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福島県伊達郡国見町板橋南
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佐野塾通信 LIBERO

佐野塾通信 LIBERO

震災後のLIBEROの目次

2018年度

2018.10.20 第105話:平成最後のワールドカップ

2018.07.16 第104話:ロシア人のセンスに脱帽

2018.06.10 第103話:やっとわかった!

2018.05.02 第102話:初物尽くし

2017年度

2018.03.10 第101話:進路決定秘話

2017.12.07 第100話:川崎フロンターレ優勝の意味

2017.10.30 第99話:開塾直前の思い出

2017.10.06 第98話:内申点がもたらす影響

2017.09.08 第97話:1993年と2017年

2017.07.03 第96話:歴史の教訓

2017.06.05 第95話:サクラサク

2017.05.08 第94話:昨年度の県立高入試結果から

2016年度

2017.03.10 第93話:ひと足早い開花宣言

2017.02.03 第92話:県立高校入試問題から見えるもの

2016.12.06 第91話:危険があぶない?

2016.11.10 第90話:2つの大国の政治判断

2016.10.04 第89話:続平成のうさぎ跳び

2016.07.06 第88話:英語教科書更新の影響

2016.06.04 第87話:平成のうさぎ跳び

2016.05.09 第86話:18歳選挙

2015年度

2016.03.04 第85話:対岸の火事

2016.02.08 第84話:Ⅰ期選抜で通用する内申点

2015.12.02 第83話:修学旅行

2015.11.17 第82話:形式より内容

2015.10.19 第81話:護憲道

2015.06.10 第80話:中学校生活への適応

2014年度

2015.03.06 第79話:東北人の先進性

2015.02.13 第78話:中3公民の重要ポイント

2014.12.05 第77話:「男らしい」とは?

2014.11.11 第76話:スマホとの付き合い方

2014.10.03 第75話:ミッション・インポッスィブル

2014.09.01 第74話:サッカー談議

2014.07.07 第73話:南米の底力

2014.06.10 第72話:16年前の思い出

2014.05.12 第71話:白石高校普通科の合格者誕生

2013年度

2014.03.05 第70話:県立高校入試直前

2014.02.07 第69話:願いは叶う

2013.12.02 第68話:偏差値40台の県立高校

2013.11.06 第67話:東北に初の歓喜

2013.10.01 第66話:猛獣誕生

2013.07.01 第65話:対照的な進学例

2013.06.17 第64話:算数・数学学習の心得

2012年度

2013.03.03 第63話:気合の入れすぎ

2013.02.03 第62話:教科書改訂と検定試験

2012.12.05 第61話:サッカーとバレーボール

2012.11.05 第60話:昔を懐かしむ

2012.10.01 第59話:日本海へ

2012.07.09 第58話:自主勉用ノート?

2012.06.06 第57話:入試問題の難易度設定

2012.04.09 第56話:中3卒業生の受験奮闘記+お知らせ

2011年度

2012.02.04 第55話:学力とは?

2011.12.04 第54話:激戦予想?

2011.10.03 第53話:不敗神話

2011.07.08 第52話:宮城県の学校情報

2011.06.14 第51話:合格率100%

2011.04.18 第50話:東日本大震災

2018.10.20 塾講師という仕事(第105話:平成最後のワールドカップ)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

日の入りが早くなり、夜は東の空にオリオン座が見えるようになりました。朝晩はかなり冷え込み、10月とは思えないほど寒い秋です。平成最後の夏の暑さがあれほど過酷だったのが、嘘のよう。塾生は、体調管理に気をつけましょう。

さて、今回は平成最後の過酷な夏をサッカーを通して思い出してみます。今年は4年に1度のワールドカップ年。それにもかかわらず、私にとってはこれまでの人生で最もテレビ視聴時間の短い夏となりました。結論から言えば、2018年ロシア大会への興味が半分くらい失せてしまったからです。


理由の1つは、大会がある度に私が注目している強国イタリアとオランダが共にヨーロッパ予選で姿を消してしまい、この2チームの試合を本大会で見られなかったこと。

私がサッカー狂になったきっかけは、昭和時代の1974年西ドイツ大会のオランダ対ブラジルの録画映像を見てしまったことです(第07話)。私の人生に大きな影響を与えた1試合。この試合でオランダの2点目となる美しいジャンピング・ボレーシュートを決めたヨハン・クライフは、以来私のアイドルになりました。残念ながら、2年前にこの世を去ってしまいました。この試合を宮城県名取市に住んでいた多感な時期に見る機会がなければ、その後私がサッカー狂になることはなかったかもしれません。

この試合は24年後まで続く物語の始まりでもありました。この大会でブラジルを率いていたザガロ監督は、1998年フランス大会で再びブラジル代表監督となり、ついに準決勝で宿敵オランダと再戦することになります。試合は1-1のまま延長戦でも決着がつきませんでしたが、ブラジルはPK戦の末オランダを下し、決勝に進出しました。爺さんとなったザガロ監督は、ついに24年前の屈辱を晴らしたのです。あの時の敗戦がよほど悔しかったのでしょう。彼は喜びを爆発させ、泣きじゃくっていました。「ついに、オランダをやっつけたぞ!」とでも言わんばかりに。しかし、オランダ戦で燃え尽きてしまったのでしょう。地元フランスとの決勝戦は0-3であっさり破れ、フランスのワールドカップ初優勝を許すのです。

オランダって、不思議な国です。国内リーグは、かつてクライフが所属していた名門チームが相変わらず健在であるものの、今や事実上若手育成リーグ。ここで才能を見出されると、将来有望な若手選手はスペイン、イングランド、イタリア、ドイツの名門クラブへ巣立っていきます。代表チームは本大会に出場すれば、毎回優勝候補に挙がります。実際に、高い確率で上位まで勝ち上がり、ブラジルと同様本大会1次リーグでの敗退はまだ見たことがありません。試合をやれば、負けても完封されることはほとんどなく、1-2または2-3で惜敗する試合ばかり。攻撃力は世界屈指で、クライフが代表を離れた後も今に至るまで優秀なストライカーが次々に出てきます。その点は本当に羨ましい限りです。

ところが、ここ一番の勝負に弱く、過去3回も決勝進出を果たしているのに、その3回とも準優勝。1980年代や2002年日韓大会もそうでしたが、ヨーロッパ予選でヘマをして、本大会出場を逃すことがよくあります。

ちなみにオランダが完封負けした試合を初めて見たのは、8年前の2010年南アフリカ大会決勝の対スペイン戦です。スペインの守備に攻撃をことごとく封じられ、0-0のまま延長後半でついに決勝ゴールを奪われて三度目の正直はならず、またも優勝を逃すのでした。ちなみに、スペインの決勝ゴールを決めたのは、現在ヴィッセル神戸に所属するあのイニエスタ。

4年前の2014年ブラジル大会準決勝の対アルゼンチン戦もよく覚えています。この試合は、延長戦でも0-0のまま決着がつかず、最後はPK戦でアルゼンチンに屈したのでした。何だかイタリアに似てきたな・・・。


次はそのイタリア。この国の代表チームを本大会で見られなかったのは、この夏が初めてです。それもそのはずで、イタリアが過去本大会出場を逃したのは、1958年スウェーデン大会以来だそうで、実に60年ぶりだとか。今回自国代表チーム応援の楽しみを生まれて初めて失ったイタリア人が、この夏どんな過ごし方をしたのか?ご存知の方がいらっしゃったら、教えてください(^_^)。

そのイタリアは、攻撃力のオランダとは対照的に、伝統的に守備の堅い粘り強いチーム。サッカーの魅力として攻撃を重視する人の目には、イタリアのサッカーは退屈だと映るかもしれません。「イタリア人男子は皆マザコンとナンパ師ばかり」などという偏見を持っている人は、イタリア対ブラジル、イタリア対ドイツの試合でも見てみてください。イメージが完全に覆されるでしょう(^_^)。

例えば90年代のイタリア。1990年地元イタリア大会準決勝では、1-1のまま延長戦でも決着がつかず、PK戦でアルゼンチンに屈します。1994年アメリカ大会決勝では、延長戦でも0-0のまま決着がつかず、PK戦でブラジルに屈します。1998年フランス大会準々決勝では、延長戦でも0-0のまま決着がつかず、PK戦で地元フランスに屈します。3大会連続して延長戦にもつれ込み、最後はPK戦で散るのです(>_<)。ここまでPK戦に弱いとは笑えますが、そのPK戦に至るまでの鉄壁の守備力と優秀なゴールキーパー・・・日本に一番欠けている力をイタリアは持っているのです。

その守備のイタリアと攻撃のオランダがワールドカップ本大会で対戦したら、どうなるか?実は1度だけ見たことがあります。あれは1978年アルゼンチン大会で、決勝進出のかかった大一番。今や東日本大震災ですっかり霞んでしまった宮城県沖地震のあった年です。NHKが初めてワールドカップの試合を中継しました。決勝戦以外は録画でしたが、その映像を日本人の多くが初めて見た大会でした。私もその一人。

試合はまず、オランダのDFブランツのオウンゴールでイタリアが先制。しかし、そのブランツが30m以上の距離から強烈なシュートを決めて同点。自分のミスを帳消しにします。後半、人間業とは思えない決勝ゴールが生まれます。推定40mの距離からアリー・ハーンが右足で放ったシュートがゴールキーパー、ディーノ・ゾフをあざ笑うかのようにイタリアゴールの右上の方向に曲がり、右ポストを叩いてゴールネットに吸い込まれました。決まったこと自体も驚きでしたが、あの位置からゴールを狙う気になったハーンの感性が信じられませんでした(@_@;)。守備の堅いチームは、こんなふうにしてねじ伏せるのさ。オランダにそう教えられた試合でした。

我ながら、昔のことはよく覚えているな。最近のことは、よく忘れますけど(^_^)。興味が失せた1つ目の理由をご紹介しているだけで、過去の思い出が次々に蘇ってきて、ついこんなに長話に・・・話を元に戻します。


興味が失せたもう1つの理由。それは、大会を2ヶ月後に控えた4月になってから、協会が代表監督をハリルホジッチから西野朗に替えてしまったこと。その点について納得できる根拠が協会から説明されることはありませんでした。まるで「本番前の数回の模擬試験の成績で合格判定が出ない」という理由だけで、志望校を無理矢理変更させられた受験生を見ているかのようで、とても残念でした。

でも、本番の代表の試合には、やはり自然に力が入りました。西野監督は、あの重圧の中でよくやったと思います。まず、運を味方につけて1次リーグ突破に成功。ベスト16の壁は厚く、今回も力尽きましたが、ベルギーサッカー史上最強であろうあのチームを相手に期待を上回る内容の戦いを見せてくれました。

1次リーグ第3戦のポーランド戦では、まだリーグ突破を決めていない状況で、あそこまでメンバーを落として試合に臨んだのには驚かされました。案の定、ポーランドはあのメンバーで試合に臨んだ日本を勝たせてくれるほど甘くはありませんでした。先制された後、あの先発メンバーでは勝てる雰囲気がほとんど感じられなくなった、そんな時でした。1次リーグ突破を賭けて同時進行していたコロンビア対セネガルの試合で、コロンビアが先制したとの吉報が入ります。

ここで、西野監督は大きな賭けに出ました。ポーランド戦を0-1で負けたまま試合を終わらせ、コロンビアがセネガルに勝つことを信じて、他力本願で1次リーグ突破を狙いにいったのです。成功すれば、決勝トーナメント1回戦に向けて選手の体力の消耗も避けられます。もしセネガルが同点ゴールを決めたら、全ては水の泡。そして、ポーランドに本気で勝ちにいかなかった采配を一生責められたことでしょう。その危険を抱えての大きな賭けでした。西野監督は、その賭けに勝ったのです。西野監督、麻雀相当強そうだなあ(^_^;)。

コロンビアは、第1戦で日本に2014年ブラジル大会(第73話)のリベンジをされ、最終戦は重圧の中で戦っていました。ふと24年前の痛ましい記憶が蘇ってきました。今大会のコロンビアは2度とあんな失敗はせず、先制した1点を最後まで守り抜いて勝ちきる可能性が高い。だから、私もその手しかないと思いました。

その24年前の記憶とは、1994年アメリカ大会の1次リーグです。当時優勝候補の1つに挙げられていたコロンビアは、開催国アメリカに1-2で負けてしまい、1次リーグで敗退という苦い経験をしています。大番狂わせでした。苦いなんていうものではありません。アメリカにオウンゴールを献上してしまったディフェンダーのエスコバル選手が、サッカー賭博に負けて激怒した自国のマフィアに射殺されるという痛ましい事件が起こったのです(>_<;)。「自殺点」という表現が日本のサッカー用語から消え、英語のままown goal(オウンゴール)と呼ぶようになったのは、その事件がきっかけだと記憶しています。

それにしても、本番がハリルホジッチ監督だったら、どういう采配を見せてくれたのか?その楽しみが幻となってしまったことは、とても残念でした。彼ならポーランド戦のメンバーをあそこまで落とさず、1次リーグを1位で抜ける方法を考えたはず。だって、グループ2位では、仮にベルギーに勝ったとしても、次の相手はブラジル。その次は、フランス対アルゼンチンの勝者が相手でした。いくら何でも、過去優勝経験のある強敵が次々に立ちはだかるブロックを日本が勝ち抜く確率は、0%に近かったのです(>_<)。

ところが、もう一方のブロックは対戦相手に恵まれていました。ベスト16でイングランドを下し、ベスト8でスウェーデンを下してベスト4まで勝ち上がる道を彼なら本気で模索したんじゃないか・・・なんてね(^_^)。日本はまだサッカー発展途上国ですから、本気で倒そうと強豪国から研究されるほど強くありません。でも、既にイングランドに恐怖を与えるレベルには達していると思います。イブラヒモビッチのいないスウェーデンにも負ける気がしません。

くどいようですが、今大会はイタリアとオランダがどちらもいなかったのです。少なくともベスト4まで辿り着く大きなチャンスだったかもしれないのに・・・暑い夏は私の頭の中も熱く、そう思っていました。

しかし、秋になって頭が冷えると、考えが変わりました。今大会4試合の日本の総得点は6点、総失点は7点。オランダやブラジルやアルゼンチンのような攻撃力があれば別ですが、いくら何でも失点しすぎです。今の日本の守備陣とゴールキーパーのレベルでは、強敵を相手に1-0で勝ちきる試合がまだできません。ベスト8やベスト4までいくには、まだまだ力不足だと感じました。


やはりサッカーを話題にすると、こうなってしまいますね。どこが塾講師の仕事なのかって?あはは、私が塾講師の仕事に必要な勝負師の資質をどのようにして身につけてきたのか?今回の話をお読みになれば、その秘密が少しおわかりいただけることでしょう。(^_^) 

2018.07.16 塾講師という仕事(第104話:ロシア人のセンスに脱帽)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

ネットで見つけた右の写真・・・W杯開幕直前に開催国ロシア国内のある男子トイレに貼られていたという「トイレ使用上の禁止例」のポスターだそうです。

要するに、「殿方は、トイレを使う時に彼らの真似をしないでね!」という意味。彼らとは、絶好調時のアルゼンチン代表のエースのメッシ、ポルトガル代表のエースのロナウド、元ブラジル代表のエースのロナウジーニョ、元スウェーデン代表のエースのイブラヒモビッチ。ピーク時から下り坂になった元フランス代表のエースのベンゼマ。最後は、開催国のロシア代表。

今大会のロシア代表を除き、彼ら5人のプレーをよく知っている私は、思わず噴き出してしまいました。特に感心したのは、このデザインを考えたロシア人(?)がサッカーをよく知っていること。さらに、「ロシアのレベルなんて、まだこんなものさ!」と、自国の代表チームをお漏らしした幼児に見立てる冷静さ。

ところで、まさかこのポスターのアイデアを女子が考えついた、なんてことはないよね?いや、考案者がもし女子だとしたら、彼女と一緒に飲んでみたいものです(^_^)。いずれにせよ、ロシア人にこういうセンスがあったとは・・・脱帽。でも、考えてみれば、笑いのセンスって国境を越えた個人的なものですよね。自分の偏見を反省させられます。

一方、今の日本で、こういう自国の代表チームを茶化すようなセンスを許してくれるかどうか?・・・年がら年中「ニッポン、ニッポン」わめいている輩が目に余る現状からすると、疑問だな。(>_<)


今や国内では貴重な「女子校」塾と化した佐野女学館で、こんなことを話題にするのはどうか?少し迷いました。でも、野獣(=男子)という生き物が普段何を考えているかを知るのに、少しは参考になるかも(^_^)。また、「ロシア人って、アメリカ人なんかより頭良さそうね。」「ロシア語って、わけわかんないけど、意外におもしろいかも。大学進学後、本気でやってみようかしら。」なんて言い出す女子が出てきたら、おもしろいですね。現在英語がそこそこできる日本人は掃いて捨てるほどいますが、ロシア語が読める日本人って滅多にいません。だから、大学進学後しっかり勉強すれば、将来特殊技能の持ち主として貴重な存在になれるはずです。

2018.06.10 塾講師という仕事(第103話:やっとわかった!)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

西城秀樹がこの世を去ってしまいました。2011年3.11の大震災から約2ヶ月後に他界した親父の命日と同じ日に、こんなにも早く。7年前のあの日の天気も、まさにブルースカイブルー。西城秀樹の訃報から少なくとも一週間、特別彼の大ファンだったわけでもなかった私でさえ、大きな喪失感があります。一人の歌手の死に、これほど切なさを感じたのは初めてのことです。なぜこんな気分になったのか?今回は、この喪失感と切なさの意味を考えてみようと思います。

