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佐野塾通信 LIBERO

佐野塾通信 LIBERO

佐野塾通信LIBEROって何?

子どもは塾で勉強、親はただお金を出して子どもを送迎するだけ・・・これが多くの塾と家庭との関係です。しかし、これではあまりに味気なさ過ぎます。時にはラテン系の人々を見習って、「もっと人生楽しくやろうよ。」みたいな遊び心も必要でしょう。

ズバリ、佐野塾通信LIBERO (リベロと発音します)とは「塾講師をやっている閑人が読者に向けて自由に書き綴った文書」くらいに思っていただければ結構です。ちなみにLIBEROとは、イタリア語で「自由な、暇な」という意味です。

サッカーやバレーボールのポジション名としてなら、ご存知の方がいらっしゃるかもしれません。それをヒントに、私なりにいろんな意味を込めています。「皆さんが暇な時、私の正体を知るのに役立つ文書」「井戸端会議で話のネタが尽きた時、話題(それとも、笑い?)にできる暇つぶし用文書」・・・「いつも閑古鳥が鳴いている暇な塾が、やることがないので仕方なく出す文書」この意味だけは込めていないつもりですけど、実は笑えないところがつらい(^_^;)。

私の十代の頃とは随分変わってしまった現代、特にあの大震災後は、先行き不透明なことが次々に発生し、不安になるお子さんや保護者も少なくないでしょう。そんな方々にホッとしていただける場の1つとして、LIBEROを充実させていきたいと思います。 

佐野塾通信LIBEROの目次

2020.11.22 塾講師という仕事(第106話:ある高3生の巣立ち)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

この秋、1人の高3生が塾を巣立っていきました。東日本大震災の約1年後の2012年春、小学4年生で入塾して以来今年度で9年目に入っていました。在塾期間は過去最長で、当塾が長期的な視野に立って取り組んだ小中高一貫教育が成功したユニークな事例となりました。巣立っていったのは、以前第102話で1度登場してもらったT君です。そこで、今回はT君のその後を追い、通塾9年目の巣立ちの経緯をご紹介しましょう。


彼は、まだ小学生になって間もない頃、近所に引っ越してきました。あの東日本大震災よりも前のことです。大震災直後に水の確保に困っていた時は、彼と彼のご家族にとても助けていただきました。彼の母上の実家は、町内屈指の良質な湧水が出る石母田にありました。そこに住む彼のお祖父さんお祖母さんから貴重な井戸水を何度か分けていただいたおかげで、私と私の家族は震災直後の断水の危機を脱することができたのです。

さて、入塾したての頃は泣き虫だったT君が、その6年後の高校受験の時に伊達市の聖光学院機械科へ進学先を決めたところまでは、第102話でご紹介したとおりです。

その後、彼は高校生活で2つの目標を自らに課しました。1つは、在学中の3年間学費が半額で県立高校より安いという特待生の地位、つまり校内で突出した成績優秀者の座に君臨し続けること。もう1つは、高校卒業後の就職に有利な資格を数多く取得すること。

彼は見事にその目標を達成しました。有言実行とはこのことです。まず、高校ではクラスでトップの成績を取り続け、その座を他の子に譲ることは1度もなかったそうです。

これまでに取得した資格も質・量共に見事というほかありません。どの資格試験も筆記試験と実技試験から成り、その多くは実技の難易度が高い。そんな試験を彼は独学と学校の指導で次々に突破していきます。これまでに第一種電気工事士、機械検査技能検定をはじめ22の資格取得に成功し、全国ジュニアマイスター顕彰で特別表彰されました。受賞者は全国でわずか200名だそうですから、これには脱帽!(^o^)/

学業ばかりではありません。彼は小学生からスポーツ少年団で始めたバレーボールを中学はもちろん高校でも続けていました。チームの司令塔セッターとして活躍し、コロナ禍での高3最後の福島県大会では3位という好成績で締めくくって引退しました。


そんな彼を塾はどう支援してきたか?まず、高校に進学して間もない頃、彼の母上から部活動の定休日である毎週火曜日限定での学習指導を依頼されました。指導教科は、彼にとって独学だけでは自信のない教科。例えば、化学基礎、現代社会、物理基礎、日本史、数Ⅰ、数Ⅱ。意外にも英語指導の依頼はありませんでした。英語を独学する力が身についていたということですから、これは喜ばしいことです。

どの教科も、大学受験向けのハイレベルな内容まで踏み込むことはしませんでした。高校で使用している教科書の基本単元を習得させ、学校の定期試験で高得点させるための授業を続けてきました。高3に入ってからは就職試験対策を追加します。公務員にするか民間企業にするか?悩んでいましたが、最後は某大手事務用機器メーカーを選択。1学期期末テスト終了後の約3か月半は、SPI(学力試験)と小論文の対策に絞った特訓授業を行いました。

