生)「おわっ!すげえ♪」(小6生)「・・・」(中1生)「おおっ!広~い♪明る~い♪」(中2生)「キャッ!なんか福島の塾みた~い♪」(中3生)「あのね~ここは福島県の塾だろが!」(佐野)「え~と、福島市の塾みたい、という意味ですう!」(中3生)「あっそう・・・」(佐野)

では、私の率直な感想を。小学生と同レベルです。とにかく2階新教室は凄い!窓を開けると遠くから心地良い自然の音が耳に飛び込んできます。今の時期、これぞ究極の音だと思うのはカッコウの鳴き声。特に、小学生の授業時間帯は最高潮♪塾生中最年少で自然豊かな小坂在住のK小3年生のIちゃんでさえ、こう言っています。「わあ~カッコウが鳴いてる~♪ホーホケキョならうちでも鳴いてるけど、カッコウ聴いたの初めて♪」こうなると欲が出ますね。ウグイスの鳴き声や川のせせらぎの音まで聴こえる塾を構想したくなります。今度は小坂に引っ越そうかな~(^_^)。次は中高生の授業時間帯。さすがにカッコウは眠りにつき、中高生向けBGMはカエルの大合唱。

こうして、都会人をビビらせる自然のサウンドが当塾自慢のBGMに決定!学習効果は言うまでもなし。何年も聴き慣れている皆さんにとっては当たり前すぎて、話題にするには値しないとお思いかもしれませんが、こういう自然のBGMが流れている塾って、実はなかなかないんですよ。「良い塾って、普通街中にあるものだ」というのが、世間一般の常識でしょう。そういう意味では、常識破りの塾がここに誕生したわけです。都会人が知ったら、泣いて喜ぶと思います(^_^)。

ここで、1つ余談を。開塾以来、根強い読者に支えられてきた佐野塾通信LIBERO。「自由な」「暇な」を意味するイタリア語でネーミングしたわけですが、そのイタリア語について最近興味深い知識を得ました。実は、sanoという単語(発音はサーノ)があるんです。その意味は「健康な」「健全な」「賢明な」「申し分のない」・・・偶然とは思えませんね。すると、Sano Jukuとは「健康な」身体と「健全な」精神、特に「賢明な」頭脳を育成する「申し分のない」塾ということになり、イタリア人なら究極の民間教育施設だと理解するでしょう。これで、ついに当塾は「健全なる精神の持ち主を育成する究極の塾」という新たな存在意義を確立!地域の人材育成に大きく貢献していくことでしょう。(^o^)/

しかし、その一方危険なイメージを作ってしまった可能性も否定できません。「素直かつ真面目な福島人(日本人)を能天気な宮城人(イタリア人)に改造する恐怖の塾!」みたいな(@_@;)。

最後に、1つお願いがあります!もうすぐワールドカップが開幕します。長崎県国見町とは正反対に、ここ福島県国見町はサッカー不毛の地。熱くなる方は多くはないでしょう。しかし、私は違います。4年に1度、ワールドカップ本大会から目が離せない元サッカー小僧です。当然、今大会期間中だけは夜行性動物に変身します。「期間中だけ?いつものことでしょ!」(保護者)「・・・」(佐野)そこで、皆さんにお願いがあります。大会期間中、私は起床時刻を正午に設定しますので、当塾宛てのお電話や突然のご来塾は午前中だけは、お控えくださるようお願いいたします。

2006.04.22 塾講師という仕事(第22話:環境整備)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

当塾がこの地でオープンしたのは2004年ゴールデンウィーク明け。あれからもう2年が経過しようとしています。これまで当塾は1階の一室を教室としてきました。ここには専用の出入口がついていることもあって、皆さんにとっては気軽に通い易いというメリットがあったことでしょう。

ところが、昨年度の夏あたりから収容スペースに限界を感じるようになり、ここに集う全員が快適に過ごせる新たな環境を整備する必要に迫られていました。ソフトの品質については、中学生の学力アップからも明らかなようにある程度満足のいくレベルに到達したと思います。そこで、今度はハード面をいかに充実させるか?これが大きな課題になってきたのです。

この点について、これまで多くの方から様々なアドバイスをいただきました。この場を借りて感謝いたします。例えば、庭に塾専用建物を建設する案、街中に出て空き店舗を借りる案・・・極めつけは、こんな超攻撃的な案。「福島駅界隈に進出して他塾を吸収合併し、従わない奴等は潰せ!」アメリカ人や六本木ヒルズ族じゃあるまいし・・・そこまで下品なことにエネルギーを浪費する気はないので、さすがにこの案は却下(^_^)。

悩んだ末、自宅2階を改造し、全て塾として使う案を採用することにしました。果たしてどんな塾に生まれ変わるか?それは連休後のお楽しみ♪あまりに居心地が良く宿泊施設も完備しているため、「今夜は塾に泊まります!」などと保護者の皆さんを慌てさせる塾生が出てきそうな予感。いや、むしろそのほうが安心かもね。先日、ある保護者からこんなご質問が飛び出しました。「食事は出ないんですか?」「えっ?・・・わかりました!大至急メニューの検討に入ります。」結構乗り気だったりして・・・(^_^)。

唯一残念なのは、1階から2階へ直接通じる塾専用出入口の設置が不可能になったこと。そこで、これまでの出入口を閉鎖する代わりに玄関を開放することにしました。今後は、ここから入って正面の階段を上り、2階の教室へ行っていただくことになります。大部分2階にいる私が、玄関のチャイムの音に全て反応するのは相当疲れそう。ですから、塾生とその保護者の皆さんは玄関のチャイムは鳴らさずに、一声挨拶をして堂々とお入りください。

さあ、ハード面がこれだけ充実すれば、今度はソフトのさらなる品質向上を・・・塾講師の仕事に終わりはないようです。

さて、今年度は小学校高学年のクラスが充実してきました。特に、小5・小6クラスでは塾本来のアグレッシブな授業が展開できるでしょう。私の思い描いていた小中高一貫教育の寺子屋塾がようやく形になりそうです。

2006.03.23 塾講師という仕事(第21話:野獣の存在)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年も塾が皆さんからシビアな評価を受ける時期がやってきました。そう、今年度の高校入試結果です。まずは、今年度の当塾中3卒業生の進学先をご覧ください。

☆聖光学院高(電気)1名

☆橘高:3名

☆福島北高:1名

☆福島工業高(情報電子)1名(機械)2名(建築)1名

                  (環境化学)1名

☆福島商業高(国際経済)2名(マネジメント会計)1名

☆福島東稜高(普通)1名

☆福島東高:1名

☆福島南高(国際文化)2名(情報会計)1名

☆梁川高:1名

第1志望校合格率100%までもう一歩・・・残念!今回も手放しでは喜べないようです。ただ、開塾初年度の昨年度が75%でしたから、開塾2年目に当たる今年度の成果が大きく前進したことは認めていただけるでしょう。特に、高倍率の学校でボーダーライン上に位置する受験生を全員合格に導くことができた点では、満足しています。

では、この結果は果たして偶然なのかどうか?簡単に分析してみましょう。まず、今年度の中3クラス卒業生の特徴を2つ挙げておきます。

1つは、開塾当初からの通塾生が多く在籍し、彼らが途中入塾者をうまくリードしてくれた点です。クラスの雰囲気作りという重要な仕事を彼らが自発的に引き受けてくれたため、私は塾生の教科指導に専念できました。ですから、今年度の結果は私の指導力が十分発揮できたと見るより、偶然潜在能力の高い塾生に恵まれただけと見るほうが正しいかもしれません。

もう1つ、男子が多かった点も見逃せません。人数が多く、かつ男子の多い年度はかなり高い確率で良い結果が出る!これは、私の経験上確かなことです。なぜでしょう?一般に、この年代は早熟な女子に比べると男子は幼稚だし単純です。特に、国語力のない子だと成績を軌道に乗せるまでは非常に難しい。ところが、単純だという特性をうまく生かして一旦軌道に乗せれば、女子の常識では考えられないような瞬発力を発揮するのです。

例えば、今年度の県立高校Ⅱ期選抜。まずは開塾当初から当塾に通い続けたS君。内申点の低さに苦しみましたが、福島工業で最高倍率の学科に見事に合格。同じく開塾以来の塾生Y君。自己ベストを大幅に更新し、英語では39点もとって福島商業に合格。さらに、とても日本人とは思えない国語力のK君。数学で頭角を現し、本番当日は41点もとって福島工業に合格。極めつけは英語がわずか10点で福島工業に合格したY君。彼はⅡ期選抜直前の2月に入った途端、数学が驚異的に伸びて別人に変身。当日の理科では当塾生中トップの34点をマーク。

この常識外れの力を備えていた彼ら(いや、男子全員)を今後野獣と呼ぶことにします。母上達に怒られそう・・・内緒ですよ(^b^)。一方、女子です。入試が近づくにつれて日に日にパワーアップしていく野獣の存在に危機感を募らせることによって、彼女達もまた身の危険を感じ、一層勉強に励むようになるわけです。生物としての人間が生き延びていくためにまず必要な力とは、危険を察知する力。この原理を応用すると、入試で好結果を残すにはまず危険を察知する力に磨きをかけることです。そのためには、目覚めた野獣の存在が必要不可欠。眠っている野獣は徹底的に叩き起こすべし!これが、結果的に男子のみならず女子をも救うことになるのです。あまりに荒っぽいこの指導法・・・しかし、仕事中は「飢えた狼」である塾講師にとっては常識で、実は今年度私が最も重視した指導方針だったのです。

今回の入試結果が果たして偶然なのか?それとも必然だったのか?その判断は、読者の皆さんにお任せします。

2006.03.01 塾講師という仕事(第20話:カウントダウン)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

ついに県立高校のⅡ期選抜本番までカウントダウンに入りました。本番を控えた中3生は、受験勉強も最後の調整段階に入っていますね。各自抜かりのないようしっかり調整し、全員がベストコンデションで本番を迎えられるよう祈っています。でも、祈るだけでうまくいくなら塾講師の仕事なんて楽なもの。最後は、塾講師らしく受験生へのアドバイスで締めくくりたいと思います。とても役に立つので、受験生は熟読してください。

まずは、トリノ・オリンピックを思い出してください。期待通りまたは期待を上回る実力を発揮して満足のいく成績を収めた選手もいれば、ついに自分の実力を発揮できなかった選手も数多くいましたね。本番で実力通りの結果を出すことは、そう簡単ではないようです。えっ、滑る競技なんて縁起が悪すぎて受験生が見るわけないって?さすが・・・そうこなくっちゃ!