彼の訃報後、有線や車の運転中ラジオから流れてくるブルースカイブルーを聴いているうちに、両親と兄弟3人の家族5人で暮らしていた少年時代の記憶が蘇ってきました。それだけではありません。母の告別式があった2002年春、快晴の空に桃が一斉に開花した記憶までが蘇り、切ない気分になって目頭が熱くなってくるのには、我ながら驚きました。あの年も、今年と同様桃の開花が例年になく早かったのです。


思えば、私の小中高時代・・・いつもどこかで西城秀樹の歌が流れていました。初めて聴いたのは小学生の時。その曲は「情熱の嵐」だったと記憶しています。

君が~望むなら♪「ヒデキ~」命をあげてもいい♪「ヒデキ~」恋のためなら悪魔に心を渡しても悔やまない~♪「キャ~」・・・

彼の初期の歌の中でもう一曲印象に残っているのは、「激しい恋」。

やめろと言われても♪「ヒデキ~」今では遅すぎた♪「ヒデキ~」激しい恋の風に~巻き込まれたら最期さ♪

この2曲の共通点は、観客のお姉さん達の「ヒデキ~」という絶叫が必ず入ること。当時、奇声を発する彼女達の気持ちが全くわかりませんでした。お姉さん達はなぜ発狂するのか(@_@)?また、声という名詞に「黄色い」という色を表す形容詞をつける場合があることも初めて知りました。当時西城秀樹のブロマイドを集めていた同級生の女子に、一体どこからあんな黄色い声が出るのか尋ねてみましたが、ニヤッとするばかりで、まともに応えてもらえませんでした。「野獣なんぞにわかるものか!」とでも言わんばかりに(^_^;)。

「激しい恋」については、痛い思い出があります。ある日、学校で同級生(♂)と悪戯をしていたところを先生(♀)に見つかった時のこと。「こら~、やめろ~!」私はその怒声に危険を感じ、固まってしまいました。ところが、一緒にいた能天気な同級生が、そのタイミングで驚くべき反応をしたのです。「やめろと言われても♪ヒデキ~!」あの振り付けを交えて。私は思わず大爆笑(^o^)。これが先生の怒りの火に油を注いでしまったのは言うまでもありません。思いっきり力のこもったゲンコツを頭に喰らいました(>_<;)。


「ヒデキ~」の声こそないものの、お姉さん達の絶叫の頂点は、ライブでの「傷だらけのローラ」でしょう。西城秀樹がローラ~♪と歌うや否や、観客席からこの世のものとは思えない「ローラ~」の黄色い絶叫。数十年振りに西城秀樹の歌を聴いてみたくなり、アップされているYouTubeの動画を見てみました。それは驚きの連続でした。

中でも1974年大みそか、紅白歌合戦に初出場して白組トップバッターを務めた西城秀樹の「傷だらけのローラ」は圧巻です。当時、私はテレビで同じ映像を見たはずなのに、彼のパフォーマンスの革新性に全く気づきませんでした。まだ野獣だったから仕方ありませんけど。髪型は当時主流の長髪。世界的な流行だったのでしょう。LIBERO(第07話)の写真でご紹介した1974年ワールドカップ西ドイツ大会で準優勝したオランダ代表選手の髪型はもちろん、優勝した西ドイツ代表選手の髪型も4位のブラジル代表選手の髪型もそうでした。それにしても、弱冠19歳にして、何という驚くべき歌唱力。あんなに力強い歌い方のできる若手歌手って、他にいたでしょうか?今見てもカッコイイと思います。

筋金入りの秀樹ファンのお姉様からお叱りを受けることを承知で言うと、今になってやっと彼の偉大さがわかりました。ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんの気持ちが今やっとわかったのです。当時、「ヒデキ~!」「ローラ~!」と絶叫していたお姉さん達は、発狂などしていないどころか、鋭い感性の持ち主だったこともわかりました。不世出の歌唱力とルックスを兼ね備えた至宝の誕生を彼女達は敏感に感じ取っていたのです。


そんな彼の数あるヒット曲の中で最も有名なのは、「ヤングマン」でしょう。ちなみに、私の高校の卒業アルバムにも、同級生が4人でYMCAの人文字を作った写真が載っているほどです。カラオケで最も歌い易い西城秀樹の曲を選ぶなら、真っ先に思いつくのは「ヤングマン」。

福島県に住み始めてからは1度も行っていませんが、東京在住の頃はカラオケ好きの同世代の友人と飲んだ後、何度か一緒にカラオケへ足を運びました。懐かしさを求めて。カラオケボックスは、あまり利用しません。歌える飲み屋で、酒の力を借りて大勢の客の前でマイクを使い、思い切って歌うのです。どうせ飲み屋の客は皆ただの酔っ払い。人の歌なんか、まともに聴いていないし。

しかし、これまでなぜか西城秀樹の曲だけは、ほとんど歌った記憶がありません。例外は「ヤングマン」くらいかな。世良正則(古いねえ)、玉置浩二、徳永英明・・・歌唱力の高い彼らの曲でも平気で歌っていたのに、なぜ西城秀樹の曲だけ歌わなかったのか?

彼の訃報後、YouTubeの動画を見ているうちに、その謎が解けました。まず、歌うのが照れ臭くなるような歌詞の曲の多いこと。「ちぎれた愛」なんて、シャイな私にはやっぱり無理(^_^;)。でも、酒の力を借りれば不可能でもなさそうです。最大の理由は、西城秀樹だけは歌の上手さが突出していてとても真似できないからで、無意識のうちに避けていたのだと思います。あの力強いハスキーな声に超高速ビブラート・・・あまりにレベルが高すぎて、自分には手に負えなかったのです。


ところで、東京の塾で仕事をしていた頃、西城秀樹の名は小中学生の歴史の授業でよく使わせてもらいました。「忘れそうになったら、こう理解するといい。西城秀樹じゃないからといって東城秀樹でもない。正確には東条英機だ。同じヒデキでも大違い。漢字だけは正確に覚えろよ!」みたいな。この説明の仕方は、さすがにもう使えなくなりました。1度くらい見たかったのですが、残念ながら西城秀樹はもちろん東城秀樹と書いた生徒の答案には1度もお目にかかりませんでした(^_^)。


彼に親近感を抱くようになったのは比較的最近で、実は福島に住み始めてからのことです。震災前、NHKの「やさいの時間」という番組を偶然目にしました。そこでは、西城秀樹が畑で野菜作りをしている映像が流れていました。以前LIBERO(第36話)(第43話)(第47話)でご紹介しましたが、番組が放送されていた頃、私も知人から畑を借りて野菜作りを始めて半農半塾生活を楽しんでいる真っ最中でした。それ以来、西城秀樹の存在を身近に感じるようになります。彼が農作業をして、収穫した野菜で作るハウスバーモントカレーの新バージョンCMまで期待したんですが、実現しませんでした。ちなみに、彼の野菜作りには脳梗塞のリハビリの意味があったことを知ったのは、つい最近のことです。


次も、彼の訃報後初めて知った事実。西城秀樹は川崎市民で、今やJ1を代表する強豪クラブに成長した川崎フロンターレ(LIBERO第100話参照)を黎明期からずっと支えた功労者だったそうです。毎年7月のある日に川崎の等々力競技場のホームゲームに呼ばれ、会場内のサポーターと一緒に「ヤングマン」を歌って踊る恒例行事に参加していたとか。芸能事務所が知ったら卒倒しそうな低いギャラだったにもかかわらず、男気だけで駆けつけてくれたそうです。ますます気に入りました。秀樹ファンの川崎市民にとっては、たまらない恒例行事だったことでしょう。

今年からその機会を失い、5/20は西城秀樹追悼試合となり、フロンターレにとっては絶対に負けられない戦いとなりました。その対戦相手は清水エスパルス・・・偶然とは思えません。静岡県の清水と言えば、「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこの出身地で、ドラマの舞台。まる子ちゃんのお姉ちゃんが、筋金入りの秀樹ファンであることは有名です。「走れ正直者」は西城秀樹が歌っていました。西城秀樹追悼試合として、これ以上ふさわしい対戦カードと試合会場は考えられません。この試合は、名手中村憲剛の2発のゴールを含む3-0でフロンターレが勝利。憲剛にとっても忘れられない試合の1つになったことでしょう。


失ってみて初めて、それがかけがえのない宝物だったと気づくことがあります。そして、失う前にその価値に気づかなかったことを悔やむことになります。私にとって西城秀樹とは、そんな歌手だったのです。冒頭で述べた喪失感と切なさの意味がやっとわかりました。


最後に、開塾以来初の野獣ゼロという女子校状態で2018年度のスタートを切った当塾ですが、彼女達塾生に西城秀樹の「傷だらけのローラ」から抜粋したメッセージを送りましょう。

今~君を救うのは~目の前の僕だけさ♪ 

2018.05.02 塾講師という仕事(第102話:初物尽くし)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

今年もいい季節がやってきました。暑すぎる日が目立つのが気になりますが。さて、今回は昨年度の高校入試結果を総括します。塾生の進学先は以下のとおりです。合格者の皆さん、おめでとうございます。

☆聖光学院高(機械)1名     ☆聖光学院高(情報電子)1名

☆橘高:1名          ☆福島北高:1名

☆福島工業高(機械)1名    ☆福島成蹊高(普通)1名

☆福島明成高(生物生産)1名   ☆保原高(普通)1名

学校名を並べただけでは、特別驚きは感じないでしょう。しかし、今回はこの結果に至るまでの個々のプロセスがドラマチック。私にとっては開塾以来屈指のスリリングな年となりました。


まずは、小4からの塾生であるT君。当初第1志望は福島工業(機械)でした。学校成績はⅠ期選抜で十分通用するし、冬期講習の作文対策で見事な内容が書けるようになったので、満を持して送り出しました。滑り止めは受ける必要なしと私は思いましたが、彼は1月中旬に手堅く聖光学院(機械)を併願で受験。ところが、この受験結果が彼の運命を大きく変えることになります。

合格はもちろんですが、予想外にも「特待生」のご褒美つき。高校3年間でかかる学費が全て半額になる特権を勝ち取ったのです。ちなみに、当塾からこの学校に特待生で合格したのは、彼が初めて。その後家族で話し合った結果、県立高校に通った場合にかかる全費用より安く、しかも在学中に取得できる資格が想像以上に充実しており、自宅から近いことから、彼は進学を決断したのです。既に提出していたⅠ期選抜の願書は取り下げました。今回の受験で福島工業(機械)に滑り込みセーフだったと自覚している君、T君に足を向けて寝ないようにね(^_^)。

ただ、今後学業に手を抜いて成績が落ちたら、特待生の特権は剥奪されます。当然でしょう。でも、いざとなったら、強~い味方が傍で見守っているのだから、大丈夫!県立高校に進学するよりも良い選択をしたことをこれからの3年間で証明し、貴重な事例を開拓してもらいましょう。


次は、T君とは正反対の選択をしたK君。小5からの塾生です。聖光学院(機械)を併願受験したところまではT君と一緒でしたが、Ⅰ期選抜で福島工業(機械)に合格。当塾の過去の大勢の県工合格者の中で、初のスポーツ推薦枠での合格でした。T君とは小学校からずっと同じバレーボールクラブのチームメイトで、2人ともチームの主力選手です。ご存知のように、K中男子バレー部は中体連福島県大会で準優勝し、東北大会に出場しています。その実績を引っ提げての合格でした。


3人目は、中3夏期講習からの塾生Y君。K中男子バレー部のマネージャーを務め、T君、K君とともに、夏期講習期間中は県大会と東北大会による欠席分の振替授業のハードスケジュールによく耐えて頑張りました。ちなみに、K中の運動部で東北大会までいった例は、当塾では彼らが初めてです。入塾当初は県立高志望でしたが、2学期に入ってから第1志望を福島成蹊(普通)に変更。高校進学後のハードな勉強に耐えられる学力を身につけるため、平常授業は5教科受講し、専願受験で合格しました。


さて、野獣(=男子)が3例続いたところで、今度は女子。凄腕ハンターAさんについては、前回のLIBERO(第101話)でご紹介したとおり。


今回は、橘高に進学したMさんから。3人兄弟の末っ子で、東高に進学した兄上と南高(文理)に進学した姉上の2人も当塾卒業生。3人兄弟の中で最も要領が良く、5段階評定の学校成績は体育以外全て5。以前LIBERO(第98話)で指摘したように、今年から橘は初めて内申点重視に方針転換しました。それはMさんにとって強力な追い風になったはずです。

もし相談を受ければ、こう助言したでしょう。「今の福島県の入試制度なら、2回の受験機会のうち1回をモノにすればいいと冷静に構え、失敗を恐れずに受験するべし。オール5までもう一歩の内申点を持っている子は滅多にいないのだから、橘はⅠ期から狙うべし。たとえ運悪くⅠ期で不合格にされることがあっても、内申点で相当優位に立っているMさんがⅡ期でリベンジできないわけがない。」

Mさんの内申点だと、東高ならⅠ期で合格確実なことはわかっていました。過去に、ほぼ同じ内申点を持っていた塾生が2人とも合格していたからです。そこで、今回は橘のⅠ期選抜で通用するのかどうかをどうしても確かめたいと思いました。でも、残念ながらその機会を失いました。

中学の担任からストップがかかったそうです。理由は、学校成績以外のアピールポイントがないからだとか。随分慎重ですね。実は、担任教師はMさんの性格をよく知っていて、彼女がⅠ期で失敗した場合のダメージから立ち直れるだけの精神力を疑問視し、極度に慎重になったのかもしれませんね。まあ~慎重なのは中学教師の習性のようなもの。最低限の結果が出た以上、それでよかったのでしょうけれど。


次は、2倍近い高倍率のⅠ期選抜で福島明成(生物生産)に合格を決めたMさん。Ⅰ期で生物生産に合格した女子は当塾初。彼女も3人兄弟の末っ子で、福島工業に進学した2人の兄上も当塾卒業生。おもしろいのは、兄弟3人全員がⅠ期選抜で合格。このケースは、当塾ではN家に次いで2例目です。W家はもってますね(^_^)。

おっ、今回の北高のAさんと明成のMさんのⅠ期選抜合格で、1つ興味深い点に気がつきました。小坂在住の当塾卒業生で県立高Ⅰ期選抜に失敗した子は、開塾以来ゼロという事実。Ⅱ期選抜の不合格者は残念ながら1名だけいますが、それでも凄いことです。小坂の子はなぜ勝負強いのか?明成のMさん同様に3人兄弟の末っ子であるAさんが証明してくれましたが、おそらくハンターの血を引いているからでしょう。つまり、農耕民族ではなく、縄文以来の狩猟民族だからではないかと。小坂在住の皆さん、悪く受け取らないでくださいね。私は常に狩猟民族縄文人の卓越した能力と文化に敬意を抱いているのです。写真は、閉校前の小坂小学校最後の運動会で、今はなき小坂季節保育所の園児の演技。当塾のマスコットもこの中にいます(^_^)。


女子の最後は、保原高(普通)に合格したTさん。小5の3学期からの塾生なのに、要領が悪く算数・数学嫌いがとうとう最後まで治らない子でした。塾では数学の問題が解けなくて、よく泣いていたっけ(;>_<;)。私は毎回「これ以上負荷を与えるのはかわいそうかな」と迷いながらも、心を鬼にして接しました。良かった点は、約束どおり中学3年間5段階評定で全教科にわたって1度も2をもらわなかったことです。結局、最後はこれが合格の決め手になったと思います。

受験は長期戦になりました。まず、1月に併願受験した福島東稜高でいきなり出鼻をくじかれます。これが苦戦の始まりでした。ちなみに、併願受験での私立高不合格は開塾以来初めて。2月は、第1志望である福島北高のⅠ期選抜。北高は例年高倍率ですが、今回ばかりは私の知る限り過去最低倍率。ここでTさんに追い風が吹いてきたように思われました。ところが、今年の北高Ⅰ期志願者はK中だけで6名おり、その中でTさんの力は明らかに最下位だとか。おまけに、当日の作文の課題はTさんが最も苦手にしている「時間の使い方」。結果は、Tさん1人だけが不合格。高校入試で連敗スタートというケースも開塾以来初です。何という不運!

そして、滑り止めが確保できないまま3月の県立高Ⅱ期選抜を迎えます。初の定員割れの可能性が高い北高に賭けるか?それとも募集定員を減らして少し高倍率となった保原(普通)に変更するか?難しい決断を迫られました。最後は中学の担任と相談した結果、保原受験に決定。3月14日の合格発表の日、ようやく長い戦いに終止符を打ったのです。

今思うと、最初の受験で黒星スタートした影響が大きかったのです。もし白星スタートだったら、Ⅱ期選抜は北高再挑戦の冒険をしたはず。でも、私立高黒星のおかげで、高額な滑り止め保険料の支払いを免れ、母上の日課に車での送迎が加わって通学に不安がなくなったのです。保原の街には適度な賑わいもあります。そう考えれば、苦しい経験を経て、実は最良の結果になったのかもしれません(^_^)。


最後は、塾生の中で進学先の決定が最も遅れたJ中のM君の奮闘記。入塾したのは何と受験シーズン真っ只中の1月下旬で、当塾在籍期間2ヶ月弱と最短であることも開塾以来初。

実はM君、福島東稜高の専願受験で不合格にされ、そこから難しい戦いが始まりました。今回東稜高には志願者が殺到して、専願・併願ともに多数の不合格者が出たことがわかっています。K中やJ中ばかりでなくD中その他でも目立ったとか。

今回だけの異変なのでしょうか?この学校は看護科が看板で、食物文化科には在学中に調理師免許が取れるという魅力があり、いずれも少数精鋭主義で募集定員が少ないことは知っていました。この学校に志願者が殺到して不合格者が大量に出たという話は、これまで聞いたことがありません。ところが、今回は・・・何らかの方法で、学校が自校の魅力のアピールに努め、成功したのでしょうか?または、昨年度の各中学の進路指導担当教師が皆同じく慎重になりすぎ、安全第一で手堅く受験するよう助言した結果が裏目に出たのでしょうか?