そして、10月半ばに実施された就職試験。無事に入社の内定をもらいました。テレビCMもよく流れているので、国内でその企業名を知らない人はほとんどいないでしょう。予定より数日早く内定の連絡がきたそうです。人事担当者はよほど彼を採用したかったに違いありません。

就職試験も終わった塾の最後の授業は数Ⅱ。授業終了後に私はT君にこう尋ねてみました。「もし福島工業に進学していたら、こんなに充実した高校生活が送れたかな?」すると、彼はこう即答しました。「少人数で、先生方の面倒見がとても良くて、聖光学院を選んで本当に良かったと思います!」聖光学院の先生方にぜひ聞いていただきたい一言ですね。(^_^)


こうして、長いことT君と接してきた私は、彼から重要なことに気づかされました。

1つは、子どもの発達の仕方には大きな個人差があるということ。もちろん昔からわかってはいましたが、改めて再確認させられました。つまり、小学校で既に早熟さを発揮する子もいれば、中学校から急成長する子もいるということ。T君は、小・中学校段階ではまだ頭角を現すことができたとまでは言えません。もし中学卒業時点で福島工業を受験すれば、上位合格するレベルには達していましたけれども・・・。彼の学力が急激に伸びたのは、明らかに高校進学後の3年間です。

彼がこういう成長の仕方をした最大の原因は、彼の誕生日だと思われます。3月20日生まれの一人っ子ですから、例えば同学年の4月生まれの子と比べれば、発達の仕方に1年近い差が生まれるのはやむを得なかったのでしょう。小・中学校段階の成績だけで、その子の能力を見極めた気になることの危険性を思い知らされます。


もう1つ、彼から気づかされたのは、今後の塾業務の新たな可能性です。

実は、当塾では私立高の塾生は意外にもT君が初めてで、高校生の就職試験の対策授業をしたのも初めてでした。中でもSPIという学力試験の内容には驚かされました。東京の塾で中学入試の算数を指導していた頃、よく見かけた問題が多数出題されていたからです。その文章題は数学の手法で下手に方程式を組み立てて解こうとすると、かえって複雑になって解くのに時間を食いつぶしてしまいます。そんな時は、算数的手法でサクッと解いたほうが短時間で正解を出せるものです。T君はそのことをすぐに理解してくれました。小学校の授業で蒔いておいた種がついに芽を出したなと感じました。

東京からこの地に移住して間もない頃を思い出します。中学受験の需要がほとんどなく、算数の難しい問題が解けるようになりたいという意欲のある子がゼロに等しい現実に、私は物足りなさを感じていました。本当は小学校高学年で、ある程度ハイレベルな算数の問題を解くトレーニングを積み重ねると、県立高校入試の数学・理科の比較的難易度の高い問題の解析能力が格段に向上することがわかっていただけに・・・。

しかし、T君の就職試験対策を通じて、福島県に住み始めて以来長い間使い道のなかった中学入試用算数の指導技能が活かせる場をようやく探し当てたと感じました。高校生向けの授業については、大学受験指導以外でも貢献できる可能性が開けたのです。

実は、福島県の高校生の大学進学率は現在45%前後で、男子が40%強、女子が50%弱。短大進学も含めると、納得できる数字です。ということは、それ以外の半数を超える高校生にとって、卒業後の選択肢は2つ。専門学校へ行くか?それとも就職するか?いずれかにほぼ絞られます。なぜこの事実の持つ意味に長いこと気づかなかったのか?

そういえば、当塾の中3での卒業生の中には、高校(福島商業)卒業後に町役場の職員になったS君のような子もいます。あれは確定申告の時でした。町の職員となったS君に私の低い所得を見られて、とても恥ずかしい思いをした記憶があります(>_<;)。

高校卒業後に就職する子が少なくないのなら、高校生の就職試験対策をやる塾があってもいいはずです。こうした経緯から、今後は高校生の就職試験対策を塾の業務に追加することを決意しました。塾を巣立っていったT君に、この場を借りて感謝したいと思います。就職希望の高校生を支援するという新たな業務の可能性に気づかせてくれたのですから。

あの大震災の危機を井戸水で救ってくださったT君のご家族には、9年かけて恩返しができたかなと思っていました。しかし、T君にはまた新たな借りができたようです。この借りは、今後高校部の業務を充実させ、1人でも多くの高校生を救うことによって返していこうと思います。


最後に余談を1つ。T君は4月から新社会人として福島市の職場まで自力で通勤しなければなりません。そこは駅から遠いので、自動車での通勤が最適。しかし、今年度も大詰めの3月20日にようやく満18歳を迎える彼が、入社日までに自動車免許を取得し、かつ自力で安全に通勤できるようになるのは難しそうです。それとも、彼は不可能を可能にしてしまうのか?いずれにせよ、初心者マークを付けた自動車を運転する彼の姿を見る日が楽しみですね(^_^)。