オリンピックのスケールとは比較になりませんが、高校入試だって受験生本人にとっては一生に一度人生を賭けた大一番。ですから、本番当日には独特の雰囲気があります。その緊張した雰囲気の中でも自分の実力を発揮できる人がいれば、なぜかそれができない人もいます。さて、君達はどちらのタイプかな?プレッシャーかけちゃったりして・・・。

君達の中には新教研模試の合格判定でAやBの人が随分います。しかし、それはあくまで合格の可能性に過ぎません。練習でいくら強くても、試合で弱ければ合格を手にすることはできないのです。入試はスポーツと同様勝ち負けのはっきりした勝負事です。そうである以上、どうしても見逃せないのは運です。特に、高倍率の学校や、学校の調査書をあまり重視せず本番当日の筆記試験を重視して合否を決定する学校。そんな学校を受ける場合、合否は紙一重。当日の運がかなり左右します。自分の本番当日の運は大丈夫かって?私の強運をすべて君達に与えたのですから、もちろん大丈夫!おかげで私は最近どうもツイてません。

では、ここで素朴な疑問。運に見放されたら合格はできないのでしょうか?答はノーです。昨年、こんな塾生がいました。理科と数学を得意とし、国語が大の苦手。新教研模試では理科の成績が最も良く、社会が今ひとつで、国語が常に足を引っ張っていました。この地域の子に目立つパターンですね。実はこのパターン、福島県立高校入試では非常に不利なのです。

ご存知の方も多いでしょうが、福島県の数学の入試問題は毎年得点しにくく、平均点はほぼ4割強。洗練された良問揃いならば、この平均点の低さに納得できなくもありません。しかし、易しい問題と難しい問題との差がこれほど極端なセットでは、受験生の間で点差はつきにくい。ですから、福島県の数学の受け方は第一にケアレスミスによる失点を絶対に避け、落とし穴のように何箇所か仕掛けられた難問にハマって無駄な時間を費やさないことが最大のポイントです。

ここで話を元に戻しましょう。昨年の県立高校入試の理科です。問題を解いていくうちに、彼女はショックを受けます。「数学も簡単じゃなかったのに、理科まで・・・問題量が多くて難しい!」彼女は絶体絶命のピンチに追い込まれ、絶望的な気分になったことでしょう。

では、そんな彼女を救ったのは何か?それは、意外にも本人が苦手としている国語と社会でした。危機感を感じて秋から追加受講したこの2教科で高得点に成功したのです。合格発表当日、本人からこんな電話があったことを今でもよく覚えています。「先生、東高合格しました!先生のおかげです。ありがとうございました。筆記試験の点数は、まず国語が・・・」

これで、おわかりでしょう。本番当日ツキに見放されても、決して合格への道が閉ざされるわけではない。日頃悩みに悩んで身につけた力というものは、ここ一番という場面で発揮されるのです。そして、Ⅱ期選抜で合格した時の歓喜といったら、Ⅰ期選抜合格のそれとは比べものになりません。「練習で泣いて試合で笑え!」私が今まで口癖のように言ってきたことの真意は、入試を通じて貴重な経験をしてほしいという私の願いだったのです。


最後に、本番当日に役立つ実践的なアドバイスをしましょう。

まず、当日は試験のスタート直後すぐに解答用紙を広げて全体を見てください。正解でぎっしり埋まった自分の答案をイメージします。次に、問題用紙全体を見渡してください。どこにどんな問題が入っているかを確認し、およその時間配分を意識しておくのです。スタート直後問題にとりかかるまでの約30秒、以上のことを実行してください。気持ちが落ち着き、自分の実力が発揮しやすくなるでしょう。

ただ、これ以上にらめっこに時間をかけてはなりません。ほとんどの学校の試験監督は柔道部の関係者です。1分を過ぎると、試験監督から「戦闘意欲なし」と判定されて教育的指導を受け、大きく減点されます。でも、その程度ならまだましです。最悪の試験監督はサッカー部の関係者。なぜかサッカーのレフェリーの格好で試験会場に現れます。答案の埋まらない受験生を発見すると突然キレて、その受験生の目の前でいきなり「ピィー」とホイッスルを吹き、レッドカードを出して一発退場を宣告・・・恐ろしいでしょ?冗談です。ホントにいたら、おもしろいけど(^_^)。

最も重要なのは試験の真っ最中。特に、自分の答案に誤字や日本語としておかしい表現がないかどうか?十分チェックすること!君達の答案を採点していると、この種の失点の積み重ねが原因で自滅するパターンが目立ちます。福島県の筆記試験はわずか250点満点で、しかも記述式が多い。福島県の1点はとてつもなく重いのですよ。どんなに苦しくても絶対に諦めてはいけません。必ず合格点がとれることを信じて、冷静に粘り強く戦うのです。

今、これまで辿ってきた道のりを振り返ってみてください。自分の入塾当初の学力を思い起こせば、今の自分が別人であることに気づくでしょう。多くの人が、これだけ短期間で偏差値を10ポイント以上も上げています。そして今、第1志望校に手が届きそうなところまで辿り着きました。これだけでも凄いことなのです。ここまで力を伸ばすことができた最大の原因は、もちろん君達の能力・努力だといっていいでしょう。

ただし、それは自分ひとりの力ではなく、ご家族の協力があってのことです。最も感謝しなければならないのは、ズバリ君達のご両親でしょう「受験勉強は福島駅界隈の塾へ通うもの」というこれまでこの地域に長年浸透していた常識を疑い、「これが本物の塾だ!」というべき最適な環境をついに見つけ出し、君達の月謝を払うために懸命に働き、送り迎えまでしてくれたのです。そのことに対する感謝の気持ちを忘れずに試験に臨んでください。そうすれば、受験の神様は必ずや君達に幸運を引き寄せ、合格へと導いてくれることでしょう。

2006.01.11 塾講師という仕事(第19話:ターニングポイント)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、月日が経つのは早いもので、塾開校2年目の冬期講習が無事終了しました。私個人にとっては、いったい何回目の冬期講習なのか?正確に把握してしまうと、かえって気分が落ち込みそうなので、これ以上深入りするのは避けたほうがいいかも。そういいながら、つい昔のことを思い出してしまいました。

さて、塾講師のアルバイトを始めた当時、私は大学院生。生徒から年齢を訊かれると「四捨五入して二十歳!」「五捨六入して二十歳!」「切り捨てで二十歳!」私にもアイドルの時代があったんです(^_^)。その後は「二十歳超えてますよ~」です。世を忍ぶ仮の姿。そう割り切ってやっていました。まさかこの仕事が本業・・・それどころか父の生まれ故郷であるここ国見町に定住し、自分の塾を開くことになろうとは夢にも思っていませんでしたから、人生ってわからないものです。

そもそもなぜこの仕事が本業になってしまったのか?おそらくあの年度の冬期講習がターニング・ポイントだったように思います。あれは199×年、私は生徒数1万人超も抱える東京の大手進学塾所属の専任講師として売り出し中でした。

その前年、私の上司として君臨していたのは、実は佐野塾文化祭に2年連続で小学生の娘さんと駆けつけてくれたジョバンニ氏です。結婚後退職して東京から福島市飯坂に移り住んだため、ジョバンニ氏に代わって私が所属教室の算数・数学指導の柱を任されたという経緯があります。

では、ターニング・ポイントとなった冬期講習とは?それは、進学塾の看板とでもいうべき受験学年最上位クラスの授業ではなく、普段担当していない小5Ⅱクラスの国語でした。受講生は約25名。最上位層ではありませんが、保護者の意識は高く、ほぼ全員が私立中学受験を目指していました。そんなクラスでのある日の授業が・・・お通夜と化してしまったのです。

テキストの課題は、アメリカの短編作家O・ヘンリの『最後の一葉』。私が初めて読んだのも小学生の時で、国語か道徳か忘れてしまいましたが、どちらかの教科書に載っていたことだけは記憶しています。当時、塾における集団指導の基本はエンターテーメントで、真剣さの中にも笑いの絶えない授業が理想だと思い込んでいた私は衝撃を受けました。黙々と本文を読み始めた生徒達の顔が次々に真っ赤に・・・目を潤ませ、鼻をすすりながら鉛筆を動かしている姿に心打たれてしまったのです。

ちなみに私が感動のあまり初めて涙を流したのは、TV番組ウルトラセブンの最終回です。「負けた!」と思いました。それ以来です。感受性豊かな子達と接するのは結構おもしろいし、普通にサラリーマンやっていたら決して味わえない贅沢かも・・・そう感じるようになったのは。

最後に、今回実施した冬期講習中1・中2国語の種明かしをします。ズバリ、日頃の各種テストの結果から塾生の最大の弱点が国語にあるとみた私は、今回劇薬を使いました。そう、199×年冬期講習小5Ⅱクラス国語の再現を狙ったわけです。採用した教材はもちろん違いますけど。素直な彼らは、まんまと私の術中にハマってくれました(^_^)。今後の国語力のレベルアップのきっかけにしてくれるといいんですがね。