私も、うかつでした。当塾では、これまで私立高を第一志望にする子が稀でした。専願受験だけは失敗が許されないので、不安な子には入念に対策授業をしてきたつもりです。ただ、併願受験については「中学の進路指導に任せたままでも大きな間違いは起こるまい。」という油断がありました。現に、昨年までは私立高併願受験の不合格者はゼロだったのです。今後は私立高の入試説明会に参加して、独自に情報収集しておく必要があるのかもしれません。

話を戻します。元々県立高受験を全く考えていなかったM君は、当然Ⅰ期選抜の願書はどこにも出していません。Y高進学だけは嫌だと釘を刺されました。すると、残ったチャンスは県立高Ⅱ期選抜と私立高2次募集の2回。このいずれかをモノにしなければなりません。

専願受験黒星のショックに落ち込んでいる間もなく、M君は母上と塾を探し始めます。まず地元のB学院に相談したところ、数学・理科・社会の3教科しか受講を認められませんでした。そこで、国語と英語の2教科が受講できる塾を血眼になって探し、偶然にも国見在住の知人から当塾の存在を知ったのだそうです。

体験授業の日は、J中の学年末試験の前日だったため、翌日に控えた数学の対策だけやりました。そのわずか1回の授業が功を奏し、翌日の数学で過去最高得点を更新。それをきっかけに数学の指導までお願いされ、結局週2日で国数英の3教科を担当することになりました。これで、2月は私の休日がなくなりました(@_@;)。

5段階評定がオール3まで程遠い子をどうやって保原の筆記試験で100点に乗せればいいのか?試行錯誤が始まります。まず、国語の読解力が抜群であることがわかり、一筋の光が見え始めます。実はM君、潜在能力の高い子でした。残念ながら保原には届きませんでした。でも、不合格にされたのに、筆記試験でとった点数を全教科冷静に自分の目で確かめたのは偉い!彼は全く沈んではいませんでした。国語と英語でそれぞれ20点台中ごろまで得点できたそうで、ラストチャンスの聖光学院(情報電子)2次募集に向けて大きな手ごたえをつかんだからでしょう。

入試前日の90分が当塾での最後の授業になりました。保原高初黒星の責任を取って、この授業は無料にしました。どんな試験が課されるのか?情報がありません。筆記試験の教科、作文の字数・・・何もわかりません。確実に聞かれることは「中学3年間で何を学び、現在何に興味があり、高校進学後は何をやりたいか?」でしょう。それを論理的に説明する方法を2人で考えました。

他の子にはない彼の特長は、これまで水球を続けてきたこと。J中ではサッカー部。部員の人数が少ないので、練習は5対5ばかり。それなら、高校ではハンドボールでしょう。実は、聖光学院のハンドボール部って強豪だそうです。いい方向で文章が組み立てられていきます。また、彼は映画とパソコンが大好きとのこと。それなら、パソコンを駆使して映像編集をやってみたら・・・と、夢はどんどん膨らみます。

こんなふうにして、彼にしか語れない800字の作文が完成。授業終了時に教室まで迎えに来た母上の前で、M君が仕上げた作文を私が読み上げました。翌日の合格を確信したのでしょう。頷きながら聞いていた母上は涙ぐんで声を詰まらせ、「凄い!神対応です。これで安心しました。本当にありがとうございました。」私の朗読も上手かったのでしょう(^_^)。

翌日の夕方、M君本人から終戦を宣言する電話が入りました。筆記試験では国語の長文読解問題が出題され、簡単だったとか。作文は400字で予想外のテーマだったそうですが、うまく書けたとのこと。前日書いた作文の内容は、特に面接で威力を発揮したそうです。こうして、M君は最後の最後で自分の長所のアピールに成功し、J中の受験生で一番最後に進学先を決めたのです。3月16日のことでした。聖光学院の入試担当の皆さん、ありがとうございます。T君とM君の潜在能力の高さを見抜いてくださって・・・。(^o^)/


全般に初物尽くしでドラマチックな昨年度の受験シーズンは、こうして終わりました。M君との出会いをきっかけに、シーズン最後はいろいろ考えさせられました。財力にものを言わせて、まるで業界のファシズム化を進めているかのようにあちこちにボタ山を築く塾が大きな顔をしていますが、それとは対極にある、奥ゆかしく川底に眠る砂金のような塾運営をこれまで信条としてきました。広告・宣伝が地域貢献に繋がる可能性をまるで考えていなかったのです。でも、ピンチに陥った時に誰に頼ったらいいか?わからなくて困っている親子が今もいることを知り、せめて砂金の存在を地元の方々に知らせる義務があると思うようになりました。この地域の子育て世代に、いざという時に「神対応をする塾」という選択肢がある安心感を与えるためにね(^_^)。

2018.03.10 塾講師という仕事(第101話:進路決定秘話)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

いつの間にか受験シーズンもクライマックスを迎えようとしています。今年度はいくつか想定外のことが起こったものの、最後は3/14の合格発表日に受験者全員が歓喜を、私は何とも言えない安堵の瞬間をそれぞれ例年通り味わえることを願っています。

さて、今回は現時点で6名も早々と進路を決めている珍しい年。彼らの成功例をご紹介することによって、最後の勝負に挑んだ塾生に強運が訪れるようエールを送るとしましょう。

まずは、福島学院大福祉学部こども学科に合格した福島商業高(情報ビジネス科)のF君。3年前の当塾中3卒業生です。昨年4月のことでした。たまたまコメリに灯油を入れに行ったところ、元塾生が灯油入れの仕事をしているではありませんか。彼は私の顔を見るなり、「あっ、先生。実は僕、大学へ行きたいんですけど、今数学が大ピンチで・・・いや、英語も・・・。」それが、F君との再会でした。

学校成績の5段階評定は奨学生の権利が得られる平均3.5に達していないし、大学の指定校推薦は1名の枠しかないのに強力な女子のライバルがいるし、一般入試で合格できるほど勉強していないし・・・(>_<)。彼は絶体絶命のピンチに追い込まれながら、アルバイトをしていたのです。

こうして、偶然の再会をきっかけにF君の塾生復帰が決定。まず、塾復帰後最初の中間テストで数学が84点。今まで50点台しか取れなかったそうですから、それだけでも彼は大喜び。それが、その後の期末テストでは中高を通じて初めて100点を取ったのです。2学期の中間テストでは英語も初めての100点。満点って、なかなか取れるものではありませんから、たいしたものです。

秋も深まるある日の午後、電話が鳴りました。「先生、指定校推薦がとれて、第1志望の大学に合格しました!(^o^)/」実は彼、子ども好きだったのです。あと5年もすれば、K幼稚園かF保育所の先生となって活躍する彼の姿が見られるかもね。私も嬉しかったのはもちろんですが、その一方、たった1つしかない指定校推薦枠を最後までF君と争っていた同級生の女の子に悪いことをしたような気分になりました(>_<;)。でも、仕方ないよな~実はF君の潜在能力が非常に高かったばかりか、強~い味方がついて彼を援護していたのですから。

ところで、高校で職業科を選んだ場合、卒業後の選択肢は大学ではなく、就職か専門学校進学のいずれかだろうと思い込んでいる人は、少なくないでしょう。ちなみに、福島県北地区で職業科だけから成る県立高校と言えば、福島商業高、福島工業高、福島明成高の3校です。その3校に当塾から進学した子の中には、その後大学に進学した子が多数います。何しろ、福島県北地区には、偏差値50前後の中位層が集う普通科の県立高校が存在しません。でも、たとえ職業科の高校へ進学しても大学進学への道は開かれているのであって、F君のような進路はけっして稀なケースではないという事実を知っておいてください。

次は、福島北高に合格を決めたAさん。滑り止めを確保せず、Ⅰ期選抜で合格を決め、家計を助けた親孝行娘です。油断して手を抜くタイプではないので、進学後は学年でトップクラスを維持するでしょう。中3の春に入塾して以来、特に数学の力が伸び、今年度最も難易度の高い最終回の数学検定3級試験に初挑戦し、高得点で合格した実力者です。

ここからは私の勝手な推測ですが、本当は福島西高(数理科学科)に行きたかっただろうと思います。受験さえできれば、合格間違いなし。ところが、不運なことに数理科学は今年から生徒募集を停止してしまいました。ちなみに、彼女の姉上(当塾卒業生)はこの学科の卒業生です。傷心のAさんには、同校の普通科を受験する選択肢もありました。過去当塾から普通科に合格した子と比べて遜色ないレベルですから、Ⅱ期選抜で合格するはずです。しかし、それには高倍率のリスクに備えて、私立高に支払う高額な滑り止め保険への加入が必要(>_<)。それを嫌ったのかもね。

悩んだ末の第一志望校決定後、彼女は凄腕のハンターに変身します。まず、秋の数検3級最終回の試験に狙いを定め、一発で仕留めます。2次試験では空欄にした3問以外は全て正解という驚異の正答率。そして、最後の高校受験結果はご存知のとおり。野獣(=男子)の諸君、気をつけてね。彼女はとても勝負強く、狙った獲物は逃さないのです。何?彼女の獲物になりたい?(^_^)

2017.12.07 塾講師という仕事(第100話:川崎フロンターレ優勝の意味)

塾講師という仕事(第100話:内申点重視がもたらす影響)

今年もJリーグのクライマックス、師走がやってきました。先日の12月2日(土)、川崎フロンターレがJリーグの最終戦で勝ち、奇跡の大逆転で初のJ1王者に。これまでリーグ屈指の攻撃力を見せるものの、あと一歩のところでタイトルを逃がして無冠に終わっており、このチームの顔である中村憲剛(ケンゴ)選手には引退前に1度はタイトルを取らせたいと陰ながら願っていました。今回ばかりは鹿島アントラーズの関係者に申し訳ありませんが、これは川崎市民のみならず、私にとっても嬉しいニュース。

2位じゃダメですかって?ダメなんです!1位にならなければ、歓喜だけは味わえませんからね。わかったか、蓮舫!(^_^)

川崎って、多様な顔を持つ不思議な土地柄です。東京と横浜に挟まれ、県庁所在地でもない狭い土地に人口が150万近い政令指定都市。仙台が100万強、札幌が200万弱ですから、ほぼその中間です。東京と神奈川の境を流れる多摩川の南岸を走るJR南武線沿いに帯状に細長い形をしており、臨海部と内陸部では印象がまるで違います。

小6の夏、千葉県富浦で臨海学校があった時に川崎港からフェリーに乗って木更津港まで東京湾を横断したことがあります。大気汚染に水質汚濁で強烈な悪臭を放つ東京湾に吐き気がした記憶があります。当時「川崎ぜんそく」という公害病もあり、私の少年時代の川崎に対するイメージは「絶対住みたくない最悪の地」でした(>_<)。

しかし、東京に住み始めて川崎のことを知るにつれ、徐々に印象が変化していきます。臨海部は、競輪場に競馬場があるためかギャンブラーが集うオジサンの街(^_^)。臨海部から中央部にかけては、京浜工業地帯の一角を占め、国内を代表する製造業の大工場が立ち並び、法人税収で潤う企業城下町。最も内陸に位置する多摩区や麻生区は、私鉄の小田急線や京王線を利用して都内へアクセスし易い快適な住宅地。知人も何人か住んでおり、私も過去何度足を運んだかわかりません。前回のLIBERO(第99話)の写真の中にも川崎市民がいます。

住民の多くは職場や学校(高校・大学)を東京都内から選択して通勤・通学するため、彼らは「神奈川都民」と呼ばれていました。つまり、地域密着とは対極にある土地柄だというのが、私の川崎に対する印象でした。過去プロ球団はこの地に定着しませんでした。ロッテは千葉へ、ヴェルディは東京へそれぞれ出て行きました。江戸時代までは相模の国ではなく武蔵の国に属していたそうで、南武線に「武蔵」の名のつく駅が目立つのが何よりの証拠。南武線の「武」も武蔵から採っているはずです。地域密着し難いのは、伝統なのかも・・・。

それが、今世紀に入ってから大きく変わり始めます。フロンターレの選手とスタッフによる粘り強い地域貢献活動が徐々に実を結び、フロンターレは地元川崎市民から着実に支持を獲得しながら、J1屈指の強豪チームへと成長していきました。

Jリーグの理念である地域密着を強力に推進した優れたリーダーがいたのです。1人は元富士通の社員で、数年前まで長いこと球団社長を務めていた武田信平さん。イチゴと「はらこめし」(=鮭の親子丼)が有名で、震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理町の出身。私が高校時代所属していたサッカー部の大先輩です。この人の長年の努力が、ついに悲願達成につながったようですね。

もう1人注目すべきは、武田さんの部下の天野春果さん(♂)。ユニークな企画をする人で、特に「川崎フロンターレ算数ドリル」というサッカーを題材とした算数教材を世に出したことで知られています。この教材は川崎市内の小学校教員と共同開発したもので、川崎市独自のブランド教材として市内の全小学校に配布されているそうです。

あの震災後、フロンターレの選手達が岩手県陸前高田へ足を運んで地元の小学生と一緒にサッカーしたり、算数ドリルの問題を解いたりしている姿を偶然テレビで見ました。仕事柄、感心したのは算数の問題です。例えば小6レベルでは、サッカーゴールの枠にネットを張った時のゴール枠の容積を求めさせる問題があったりして・・・。

また、4~5年ほど前、NHKのEテレの幼児番組「みいつけた!」をうちの子と見ていた時のことです。川崎市内の銭湯やグランドで、中村憲剛とチームメイトの3人が「オフロスキー数え歌」を踊っている映像が流れました。仕掛人はきっと天野さんでしょう。「え~?中村憲剛が・・・うっそ~!」もちろん私達親子も大喜び(^_^)。次々に廃業する銭湯を守るための企画でもあったのでしょう。見事です。

地域密着はJリーグの理念ですから、地域貢献はJリーグのチームならどこでもやっています。ベガルタ仙台もモンテディオ山形も地元福島ユナイテッドも地道にがんばっています。しかし、フロンターレは伝統的に地域密着とは対極にあると思われた川崎という地で市民の意識を変え、そして彼らに初めて歓喜をもたらしました。この点に、大きな価値があると思います。

ここで、中村憲剛選手について触れておきましょう。まず、サッカー選手になるまでの彼の経歴が興味深い。彼は、私にとって馴染みの深い西東京育ちです。元なでしこジャパンのエース澤選手と同じ府中市の少年サッカークラブ育ちで、小金井二中の卒業生。小金井市南部にあるこの中学は、実は私のかつての職場だった塾のお得意さんでした。よく勉強するし、優秀な子が多数いたのを思い出します。

ちなみに彼は都立高校に進学し、高校のサッカー部の大先輩には、あの志村けんがいるそうです。志村けんはゴールキーパーだったとか。人は見かけによらないものです(^_^)。大学は私の母校と同じ。大学サッカー界では名門(古豪?)として知られ、憲剛以外にも過去日本代表選手を何人も輩出しています。ただ、都立高校出身の日本代表選手となると・・・中村憲剛以外に記憶がありません。

現在30代後半でサッカー選手としては高齢になりましたが、昨シーズンはJリーグのMVPに選ばれるほどの国内屈指の名手で、オシム監督に見出されて頭角を現した元日本代表選手です。あるプロサッカーコーチは、彼を「牛若丸」と評していました。また、私の知っているベガルタ仙台のあるサポーターは、今も「憲剛の繰り出すパスに恐怖を味わいながらの観戦は快感だ!」と述べています。

代表チームに欠かせない選手になった頃、オランダの名門クラブから誘いがありました。その時、彼は「チームがタイトルを取るまでは移籍しない!」と誘いを断り、川崎を離れませんでした。泣かせますね。彼の選択は正しかったのでしょうか?もしオランダのチームに移籍していたら、それを機にどれほど偉大な選手に成長したことか・・・。「ヨーロッパのビッグクラブでゲームを指揮し、弁慶のような大男らを翻弄する牛若丸を見たかったな~」という気持ちが私にはあります。

しかし、この男が川崎に残ってプレーを続けたからこそ、今こうして川崎市民に歓喜をもたらす偉業を成し遂げられたはずです。「理念が正しければ、サッカーの神様は努力する者を見捨てない。」そう思えてなりません。中村憲剛はもちろん地域貢献に努力を惜しまないフロンターレ関係者には頭が下がります。

私のような地域貢献第一主義に共感する一塾講師も、良い刺激を受けるし見習うべき点が多いと感じます。

2017.10.30 塾講師という仕事(第99話:開塾直前の思い出)

塾講師という仕事(第98話:内申点重視がもたらす影響)

予定よりひと月遅れましたが、当塾のホームページが何とかできました。未完成ではありますが、ようやく新築中の建物の周りを覆っていた工事用の足場とシートを外して「こんな感じの建物ができました。今、内部の細かな部分を整備中。」と、近所の人にお披露目するような気分です。パソコンはもちろん、タブレット、スマホでも見られます。

当塾に長く通われている方でも、きっと何らかの新たな発見があることでしょう。何せ開塾以来現在14年目に入っており、いつの間にか結構歴史を刻んでいますからね。初年度の当塾卒業生だと、30歳近い年齢に達しています。そのうち「孫をよろしくお願いします。」なんて依頼があるかも・・・(^_^)。そんな日が訪れるのを楽しみにしながら、塾を運営し続けていこうと思います。

さて、右の写真は開塾2ヶ月ほど前に撮ってもらったもので、私の東京生活最後の週末の送別会でのひとコマ。塾の原点を見つめ直そうと、開塾直前まで遡ってホームページに使えそうな資料を探していたら、出てきました。集まってくれたのは、主に大学時代のサークルの親友・先輩・後輩です。昼間から相当アルコールが入り、最後は行きつけの喫茶店で酔い覚まし・・・のつもりでしたが、結局ビール。唯一酒が入っていないのは、手前の男の子(^_^)?

その後、引越の荷造りをほぼ終えて暖房だけ出していた部屋で、終電がなくなって帰れなくなった仲間と一緒に最後の宴会となりました。東京での黄金の日々と新天地に移住することへの期待と不安を酒の肴にしながら・・・。この2日後、私は新天地福島に初めて住むことになります。引越の日は寒く、東京でさえ雪がちらついていました。


引越直後は、予め申し込んでいた山形県鶴岡市の自動車教習所の「合宿免許」に参加しました。「約2週間のホテル暮らしか・・・悪くないな。」と。なぜそんな所を選んだのかって?それは、未知の場所で、独り旅気分を味わいながら運転技術を集中的に学びたかったから。雪道運転の練習もできるし。

私は元々自動車には全く興味がなく、学生時代知っていた自動車なんて、スバル360に、ケンとメリーのスカイラインに、セリカに、ジープに、ベンツくらいのものです。サッカーチームの支援企業が多かったため、日本の自動車会社名なら、よく知っていましたけど。ある先輩からは「猫に小判、豚に真珠、佐野に自動車」なんて言われていたほど。

鉄道やバスの交通網が発達している便利な都会生活に長年どっぷり浸かっていたため、自動車免許の必要性を全く感じなかったのです。酒と自動車は相容れないし。でも、誰に聞いても同じ事を言われました。「車の運転ができないと、福島みたいな田舎では生きていけないから、まず免許を取れ!」と。仕方なく自動車免許取得を決意したのです。

大学生・高校生の春休み期間中だったこともあって、合宿で一緒になった東京の大学生といろいろおしゃべりしたり、地元の高校生と机を並べて学科の講義を受けたり、結構楽しい思い出になりました。

意外な発見は、老教官が学科の講義で話す庄内弁です。初めて直接聞きましたが、私が知っている宮城や福島の方言とは異質でした。宮城だと語尾が「~だっちゃ」、福島なら「~だべした」「~らんしょ」となるのが特徴ですが、庄内弁は「~だのう」。山口・広島・岡山出身者からよく聞いた中国地方の方言が混ざってできたような、ネイティブの独特な東北弁は新鮮でした。

鶴岡の隣には酒田があります。酒田と言えば、江戸時代は日本海交通の拠点で、西廻り航路によって西日本とのつながりが深かった歴史を思い出し、納得しました。なぜか響きが仙台弁のように聞こえる「だだちゃ豆」という食べ物も初めて知りました。季節はずれですから、食べられませんでしたが。東北は多様で広い!

合宿最終日の実技の卒業検定試験は順調に一発で合格♪無事に国見に戻った翌日は、福島市庭坂の免許センターで最後の関門の学科試験に挑戦。ところが、落とし穴が待っていました。合格発表の掲示板に自分の受験番号がありません。手続き窓口に行くと、職員がニヤッとした表情で「残念でしたねえ~1点足りません。」

ムカッときました(>_<)。その日は早速自宅で再挑戦の準備を納得いくまでやって、翌日リベンジに成功。一発で合格できず無駄な再受験料を取られた悔しさが頭に残っていたからか、合格したのに全く嬉しさを感じませんでした。でも、いい経験になりました。どんな試験でも準備が大切であることを思い知らされたのです。この経験は、今の仕事に活きているような気がします。


そう言えば、今日は私の誕生日か・・・実は、アルゼンチンが生んだ英雄ディエゴ・マラドーナと同じ日(^_^)。ちなみに、今活躍している天才リオネル・メッシは彼の後継者です。

2017.10.06 塾講師という仕事(第98話:内申点重視がもたらす影響)

塾講師という仕事(第98話:内申点重視がもたらす影響)

日較差が激しいものの、秋晴れが続いて過ごし易い季節です。どの生徒にとっても、秋の夜長は勉強には最適。睡眠時間だけはきちんと確保し、特に受験生はあと4ヶ月後または5ヶ月後の入試の準備に励んでください。

さて、今年度の福島県立高Ⅱ期選抜について、衝撃のニュースが飛び込んできました。県北地区を代表する進学校2校が同時に選抜方法を変更するそうです。その2校とは、橘高と福島東高。今回はこの話題からいきます。

まず、橘高のⅡ期選抜といえば、これまで筆記試験と内申点の得点比率を3:1と、圧倒的に筆記試験を重視して入学者を選抜してきました。また、福島東高はこの比率を5:1と、内申点をほとんど無力化して入学者を選抜してきたことは、皆さんの多くがご存知でしょう。

ところが、両校は申し合わせたかのように、この比率を今年度のⅡ期選抜から他校と同じ1:1に変更するというのです。これは、両校ともに筆記試験重視から中学の内申点重視へと選抜方針を180度転換することを意味しています。これで、筆記試験重視の県立高校は福島県北地区ではゼロとなります。中には筆記試験の数学の得点だけを2倍にする福島西高(数理科学)のような学校もありますが、筆記試験と内申点の得点比率が1:1であることに変わりありません。

こうなると、相変わらず得点比率5:1のまま筆記試験重視の方針を貫く磐城高を除けば、福島県内ほぼ全ての県立高校が中学の内申点を重視して入学者を選抜する方針を打ち出したようなものです。内申点をとるのが上手な子にとっては、歓迎すべき流れと受け止められることでしょう。


しかし、この流れ・・・私には引っかかります。過去に内申点重視の方向へ選抜方法を変更した進学校って、福島南高くらいしか知りません。南高の方針変更の時も不思議に思いましたが、なぜこのタイミングで橘高と福島東高は同時に方針変更し、なぜ磐城高だけは方針変更しないのか?ご存知の方がいらっしゃったら、教えていただきたいものです。

例えば、隣県の宮城県立高入試・・・通学圏内の白石高はもちろん代表的な進学校はどこも筆記試験と内申点の得点比率を7:3とし、筆記試験を重視しています。山形県も宮城県とほぼ同じやり方だそうです。

次に、私が長いことかかわってきた東京の事情をご紹介します。まず、1990年代の都立高入試・・・筆記試験と内申点の得点比率は一律5:5でした。当時、都立高校のレベルは全般的に低迷しており、多くは私立高校の滑り止めにされていました。当時の庶民の経済力が、今とは比べ物にならないほど強かった証でもありますね(^_^)。その後、東京都は初めて都立高に推薦入試を導入しましたが、その効果を耳にすることはありませんでした。

筆記試験と内申点の得点比率を各学校が独自に決めてよいことになると、進学校の多くは6:4や7:3へと筆記試験を重視する方向へ得点比率を変更していきました。内申点を稼ぐのが下手なのに潜在能力の高い中学生って、結構いるものです。そうした子を一発勝負に強い子に育て、私立難関校や都立上位校の合格へ導くことが、塾講師の重要な任務の1つでした。

2000年代に入ると、共通の都立高入試問題では簡単すぎて受験生の点差がつかないという理由から、進学重点校に指定された都立高が独自に入試問題を作るようになりました。その後、都立上位校がかつての高いレベルを徐々に取り戻しつつあるという話を小耳にはさむようになりました。ちなみに、今では都立高入試の得点比率は全校一律7:3で筆記試験重視となっているそうです。

もうお気づきでしょう。「学校のレベルを上げたいなら、入学者選抜は筆記試験重視」にするのが、普通のやり方です。では、その「普通」に逆行するように見える福島県の進学校の内申点重視傾向とは、どういう意図なのか?「過去の都立高校のような失敗はしない」という自信はあるのでしょうか?

そもそも筆記試験と内申点の得点比率を半々にする目的は、おそらく中等教育における入学者選抜業務の責任分担でしょう。中学校教育に対する厚い信頼を前提に機能することを期待して構想されたはずです。では、その前提は正しいのでしょうか?

実は、昨年度あたりから地元K中の学習指導に異変が見られます。県北地区の進学校2校が内申点重視の選抜方針を打ち出すことを事前に知った学校が、この2校に合格者を多数送り込みたいと力み始めたのではないか?というのが私の読みです。それを裏付けるような話が塾生から入っています。

ある教師は「学校の勉強さえしっかりやれば、塾に通う必要などない!」と言い切ったそうです(@_@)。もしこの地域にも学習塾が存在することを知らずに発言したとしたら、あまりに軽率。「こんな田舎にまともな塾などあるはずない!」とでも・・・?しかし、この地域にも学習塾が存在し、どんな役割を果たしているかを知った上で口にしたのだとしたら、驚くべき発言です。「K中は地元の塾なんぞより優れた教師ばかり揃えているから、安心しろ!」とでも・・・?すばらしい!

塾生からはこんな悲鳴が出始めています。「ただでさえ部活で疲れているのに、毎日の提出課題が多すぎ!」「全部仕上げるのに夜中までかかるので、睡眠時間がとれなくて学校の授業中眠い!」「課題を提出しないと部活への参加が禁止だし、5段階評定を下げられるのだけは嫌なので、解答を丸写ししてでも提出だけはしなくちゃ!」さらには、クラスごとに課題の提出率まで出して発表し、競わせているとか・・・そこまでやるかね?(@_@;)

要領が悪く学校成績中位層と思われるある塾生は、膨大な提出課題によるプレッシャーから本当に体調を悪くしてしまいました。医者に聞いても、「原因はわからない。とにかく休みなさい!」と。課題提出の目的って、何でしょう?大量にこなせば誰でも学力向上できるとは限らないのに、これを一律に義務づける意味がわかりません。

例えば、福島県内の中学でよく使われている『数学の友』という教材があります。5段階評定が3以下の子にB問題の多くは自力で解けません。解答・解説を読んでも意味がわかりません。だいたい数学の教材の解答・解説って、誰が読んでもわかるようには書いてくれていないものです。やったように見せかけるために、読んでもわからない解答例を丸写しするくらい無駄な時間はないでしょう。

そんな暇があったら、現時点では難しすぎる問題は手をつけるのをやめて保留し、今は自分に必要なレベルの問題を解く練習を積み、春夏冬の長期休みの時や学年が上がってから挑戦させればいいのです。それからでも遅くはないし、そのほうがずっと効率的な学習ができるのに・・・。

全教科ではありませんが、中間・期末テストでも異変が見られます。「問題量が多すぎて、最後まで終わらないうちに時間切れ!」と青ざめる子が少なくないのです。これまでなかったことです。学校の中間・期末テストの段階からそんなに過酷だとしたら、各学年の7割を占める成績中位・下位層に属する子の心情は容易に想像できます。

これは危険な傾向だと思います。まるでブラック企業が社員に理不尽な営業ノルマを課している様子とイメージがダブってきます。学校がそんな窮屈な場になってしまったら、どんな影響を及ぼすことか?まず、親子共に学校に対する不信感を募らせると同時に、内申点への悪影響を恐れて学校の教師に本心を明かさなくなるでしょう。このままでは、1990年代の東京の再現です。

当時、塾で保護者面談をやっていた時、内申点が思うように取れない子の母親からよく聞かされたのは、「内申を握っている学校の先生とは本音で話せない!」という言葉でした。東京の保護者がこんなに塾を頼りにしていることに驚くと同時に、「これは学校にとっても不幸なことだ」と思いました。

さらに深刻なのは、学校の内申点に有利か不利かを基準に自分の言動を決める子ばかりになることの長期的影響です。失敗を極度に恐れ、常に周囲の顔色を伺い、理不尽さを感じても口をつぐみ、不正を働くことを厭わない・・・組織の中で生きる人間にとっては、それは1つの処世術かもしれません。でも、そんな人間を誰が尊敬しますか?つまり、内申点重視をきっかけにK中のような学習指導が一般化してしまうと、具体例はご想像にお任せしますが、今の日本の権力者によくいる、出世自体を目的とするような志の低い人間を量産する危険性を感じるのです(>_<)。

2017.09.08 塾講師という仕事(第97話:1993年と2017年)

塾講師という仕事(第97話:1993年と2017年)

夏が過ぎ、随分涼しくなりました。と言っても、今年は本当に夏が来たのかどうか?よくわかりません。台風が来なかったし、例年夏期講習の午後の授業で悩まされるはずの雷雨が全くありませんでした。午前中は、まるで高原にでもいるかのような快適さ。県大会で準優勝し、東北大会出場を果たした地元K中男子バレーボール部に限らず、受験生には、ありがたい夏だったのではないでしょうか?

でも、農家の方にとっては、どうでしょう?この夏の日照不足と降水量の少なさが農作物の収穫量に与える影響を想像すると、24年前の1993年ほど悲惨ではないにしても、少し心配です。

あの年・・・私は東京にいましたが、本当に夏が来ませんでした。東北地方太平洋岸は冷害で米が収穫できず、日本政府はタイなどから米の緊急輸入をしました。当時、私の実家は宮城県名取市。地元産の米が手に入らず、県外産の米を買う米農家があったほどです。米農家にとって、これほどの屈辱はなかったでしょう。

サッカー界のドーハの悲劇もあの年の秋でした。Jリーグ誕生元年に当たるあの年、W杯アジア最終予選の最終戦で、試合終了前のアディショナルタイムにイラクに同点ゴールを許す悪夢。日本のW杯初出場の夢が絶たれた瞬間でした。リアルタイムでこの悲劇に遭遇した私は、翌日中3生の教え子から慰められたものの、1週間は立ち直れなかったな。(>_<)

あれから24年後の2017年8月最後の晩、歓喜が訪れます。敵は、まさか日本があの位置からミサイルを撃ってくるとは想定外だったでしょう。日本が初めてオーストラリアから追加点を奪った瞬間でした。井手口、ありがとう。そして、この日の晩私に休みをくれた高2生のSさん、ありがとう。(^o^)/


さて、この辺で話題をガラリと変えます。近頃私は、仕事柄入試制度変更の動向が気になっています。最大の変更は、何と言っても大学入試。皆さんもご存知のように、現中3生が大学受験する2020年度からセンター試験を廃止し、高3の時に複数回受験できる新たな共通テストを導入。特に、国語と数学では記述式試験も導入し、英語は独自の問題を作るのを止めて、外部試験を導入する・・・とか。

私の高校時代、先輩達の代からスタートした全国一斉の共通一次試験(センター試験の前身)導入以来の大改革です。共通一次導入後しばらくの間、大学教員を中心に随分批判の声が挙がっていました。コンピュータに採点を任せるマークシート方式導入に疑問を持つ人が少なくなかったのです。例えば私の大学時代、「共通一次のせいか、最近は短絡的な思考をする学生が多くなった」とボヤく大正生まれの老先生が確かにいました。

ここで重要なことは、1度変更した制度はその後長期間継続したという歴史的事実。導入時は相当疑問視された共通一次試験でも、その後センター試験と名称を変えただけで、制度の実質はあまり変わらず今日まで続いてきました。その制度で大学受験をする最後の学年が現高1生となるわけです。きっと次の新制度も一度導入すれば、成功か失敗かにかかわらず、数十年継続する可能性が高いでしょう。

国公立大独自の二次試験はどうなるのか?私立大はどうするのか?中等教育はどういう影響を受けるのか?例えば、部活に励むあまり学業に手を抜いている高校生はどんな影響を受けるのか?浪人生はどうなるのか?高額な受験料をぼったくる宗主国の機関に英語の試験を任せるという植民地的やり方って、独立国を名乗る国の大学入試のあり方として本当にふさわしいのか?また、英語以外の外国語(例えば、独語や仏語)で受験を希望する少数派はどうなるのか?受験にかかる費用の負担は増えると予想できますが、一体どれだけ負担を強いられるのか?・・・疑問点を挙げ出すと、きりがないな。(>_<)

将来大学進学を決意している現中3生の保護者は、既に不安を感じていることでしょう。入試制度の変更内容は、今後徐々に明らかになっていくはずですが、現段階ではわからないことだらけ。きっと政策立案者自身が迷走しているんじゃないかな?教師でさえ先の見通しが立てられないのです。将来を過度に気にすることは、一旦保留しましょう。

中3生は、これからあと半年後の高校入試の準備に専念してください。入試はあくまで通過点。第一志望校の授業に十分ついていけるだけの学力を身につけようと前向きに努力を続ければ、自然に道は開けてくるものです。(^_^)

2017.07.03 塾講師という仕事(第96話:歴史の教訓) 

もうすぐ夏休み。例年当塾の中3夏期講習は戦争の時代を学ぶ機会としての性格も持たせ、1945年に起きた悲劇の内容を社会と英語の2教科で取り扱っています。さて、大正時代末に関東大地震が起こった後、日本社会がどうなっていったのか?中学生が教科書で学ぶ知識に限定して、年表にまとめてみました。

1923(9/1)関東大震災
1925ラジオ放送開始
治安維持法公布
普通選挙法公布
※ここまでが大正時代、この先は昭和時代。
1929世界恐慌
1931満州事変
1932五・一五事件
1933ドイツにナチス政権誕生
日本、国際連盟脱退
1936二・二六事件
1937
日中戦争開始
1938国家総動員法公布
1939第二次世界大戦開始
1940日独伊三国同盟締結
大政翼賛会発足
1941日ソ中立条約調印
(12/8)太平洋戦争開始
1943イタリア降伏
1945(3/10)東京大空襲
(3月)沖縄戦開始
(5月)ドイツ降伏
(7月)連合国、ポツダム宣言発表
(8/6)アメリカ、広島に原爆投下
(8/8)ソ連、対日参戦
(8/9)アメリカ、長崎に原爆投下
(8/14)ポツダム宣言を受諾し、降伏
(8/15)玉音放送で終戦
塾講師という仕事(第96話:歴史の教訓)

中3生は少なくとも下線部の西暦と出来事は必ず覚えてください。今後、高校入試や大学入試の社会科の問題を解くのに、とても役立つ知識になることは保障します。

この年表を骨組みに、約20年に及ぶこの時代の歴史の流れを中学段階である程度理解し、高校で日本史や政治経済を受講したら、じっくり肉付けしていくのがよいでしょう。単に受験のためだけではありません。今後起こりうる危険を察知し、正しい判断を下せる大人になるために学ぶのです。そんな視点で関東大震災から約90年後を見てみると、まさか・・・(@_@;)

2011(3/11)東日本大震災
2013  特定機密保護法成立
2015  安全保障関連法成立
2016  改正通信傍受法成立
2017(6/15)「共謀罪」法成立

「治安維持法の再来」の呼び声高い、あの共謀罪法が成立・・・ここまでやられると、さすがに約90年前の日本と比較したくなってきます。この先どんな歴史を刻むのか?