2005.11.09 塾講師という仕事(第18話:今年もやります!)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

昨年、参加者の方々からご大変ご好評をいただいた秋のイベントを今年も23日の勤労感謝の日に開催いたします。名づけて第2回佐野塾文化祭。

さて、今年のプログラム・・・まずは、第Ⅰ部の座禅体験!お寺は多くの日本人にとって身近な場所。でも、禅寺で座禅の経験がある方って、それほど多くはないでしょう。幸いにもイベント会場は町内光明寺にある臨済宗のお寺、福聚寺。鎌倉時代に栄西が開いた臨済宗の座禅という文化に触れる絶好の機会です。ズバリ、今回のプログラムは11:00より座禅でスタートします。

昼食は、各自おにぎりを持参していただいたほうがいいかもしれませんが、忘れても大丈夫。お昼はお寺で芋煮会を予定しています。具沢山ですから、何度でもおかわりしてください。腹ごしらえが済んだら、第Ⅱ部の竹細工教室。今年も竹細工作家、吉國氏の指導の下で作品制作に挑戦します。作品制作の後は、第Ⅲ部フォークソングのライブ演奏で締めくくります。

参加費は無料。お誘い合わせの上、ぜひご参加ください。

2005.09.20 塾講師という仕事(第17話:塾は必要悪?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

暑い夏が去り、随分凌ぎやすくなりました。夏の一大イベントを無事終えた塾講師は、秋の虫の音を聞きながら少しずつ夏の疲労を癒し、今はようやく充電が済んだ頃でしょう。私もその1人です。

それにしても今年の夏期講座はハードでした。もう~今年の塾生は手がかかる子達ばかりだし・・・。この夏の仕事量は、軽く昨年の倍はこなしたでしょう。でも、それだけならまだ良かったのです。偶然にも今年は戦後60年という節目の年。夜は連日テレビの特別番組に釘付け。

本来ビデオに撮っておけば済むことです。ところが、あれだけ見応えのある番組が毎晩流れると、つい「中3社会の近現代史の授業にひと味加えてみよう」みたいな欲が出てくるのです。職業病でしょうか?撮ったビデオを後日見るのでは授業にはとても間に合いません。約1ヶ月の間、まるで臨戦態勢を強いられた兵士のような心境でした。社会科がイマイチの塾生が、この夏の授業で心に何かを残し、飛躍のきっかけをつかんでくれると嬉しいのですが・・・。

さて、話は変わります。おわかりいただけたように、塾講師の夏は毎年ハード。その割には報酬なんてたかが知れています。社会的貢献度は比較的高いはずなのに、その社会的地位は極めて低い。東京在住のある塾講師の説によると、現代の日本は階級社会に逆戻りで、その階級とは士農工商に穢多・非人、その下が塾講師。以前私が指摘したように、その正体は飢えた狼。ですから、子どもの将来の夢に塾講師が上位にランクされることは、まずありません。

いや、例外がいたな・・・「僕、将来塾の先生になりたい!」と語る小学生に1人だけ会ったことがあります。ところが、そのことを家族に話したら突然母親の顔色が急変し、「あなた何考えてるの。そんなこと口にしちゃいけません!」と、思いっきり怒られたんだそうです。彼は、怒られた理由が全くわからなかったそうです。やっぱりねえ~(^_^;)。

そもそも塾の存在意義とは何でしょう?保護者の皆さんからお叱りを受けることを承知で言うと、現代の塾の基本的な性格とは「水商売」が最も近いのではないかと私は思います(^_^)。人間の精神に潤いを与え明日への活力を育む、いわゆる「夜のお仕事」という意味です。居酒屋が大人にとって仕事帰りに立ち寄る精神的リハビリの場であるとすれば、塾は子どもにとって(母親にとっても)貴重な精神的リハビリの場ですからね。

国家の政策ではなく、庶民の日常生活を豊かにする必要から自然発生した点でも両者は似ており、その起源は学校よりも古い。日本の学校の歴史なんて、明治時代に制度化されて以来たかだか130年程度。ところが、少なくとも江戸時代には既に寺子屋が存在し、福島県人(特に会津人)の永遠の敵である長州には松下村塾もあったわけで、それらはまさしく私塾でしょう。

それが現在、塾は子どもが受験に成功するために仕方なくこっそり通わせる場所で、多くの大人から「必要悪」呼ばわりされる始末。落ちたものです。このままでは、先人達の志を台無しにしかねません。塾は「必要悪」というのが現代の常識なら、せめて当塾は教育と水商売という2つの性格を併せ持つ楽しく非常識な塾を目指したいと思います(^_^)。

2005.07.01 塾講師という仕事(第16話:大学進学率)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今回はちょっぴりシビアな話題です。数ヶ月前、こんな新聞記事を目にしました。内容は、福島県立高校の数学教師の約4割が今秋から東京や仙台の予備校で勉強する、というもの。現在、県内高校生の大学入試センター試験の成績(特に、英語・数学)が低迷し、大都市の難関大学や理系大学の受験で相当苦戦しているそうです。平成16年には数学が全国47都道府県中44位にまで落ち込み、我慢も限界に達した県教育委員会がついに教師の指導力アップ作戦を開始した、というのです。大学受験って、少子化で楽になっているはずなんですがね。

この記事に特別驚いたわけではありません。学校が今の学習指導要領を忠実に守れば、良い塾に恵まれない地域が真っ先にこういう目に遭うことは十分予想できましたから。今回あえて話題にしたのは、学校の教師が立場上発言しにくいことを代弁するためです。もちろん、塾ならではのアレンジで。時にはそんなことも塾講師という仕事の1つになるんです。

まず、今何が起こっているのか?おそらく「大学進学を目指す場合、学校の勉強さえしっかりやっていれば何とかなる時代は去った」ということでしょう。いわゆる「ゆとり教育」の影響で、どの教科の学習内容も驚くほどレベルダウンしました。そんなペースで勉強しても、合格できる大学が限られてくるのは仕方ありません。大都市なら近所に1つくらい良い塾があるため、今の厳しい状況を乗り切ることは可能です。しかし、これからはたとえ能力があっても塾・予備校に恵まれない地域で生まれ育った子は、相当大きなハンデを背負う。今や日本は放置国家なんです。

では、県内の塾の状況はどうか?残念ながら信頼に値する塾は滅多にないのではないでしょうか?そう思ったから、自分の塾の立ち上げたんですけどね(^_^)。経験豊富なベテラン講師を排除し、「プロは要らん。給料が安くても文句を言わず、マニュアルどおりに働いてくれる若いアルバイト講師が理想や!」そんなマクドナルド的手法で、悩める親子を食い物にする塾が大きな顔をしているように感じます。

プロが存分に腕を振るうことのできる塾がもっと増え、「通塾は小5から」というのが保護者の常識になることこそ、最も効果的な大学受験対策なんですがね。県教育委員会も効果のないことに税金をつぎ込むのはやめて、正直にこう言ったらどうでしょうか?「本県の大学合格実績をこれ以上下げたくないので、放課後先生方も部活はほどほどにして、子どもを塾で思う存分勉強させてください。塾の月謝は我々の給料を削って補助します。」みたいな・・・(^_^)。

一方、こんな見方もあり得ます。「そもそも福島県の大学進学率は約35%で、全国順位は下から数えたほうが早いのは事実。それならセンター試験の全国順位が低いのも当たり前。それがどうした!」「存在意義が疑わしく、通っても意味のなさそうな大学が掃いて捨てるほどあるのに、大学進学率やセンター試験の得点が高いって、そんなに良いことなの?まさか・・・文科省からの補助金の額に影響するってか?」「例えば、両方とも全国トップレベルと思われる東京やキョナラ地方(京都・奈良)は、そうでもしなければ豊かに暮らせない地域で、東北・北海道・南九州はその逆だとも考えられます。つまり、全国順位の低さとは、大学進学の必要性すら感じないほど住み易く、誰もが当然のように健康で文化的な最低限度の生活を営めるという証で、実は良いことかもよ(^_^)。」

2005.06.04 塾講師という仕事(第15話:成績アップの秘密)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

通塾によって、いったいどこまで学校の成績は上がるのか?入塾を決断される際に最も知りたいのは、まさにこの点でしょう。それについてズバリお答えいたします。

結論からいえば、本人のやる気次第。特に、通塾をきっかけに学校生活だけでは経験できない刺激を受け、自宅学習を質量ともに充実させること。これに尽きます。とは言ってもまだピンとこないでしょう。そこで、通塾をきっかけに学校の成績を驚異的に伸ばした開塾初年度の卒業生Nさんの事例をご紹介しましょう。

あれは昨年度末の県立高校入試直前のことです。Nさんの母上からこんなメールが届きました。そのまま引用します。

「先生の塾に出会えてよかったと思っています。ありがとうございました。私も本人の努力にはびっくりしています。親の話も聞いて勉強してくれました。結果はわかりませんが、悔いのない受験になるのではないかと思っています。結果がわかったら本人から連絡するそうです。」

いかがでしょう。私が卒業生を送り出す際の最終目標としているのは、全員がこんな境地に到達して入試本番を迎えてくれることなのです。そういう意味で、昨年度の最終目標が達成できたかどうかはわかりません。しかし、こんな境地に達した卒業生が確実に存在したという事実を知っただけでも、この新天地で私塾を開いた甲斐があったなと思います。