19世紀ドイツの思想家カール・マルクスの名言に「歴史は繰り返す。最初は悲劇だが、二度目は茶番だ。」というのがあります。権力者の暴走を許した上の世代の加害と被害の悲惨な歴史を学ばずに、その子孫である私達までが同じ轍を踏んだら・・・それこそ世界中の笑いものです。今を生きている私達は、死後も次世代から恨まれることになりかねません。「そうはさせないぜ!」という姿勢で、この夏歴史を学んでみるのもいいかもね。(^_^)

塾講師という仕事(第96話:歴史の教訓)

右の写真はネットで見つけた誤答例。社会科の知識不足を国語力で補った怪答だ!(^o^)

2017.06.05 塾講師という仕事(第95話:サクラサク) 

塾講師という仕事(第95話:サクラサク)

先月は信じられないほど暑い日が目立ちましたが、このところ結構寒いですね。また、この時期にしては珍しく、最近学校でインフルエンザが流行っているそうです。今月は中体連があるため、先月から今の時期にかけて運動部はハードでしょう。体調管理に気をつけてください。

さて、今年の3月20日、つまり数ヶ月前のことです。当塾に「サクラサク」という件名で1通のメールが届きました。当塾高2生Rさんの母上からでした。まだ桜なんて咲いてないのに、どうしたんだろうと思いました。

「・・・今日、福島医大の後期の発表でした。無事、長男が合格いたしました💮・・・」思わず、うなってしまいました。「おおっ、そうだったのか。ついにやったか!」順調にいけば、あと6年後に彼は医師の免許を取得することになります。

というわけで、今回は当塾卒業生M君のことを皆さんにご紹介します。彼がここまで辿り着くのは、けっして平坦な道のりではありませんでした。だからこそ、皆さんにとっては参考になることでしょう。


まず、M君の入塾は、中1の夏期講習でした。ちなみに、弟のF君がすでに小5の4月から通塾していました。入塾当初のM君はそれほどずば抜けている印象はありませんでしたが、冬期講習で国語を担当した時、彼の潜在能力の高さを確信しました。物語文の読解問題で、見事な記述答案を作るのです。私は授業でこう言いました。「いい答出すねえ~M君は今のところ学校成績が冴えないけど、いずれ学年でトップクラスに上がってくると思うよ。」

それから2年後のことです。私の予想は半分的中し、半分外れました。平常授業に春夏冬休みの講習と、受講可能な全教科を受講し続けた甲斐あって、入試5教科の学校成績は申し分なし。福島県立高Ⅱ期選抜の筆記試験も十分勝算あり。ところが、実技4教科の内申点がどうしても取れませんでした。

ご存知のように、福島高は地域のトップ高にしては珍しく、内申点と筆記試験の得点を同じ重みでⅡ期選抜の合否を決めると公表しています。ここに願書を出すのは、さすがに無謀に思えました。中学の三者面談では、橘高受験でさえ担任が難色を示したらしく、結局彼が選択したのは、筆記試験の得点を5倍で評価してくれる福島東高。

この学校は、たまに突出した優秀な子がいると聞きます。きっとM君のように、潜在能力は高いのに中学の内申点が悪かった子だったのでしょう。ちなみにM君のⅡ期筆記試験の5教科合計は203点、英語は48点。いずれも当塾中3卒業生の最高得点で、この記録はいまだに破られていません。合計点なら破りそうな子が過去いましたが、Ⅰ期で合格を決めてしまったため、新記録誕生は幻に終わっています。

東高時代の彼は、部活でも活躍します。実は彼、高校から弓道を始め、高3の夏には福島県代表としてインターハイに出場しています。本格的な受験勉強は、ここからのスタート。苦労したことでしょう。

ちょうど4年前の春でした。M君が県立医大に落ちて中央大法学部に進学することになったことを彼の母上から聞いたのは。医師になる道を諦めたのか?あるいは法医学を学びたくなったのか?とにかく東京での生活が決定!

しかし、東京での4年間、彼は県立医大進学を諦めてはいませんでした。先月M君に酒をご馳走した時に直接話を聞いてわかりましたが、中大法学部を受験したのは力試しだとか。センター試験の得点のみでも合格を認めてくれる最難関大学を相手に自分の力が通用するのかどうか?それを知りたかったのだと。

彼がスゴイのはここからです。自分の力が県立医大合格までもう一歩だったと知るや、中大卒業に必要な4年間の単位を3年間で取得する計画を立てます。予定通り単位取得に成功すると、司法試験を目指す子を尻目に、大学4年の1年間を県立医大の受験勉強に充てたのです。これが事実上彼の就職活動でした。

失敗したら、どうするつもりだったのかって?家業を継ぐ決意をしていたそうです。実はM君、専業農家の長男なのです。

医師になる人って、親が医師であるか、または都市生活者が大多数でしょう。この地域から医師になるには、まず福島高へ進学するのが一番の近道とは言え、県立医大の医学部ともなると福島高の生徒でも簡単ではありません。毎年合格者が一定数出ているのは事実。ただこの数字、推薦入試での合格者が相当多い。例年推薦入試での合格者は、福島、安積、磐城、会津の4校で多くが占められています。4強以外が推薦枠に食い込むのは極めて困難。

だから、M君が県立医大医学部へ進学するには一般受験しかなく、ましてや後期で合格するなんて奇跡に近い。これほど開拓者精神溢れる優秀な若者がよくぞ育ったものだと思います。

一方、彼のご家族に対しては複雑な心境です。「農家の貴重な後継者を奪うきっかけを作ってしまったのは、私ではないのか?」とね。

2017.05.08 塾講師という仕事(第94話:昨年度の県立高入試結果から)

塾講師という仕事(第94話:昨年度の県立高入試結果から)

新年度が始まって1ヶ月・・・いい季節になりました。今回は、昨年度の福島県立高Ⅱ期選抜と宮城県立高後期選抜の入試結果をご報告します。3名が挑戦し、無事に合格しました。合格者の皆さん、おめでとうございます。

☆福島商業高(会計ビジネス)1名
☆福島西高(普通)1名
☆白石工業高(機械)1名

彼らはどうやって目標を達成したのか?ご紹介しますので、どうぞご参考(?)になさってください。


まず、福島商業に合格したAさん。中1の夏期講習から来た子です。学校の内申点をとるのがとても上手で、この地域に多い女子の典型です。予め出題範囲の与えられた試験で得点する能力が高く、英語以外の教科の評定は、ほぼ4。美術は5。学校成績だけで見れば、Ⅱ期選抜で福島西高普通科の土俵に立てるレベルです。野獣(=男子)の諸君、うらやましいでしょ?(^_^)桜の聖母学院の併願が取れて合格したのですから、それだけで十分偉い。

でも、第1志望はあくまで県立高校。Ⅱ期選抜は最終倍率が確定するまで安心できませんでした。私が恐れたのは、福島南高の情報会計の倍率が異常に跳ね上がった影響でした。もしここの受験生の多くが恐怖に脅えて福島商業の会計ビジネスに殺到したら・・・幸運にもそうはならず、助かりました(^_^;)。

なぜⅠ期選抜に挑戦しなかったのかって?中学の先生に止められたからです。危険を感じたのでしょう。模試の答案を毎回チェックしている私と同じように。だって、国語の作文の答案だけがほぼ毎回空欄なんです。そんな子が、例年高倍率となる会計ビジネスのⅠ期の作文に挑戦したら・・・(>_<;)。


作文を書いてくれなかった子と言えば、白石工業に合格したS君もその1人。中3の部活引退後に入塾した子で、当初福島工業を志望していました。まず、母上のお話を伺って度肝を抜かれました。「この子、家で勉強したことがないんです!」(@_@;)中2までの学校の5段階評定は、2が・・・。「ご家庭内に勉強する場所はありますか?」と尋ねると、「勉強部屋は一応ありますけど、今ゴミ屋敷になっていて使ったことがありません。リビングなら、やれそうですけど。」

「勉強以前に、まず部屋を片付けて家庭での学習環境を整えてね。」S君にそう言い続けましたが、無駄でした。彼は最後までゴミ屋敷を放置。本人が失くしたらしい中1・中2用教科書はとうとうゴミ屋敷から発見できず、姉上が中学生の時に使っていた教科書を借りての受験勉強・・・そんなS君でしたが、当塾初の白石工業の合格者になれました(^o^)/。

理由は2つ考えられます。

まず、夏期講習から入試直前まで全5教科を受講してくれたことです。おかげで、私はS君の物理と化学の力が優れていることを発見できました。国英社は、いくらやっても彼の頭には入りにくいので、抑え目に調整。「国英社は簡単な問題で失点しないよう守備を固め、理科と数学で攻撃力を見せつけよう!」という作戦で宮城県の後期選抜の準備を進め、それが功を奏したのです。

もう1つは、彼の母上の決断力。中学の秋の三者面談でのことでした。S君の成績では福島工業に届かないと知るや否や、母上はその場で息子の白石工業受験と同時に私立高受験禁止を決断したのです。おお、MYゴッドマザー!(@_@;)

筋金入りの福島人だと、こういう決断は普通しません。きっと我が子が能天気な宮城県人の悪影響を受けて育つことを恐れるからでしょう(^_^)。ちなみにS君のゴッドマザーは東京育ち。ゴッドファーザーは地元国見育ちですが、実は宮城高専(現仙台高専)の卒業生。在学当時国見から名取まで5年間通っていたことになります。やっぱりねえ~(^_^)。


最後は、昨年度の当塾のエースT君。中1スタート時からの塾生です。初めての中間テストの学年順位は50番台。でも、平常授業を積み重ねていくうちに、彼の学習能力は非常に高いことがわかりました。夏期講習では、特に国語のレベルが高いことを発見。いずれ上位層に入る子だと確信しました。

案の定、中3になると学年順位はひと桁に突入し、福島東のレベルに到達。ところが、彼はなぜか東高を嫌って福島西高(普通)の受験を選択。Ⅱ期選抜本番でも本領を発揮し、5教科総合では当塾からの西高合格者の中で過去最高得点を更新したのです。(^o^)/

実は彼、滑り止めに某私立高を受けたのですが、点数を取りすぎて特待生で合格してしまい、西高に進学するべきかどうか?贅沢な悩みを経験しています。うらやましいでしょ?

K中ではテニス部でしたが、この地域では珍しく私とサッカーの話ができる貴重な存在でした。彼は自宅のスカパーでよくヨーロッパのビッグゲームを観戦しているそうで、ビッグクラブの若手選手については、私より詳しいのです。授業終了後はよくサッカーの話をしたものです。彼が卒業してからその機会を失い、ちょっぴり寂しいですね。

実は彼の自宅って、藤田病院の近くにある、皆さんもよくご存知の洋食レストランです。和食でも季節メニューのカキフライ定食はイケます。最初K幼稚園のうちの子の担任N先生から奨められ、実際に食べに行ってみたら、味良し!ボリューム良し!だから、T君があのレストランの御曹司だと知ったときには驚きました。最近足を運んでないな~腹ごしらえに久々にジャンボエビフライかカレーライスを食べに行ってみようかな(^_^)♪

2017.03.10 塾講師という仕事(第93話:ひと足早い開花宣言)

塾講師という仕事(第93話:ひと足早い開花宣言)

今年度の受験シーズンもいよいよクライマックス。このLIBERO最新号を皆さんが目にするのは、福島県立高Ⅱ期選抜と宮城県立高後期選抜の合格発表待ちの頃でしょう。当塾の中3生が受験する福島県立高は昨年よりかなり倍率が下がって塾生には追い風が吹いており、宮城県立高も異変はありません。

今年度の中3生は、現時点で3名が進学先を決めています。早々と決めたのはS君。将来パティシエになる強い意志を持っており、在学中調理師免許がとれる福島東稜高(食物文化)に専願で合格。12月に学校で何度も作文を書き直させられて辛そうだったので、国語の授業で少々コツを伝授したところ、一発でOKが出たとか。本番では相当いいのが書けたはずです。真面目な子ですから、今後着実に修行を積んで将来優秀なパティシエになってもらいましょう。あと10年もすれば、近所に美味しい店が誕生するかも。甘い物とイケメンが好きな女性は、どうぞご期待ください(^_^)!

次は福島西高(普通)に合格したMさん。中3夏期講習から当塾に来た子です。受講教科は本人に苦手意識のある数学だけでしたが、数学はもちろん他教科にも好影響を及ぼし、2学期の内申点は驚異的な伸びを見せました。1学期までの成績ではⅠ期選抜での西高合格は難しかったかもしれず、Mさんの母上からとても感謝されました。以前LIBERO(第89話)にも書きましたが、腕のいい指導者がいる塾(自分で言うかね)で勉強積めば、潜在能力の高い子ほどその能力は一層鮮やかに開花するものなのです(^_^)。

最後は福島工業高(環境化学)に合格したY君。福島市立S中の生徒で、中1の夏期講習以来毎週金曜日夜10時までここで数英2教科を勉強してきました。Ⅱ期選抜で福島西高の土俵に立てそうなレベルの内申点を持っていたので、当然の結果です。そう言えば、彼のお姉さんは、震災の年に無料だった高速道路をぶっ飛ばして(運転はもちろん母上)ここまで通っていたな。あれから5年か・・・。

このMさんとY君はいずれも私立高は受験せず、Ⅰ期選抜に全てを賭けました。近年、当塾でもⅡ期選抜の冒険を避ける手堅い受験生が増えました。学校の内申点を取るのが上手い子ならではのやり方ですが、わかる気がします。

実は、福島県北地区の私立高って、県立高受験者に対して県立高入試前に多額のお金の支払いを要求するそうですね。掛け捨ての保険のようなものですが、この保険料が高い!学校によって金額に違いはあるものの、中には20万円ほど支払いを義務づける学校もある、とか。第一志望の県立高に合格すると、これが全額捨て金になるわけです。多くの福島人は仕方ないと諦めているかもしれませんが、この金銭感覚は私のような宮城県育ちにとっては理解不能です。

ちなみに、仙台でそんな多額のお金を要求する私立高の話は聞いたことがありません。私が知らないだけかもしれませんが。例えば私の高校入試の時、東北学院榴ヶ岡高という、県立高入試終了後に入試を行う奇特な私立高さえあったほど。願書を出すのは県立高入試前ですが、筆記試験は県立高入試の合格発表後。県立上位高不合格者の受け皿を方針としていたのでしょう。ここに願書を出した私の捨て金は受験料の1万円。当時はそれでも「高い!」と感じた記憶があります。保護者の皆さんに叱られそうですけどね。

現在、日本の子どもの6人に1人は貧困家庭だと報じられています。また、中学の社会科教科書に載らなくなって久しいエンゲル係数が上昇中とか。この傾向が今後も続くようなら、再び教科書に「エンゲル係数」が復活するかも・・・アホノミクスだかダメノミクスだか知りませんが、私達は貧しくなる一方です。せめて福島県の私立高校は現状を考慮し、いい加減この高額な掛け捨て保険加入義務を課すのをやめてくれませんかねえ~(>_<)。だんだん不愉快になってきたので、この辺で気分を変えます。


今年度、大学入試で好結果が出ました。白石高3年生の上様ことU君信州大学人文学部に見事合格! 3,000m級の日本アルプスがそびえる中央高地にあるこの大学へ合格者が出たのは、蔵王山麓の白石高からは初めてだそうで、学校の教師から「良いデータだ!」と言われたとか(^o^)/。

白石城下の高校から松本城下の大学へ進学するとは、彼は城に縁があるようです。ご存知のように長野県は海がなく盆地ばかり。果物王国福島県中通り北部との共通点や、山間部独特の伝統文化に鶴ヶ城のある会津との共通点も興味深いね。

彼は高3になってから心理学を学びたいと思うようになります。秋になって、伸び悩む数学が入試科目にない信州大に、ふと目が留まります。ますます惚れ込み、受験を決意。将来の就職に有利か不利かではなく、自分のやりたいことを貫く開拓者精神・・・頼もしいね。2次試験の会場はキャンパスがある松本ではなく東京でした。だから、彼はいまだに長野県に足を踏み入れたことがないのです。

彼が当塾に通い出したのは中2の初夏。当時から読書好きで国語のできる子でしたが、英語がやや弱点。当塾で使用する中2数学の教材に目を輝かせ、「この問題おもしろいな~」と授業中感激していたな。中3夏までは福島西高(数理科学)を志望していたのに、親友J君の影響もあってか秋になって突然白石高受験を決意します。彼の心には、秋になると人生の転機となるような変化が起こるようです。

3年前の高校入試の時点で、彼の学力は相当高いレベルに達していました。内申点が低いので福島高は難しかったでしょうが、橘高のⅡ期選抜はもちろん宮城県なら仙台三高や宮城一高(旧宮城一女高)あたりの後期選抜なら合格できそうなレベル。ちなみにU君の内申点は、中学3年間の9教科5段階評定が平均4.2に達しなかったため、白石高の入試では前期選抜の土俵に立つことすら許されませんでした。宮城県立高入試の前期選抜は、ハードルが非常に高いのです。

その後中学卒業から高1までの1年間独学していましたが、英語に不安を感じ始めて高2進級前の春期講習から塾に復帰。高校では軽音楽部に所属し、毎週土曜日は部活帰りにエレキギターを背負って現れました。白石高は私服を認めているので、結構サマになっていました。国語は相変わらず強いので、あとは英語。塾では英語のみに集中しました。センター試験4教科6科目では世界史以外の科目は全て8割台とか。見事です。

2017.02.03 塾講師という仕事(第92話:県立高校入試問題から見えるもの)

福島県立高Ⅱ期選抜試験平均点

250点満点
国語
数学英語理科社会5教科総合
平成26年28.324.624.326.426.2129.8
平成27年25.623.826.328.425.2129.2
平成28年28.021.426.027.428.6131.7

宮城県立高後期選抜試験平均点

500点満点
国語
数学英語理科社会5教科総合
平成26年63.253.352.657.255.5281.9
平成27年60.054.568.759.265.1307.6
平成28年65.444.461.650.561.1283.0
塾講師という仕事(第92話:県立高校入試問題から見えるもの)

節分がやってきました。豆まきが終わると立春。福島県立高入試は、Ⅰ期選抜が大雪の2/2(木)に終了し、現在合格発表待ち。Ⅱ期選抜本番までは残り約ひと月。新たなスイッチが入ります。

今年度、当塾の中3生には3年ぶりに宮城県立高後期選抜の挑戦者が登場。いい機会なので、宮城県立高の最近3年間を含めた過去8年度分の入試問題全5教科の分析を完了。上の表は、福島・宮城それぞれ最近3年間の平均点を示したものです。今回はこの話題からいきます。

さて、起こりうる可能性はゼロに等しいのですが、ここである仮定をしてみます。福島県と宮城県が上の資料を使って、それぞれ県立高校入試の作文問題を作るとします。どういう作り方になるのか?私なら容易に想像できます。

まず、宮城県ならこう作るでしょう。「2つの資料を見て、あなたが気づいたことや考えたことを、160~200字で書きなさい。」

一方、福島県ならこんな具合かな。「あなたは国語の時間の討論会で、上の資料を見て気づいたことに基づいて、次の2つの立場のどちらかに立って意見を発表することになりました。あなたの意見を、あとの条件に従って書きなさい。

A 高校入試問題のあり方は、福島県のほうが望ましい。
B 高校入試問題のあり方は、宮城県のほうが望ましい。

条件

1、A、Bのうちのどちらかを選び、選んだ符合を解答用紙の所定の欄に記入すること。
2、二段落構成とし、前段では、資料を見て気づいたことを書き、後段では、高校入試問題のあり方についてのあなたの意見を書くこと。
3、全体を150字以上、200字以内でまとめること。
4、氏名は書かないで、本文から書き始めること。
5、原稿用紙の使い方に従って、文字や仮名遣いなどを正しく書き、漢字を適切に使うこと。」

ちなみに配点は、宮城県が20点で福島県が5点です。南東北の隣県なのに、随分違うでしょ?皆さんは、福島県と宮城県のどちらの出題形式がお好みですか?

まず、資料によれば、全般に宮城のほうが高得点ですね。福島の得点を2倍にしても大部分宮城に追い着けません。福島の中学生は、宮城の中学生より学力が低いんだろうって?もし両県の問題のレベルが互角なら、そう思われても仕方ないでしょうが、早合点はいけません。

私の作問例で、かなりイメージし易くなったでしょう。特に福島の記述問題は、宮城よりも問題の指示・条件を多くして自由度を低くし、教師の求める型に生徒を誘導するという特徴があります。問題数も多く問題文も長いので、社会を除く4教科は制限時間との戦いです。

1教科50点満点なのに、例えば理科の解答欄が50箇所を軽くオーバーする年度もよくありました。2箇所完答しないと、1点が遠い。問題数が多くても平易で高得点を許してくれればいいのです。ところが、平成25年度以前は、平均が数学より低い20点程度にしかならず、理科好きの子が報われない年度が珍しくなかったのです。最近3年間に限れば、理科は抑制が効いて、受験生が得点し易く点差のつき易い出題に変わりつつありますがね。

もう1つ見逃せないのは、解読困難な文字や書き間違いによる失点の影響です。解読困難な文字を書く子って、結構います。例えば、アルファベットのvそれともr?また、hそれともn?平仮名の「か」それとも「や」?カタカナの「シ」それとも「ツ」?書き抜きミスもよくあります。国語の本文から「おかちめんこ」と書き抜くべき問題で「おかめちんこ」と書いたら(@o@;)?両県共に書き間違いは1点減点。宮城なら3点中1失点で済み、2点ゲット。でも、福島の1点問題でこれをやらかすと無得点。福島の1点は重いねえ~。

もうおわかりでしょう。福島の入試は宮城の入試より過酷(>_<)!だから、福島の受験生が宮城の受験生ほど高得点を出しにくいのは当然なのです。教師の指示がやたら多く、子どもが間違いを極度に恐れるのは、この地域の子の特徴だとこれまで思っていましたが、これはもしかして福島県の中等教育の伝統?中・高時代、宮城県で大人から野放しにされて野獣のように育った私の目にはそう映ります。逆に、福島人の目には宮城人が能天気に映ることでしょう。

では、南東北人の能天気度を整理してみますか。会津人<中通り人<浜通り人<宮城人。山形人も仲間さ入れてけろ?置賜人、庄内人、村山人、最上人の特徴・・・?誰か教えて(^_^;)! 

2016.12.06 塾講師という仕事(第91話:危険があぶない?)

塾講師という仕事(第91話:危険があぶない?)

先月、トランプがアメリカの大統領に決まって間もない頃です。「りりィ死去」というニュースが流れていました。昭和がまた一歩遠ざかったな。そう感じると同時に、昭和の大スター松田優作の記憶が蘇ってきました。「蘇る金狼」「野獣死すべし」・・・「ブラックレイン」。

りりィという女優を初めて見たのは、松田優作主演の映画、遊戯シリーズ完結編「処刑遊戯」だと記憶しています。殺し屋の松田優作を裏切る女を演じていたのですが、日本人離れした顔立ちの美人で、夜の酒場でピアノを演奏していたシーンや、拳銃で自ら命を絶つショッキングなシーンが印象に残っています。

この映画、何しろ主人公が殺し屋ですから、もちろんR-15指定。松田優作の大ファンでもない限り女子はたぶん好まないでしょうし、中学生以下は見てはいけません(>_<)。でも、松田優作のアクションがカッコイイし、ラストシーンが私好みなので、印象深い映画の1つとして記憶に残っています。塾生にはお奨めできませんが、どうしても気になるなら、これから一生懸命勉強して、少なくとも高校生になってからにしてね(^_^)。

さて、映画のラストシーン。仕事で使う懐中時計の修理を依頼していた松田優作が時計修理店に現れます。店員の女の子(森下愛子)に「前に話した、古時計がたくさんある喫茶店に行きませんか?」と誘われると、彼女にこう言って店を出るシーンで映画は終わります。「男の人に気安く声かけちゃダメだよ。最も危険があぶないよ!」

シリアスなアクション・シーンが続く中、最後にホッとするギャグ・・・ちなみに、松田優作主演の遊戯シリーズ3部作の第1作は「最も危険な遊戯」だったな。

この「危険があぶない」というフレーズ。気に入ったので、大学時代に気心の知れた友人と麻雀をやる時、流行らせました。第2外国語のフランス語の授業で、うっかりクラスメートの前で使ったところ、ある真面目な男に「新ちゃん、日本語の使い方が変だぜ!」なんて真顔で呆れられたっけ。塾生は真似しないでね。外国人のふりをしたい時は使えますけど(^_^)。

ところで、今年は日本映画の当たり年だそうで、「君の名は」や「この世界の片隅に」というアニメ映画は多くの人が若い人に奨めています。私はまだ見ていませんが、きっといい作品なんでしょう。

私が塾生に奨める映画・・・アニメではない作品なら、古いけど、大林宣彦監督の青春映画、広島県の尾道3部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」なんて、どうでしょう?とてもいいよ!

最後に1つだけ。K中は来年修学旅行で初めて関西に行くそうですね。たぶん大阪あたりで、あるタイプのオジサンに何人も遭遇するはず。でも、その時オジサンに指差して「あっ、ピコ太郎だ!」なんて気安く声かけちゃダメだよ。最も危険があぶないよ!(@o@;)

2016.11.10 塾講師という仕事(第90話:2つの大国の政治判断) 

塾講師という仕事(第90話:2つの大国の政治判断)

今年も立冬を迎え、めっきり寒くなりました。世の話題もお寒い内容ばかり。せめてLIBEROだけは熱い内容でいきたいものですね。

さて、アメリカ大統領選挙の結果は皆さんご存知の通り。テレビの画面には「番狂わせ」の文字が表示され、まるでワールドカップ常連チームが予選で負けて本大会出場を逃したかのような、人々の絶望的な表情が印象的です。 

早速授業終了直前に「先生、トランプ勝っちゃいました。これからどうなるんでしょう?」と、不安ながらも興味津々の中3生からコメントを求められました。世界の動きに敏感になってきたようで、野獣が猛獣に変身しつつあることを頼もしく思います(^_^)。まず、社会科を担当する塾講師の立場から、授業のアディショナルタイムに、彼らにはこんなふうに話しておきました。

「アメリカで大金持ちになった政治のド素人が、あれよあれよという間に頂点まで登りつめてしまったらしい。イギリスのEU離脱がアメリカ国民に想像以上に大きな影響を及ぼしたんだと思う。あの時は私も驚いたけど、今後あれが世界の大きな流れになるような気がして、実は今回トランプが勝つ可能性大と予想してみた。だから、あまり驚いていないんだよ。今後、日本にどんな影響があるか?まだ読めない。ただ、今の日本こそ相当みっともない連中に政治を任せている。他国を非難する資格はないな。アメリカの滅茶苦茶な指導者と日本の滅茶苦茶な指導者が出会って化学反応を起こしたら、どうなるか?「毒をもって毒を制す」という言葉がある。もしかするとトランプの登場によって、私達が望ましい方向へ踏み出すきっかけになる可能性もゼロじゃない。だから、悲観するほどではないかもよ。」

彼らは、意外な表情から少しホッとした表情に変わり、家に帰っていきました。


まず、イギリスのEU離脱について。サッカー界では、サッチャー政権の時代からフーリガンの暴動に悩まされていたことがあるものの、イギリス人って比較的冷静な判断をする国民だという印象が私にはあります。そんな彼らがEUからの離脱を決めたことの意味は、大いに考えさせられます。一体なぜなのか?

「自分達とはあまりに異質な文化的背景を持つ移民の大量流入は、これ以上勘弁だ」という説明もあれば、「ドイツに政治の主導権を奪われている今の状況には、これ以上耐え難い」との説明もあります。最も真相に迫っていると思える説明は、簡単に言えば「1%の富裕層だけがますます富み、99%の人がその1%に富を搾取されるようなグローバル資本主義下で中間層が疲弊しており、EU残留ではこの状況から逃れられず、イギリス国内の政治文化も機能しない」というものです。

写真はネットで偶然見つけたもので、題名は「EU離脱カプチーノ」ですって。凄いセンス!(^_^)


 次に、問題のアメリカです。トランプのこれまでの下品な暴言を額面通り受け取れば、「こんな滅茶苦茶な奴が、アメリカの大統領になるなんて・・・」と、今後極右勢力台頭を懸念する人々が落胆するのは無理もありません。

タラ・レバを言ったらきりがありませんが、サンダースがクリントンに候補を譲った時点で、もう終わったなと私は思いました。クリントンではなくサンダースが決勝に出ていたら、トランプに勝てたかもしれない。アメリカも日本もお互いに望ましい方向へ踏み出せたに違いない。そう思うと、残念でなりません(>_<)。

でも、こうなったらトランプの評価すべき点を探してみますか・・・1つ言えるのは、格差拡大装置となったグローバル資本主義から国内の中間層を守る意味の発言をして、今没落して苦しんでいる中間層の怨念を明らかにした点でしょう。今やすっかりアメリカの植民地根性が染みついて寝ぼけている日本の指導層が、これを機に覚醒すればの話ですが、私達にとって明るい展望がなくもない。

「グローバル化に適応しようだなんて、もううんざり。自分達の身近にあるローカルなものの価値を見つめ直してみようよ。」イギリスとアメリカという2つの大国それぞれの国民の政治判断から私が読み取った最重要ポイントは、そういうことです。


昨今の「ますます進むグローバル化に適応し、世界と渡りあえる人材を育成せよ!」などとほざく日本の財界や、その財界からそそのかされて「英語、英語!」といたずらに青少年を煽る日本の教育界の言葉って、空しさを感じずにはいられません。

さらに不愉快なのは、日本に限らずメディアの読みの甘さです。イギリスのEU離脱といいアメリカ大統領選挙といい、メディアはどちらも「番狂わせ」だと報じたのです。これは、今声を上げられずに苦しんでいるのが誰なのかを探し出すのに失敗しているわけで、メディア界の怠慢とは言えないでしょうか?

日本のメディアも早く目覚めてくれませんかねえ。報道の自由度ランキング世界第72位で先進国を名乗るなんて、悪い冗談です(>_<)。 

2016.10.04 塾講師という仕事(第89話:続平成のうさぎ跳び)

塾講師という仕事(第89話:続平成のうさぎ跳び)

衣替えの季節がやってきました。秋本番です。例年指摘していることですが、年度の後半に当たるこの時期からどの学年も学習内容が高度になります。塾生はこの辺りで気持ちをリセットし、新たなスイッチを入れて、今年度の後半を乗り切ってください。

さて、地元K中の自主学習ノートのことがその後気になっています。塾生はうまくやっているのでしょうか?もう1度思い出していただきます。前々回のLIBERO(第87話)で、私はこんなことを指摘しました。今年度からK中でスタートした学校指定自主学習ノート一括管理方式導入の真の目的は、「雑務に忙殺された教師にとっての事務処理の簡便さ」に違いない。だから、提出後2度と見返すことのないノートには、重要な内容を整理する目的での使用は避け、単純な知識・技能の反復練習帳として使うのがよい、とね。

問題のK中の指導方針変更ですが、その後新たにわかったことがあります。情報源は明かせませんが、かなり信頼性が高いと思われるため、ご紹介しておきます。結論から言えば、K中生の学力向上のためなんだそうです。(@_@)?

きっかけは、ズバリ昨年度のK中の高校入試結果が悪かったからだとか。特に県立高上位校の合格者数が少なく、入試の合否結果も悲惨で、例えば福島西高だとⅡ期選抜は全滅。どの学科を何人受験したかは不明・・・私が知ったのはここまで。

ますますわからなくなりましたね。前の学年(=現高1生)の上位層の入試結果が悪かったからといって、なぜ彼らの学力とは無関係な在校生の学力向上に急に力を入れ始めなければならないのか?現K中在校生の学力が全般に昨年度(=現高1生)のレベル以下だから、新たに学力向上のための手を打つ必要があるのなら、わからなくもありません。

しかし、仮にそうだとしても、肝心の学力向上の手段が、なぜ学校指定自主学習ノート一括管理方式の強制というやり方でなければならないのか?この方式を主導した教師は、「自分の中学時代の経験からその効果を実感した!」とでも思っているのでしょうか?「無意味だから、それだけはやめよう!」という反対意見が出たはずなのに、なぜ多数派にならなかったのでしょう?