さて、このNさんについてはもう少し説明が必要です。彼女は、当塾開校間もない頃に入塾した2人目の中3生。「苦手の数学を何とかしたい」というのが入塾の動機でした。家があまりに遠く車での送迎が不可欠だったこともあって、平常授業は週1回の数学のみ。ただし、夏期講座は英数社の3教科、冬期講座は5教科を受講しました。その成果は以下のとおりです。

中3の5段階評定国語
数学英語理科社会音楽美術
保体
技家
9教科合計
1学期の評定




28
2学期の評定




36

 冬期講座がスタートしたばかりのある日のことです。私は彼女の通知表を見せてもらい、自分の目を疑いました。今まで塾講師をやってきて、これほど成績を伸ばした子って、会ったことがなかったものですから。「凄いな!わずかな期間でこんなに上がった成績表・・・初めて見たよ。」「そうですか?・・・今思うと、あの夏期講座がきっかけでしたね。」彼女は冷静にそう自己分析していました。

皆さんはこの成績表から何を読み取りますか?「この子は理数の伸びが凄まじい。中学の先生方は、真面目にやる子は過去の印象を引きずらず正当に評価してくれるのね。」多くの方はそんなふうに読み取ることでしょう。また、「佐野塾は音楽や技術家庭も指導してくれるのね!」と驚いた方もいらっしゃるでしょう(^_^)。

実は、彼女の驚異的な成績アップの秘密は2つあります。

1つは、豊富な読書経験に裏付けられた確かな国語力を備えていたことです。ところが、どういうわけか、その凄さが学校の国語の成績にはあまり反映されていませんね。しかし、彼女が書く塾日誌の文章内容や当塾で何度も実施したテストの答案を見れば、彼女の最大の武器が決して数学や理科ではなく、国語だったことは明らかです。ズバリ、私なら彼女の国語の評定は5とするでしょう。国語ができる子は、本気になったら強いのです。

もう1つの秘密は、夏期講座をきっかけに自分の勉強量を大幅に増やしたことです。彼女は、週末は弟がうるさいという理由で自宅を離れ、弁当持参で観月台文化センターへ足を運んでいました。静かな観月台の図書室を自分の勉強部屋としてフルに活用したのです。他に利用者がほとんどいない(もったいない)ので、広い静かな空間を独占して贅沢な気分を味わってみたい人には絶対のお奨めだそうですよ。冬期講座中は、午前の授業が終わると昼食持参で毎日観月台の図書室へ直行していました。受験勉強に疲れた時は読書に耽っていたそうです。

こうして、通塾をきっかけに充実した受験勉強を経験したNさんは、その後どうなったか?見事に第一志望の福島商業(情報処理)にⅡ期選抜で合格しました。合格発表当日は親子で直接報告に来てくれました。合格発表の瞬間、母上は感激のあまり泣いてしまったそうです。これで、ここしばらくロクなことがなかった私にもようやくツキが巡ってくると確信しました(^_^)。今のところまだやってきませんが・・・。

いかがですか?どうすれば成績アップにつながるのか?この事例から多少なりとも皆さんにヒントが提供できれば幸いです。

最後に、注釈を加えておきます。「国語は良いけど、他の教科が・・・」という子は、長い目でみればそれほど心配要りません。今はそれほどできなくても、Nさんのように通塾をきっかけにいずれ苦手教科を克服する可能性は非常に高くなります。

では、反対にいつも国語の成績が極端に悪い子はどうか?帰国子女によくあるケースですが、そうでない場合は短期間での成績アップを期待するのは難しいですね。塾講師の間では、「極端に国語の弱い子は帰国子女か宇宙人」という悪い冗談もあるくらいです。教科としての国語が好きでなくても問題ありませんが、極端にできないのは問題です。スポーツでいえば、基礎体力が欠けているに等しい。基礎体力に欠けた一流スポーツ選手が存在しないのと同様に、国語力に欠けた賢い子というのも考えにくいのです。

これでおわかりいただけたでしょう。幸か不幸か?この国に生まれてしまった以上、例えば英語ができるようになりたいと思ったら、まずは国語力のレベルアップが先なのです。我々は普段日本語でものを考えて生きています。どんなに英語ができるようになったと思っても、国語力が10のレベルなら英語力はせいぜい6、国語力が4なら英語力は2のレベルまでしか到達できないのですから。

2005.05.17 塾講師という仕事(第14話:飢えた狼)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

2005年のゴールデンウィークが去ってしまいました。私にとっての事実上の正月は「桃の花とともに去りぬ」というわけで、ようやく塾講師としての日常生活が本格的に始動しました。まずは7月の夏期講座開始前まで、この生活パターンは続きます。

さて、塾の平常授業といえば、皆さんもご存知のように大部分は夕方から夜にかけてです。この時間帯は、圧倒的多数の人が仕事を終えて、くつろいでいる時間帯。そして、正常な人なら1日のうちで食欲がピークに達する時間帯ですね。その間体内時計に逆らい、ひたすら空腹に耐えて仕事しているのが塾講師です。基本的に立ったままでの発声中心の肉体労働ですから、気合を入れ過ぎると空腹感は極限状態に達します。

これ以上ハングリーさが要求される人って・・・ボクサーぐらいしか思いつきません。では、どうしても空腹に耐えられない時はどうするか?暇そうな塾生に牛丼を買いに走らせるか、カップラーメンを作らせます。そして、僅かな休憩のチャンスを逃さず一気に食らう。

こんな我々の食生活を心配してくださる女神のような保護者もいらっしゃって、たまに手作りの差し入れが届くことがあります。こんな時、すぐには食らいつかずに仕事中は我慢。終われば早速酒を用意し、女神様に感謝の祈りを捧げてからいただきます。

もう、おわかりですね。塾講師は普通の大人とどこが違うのか?1日のうちで最大の空腹時に「おあずけ!」を命じられた憐れな犬。いや、「飢えた狼」と呼ぶのがふさわしいでしょう。迷える子羊である塾生にとっては、満月の晩は危険度レベルAの時間帯。東京は恐ろしい所です。空腹も我慢のピークに達すると、突然月に向かって吠え始め、キレるといきなり噛みつく猛獣のような塾講師が数知れません(@o@)。

「今日のN先生、あまりの忙しさで牛丼もカップラーメンも食べ損なったらしいぜ。」「まずいな(@_@;)。先生が今日キレたら、俺達・・・?」塾生達はよく観察しています。吠えられるだけならまだしも勉強サボれば噛みつかれますから、授業中は真剣そのものです。塾に通えば成績アップする最大の秘密・・・これでおわかりいただけましたか?飢えた猛獣のスリリングな授業で毎回鍛えられるのですから、学力向上は当然なのです。

私ですか?皆さんのご想像にお任せします。ただ、お願いですから「国見ニュータウンに飢えた狼がいる!」などと桑折警察に通報しないでくださいね(^_^)。

2005.04.15 塾講師という仕事(第13話:桃の開花直前)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

三寒四温の春期講座も無事終わり、ようやく天候も安定してきました。日々刻々と色が変化していく遠景を楽しみながら、桃の開花を心待ちにしている今日この頃です。何ともいえませんねえ~この気分。福島に住んでみないとなかなか味わえない贅沢の1つといっていいでしょう。

さて、たとえ福島に住んでいなくとも、今からゴールデンウィークにかけては塾講師にとって年間で最も嬉しい季節。やっと新年がやってきたな、という気分になるのです。何しろ塾講師に1月が新年という感覚はありません。世間一般の人々の感覚からは、約3ヶ月もずれていますね(^_^)。でも、そんなことはどうでもいいんです。今年も無事にこの季節を迎えられたことを素直に喜びたいと思います。

また、4月といえば新たな出会いの月。昨年のこの時期はまだ開校していませんでしたから、今年の4月に対する想いは格別です。昨年度から在籍していた塾生は、皆学年がワンランク・アップ。そして、昨年度のクラスに今年度から新たなメンバーが加わり、これまでとは微妙に違った雰囲気のクラスができあがります。もちろん4月に入塾した子だけで誕生したフレッシュなクラスもあります。彼らは今後どう成長していくのか?そして、1年後は?そんなことをあれこれイメージしながら、今年度の仕事に対する決意を新たにするのです。

最後に、新年度の私の目標をひとつ。東京にはいないタイプの「早寝早起きの塾講師」を目指します。無理な目標は立てないほうがいいって?まあ~いつも小6クラスのEさんに「夜行性」どころか「夜光性」呼ばわりされて笑われているくらいですから、信じていただけないのは無理もありません(^_^;)。でも、この地域は朝9時前に電話が鳴ったり訪問客があったりして、私本当に困ってるんです。お年寄についていくのって、こんなに大変だったとは・・・。

2005.03.17 塾講師という仕事(第12話:開塾初年度の受験結果)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

長い冬が過ぎ去り、ようやく春がやってきました。受験生にとっては、プレッシャーからついに解放される待ちに待った春ですね。我が子の合格を何より願う保護者の方々にとっても、それは同様でしょう。

一方、塾講師にとってはどうか?・・・毎年この時期は年間で最も複雑な心境になります。教え子が全員第1志望校に合格できた場合は、もちろん歓喜の春。しかし、この仕事をやればやるほど、100%歓喜の春を迎えることがいかに難しいかを痛感します。

さて、佐野塾開校初年度の中3卒業生の進学先を公表いたします。

☆聖光学院高(情報電子)1名   ☆聖光学院高(特進)  1名

☆福島工業高(機械)  2名   ☆福島工業高(情報電子)1名

☆福島商業高(情報処理)1名   ☆福島成蹊高(特進)  1名

☆福島成蹊高(普通)  1名   ☆福島東高       2名

☆福島南高(国際文化) 1名   ☆保原高(普通)    1名

全員進学先は確保できましたが、第1志望校の合格率となると9/12で75%。とても複雑な心境です。わずか6~9ヶ月という短期間の受験指導だったとは言え、倍率1.58倍の福島商業高(マネジメント会計)で1名、倍率1.80倍の福島西高(普通)で2名、Ⅱ期選抜で計3名も不合格者を出してしまいました。不合格にされてしまった塾生には、大変申し訳ない気持ちで一杯です・・・今後は、受験生全員が歓喜の春を味わう塾になれるよう努力を重ねていくことを誓います。