そんな謎が残るものの、ここで塾講師としての立場から私の考えを述べてみます。

まず、「昨年度K中上位層の高校入試結果が悪かった」とされる点について。学校の指導力と子ども個人の能力の問題というより、ズバリ通塾率が極端に低かったことが主な原因だろうと私は推測しています。実は、K中の入試結果の良し悪しって、当塾の中3生の在籍者数と高い相関関係があるのです。ちなみに昨年度の当塾の中3生は、開塾以来過去最少の女子3名。そのうち上位層に属していたと思われるのは1名のみ。だから、昨年度のK中の上位層が入試で苦戦するであろうことは、K中の事情を全く知らない私でも多少は想像できました。

仮に通塾率が例年通りだったとします。それでも結果が悪かったのなら、その原因は頼るべき塾・指導者の選択を誤ったということ。合格するために最適な塾・指導者を選択する嗅覚が親子共になかったということでしょう(>_<)。

次に、学校の指導力と子どもの自学自習力はどの程度信用できるのかについて。ズバリ、県庁所在地の高倍率校を志望する場合、それだけでは限界を感じずにいられません。

学校が生徒の学力向上に指導力を発揮するには条件があります。それは、LIBERO(第87話)で話題にしたように、中学教師が世界一膨大な雑務から解放され、きめ細かな学習指導を取り戻すこと。学校と塾は車の両輪だと私は理解しているので、ぜひそうなるよう望んでいます。

ところが、2011年のあの3.11以後、特に福島県の教員が求められる雑務の量は私の想像を絶するはずです。そんな状況下、これまで以上に生徒の学力向上に努めるよう学校に期待するのは難しいと考えるほうが自然でしょう。だって、マジに考えた結論が、今年度スタートの学校指定自主学習ノート一括管理方式の導入だったわけですからね。

次は、子どもの自学自習力。これも心もとない。自学自習力とは、ズバリ言語運用能力。具体的には国語と算数(数学)の力。この2教科が共に高いレベルに達してはじめて他教科の内容を自力で消化吸収する力が得られます。ところが、この2教科が高いレベルでバランスのとれている子って、なかなかいません。そして、皮肉なことに、自学自習力の高い子、つまり学力の高い子ほど塾に通い出すと眠っていた能力が大きく開花するものなのです。

ところで、学校の教師が通塾に消極的な場合どう接したらいいのでしょう?実は、そういう教師は少数派です。自ら口にこそ出しませんが、自分の子を通塾させる教師は私が知っているだけでも相当います。学校だけでは限界があることを最もよく知っているのは、何を隠そう教師自身なのですから。K中が生徒の書き込み教材提出を認めていた頃、「担任の先生から『いい教材使ってますねえ。』って誉められました!」なんて複数の保護者から感謝されたほどです。

最後に、今後三者面談に臨む中1・中2生の保護者の皆さんへアドバイスを少々。まず、自主学習提出の仕方には、昔のように自由を認めるよう担任と交渉してみてください。また、『数学の友』をノートにやる自由と、数学が苦手な子なら解く問題の選択権を認めるよう数学教師に要求してください。高さ1mのバーをクリアできない子にまで高さ1m50cmを跳ぶ練習させることにどんな意味があるのですか?根性の育成?無意味な「平成のうさぎ跳び」からお子さんを解放するために、保護者がお子さんを援護するチャンスなのです。 

2016.7.06 塾講師という仕事(第88話:英語教科書更新の影響)

塾講師という仕事(第88話:英語教科書更新の影響)

今年2016年がオリンピックイヤーだというのは、皆さんなら誰でもご存知ですね。西暦が4の倍数に当たるオリンピックイヤーとは、私のようなサッカー狂ならヨーロッパ選手権(通称ユーロ)の年と理解しており、6月から今頃にかけては血が騒ぎます。これを観戦するために、当塾の開塾初年度である2004年、大会直前にwowow加入を決断したのでした。夏期講習前の貴重な娯楽です。全く興味のない方には、どうでもいいことですがね。

でも、ここからは中学生に大いに関係のある話になります。あまり知られていないことですが、最近のオリンピックイヤーは日本の中学校用教科書が4年に1度更新される年に当たっています。今年2016年は、出来たての新教科書使用開始年なのです。

4年前の2012年は、学習指導要領改訂に基づいて、ついに悪名高き「ゆとり教育」に終止符が打たれ、教科書内容のレベルアップ(=レベルを元に戻す方向)が注目されました。それに比べ、今回は学習指導要領がそのままですから、世間ではさほど大きな話題になっていません。でも、今回の新教科書は、K中生に少なからぬ影響を及ぼしているのです。

当然ですが、中1なら教科書のレベルアップを意識することはありません。ただ、小学校に比べてどの教科の学習内容も急に手強くなったという意識だけは、ほぼ全員が持っていると思われます。

今年度の中2と中3が最も苦労しているのは、たぶん英語でしょう。教科書会社は相変わらず東京書籍のNEW HORIZON。この教科書の内容が大きく変わりました。当塾が契約している教材販売会社の担当者の話によると、全国の中学校用英語教科書の中で、今回最も大きな変更のある教科書だそうです。

そう言えば、今年度が始まったばかりの頃です。「東京書籍の中1英語教科書のALTが超かわいい!」「この教科書で勉強できたら、もっと真面目に英語を勉強したのに・・・」などという野獣(=男子)のつぶやきがテレビやネット上で採り上げられ、話題になっていたな。でも、当塾の現役中学生の野獣が英語に気合を入れ始めた様子は全く感じませんがね(^o^)。

それはともかく、教科書のサイズが大きくなりページ数が増えたことは、誰もがお気づきでしょう。内容も質・量共にレベルアップしています。将来大学進学は当然だと思っている子にとっては、歓迎すべき更新です。しかし、大学進学の可能性も、英語を使う職業に就く可能性も今からゼロと決め込んでいる子にとっては、苦戦しそう・・・。

特に注目すべきは、今回の更新で新出単語の習得時期にズレが生じたことです。前の学年での既習単語が新教科書の新出語句に出てくるのは、我慢できるでしょう。でも、中2・中3生からすれば、新教科書の新出語句に載っていないのに、初めて目にする単語・熟語が本文や練習問題に次々に出てくるのですから、これはストレスを感じることでしょう。前の学年の新教科書で既出語句になったからです。こうしたズレを修正するために、今年度の中2・中3生は昨年度以上に英語の学習量を増やす必要があり、何より精神的なタフさが求められるのです。

「運の悪い年に生まれちまった!」なんて親を恨まないでね(^_^;)。私も埼玉県から宮城県の中学に転校した時、教科書が随分変わり、特に英語教科書が開隆堂から東京書籍に変わった衝撃を思い出します。まあ~高校生以上なら英文を読んでいる時に未知の単語と遭遇するのは普通です。その免疫が今作れるとプラスに考えてはどう? 

2016.6.04 塾講師という仕事(第87話:平成のうさぎ跳び) 

塾講師という仕事(第87話:平成のうさぎ跳び)

今からちょうど1年前になります。中学生が学校で提出を事実上義務化されている「自主勉用ノート」をLIBERO(第58話)(第80話で話題にしました。この問題への対処法は、以前話題にした時点で解決済み!のつもりでいました。ところが、今回またこの問題を採り上げざるを得なくなりました。

今年度のK中2年生が、私の考えと真っ向から対立する指示を学校から受けていることがわかったからです。まず、教師から指定された自主学習ノート(どこからかの寄付?)が2年生全員に配布され、「自主学習を1日1ページ以上そのノートにやって提出するように!」とか。開いた口が塞がりません(@o@)。

1年前は、ここまで悪い状況にはならないだろうと予想して、対処法をご紹介したのに・・・修正しなければならなくなりました。教育の役割として自己決定力の育成を重視する立場から、一見無意味と思える義務を上手に活かすには、こうしたらどうかという対処法を提案したわけです。

ところが、状況は悪化しました。「あまりに無意味だから、これだけはやめてほしい!」と思うことが現実になったのです。もともとノート提出義務自体に反対である私としては、見過ごすわけにはいきません。

無意味なトレーニング・・・ふと、思い出したことがあります。これは「平成のうさぎ跳び」と呼ぶのがふさわしい。うさぎ跳びとは、筋肉や関節に悪影響を及ぼすだけで、効果がほとんど期待できないトレーニング法です。例えば、昭和のテレビ番組「巨人の星」を見たことがある方ならご存知でしょう。しごきの象徴として、昭和のスポーツ界でよく見られたのに、今実践例を見聞きすることはなくなりました。無意味さが共有されたからです。なぜこれに等しいことを平成の中学生にやらせるのか?

 今年度のK中2年生担当教師の意図を想像してみます。

1つは、今年度の2年生の学力が低すぎると評価している可能性です。下手に彼らに自由を与えると、本当に何も勉強してくれない。だから、せめて日記帳感覚でノート作成する習慣からつけさせてみよう。K小でさえノートを教科別に作らせているのは百も承知だが、K中2年生の学力が悲惨なのだから仕方ない(>_<)、みたいな。しかし、当塾生に限れば、今の2年生の学力が例年と比べて極端に劣っているとは思えません。

すると、残る可能性は1つ・・・生徒・教師双方にとって、指定ノートの提出→教師による点検→生徒への返却という一連の事務処理が、スムーズで楽!この指定ノート一括管理方式にメリットがあるとしたら、教師にとっての「日常業務の簡便さ」という形式面しか思いつかないのです。

ところで、うさぎ跳びを強制されているのは、むしろ教師のほうだという見方もできます。例えば、健康不良が原因で欠勤常習者になっている教師なんてK中にいませんか?勝手な推測ですが、授業以外の雑務に忙殺されるあまり、重要な判断に狂いが出ているのではないかと。この雑務がふと気になって、あるデータを調べてみたところ、案の定・・・。

OECDに加盟する全34の国と地域の中学校に相当する教員に対して行われた「国際教員指導環境調査」という資料があります。2013年の調査結果が最新で、公表されたのは2014年6月。ほぼ2年前です。それによると、1週間あたりの勤務時間が日本は53.9時間(平均38.3時間)で、ダントツの1位。ところが、1週間あたりの授業時間だと17.7時間で、平均の19.3時間を下回っています。

これは、日本の中学教員の授業以外に費やす時間が突出して長いことを意味します。例えば、部活などの課外活動指導が週あたり7.7時間(平均2.2時間)。事務作業が週あたり5.5時間(平均2.9時間)。無意味な雑務は思い切って削れないものでしょうか?昨年の座高検査廃止決定のように。

以前LIBERO(第59話)(第60話でご紹介しましたが、私には現在山形県で中学教員をやっている大学時代の友人がいます。彼が述べた次の言葉が印象に残っています。「中学教員にゴールデン何とか、なんてものはない!」翻訳すると、こうかな。「中学教員にとって、ゴールデンウィーク中は、生徒の部活の練習・試合に付き添う業務で忙しく、この時期にのんびり人並みの私生活を送るなんて不可能だ!」

塾講師とは、あまりに対照的。ちなみに学習塾にとってゴールデンウィークは年間で最もくつろげる正月のようなものです。

さて本題。生徒にうさぎ跳びを強いるような今年度のK中2年生の状況は早急に改善すべきだと思います。しかし、やり方を悪化させた教師個人の資質に問題を限定するのは間違いかもしれません。教師に世界一膨大な授業外業務を課し、重要な局面での判断を狂わせるような制度こそが問題です。さらに言えば、そんな制度設計をした日本の教育行政の責任者であるはずの文部科学省か都道府県教育委員会の無能さの問題だろうという気もします。

そう考えると、学校に対して感情的に抗議するのは得策ではありません。日本の中学教員の多くが無意味な雑務に忙殺された生活を送っている事実を知った上で、最善手を打つ必要があります。

私が今年度のK中2年生の親なら、どうするか?まず、今年度からスタートした指定ノート一括管理方式導入の目的を担当教師に尋ねます。こちらの読み通りなら、教科別にノート作成・提出する自由の許可、および書き込み教材提出許可を交渉します。普通許可されるはずです。だって、今まで認められていた生徒の権利を単に取り戻すだけなんですから。

では、担当教師が交渉に全く応じそうにない、昭和の頑固親父みたいだったら?例えば、星一徹さん似?(@_@;)それとも高倉健さん似?(@_@;)あるいは菅原文太さん似?(@_@;)まさかゴ、ゴルゴ・・・(@o@;)

交渉は諦めます!相手が悪すぎます(>_<;)。その代わり、指定ノートは、後で見返さなければならないほど重要な学習記録帳としては使いません。例えば、英単語・英熟語のスペルや漢字の読み書きの反復練習帳として、または計算練習のように単純な技能の反復練習帳として利用するのです。どうせ無料配布のノートでしょ?それでいかがですか?(^o^)/

2016.5.09 塾講師という仕事(第86話:18歳選挙) 

塾講師という仕事(第86話:18歳選挙)

新年度が始まって1ヶ月。ご報告が遅れましたが、まずは最新の入試結果からいきます。当塾の昨年度中3卒業生の進学先は・・・

福島東稜高(普通キャリアデザイン)1名

福島南高(文理)1名

保原高(商業)1名

以上。

3名とも無事に第1志望校に送り込めた点で、最低限の責任は果たせました。しかし、これは開塾以来最少の人数で、しかも野獣(=男子)がゼロとは・・・(@_@)?

それはさておき、今回の受験でおもしろいと思ったのは、当塾生Mさんが受験した福島東稜高の専願入試の問題です。それは「18歳選挙について賛成か反対かを明らかにして、500字程度であなたの考えを述べなさい。」というもの。この問題は、事前に受験生に知らされました。受験生は予め自分が作成した答案の内容を覚えておき、本番でその内容を再現するわけです。

ちなみにMさんは、責任の重さに対する不安から、反対の立場に立った答案を作成後、助言を求めてきました。無理もありません。当然Mさんの立場を尊重し、論理構成や表現について気づいた問題点を指摘し、3回ほど書き直させ、このレベルなら合格間違いなしと確信してから送り出しました。本番ではうまく再現できたのでしょう。

18歳からの選挙については、既にこの夏の参議院議員選挙からスタートすることが決まっています。さすがにもう賛否を問われることはないでしょう。今後は、政治に対する中高生の意識を高めていくための具体的な手段が問われていくはずです。

現在、高校生の政治活動参加の届出を事前に学校に出させるかどうかについて、全国の各教育委員会が検討中です。最近の報道によれば、福島県は「事前届出は各学校の判断に委ねる」としています。宮城県と仙台市は、全国でも早々と「事前届出は必要なし」と表明。一方、それと対照的なのが愛媛県。全県立高校に事前届出を義務づけ、全校が校則を変更したとか。随分窮屈なことをする県ですね。まさか伊方原発再稼動への反対意見を封じるよう、どこからか圧力でも・・・?

ところで、先日の5月3日の憲法記念日のことです。テレビでまともな特集番組がなかった中、ネット上のあるブログに中3生と教師の対話文(フィクション)が投稿されたのを知りました。おもしろかったので、ご紹介します。


>先生:「勘違いするなよ。『思想・良心の自由』というのは、君が何を考えるかの自由なんだ。あくまでも君が心の中で何を考えてもいいということなんだ。ただし、未熟な子どもたちに、『君の考え方を伝える』ことは自由じゃない。彼らは自分の考え方を持っていない。君が自分の考え方を語れば、あまりに影響が大きく、子どもたちを惑わすことになる。だから、君の考え方は君の心の中にしまっておけ。口に出したり、文章にして配布するのは『校則違反』だ。」

生徒:「確かに僕は未熟かもしれません。いえ、きっと未熟です。だいたい、中学3年生で成熟するわけがないと思います。僕らの世代の『思想・良心』は、誰もが未熟なところから形成をはじめ、友達と語り合いながら鍛えられていくものじゃないでしょうか。口に出してはいけない『思想・良心』なんて、言論の自由のない社会と同じです。自分の未熟な考え方も、進歩する機会を失います。」

先生:「そもそも『大人と子どもは違う』ということをはき違えては駄目だ。君の言う『思想・良心の自由』は、大人に対して保障されているもので、『未熟で発達段階の子ども』に制約があるのは当たり前じゃないか。未熟だから謙虚に自らをわきまえ、自分の考え方にこだわらず、他人を惑わすことのないように律するのが正しい学生のあり方じゃないか。だいたい、学生の本分は勉強だ。勉強していい高校に入り、しかるべき大学に進学して、社会的な立場を獲得してこそ、一人前の人間として『思想・良心』にもとづいた発言もできるようになる。まだ、半人前だということを忘れるな。政治や社会に関心を持つのもいいけど、ほどほどにしろ。もう中2なんだから『受験』の二文字だけ考えていればいいんだ。本分は勉強だ。脇道にそれるな。」

生徒:「僕は、今の『受験』に疑問を持っています。社会科で歴史を学んでいますが、なぜか世界で今起きていることは扱わないで、後回しです。歴史を学ぶのは、過去の教訓に学んで、過ちを繰り返さないように、未来をひらくためだと僕は思います。たとえば今起きている戦争について語ることは、当然のことだと思いますが、これも脇道でしょうか。」

先生:「脇道だ。他の生徒は、君よりもっと未熟で、無知だ。無垢と言っていい状態だ。そこに、君のような早熟な子どもの意見が無防備に刷り込まれてしまうと危険なんだ。たしかに、世界で今起きている戦争で、悲劇も起きているだろう。だが、本当のところ何が起きているのかは正確にはわからないものだ。歴史として評価が確定するまでには時間がかかる。授業で取り上げなかったり、受験の試験問題が取り上げないのはそのためだ。誤った歴史を教えるわけにはいかないんだ。」

生徒:「今、何が起きているのか。評価が定まらないからこそ、異なる見方や意見が飛び出して、ぶつけあうことが僕は必要です。たとえ、考え方が未熟であっても、自分の意見をきちんと出して、相手の意見に対しての反論や、第三者の違う意見も聞いて、間違っていたら自分の意見を修正して、認識を発展させていく、それが民主主義じゃないでしょうか。」

先生:「そう考えるのは君ぐらいのものだ。高校生や大学生になってから存分にやればいい。いいか、多くの生徒たちは『受験』に専念しようとしている時期に入っているんだ。今、あえて気持ちをかき乱すような討論を、クラスメイトの何人が望んでいるか考えたことはあるか。『戦争』『平和』『民主主義』、すべて大事なテーマだ。それは認める。だが、君たちが考え論じても、ほとんど意味はない。世の中に対しての影響力はゼロだ。今、自分のこだわりや意見を思い切って捨てろ。余計なことは忘れて、受験にすべてを賭けてみろ。君は、受験という大きな試練から逃げようとして理屈をこねている。あと1年、受験の二文字以外を忘れて勝負して、失うものは何もない。君にとっても得だ。人生の先輩として聞け、君にはこれから時間はたっぷりある。」


この対話文は1970年前後の時代背景を想定し、文部省が「高校生の政治活動禁止通達」を出した1969年当時の芝居の一場面として書かれたようです。色あせないどころか、選挙権が2歳下がる今後の学校生活・家庭生活を想像すると、結構リアルに感じられるのですが、皆さんはいかがですか?