2005.02.25 塾講師という仕事(第11話:この時期に控えるべきこと)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年も例年通り受験生相手の正月を過ごし、無事に冬期講習を終え、今ようやく高校入試本番直前までこぎつけました。

 私は、毎年この時期絶対にやらないと決めていることがひとつだけあります。さあ、何でしょう?・・・正解は麻雀です。この時期やれば、100%大敗するからです。理由はわかっています。麻雀というゲームの本質は、4人による運の奪い合い。だから、麻雀で勝つということは、相手の運を奪うことに成功したことを意味するわけです。ところが、今の時期の私といったら、受験生に多くの運を与えるばかり。これだけ人に運を与え続けていれば、自分にツキが来なくなるのも当然のこと。やはり、今の時期は仕事に集中すべきなんです。このことに気づくのに3年もかかりました(>_<;)。

思い出します・・・東京の塾では、毎年1月31日は小6クラス最後の授業。2月1日から一斉に都内の私立中学入試が始まるからです。さらに、2月9日は中3クラス最後の授業。2月10日から一斉に都内の私立高校入試が始まるからです。人間らしい年末・年始とは無縁の憐れな塾講師・・・せめてこんな日の夜くらい思いっきり解放されてもいいでしょう。ようやく受験生を無事に送り出し、職場の仲間と1年間の苦労話を肴に朝まで狂ったように飲む。これが最も多いパターンですね。

ところが、私は3年連続でその誘いを断わり、麻雀仲間と雀荘で夜を明かしたことがあります。結果は連戦連敗。これまでずっとカモにしてきた相手に3年連続でコテンパンに叩きのめされたのです。「普段は悪魔。でも、たまに派手に負けてくれるんだよなあ~あはは。またやりましょう!」ボロクソ言われながら、いつの間にか感謝されています(^_^;)。こんな年は、私の麻雀の戦績と正反対の入試結果が出るんです。そして、見事に合格を果たした受験生と保護者の笑顔に出会うと、ようやくツキが戻ってくるのです。

「まあ!何という不良教師・・・かわいい我が子を悪の道に引きずり込まないで!」そんなことしませんから、ご心配なく!でもTVゲームもケータイもない時代を男子高で過ごせば、酒と麻雀は必修科目。同じインドアでもTVゲームやケータイなんぞで内にこもる現代人に比べれば、はるかに健全だと思いますけど(?)。

2005.01.25 塾講師という仕事(第10話:塾講師の帰り道)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

新年明けまして、おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

世間一般では、こうして互いに挨拶を交わし、新年は静かにゆったりと過ごすのが常識というものですね。ところが、世の中にはそんな過ごし方の許されない人達がいます。

まずは、受験生。特に、年末年始は年間で最も気合を入れて勉強しなければなりません。そして、学校の冬休み終了と同時にラストスパートの声がかかり、入試当日までの残された日々を不安と戦いながら一気に駆け抜けるのです。毎回の授業で私に厳しくしごかれている彼らをご家庭では暖かく励ましてください。挫けそうになったら、世の中には受験生よりはるかに悲惨な者がおり、彼らに比べれば受験生は幸せなのだとお伝えください。

では、最も悲惨な人間とは誰か?・・・正解は、塾講師。腕のいい講師ほど年末年始は引っ張りだこ。この時期は年間で最も忙しく、彼らは何年も人間らしい年末年始を過ごしたことがありません。この仕事を続ける限り、それは叶わぬ夢(>_<)。

例えば、師走の東京。世間一般では忘年会の真っ只中。皆早々と仕事を切り上げ、妖しいネオンの光に誘われて連日連夜繁華街に繰り出します。別れの挨拶は「良いお年を!」どの街も、あちらこちらで酔っぱらい達が盛り上がっています。あ~羨ましい(^_^;)。

一方、塾講師は・・・毎晩10時半過ぎ、やっと仕事がひと段落。駅のホームに着けば、至る所に泥酔したオジサンがダウン。「おえ~!」今度は背後で奇声が。「こんな所でお好み焼屋なんか開くなよ!」そう思いながら、ひたすら電車を待ちます。しかし、定刻通りにはまず来ません。やっと来たかと思うと、朝の通勤ラッシュ並みの超満員。酒臭い車内では、どの乗客も目が据わっています。座っている乗客の多くは終点まで寝過ごしてしまうため、座席が空きません。おかげで、こちらはヘトヘトです。(>_<;)

たまに信じられないほどすいている車両を発見します。「ラッキー♪」そう思って乗ろうとすると、ここにもダウンしているオヤジが・・・床には出来立てのお好み焼きが。強烈な臭いのせいで誰も近づけません。「しまった!そういうことか・・・」車両を替えようと次の駅で降り、喜んで飛び乗ってくる酔っぱらい達に親切に教えてやります。「ここは、やめたほうがいいですよ!」しかし、さすが酔っぱらいです。人の話など聞いていません。数秒後・・・「うっ、うあ~!」(@o@;)

2004.12.16 塾講師という仕事(第09話:第1回佐野塾芸術祭)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

11月23日(火)の勤労感謝の日、町内光明寺の福聚寺にて第1回佐野塾芸術祭を開催しました。今回参加してくださった方々には好評で、ライブから参加してくださった方から後日「いい企画なのに参加者が少なかったのが残念!」とのメールもいただいております。

当日はこれ以上ない好天に恵まれました。前後の日の天候が決して良くなかったことを思えば、あの日の天気は一見奇跡的です。しかし、あれは決して偶然ではありません。私が、知る人ぞ知る「晴れ男」だということを皆さんは覚えておいてください。どうしても晴れてほしい時には「佐野を呼べ!」というのが、仲間内では鉄則になっています。「強烈な雨女さえいなければ」という条件つきですが、私が参加するイベントは必ず晴れるのです(^_^)。

さて、今回の芸術祭のハイライトは何といっても第Ⅰ部の竹細工教室。レベルの高さは私の予想をはるかに超えていました。大人でも容易ではない課題だったと思います。しかし、講師である吉國理一郎氏の懇切丁寧な指導の下、参加者全員が見事な作品を完成させました。特に、 飯坂からはるばる参加してくれた小3生のMちゃん、当塾小5クラスのEさん、小6クラスのS君、中1クラスのS君の適応力には、驚かされました(@_@)。

 それにしても、前日に切ったばかりのお寺の竹が・・・あれほどお洒落な器に仕上がるんですね。我々にとって身近な竹という天然素材のしなやかさと、その魅力を存分に引き出す伝統技術の奥の深さに脱帽!

第Ⅱ部は、夕日を浴びながらのライブです。ギターが奏でる哀愁のメロディーは、秋の短い一日の終わりを締めくくるのにふさわしく、心に余韻を残してくれました。スタートが遅れ、気温の下がり方もあまりに急だったため、演奏時間が予定より短くなってしまいました。特に、今回のライブを楽しみに参加してくださった方には申し訳なく思っております(>_<)。

イベント終了後、福聚寺の和尚さんがこんなご提案をしてくださいました。「次回は午前中からスタートし、皆で一緒にお寺で昼食を作り、一日かけてゆっくり楽しみましょう!」芋煮会なんて兼ねたら、確かに楽しいでしょうね。和尚さんのお言葉に甘えて、今後は一層充実したものにしていきたいと思います。あんな素敵な場所をイベント会場として貸してくださった福聚寺の和尚さん、そして忙しい中を何とか時間を割いて参加してくださった皆さんに感謝いたします。


当日の晩、打ち上げの酒宴が盛り上がったことは言うまでもありません。メンバーは竹細工講師の吉國理一郎氏、飯坂在住のジョバンニ氏、演奏者の佐野幸二、そして私の4人です。イベントは今回だけでなく、今後も続けていこうという結論にあっさりと達しました。その後も話は盛り上がり・・・気がついたら、いつの間にか朝。吉國氏の次のひと言が今も印象に残っています。「東北はいいなあ~!」(^o^)/

2004.11.17 塾講師という仕事(第08話:佐野塾文庫から)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

学力アップを保証する「あしたのために(その1)とは、TVゲームは全部捨て、文章を頭の中に刻み込むように読むべし!」というわけで、最近の新刊本からお奨めの本をご紹介します。

日没の時刻が随分早まり、読書好きにはたまらない季節になりますね。中3生はとてもそんな気分になれないでしょうが、受験のプレッシャーがない小学生や中1、2生は今のうちにたくさんの本を読んでおくことをお奨めします。

どんな本をどれだけ読んだらいいかって?すでに読書習慣がある子は、そんなこと考えなくても問題ないでしょう。でも、そうではない子は佐野塾文庫(教室に備えた数千冊の本)でもきっかけに、何としてでも読書の習慣を身につけてください。そこで、今回はこれまで読書習慣がなかった子のための一冊をご紹介します。

◎斎藤孝『頭がよくなる必殺!読書術』PHP、2004年。

小学生向けに書かれた本ですが、これまでほとんど読書経験のなかった中学生もどうぞ。読書の楽しさを知るきっかけになるかも。8月に出たばかりの本で、先日福島駅西口1階の本屋で偶然見つけました。もちろん、佐野塾文庫での貸し出しもOKです。

◎左巻健男・野村治 編著『新しい理科の教科書』文一総合出版, 2004年。

近年の小学校理科教育のレベルダウンを憂える約80名の執筆陣によって完成した検定外小学校理科教科書シリーズで、小3~小6用の4巻あります。こんなに豊かな内容の本で勉強したら、きっと理科が好きになるでしょうね。唯一の欠点はカラーでないことでしょうか。しかし、だからこそ入手しやすい価格が実現したともいえます。

◎左巻健男 執筆代表『新しい科学の教科書 第2版』文一総合出版, 2004年。

理科の内容がレベルダウンしていますが、この検定外教科書を3巻とも熟読すれば、学習指導要領範囲外の内容を含めて中1~高1基本レベルの理科を体系的に学ぶことができます。記述は非常にわかり易いので、理科の知識がゼロに等しい人でも十分独学できるでしょう。唯一の欠点は小学校用と同様カラーではないこと。気になる方は、まずは佐野塾文庫で実物を手にとってご覧になってください。


最後に、佐野塾文庫からこれまで塾生に貸し出した本について、ご紹介します。

◎村上 龍『13歳のハローワーク』幻冬舎(中3女子)                          ◎ユーゴー『ああ無情』盛光社(小6女子)

◎シートン『シートン動物記』盛光社(小5女子)                                 ◎斎藤 孝『勉強なんてカンタンだ!』PHP(中3女子)

◎木村 尚三郎 監修『まんが日本の歴史2000年』学研(中3女子)        ◎ペロー『シンデレラ姫』盛光社(小5女子)

◎原 哲夫、武論尊『北斗の拳』集英社(中2女子)

佐野塾の女子生徒はパワーがありますねえ。あたたたた・・・男子は一体どうしたんでしょう?北斗神拳を身につけた中2女子に秘孔を突かれて、「ひでぶ」状態だったりして(@o@;)?もっとエネルギッシュに読みまくって、今の情けない国語力を何とかしましょう。

2004.10.20 塾講師という仕事(第07話:進学先選択の基準)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

中3生は、高校受験まであと4ヶ月半まできました。多くの受験生は志望校もほぼ固まり、あとは合格を目指してひたすら受験勉強に励んでいることでしょう。とにかく、悔いのないようしっかり準備してください。自分の思い通りにならない時は、ひとりで悩んで貴重な時間を無駄にするのではなく、いつでも当塾にご相談ください。迷惑ではないか?などと過度に気を使う必要はありません。午前中の早い時間帯のお電話だけ、ご遠慮いただければ・・・2日酔いのため(?)100%寝ているもので・・・(>_<)。

さて、本題に入りましょう。まず、この地域が中学受験とは無縁であることは、よくわかりました。ですから、お子さんにとっての初めての受験とは高校受験になりますね。人生で初めて自分の意思で進学先を選択できるわけです。幸いなことに、ここ国見町は県庁所在地が近く、北の峠を越えればそこは宮城県という実に恵まれた場所に位置しています。徒歩や自転車での通学こそ難しいものの、少なくとも進学先の選択肢が多い点では県内屈指の贅沢な環境ではないでしょうか?これほどの恵まれた条件を生かさぬ手はない!ということを塾生には自覚してもらいたいですね。

そこで問題となるのは、どの学校が自分に最もふさわしいのか?つまり、高校選択の基準として何を重視するか?大学進学実績、就職実績、クラブ活動の実績、授業のカリキュラム、校風、学費・・・人によって様々でしょう。

ちなみに、私の場合はどうだったか?ちょっと特殊で、全く皆さんの参考にはならないかもしれません。それどころか、一度公開してしまったら、私は危険人物と誤解されかねません(^_^;)。でも、「こんな基準だって、ありかも・・・」という一例としてご紹介しましょう。

思い出します。・・・あれは19××年、埼玉県熊谷市立M中に入学して最初の朝礼。生徒全員が同じ髪型に全く同じ制服姿で、体育館に整列しています。そこは以前とは完全に異質な世界で、私は強烈な違和感をおぼえました。小学校時代は私服で周囲の色彩はカラフルなのが当たり前だと思っていただけに、真っ黒に染まった周囲の雰囲気の息苦しさに気絶しそうになりました。私の色彩感覚は昔からそうですが、かなりデリケートなんです。おまけに「○○は禁止!」のオンパレード。ここは軍隊?それとも監獄?こんな所は早く脱出しなければ・・・と思いました。(>_<;)

幸いなことに、中2に上がる直前の春休みに仙台へ移り住むことになり、私は大きな希望を抱いていました。転校先は前の中学に比べればおおらかで、髪型にはそれほどうるさくなく、家が遠い子のみ自転車通学も認められていました。それでも、やはり制服着用の義務から解放されることはありませんでした。今は亡き母が、制服のズボンにいつもきれいにアイロンをかけてくれたことだけは・・・よく覚えています。

その年、後の人生に大きな影響を及ぼす出会いがありました。それはダイヤモンド・サッカーというテレビ番組で、毎週土曜日の深夜にワールドカップ○○大会の録画を流していました。「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがですか?今週はオランダ対ブラジル・・・。」金子アナのこんな語りで番組は始まります。解説は岡野俊一郎氏。偶然にも、中学のサッカー部の同級生に奨められたのがきっかけです。衝撃でした。長髪の男子スポーツ選手を生まれて初めて見ました。これまでの価値観が一変しました。「世界は広い!」創造、自由、技巧、美、熱狂、歓喜、落胆・・・無意識のうちに求めていた世界をついに発見したのです。

以来、私はそれまで何となくやっていたサッカーに本気で打ち込むことになります。それと同時に、この国で常識とされていることに対し、次々に疑問を持ち始めます。「世界で最も愛されているスポーツに、これほど無関心でいられるなんて・・・この国は一体どうなってるんだろう?」当時の日本のスポーツ界・低レベルのマスコミ報道に嫌気がさし、日本人の習慣・伝統・文化とされるものを強制する人間に対して強い敵意を抱くようになりました。「そんなこといまだに言っているから、いつまでも勝負に勝てないんじゃないか!」こうして、日本という国そのものに嫌気が指し、「将来どこの国に移住するか?」そんなことまでぼんやり考えていました。

その後、非国民を目指す生徒でも受け入れてくれそうな、おおらかな高校が仙台に1校存在することを知りました。その名も、文字通り仙台一高。この学校は、校則(拘束?)とは無縁で、自立心旺盛な者にとってはまさに楽園。存分に自由を謳歌する術を学びました。ズバリ、自由こそ私が最も重視した高校選択の基準だったのです。

最後になりますが、こんな意見があります。高校3年間など長い人生の中ではほんの一瞬にすぎない。自分さえしっかりしていれば、どこへ進もうが大差はないのだ、と。なるほど、一理あります。それどころか、たまたま学校の選択肢に恵まれない地域に住んでいる子や、仮に選択肢に恵まれていても第1志望校に進学できなかった子に語りかける言葉として、大きな説得力を持っていると思います。

しかしその一方、私の例を挙げるまでもなく、多感な年頃の子にとっては学校選択がその後の人間形成に大きな影響を及ぼすこともまた事実なのです。

2004.10.04 塾講師という仕事(第06話:最近の悩み相談から)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

「塾に通うようになってから、学校の成績は確実に伸びました。しかし、学力テストの成績が思うように伸びません。」最近、こんな声を頻繁に耳にするようになりました。塾に通い始めた子が最初にぶつかる壁ですね。その点について、お答えしましょう。

ズバリ、こういう悩みが出てきたことに対して私はホッとしています。確実に進歩の跡が見えるからです。つまり、出題範囲が限定されている試験なら、重要なポイントの抑え方がうまくなり、高得点できるようになったのです。ところが、それだけでは満足できなくなった。つまり範囲の限定されていない試験に対しても高得点への意欲が育ってきたわけですね。良いことだと思います。

ただし、ここから先の目標達成は容易なことではありません。学力テストの成績を伸ばすというのは偏差値を上げること。例えば、偏差値40の子が福島商業へ、偏差値50の子が福島西高あるいは東高へ、偏差値55の子が橘高あるいは福島高へということです。これをわずか週1~2回の授業で1年以内に実現するのは、私にも至難の業です。

野球を例に説明しましょう。例えば、ピッチャーが「ストレートをど真ん中に投げるから、ちゃんと打てよ!」と予め伝えてから投げたとします。ある程度力のあるバッターならそれを打ち返す。「今度はカーブをここに投げるから、打てよ!」と知らされれば、その球も打てる。学校の中間・期末試験で得点できるようになったということは、そういうことです。

ところが、実戦ではこうはいきません。何しろ、ピッチャーはどんな球種をどのコースに投げてくるのかわからないのです。しかも、1/4か1/5くらいの割合で、ストライクではなくボール、つまり優秀なバッターでも打てない球を投げてきます。こんな状況下でもヒットを打つ確率を高めるには、何をどこに投げられても打てるだけの技量を身につけることが必要です。

ところが、この技量だけは一朝一夕に身につけられるものではありません。まず、日頃から数々の知識・技能をインプットしていく。次に、それらをできるだけパターン化して頭の中に整理し、必要な時にいつでも取り出して使える状態にしておく。そこまでのプロセスを経て初めてアウトプットが可能になる。つまり、学力テストで結果が出せるのです。

さて、中3生の保護者の皆さん、ここまでお読みになって絶望的な気分になっていませんか?それだけは、いけません。「そう簡単に学力テストの成績が伸びないのなら、勉強などやってもやらなくても同じこと!」そんなふうに思い込んだら最期、その時点で全ては終わりです。私は確かに「至難の業」と言いましたが、「不可能」とは言っていません。特に、今年の中3生が全員受講している数学について一言述べておきます。ズバリ、高校入試で合否のカギを握るのは、2学期以降扱う関数と図形。ターニング・ポイントは、「これは面白い!」と感じるようになるかどうかでしょう。数学の醍醐味はこれからです。私の腕を信じて、最後までついてきてください。


最後に、1つ訂正があります。前号のLIBERO(05話)に70代の読者からクレームがきました。「お前は知らなかったようだが、B29は戦闘機ではない。爆撃機だ。70歳以上の人間なら誰でも知っておる。訂正せよ!」クレームをつけたのは私の親父です。「ガーン!(@o@;)戦闘機に詳しいN君、知ってた?」「先生、10歳にもなれば、そんなの常識です!」「さすがN君、参りました(>_<;)!」

2004.09.11 塾講師という仕事(第05話:佐野塾の小5算数クラス)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

最近、授業開始時刻より相当早めに到着し、佐野塾文庫の本を手にする塾生が目立つようになりました。入塾したての頃は、おそるおそる背表紙を眺めているだけでした。それが、どうでしょう。夏期講座を境に、到着するとすぐに机の上に広げて読み耽る姿が見られるようになりました。この傾向は徐々に浸透しているようです。

一番の模範生は、当塾最年少の小5生N君です。彼は雨天でない限り自転車で通塾し、授業開始までの読書を楽しんでいるようです。ちなみに、夏期講座中のN君のお気に入りは戦闘機の本。「さあ、始めようか!」と声をかけると、自分が読んだばかりの内容をすぐに言葉にしたいらしく、次々に話しかけてきます。本当におもしろかったのか?少しでも授業時間を減らそうと企んでいるのか?わかりませんが、毎回10分近くおしゃべりに時間を費やします。当然授業時間は削られるわけですが、その分だけ宿題を増やされていることに彼は気づいているかどうか(^_^)?

それにしても、N君とのおしゃべりはなかなか面白いのです。算数の授業で四角形を扱ったある日のやりとりをご紹介しましょう。

「先生、ひし形のひしって漢字でどう書くんですか?」「こうだよ。普段あまり使わないし、学校では教わらない漢字だね。でも、N君は三菱っていう会社を知ってるだろ?あのロゴはこうなっていて4辺が等しい四角形菱形が3つ・・・だから三菱なんだ。」「あっ、そうか!戦闘機を作っていたあの三菱って、菱形だったんですね・・・先生、この漢字もう書けます。」「これは驚いたな・・・N君は三菱が戦時中兵器を作っていたことを知っていたんだね。高校生でも知っている子は多くないのに、たいしたもんだ。」

「はい、今は自動車も作ってます。」「うん、あそこの車は凄いよな。突然怒って、火を噴くからねえ。赤いダイヤ3つのマークの車を発見したら気をつけるんだよ。」「あっ、あれはダイヤだったのか。」「そう、トランプのダイヤと同じさ。ところで、N君はJリーグに浦和レッズというチームがあるのを知ってる?」「???」「サッカーのことを知らなければ無理もないな。レッズというのはレッド・ダイヤモンズの略。つまり、赤いダイヤ3つの三菱が応援しているチームさ。」「選手は火を噴くんですか?」(@o@)

9月に入ると、N君は佐野塾文庫の『はだしのゲン』に夢中になっています。アメリカの戦闘機B29が広島に原爆を落とした話をした時に、この本を紹介しました。8月末に長崎の原爆資料館から持ち帰った資料を見せたことも影響しているのでしょう。      

算数はどうなっているのかって?ご心配なく!中学生も顔負けのハイレベルな授業です。それに、私とおしゃべりするだけでも相当賢くなることは保証します(^_^)。

2004.09.06 塾講師という仕事(第04話:夏の充実と秋の楽しみ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今回は、夏の総括です。まずは、旅日記から。先日の8月最後の3日間、私は夏の疲れを癒しに九州へ旅に出てきました。前職場の塾長から誘いを受けていたのです。相変わらず飛行機は苦手。それでも我慢して羽田から福岡へ、そこから車で長崎・熊本を中心に宮崎の高千穂峡にまで足を延ばしました。

2日目は巨大な台風の直撃を受け、恐怖を味わいながらのドライブです。そのため、長崎から島原半島の国見を通り、有明海の風景をフェリーで楽しみながら熊本まで渡るという計画だけが、唯一幻に終わりました。東の国見からはるばる西の国見まで・・・あと一歩だっただけに残念!

しかし、食べたいと思っていたものは全て食べ尽くしました。有明海の新鮮な魚介類をはじめ、本場の長崎チャンポンに熊本ラーメン、馬刺、高千穂の「道の駅」で食べた地鶏入りうどん、そして・・・さすが「焼酎王国」九州!どれも美味しかったなあ♪

風景については、まず異国情緒溢れる長崎・・・街並みの人工美は評判どおりで、街全体がまるで美術館。約60年前、原爆で焼け野原だったなんて信じられません。以前の風景も、今とは別の美しさがあったのでしょう。原爆資料館では、ショックのせいか頭を抱えてうなだれていた白人の女の子の姿が妙に印象に残っています。

旅のクライマックスは、やはり最終日の阿蘇。世界一の面積を誇るカルデラの雄大さは、私がこれまで見た風景の中で間違いなくベスト10に入るでしょう。台風一過で運良く好天に恵まれました。以前に訪れた大分の国見でも感じましたが、九州は東北とは光の質が違います。目に映る色が鮮やかな分だけ、お肌に危険な紫外線も強そうです。

福島県に住み始めてから初めての旅でした。ひとつだけ、気づいたことがあります。東京にいた頃は、旅から帰ると、さみしさを感じたものです。「ああ、夢から覚めてしまった・・・」みたいな。しかし、今回は違いました。阿蘇のスケールとは比較になりませんが、ここ国見の眺望も相当なものだという意識があるからでしょう。

私は子どもの頃から、東北本線藤田~貝田の車窓のすばらしさを知っています。そういえば「世界の車窓から」という番組がありますね。「日本の車窓から百選」を作るなら、ここの車窓はそのひとつに数えていいでしょう。国見町も、この眺望と果樹園をブランド化して本気で観光に取り組めばいいのに!例えば、農家が自慢の食材や農業体験を目玉に民宿を兼業するとします。都会からアクセスし易いのは強み。JRの協力を得てPRし、将来大工として町の景観作りを仕切る現小5のN君に観光客の目を釘づけにしてもらいましょう。過疎の問題はこれで解決。佐野塾はそのための人材バンクか(^_^)?


次は、夏期講座の総括。この地に来て間もない頃、私はいろんな人から脅されました。「福島の夏は暑い。雷だってすごいぞ!」覚悟はしていました。ところが、どうでしょう。終わってみれば、「福島の夏はいいぞ!」これが私の実感です。暑いといっても、それは日中だけのこと。真夜中だというのに、アブラゼミやミンミンゼミらの大合唱が鳴り止まない東京の不快な夏(>_<)・・・余談ですが、東京の住宅街って、意外にも木が多いのです。あれに比べれば、夜真っ暗で気温が下がる福島の夏は、実に快適でした。

さて、皆さんの夏はいかがでしたか?ちなみに、当塾の夏期講座に出席した中3生全員の一致した感想をご紹介しましょう。「こんなに勉強したのは、生まれて初めて!」少なくとも量については手応え十分のようですね。問題は質です。つまり、学習内容が頭の中でどの程度整理でき、定着したかです。現段階では、講座の成果についてはまだ実感できないでしょうね。今回の夏期講座打ち上げテストにも、そう簡単には反映されないでしょう。しかし、私は確信しています。塾生達は秋以降必ず成果を出す、と。

その根拠は、今回塾生の多くが全教科を受講し、毎回の課題にじっくり時間をかけて取り組んだ事実にあります。彼らは多くのことを考えさせられたはずです。自分はどの教科のどこまでができて、どこから先ができないのか?自分のこれまでの取り組み方のどこに問題があったのか?自分はその問題点を今後どのように克服すればいいのか?今回、自分自身を見つめ直す機会を得て、これから2学期以降のハイレベルな学習にチャレンジする姿勢を確立してくれたように思います。これこそ、今回の夏期講座最大の成果ではないでしょうか。この段階まで到達した以上、あとは各自の実行力が全てです。この夏の私からのアドバイスを今後に生かせれば、成果は時間の問題でしょう。

最後に、この地域の中学生の夏期講座を初めて担当してみて、最も印象に残った点を挙げておきます。今回の夏期講座の中学部では弱点補強を最優先するため、初級レベルを中心に中級レベルを加味した教材を選択し、授業を組み立てました。初級レベルには何とかついてくるものの、レベルをワンランク上げた途端、パニックに陥る子が続出。原因を辿っていくと、行き着く先は「小学校高学年レベルの知識・技能の欠落」でした。

ところで、首都圏では高校入試を実施せず、中学入試だけで生徒を募集する進学校が少なくありません。小学校卒業時点の学力をそこまで重視して、青田買いしなくても・・・と思います。しかし、小学校高学年時における国語・算数の充実した学力が、中学進学後に応用力として開花することは確かな事実です。

 

最後に、お知らせを1つ。当塾では、芸術の秋にふさわしいイベントを企画しました。皆さんが日頃滅多に会えない当塾のサポーターと接する絶好の機会です。どうぞ、お楽しみに。

第1部は「竹細工に挑戦してみよう。」講師は、東京都あきる野市在住の竹細工職人吉國理一郎氏。伝統的な天然素材を見直し、日常生活に役立つ道具を作ってみませんか。第2部は「ライブを聴いてみよう。」演奏者は、東京都小平市在住の自称シンガー・ソングエディター佐野幸二。本人いわく「本業は編集者」だそうですが、どちらが本業なのか?わかりません。ギターから溢れ出る哀愁のメロディーの虜になってしまうかも・・・。

参加費は無料。日時と会場は検討中です。参加者は老若男女を問いません。お知り合いの方もお誘い合わせの上、当塾までお問い合わせください。

2004.07.21 塾講師という仕事(第03話:種明かし)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

開校を宣言してから早くも3ヶ月が経ちました。開塾当初から当塾に通い始めた子達は早くも成果を出し始めているようで、私も嬉しく思います。「短期間でこれほどの成果が出せるなんて、どんなマジックをお使いに・・・?」そんなご質問をされた方がいらっしゃいます。そこで今回は、ちょっと種明かしをしてみましょう。

実は、何も特別なことはしていません。あるとすれば、ひとつだけ。少人数徹底指導を実践するために、皆さんご存知のような机の配置にしたことでしょうか。これも、大学の学部のゼミナールや大学院では当たり前の授業スタイルを採用したにすぎません。小中高生向けの学習塾でも通用するかどうか?半信半疑でしたが、当塾の強力なスタッフとして前回ご紹介したジョバンニこと渡辺茂氏の意見に後押しされ、採用に踏み切りました。

思い出します。私がこれまでの人生で最も気合を入れて勉強したのは、20歳を超えてから20代半ば過ぎまでの時期かな。大学4年の時、「外国書購読」という授業がありました。フランスの大学で使われている代表的な教科書を輪読するというもので、受講者は6名。先生の名は・・・偶然にも渡辺茂先生。授業の場所は大学の教室ではなく、学内の喫茶店。皆でコーヒーを飲み、タバコを吸いながら、文化談議を交えての90分はあっという間でした。第2外国語として選択したフランス語の読解力が飛躍的に伸びたと実感できたのも、あの授業です。

小中高生が相手では、さすがにあのスタイルをそっくりそのまま採り入れることはできません。しかし、あの時の雰囲気こそ、まさしく当塾の授業スタイルの原型なのです。リラックスしていながら、適度な緊張感の中で交わされる対話。これこそ、個々の能力を最大限引き出すのに適した環境ではないかと私は思います。

そういえば、国見町はその名の通り抜群の景勝を誇る地。たまには野外に出て景色のいい所で授業、というのはいかがですか?この地ならではの醍醐味ではないでしょうか?例えば、町内北部の光明寺に福聚寺というお寺があります。そこの和尚さんなら、快諾してくださるかも・・・皆さんにも「お気に入りの場所」がありましたら、ご一報ください。

 ところで、前回のLIBERO(第02話)で、看板制作秘話をご紹介しました。その後7月7日の七夕の日、ついに例のものが完成しました。毎回、お子さんを迎えに来られる皆さんをお待たせするのは、暗闇の中ではなく、ホッとするような明かりの下で・・・そんな願いを込めて作りました。これで、外見上も塾らしくなったかな、という気がしています。近所の方がどうお感じになっているのか?わかりませんが、少なくとも当塾生の保護者の皆さんからはご好評をいただき、私もホッとしております。届いたメールをご紹介しましょう。

「看板、見ました!超かわいいですぅ!やっぱりオレンジいいですね。」「ステキな看板ですね! ロゴは先生が考えられたのですか? 思ったよりは派手ではありませんでしたが、分かり易く、本当にニュータウンのアクセントですね! 」「 看板完成おめでとうございます。とてもすてきな看板だと思いました。」「看板・・・なんかよかったですよ!暗闇に柔らかでHOTな感じで映えてて・・・」

ロゴについては、あるスタッフが考えついた原案を私がアレンジしました。「プラムですか?」そう訊ねた方がいらっしゃいました。99%正解です。Sanoの「Sa」の文字から、国見町が誇る特産の桃をイメージしたのは事実ですから。

一方、「○はサッカーボール?」との指摘もありました。元サッカー小僧という私の過去を知る者ならではの見方です。確かに、人がボール・リフティング(手を使わず、ボールを地面に落さずに扱う基本技術)しているようにも見えますね。佐野塾の平日は学習塾、休日は子ども達とのサッカー塾。そんな可能性も視野に入れています。

シンプルで躍動感のあるロゴに仕上がったなと、密かに自負したりして・・・(^_^)。

2004.06.22 塾講師という仕事(第02話:頼りになるスタッフ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

皆さんは、佐野塾の仕事をこなしているのは私1人とお思いでしょうか?実は、そうではありません。当塾のことを応援してくれるサポーターがこの国のあちこちに(実は、海外にまで)いて、的確なアドバイスを与えてくれます。彼らは、事実上佐野塾のスタッフといっていいでしょう。そして、実は保護者の皆さんこそ、私にとって頼りになるスタッフなのです。今、塾の看板を作っていて、そのことを実感しています。

私が学習塾を立ち上げる際に、こうアドバイスしてくれた人がいます。「まず看板を掲げて、地域に宣伝するのが先決。」一方、正反対のアドバイスをくれた人もいます。「看板などなくても、中身(授業)で勝負するべき。」どちらも一理あるな、と思いました。こういう場合、皆さんならどういう判断を下しますか?

悩んだ末、私が出した答はこうです。「ここは場所がわかりにくい。だから、強風に耐え、夜明かりがつく目印は必要だ!」では、どんなものを作るか?ここから本格的な悩みが始まりました。まず、「こんなのはどう?」と、何通りかのデザインを送ってくれた人がいます。それに刺激された私は、自分でも何通りか作って10人ほどに送ってみました。

次々に返ってくる反応を確かめていくと、まるで色彩心理学の実証研究(?)のようで、これがおもしろい!都会に住む人にはホワイト、グリーン、ピンクなどを推す人が目立ちます。雪や緑に対する憧れでしょうか?ピンクを推すのは、桃の花に対する憧れか?いや、最近金がなくて夜の繁華街に行けず、その願望の現われだったりして・・・(^_^)

次は、福島県民からのメール。やはり都会人とは違った視点を持っていました。「夜暗いニュータウンなら、光っているだけで目立つから何でもOK。昼見た時の感じこそ大事で、周囲にない色を使ったほうがよい。私の印象では黄色が一番目立つかなと想像しています。白は冬の雪、緑は新緑、黄は秋の黄葉。このうち、秋の黄葉の季節が一番短い。」飯坂に移住して10年になるジョバンニ氏です。看板屋さんではありません。私が東京の大手進学塾にいた頃の上司で、今は頼りになるアドバイザーです。そのうち、皆さんにご紹介します。

とても説得力があり、参考になりました。ただ、イメージカラーに黄色を使っている企業って、よく見かけるような気が・・・迷いはまだ消えません。こうなったら最後の手段、女性の勘に賭けるしかないな!その中で、オレンジを推す声がどうも気になります。その1人に理由を訊くと、驚くべき答が返ってきました。「かわいいから!」(@_@;)

最後は当塾生の保護者です。ある日こんなメールが届きました。私はこれを読んで、ようやく迷いから解放されたのです。「オレンジがいいなと私が思ったのは、塾のイメージですね。仲間が集い、楽しく学べるような。塾に集まる夕方のオレンジの空の色。私が通った英語塾では、夕方6時ごろから10人ほどでにぎやかに勉強していました。オレンジの光の中で友達とおしゃべりしていたのを思い出します。英語が好きになったのはその塾のおかげです!」(^_^)

2004.05.20 塾講師という仕事(第01話:佐野塾へようこそ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

開塾のお知らせを出してから、早くもひと月が過ぎようとしています。皆さんが例の朝刊の折り込みチラシを手にされたのは、4月20日(火)です。あの時どんなことをお感じになったでしょうか?「ニュータウンに学習塾誕生?でも、ペ・ヨンジュンを崩したみたいなこんな顔の人、ニュータウンにいたかしら?チラシの文面から判断すると、おそらく最近住み始めたよそ者ね。信用して大丈夫なのかしら?」こんな疑問符だらけの感想が代表的なところでしょうか。初めて電話で問い合わせるだけでもかなり躊躇なさったに違いありません。

これから皆さんにご提供するサービスの品質について私がいくら自信を持っているとしても、まだ福島県内での実績はゼロ。将来の実績も未知数。それにもかかわらず、誕生したばかりの当塾の可能性に賭けてみようという皆さんのご決断に感謝いたします。

何年か後には「やはり、あの時の入塾の決断は正しかった!」と2004年初夏を思い起こしていただけるようになると私は信じています。今年は、このままでは政治不信とアテネオリンピックしか記憶に残りそうにない気配。しかし、     Who is he?        「いや、それだけではない。自分にとっては、いい塾との出会いの年でもあったのだ。」そんな記憶を皆さんに残していただけるようにしたいと思います。

私はこの地に住むことに大きな希望を持っています。思い起こせば、ここ国見町に住むことは小学校時代の私の夢でした。長いこと忘れていましたが・・・。実は、町内の光明寺(岩淵遺跡の周辺)に父方の祖父母の家がありました。物心つかないうちから小学校時代にかけて、夏になると数年に1度の割合でそこに足を運んでいました。当時はクヌギにナラにウルシ等の雑木林がかなり残っていて、カブト虫やノコギリクワガタにオニヤンマがたくさんいました。湧き水はもちろん食べ物良し、景色良し・・・この世の楽園だと思っていました。憧れの職業は農業か林業。

いつの間にか塾の教師になっていますが、今でもその気持ちに変わりはありません。午前中は晴耕雨読、午後から夜にかけて塾教師に変身。これが私の理想です。両者には「大切に育てる」という意味で共通点があります。違いは、作物を育てるか人間を育てるかに過ぎません。

ここでの生活に慣れるまで、しばらくの間作物を育てることを考える余裕はないと思います。まずは、人を育てることに専念し、皆さんの信頼を得られるように努力していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。