この投稿者は、現世田谷区長の保坂展人氏です。保坂氏は仙台市生まれで、東京の麹町中学時代に政治活動をしたことが内申書に書かれたことから、高校受験では全日制高校全て不合格。そんな理不尽な千代田区と東京都を相手に、何年間も裁判で戦ってきただけあって、人権意識は人一倍高い。国政選挙ではあれだけ弱かった人が、身近な地方自治の世界では水を得た魚のようです。適材適所の典型かも。さすが世田谷区民!民度が高いね。

保坂氏は今回投稿した対話文をフィクションだとしていますが、ただの作り話とは思えません。ご自身の経験に基づいてこれまで考えてきたことを中学生の台詞という形で、また周囲の大人から散々言われたことを先生の台詞という形で表現したのでしょう。芝居の台詞の他、このブログの中で特に重要な指摘だと私が思うのは、次の2箇所の記述です。


>私は、「18歳選挙権」の実現を前に「高校生で模擬投票」やディベートをするのでは遅すぎると感じています。小中学生の時から、教室で自分の意見を出し合い、中途半端な意見や勘違いの見方もどんどん出し合い、間違っていれば修正し、試行錯誤して「自己決定」をする経験がなければ、せっかくの投票権も「市民的権利」として十分に自覚することが出来ないと思います。

>学校教育の場における「政治的関心」「社会的問題意識」は、冒頭の対話のように、長い間、封印されてきました。「政治」「社会」について、ふれず、語らず、評価せずという態度が「中庸」「中立」とされてきたのです。実は、これこそ「批判的思考力の減退」を促し、「現状追認」と「長いものに巻かれろ」的処世術を子どもたちに、植えつけるきわめて「政治的な立場」だということに、私たちはそろそろ気づかなければなりません。


18歳選挙をきっかけに、教育界全体が本当に封印を解き手間暇かけて努力を重ねていったと仮定すると、私の頭の中で、ある妄想が膨らんできます。あと何十年後になるのかわかりませんから、私の死後かもしれません。日本もついにW杯決勝に進出し、世界中からサッカー強国として認められる日が訪れるかもしれない・・・なんてね(^_^)。どういうことかって?

「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話です。保坂氏の言う政治教育が本当に浸透すれば、まずこの国から独裁政権誕生の可能性は薄れていくはず。現在独裁政治に陥る可能性が最も低い国を挙げるなら、真っ先にドイツが思い浮かびます。ドイツって、ナチス台頭を許した反省から戦後周辺国に謝罪し続け、学校では早い段階から政治教育に力を注ぎ、独裁者を出さぬよう徹底しています。保坂氏の考えに近い教育観が既に常識となっている印象です。

さて、ここからはサッカーの話。ドイツは戦後西ドイツ時代に3回(1954、1974、1990)、東西統一後に1回(2014)の計4回と、ほぼ20年に1度の周期で、FIFAワールドカップで優勝しています。特に今世紀に入ってからは滅法強く、日韓共同開催となった2002年に準優勝、2006年と2010年がそれぞれ3位、2014年優勝と、4大会連続で3位以内。ワールドカップでこれほど安定した強さを誇る国は、世界中どこにも見当たりません。

ちなみに私がこれまで最も多く聴いた外国の国歌はドイツ国歌。メロディーは頭にこびりついています。次はイタリア。その次はフランス。アメリカ国歌?知るか!元イングランド代表のゲーリー・リネカーは「サッカーとは、最後にドイツが勝つスポーツだ!」と定義したほど。この尋常ではない強さの秘密は、ドイツ人の身体能力とサッカー関係者の努力だけでは説明できません。戦後教育で培われたドイツ人の精神性が、最も影響しているのではないでしょうか?

サッカーというスポーツは、自由な社会と抜群に相性が良く、独裁とは相性が悪いのです。

南米ウルグアイも良い例です。近年ムヒカ氏のように優れた指導者を出している点と、近年のワールドカップ本大会での強さは無関係ではないでしょう。過去優勝した2回とも独裁政権ではなかったし、軍事政権時代のウルグアイは低迷してワールドカップ本大会出場を逃すことさえあったほどです。

おっと、脱線した話を戻します。18歳選挙決定をきっかけに、当塾現役生と卒業生に、いろいろ考える材料を提供したかったのでした。ただし、私の考えはあくまで個人的見解。自分ならどうするか?各自最終判断してね。

実は私、昔から弱者に優しい社会民主主義的な考え方を好む無党派です。もしアメリカ人だったら、サンダースを推します。今は弱いけど強くなろうと努力する子どもを援護するのが本業ですから、一種の職業病だな(^_^)。

ところが日本は、この立場では選挙で絶対勝てない異常な国。社会民主主義的な考え方なんて別に少数派ではないサッカー強国、ドイツやイタリアのようにはなれないのです。選挙落ちた日本死ね!!!(>_<)

何を言っているのか、意味わかんないって?あはは、塾生もこれから勉強積めば、いつかわかるようになるさ。要するに大人って、立場や経験が違えば、個人によって全く違った捉え方をするということです。

私は選挙権を得てからここに移り住むまで7回引っ越しをしたこともあって、支持したい候補者が自分の選挙区で見つからないこともありました。無党派ですから。では、その場合棄権することは仕方ないのでしょうか?

一見自分の気持ちに正直です。でも、棄権者が増えれば、放っておいても組織の強い政党が必ず勝ちます。つまり、棄権とは、結果的に組織の強い党を信任するようなもの。それでもいいと思うなら、仕方ありません。棄権の自由はありますから。でも同時に、ある日気がついたら、奴隷になっている可能性も覚悟するべきです。そうなれば、歓喜はもちろん激怒する資格すらなし(>_<)。

7月の参議院議員選挙はもうすぐ。真面目に参加すれば、勝敗結果が気になって、ようやく大人になった気分が味わえます。選挙権を得たら、納得いくまで考えて意思表示しましょう。

最後に、私のやり方を少々・・・毎回そうですが、絶対棄権はしません。まず、前回の選挙結果を調べます。チャンスは、わずか一票。原則として、放っておいても楽に勝てる候補者と政党には投票しません。次に、当落線上で必死にもがいている候補者と関係政党を調べ、考え方が自分に近い候補者を見つけ、投票箱に気合を込めて、きえ~っ!職業病だな。(^o^)/

2016.3.04 塾講師という仕事(第85話:対岸の火事) 

塾講師という仕事(第85話:対岸の火事)

今年度の入試もいよいよ大詰め。福島県立高校入試はⅡ期選抜の最終倍率が公表され、あとは本番を待つばかりです。

今回のⅡ期選抜は福島西高で異変・・・この話題からいきます。1次発表の普通科の倍率がなんと1.99倍(@_@)。このままでは2人に1人が不合格。厳しい現実を知って、勝てる気がしないと感じたのか?30名が勝負からオリたため、最終倍率は1.79倍。それでも県立高入試にしては高倍率です。

最も気の毒なのは、最初からこの学校の数理科学を第1志望にしていた受験生でしょう。1次発表では私の予想通り昨年度の反動で低倍率となり、ラッキーと思ったのも束の間でした。普通科が想定外の高倍率となったため、出願先変更後に定員の少ないこの学科へ普通科からまさに14名もの難民が押し寄せてきたのですから、たまったものではありません。その結果、今回穴場と予想した数理科学は、昨年並みの高倍率に跳ね上がってしまいました。

残り16名の難民はどこへ流れたのか?今回なぜか定員割れした福島南高の国際文化へ4名、一か八かで文理へ3名、それぞれ流れたとして、最後の9名はどこへ?

西高志願者が志望校変更するのは、非常に難しいのです。これまで何度も指摘してきましたが、彼らがランクを下げたい場合、県立高普通科(偏差値50程度)の受け皿が福島県北地区に存在しないからです。あくまで県立高普通科系にこだわるなら、福島北高か保原高普通科の2校。しかし、通学の便を考えると、この2校を敬遠して私立高進学を選択する子も少なくありません。今年度は、当塾からの西高志願者は珍しくゼロ。「たまにはのんびり対岸の火事でも見物してみろ」ってことですかねえ。

えっ?西高の入試がそんなに激戦なら、国境を越えて白石高へ志望校変更するのはどうかって?なるほど。新みやぎ模試の白石高の偏差値は普通科が52、看護科が49。西高の受け皿にしたくなる気持ちもわかります。でも、1度西高に願書を出したら、さすがに手遅れです。では、中3の冬休み直前に白石高受験を決意したら、どうなるでしょうか?

まず、宮城県立高入試の前期選抜ですが、福島のⅠ期選抜のような自己推薦入試とは別物です。白石高の場合、普通科・看護科共に中学3年間の9教科5段階評定の平均を4.2以上もらえないと、土俵にすら立てません(>_<)。また、面接がなく、50分600字以内の作文(75点満点)に加え、国数英3教科各50分ずつ合計300点満点の筆記試験が課されます。問題のレベルは後期選抜(福島のⅡ期選抜に相当)と同等という過酷な入試です。今年度の倍率は普通科1.29倍、看護科1.25倍。

では、後期選抜はどうか?本番の学力検査と調査書のウエートは7:3で、本番の筆記試験(5教科500点満点)を重視します。宮城県は当然福島県とは問題の傾向も違いますから、それなりの試験対策が欠かせません。5教科の中では数学が高得点しにくく、他教科では「考えて書け。」という自由度の高い記述問題が目立ちます。国語力のしっかりした子なら、福島のⅡ期選抜より力を発揮し易いかもしれません。ちなみに今年度の倍率は普通科が1.20倍、看護科は1.61倍です。高いね(@_@)!

以上、福島県立高から白石高へ志望校変更する際に最低限知っておかねばならないことを挙げておきました。国境越えの志望校変更だけは、そう簡単ではなく、せめて中3の秋までに決断するべきだとご理解ください。

2016.2.08 塾講師という仕事(第84話:Ⅰ期選抜で通用する内申点)

塾講師という仕事(第84話:Ⅰ期選抜で通用する内申点)

節分が過ぎ、立春を迎えました。例年この時期は福島県立高入試のⅠ期選抜に当たります。今年度は、当塾から女子1名が保原高(商業)に挑戦し、無事合格を決めています。すでに福島市と伊達市の全県立高校全学科へ合格者を送り出していると思い込んでいましたが、間違いでした。意外にも保原の商業科は初の挑戦者かつ合格者だったのです。

これで、福島市と伊達市の全県立高校全学科制覇まで福島明成高(環境土木、生物工学)くらいでしょう。一区切りがついたところで、今回は福島県立高入試のⅠ期選抜必勝法を話題にしてみます。

まず、福島県立高のⅠ期選抜試験とは何か?それは自己推薦入試という性格のもので、県内の中3生なら誰でも自由に受験できます。多くの高校は、中1から中3の2学期までの学校成績に加え、入試当日の小論文と面接の出来を総合的に判断して合否を決めます。Ⅱ期選抜のように5教科各50分ずつの過酷な筆記試験を受けずに済むため、各高校が独自に設定する募集定員の10~45%枠には受験生が殺到して高倍率になります。

そんな中、今年度の保原高商業科は例外でした。倍率は奇跡の1.0倍。強い勝負師が味方についているのだから、自然に運もついてくるさ(^o^)/。「それなら全員合格じゃないか!」そう思うでしょ?ところが、そんなに甘くありません。保原高は定員割れした年度でも容赦なく不合格者を出すことが、過去のデータからわかっています。もし定員割れした学校を受験して不合格の屈辱を味わったら・・・普通立ち直れません。教え子をそんな目にだけは遭わせぬよう打てる手は打ちました。3学期に入ってからⅠ期選抜対策用小論文特訓を開始。保原高Ⅰ期選抜の小論文の古い過去問を偶然保管していたことも幸いしました。

ところで、Ⅰ期選抜の小論文試験とはどういう内容か?気になる方は少なくないでしょう。最も多いパターンは、A3かまたはB4の用紙1枚にぎっしり書かれた随筆文(ジュニア新書に収録されるレベルの文章が多い)を読んで、いくつかの問いに答えるというものです。例えば、漢字の読み書きだったり、傍線部の内容を説明させたり、筆者の考え方を踏まえて自分の考えを600字程度で述べさせたり・・・制限時間は60分が多いかな。

また、Ⅱ期選抜とは異なり、近年は試験終了後に答案用紙はもちろん問題用紙まで回収する学校が大半です。そのため、各高校別の詳細な過去問分析は不可能だというのが現状です。私の知る限り、例外は橘高で、この学校はⅠ期選抜の問題用紙を回収しません。したがって、この学校の過去問なら当塾でも受験生を通じて何年度分か蓄積してあるため、かなり入念な対策が可能です。

ちなみに、当塾からこの学校にⅠ期選抜で合格を決めた子は、過去1名だけいます。評定5の国語が実力テストで振るわないため、中3夏から国語と英語を徹底的に鍛えました。中3の2学期の内申はオール5です。橘高の指定校推薦で中央大へ進学し、現在大学生活を謳歌中♪さすが三姉妹の三女、要領の良い子だこと。

長女と次女も共に当塾卒業生です。長女は上品な典型的お嬢様。福島南高のⅠ期選抜こそ不合格だったものの、Ⅱ期選抜でリベンジ。大学は桜の聖母を卒業し、今は社会人♪次女はオール5までもう一歩という抜群の成績で、本人がその気なら福島高Ⅱ期選抜は合格確実でした。ところが、Ⅰ期選抜で福島東高へ進学し、大学は首都大学東京へ。現在、都内の大手金融機関でバリバリ働いているとか♪

さて、学校成績の話が出たところで、ここからはマジな内容を。Ⅰ期選抜で合格するには、どのくらいの内申点が求められるのか?皆さんが最も知りたいのは、その点でしょう。

まず、偏差値40台の高校なら、2の評定をもらわないよう心がけることです。このランクの学校で唯一厳しいのは、福島明成高。例年高倍率で、9教科合計ポイントがどんなに高かろうと、中3で2の評定を1つ以上もらった子は今のところⅠ期選抜は全滅中(>_<)。体育だけが2でもダメです。評定2が事実上のレッドカードとはね。同ランクの保原高・福島北高や少し上位の福島工業高のように、2の評定があってもⅠ期選抜の合格例があるのとは対照的です。

次は、偏差値50台の高校から。福島商業高は内申オール3+スポーツ推薦での合格例もありますが、9教科合計ポイント33あたりから受験するのが一般的でしょう。

福島西高だと、デザイン科学は福島商業と同レベル。それ以上に重要なのは、当日の実技で制作する作品の出来でしょう。普通科は9教科合計ポイント36+アルファから。+アルファがなさそうならば、5の評定をできるだけ多くもらうこと。数理科学は普通科より少々低くても大丈夫。

福島南高は、国際文化と情報会計なら福島西高普通科に近いと見ればOK。文理だと9教科合計ポイント38あたりからでしょう。当塾からこの共学校をこれまで受験した子は、なぜか全員が女子・・・(@_@)???

最後は福島高。小論文と面接に加え短時間ながら英語と数学が課されます。ちなみに当塾からは野獣(=男子)2名がⅠ期選抜に挑戦したことがありますが、残念(>_<)!数検準2級(高1数学基本レベル)は役に立たず。1名は、K中の男子には珍しく学年トップでオール5の成績でしたが、通用せず。でも、Ⅱ期選抜でリベンジに成功♪もう1名は、K中トップの子までが不合格にされた現実に恐れをなしたか、Ⅱ期選抜で志望校を橘高に変更し、合格♪

募集定員の10%に当たる32名に選ばれるには、オール5は当然で+アルファが必要なのです。+アルファとは、英検や数検準2級のような低次元の学力ではなく、おそらくもっとスケールの大きな能力、例えばリーダーの資質、優れた文章表現力、対話力、芸術分野の実績、スポーツの戦績、等と解するべきでしょう。でも、そんな子って、K中あたりだと、おそらく数年に1人・・・しかも女子のみでは?

2015.12.02 塾講師という仕事(第83話:修学旅行)

塾講師という仕事(第83話:修学旅行)

 先日の高2英語の授業でのこと。現在白石高校に通うJ君とU君から「12月第1週に3泊4日で修学旅行に行く」という話を耳にしました。行き先は京都・奈良・大阪。新幹線を使うそうです。なるほど、地元の白石蔵王駅が使えますからね。

こんな寒い時期に?一瞬そう思いましたが、それは東北人ならではの感覚なのでしょう。同じ盆地とはいえ、キョナラ地方の寒さなど福島に比べればどうってことありません。この時期にキョナラ地方へ足を運んだことがないので、詳しくはわかりませんが、12月上旬ならまだ紅葉も見頃なのかもしれません。また、定期テスト終了直後ですから、生徒にとってはちょうど羽を伸ばせるいいタイミングです。他に学校行事もなさそうだし。「この時期に関西か。いいなあ。おおいに楽しんできなよ。」そう彼らに声をかけておきました。


修学旅行か・・・そういえば、私の母校の高校には学校行事に修学旅行がありませんでした。日常がイタリアで過ごしていたようなものですから、当時修学旅行がなくても不満は感じませんでした。もしあれば、教師の目を盗んで夜の繁華街へ出かけ、飲んで金を使い果たしてしまう者が続出するのは目に見えています。男子校で育った野獣って、そういうものなんです。だから、私の修学旅行の思い出は中3までさかのぼります。その時の思い出は以前LIBERO(第35話)でご紹介しましたが、もう1度。

あれは、宮城県名取市立M中に転校して間もない頃でした。この学校の修学旅行先が2泊3日で東京と日光だと知って、とてもがっかりしたことを思い出します。「広い東北は見所満載のはずなのに、なぜわざわざ関東なんぞへ(>_<)?」と。当時の私は北の世界に憧れていました。修学旅行先は十和田湖や函館辺りになるのではないか?そんな期待を勝手に抱いていたのです。

修学旅行初日の朝、東北本線名取駅に集合した200名以上が一斉に上野行き団体専用列車に乗り込みました。ちなみに当時M中は1クラス40名強が5クラス。列車は途中ここ国見も通過しています。特に、あつかし山を巻くように走る貝田~藤田間の車窓は楽しみの1つで、東北本線ではNO.1だと私は今でも思っています。もし「日本の鉄道車窓100選」があれば、ここの車窓は選ばれるのではないか?以前LIBERO(第04話)にそう書いた記憶があります。

さて、列車は昼前に終点上野駅に到着。最初の集合場所は上野動物園です。ここは幼い頃来たことがあるけれど、中3にもなって、また来るとはね。他には浅草と国会議事堂へ行った記憶がありますが、どこへ行っても退屈でした。もともと全く気乗りがしない東京行きだったのですから、仕方ありません。

ところが、水道橋の宿での夕食後のことです。いくつかのグループに分かれて外出することになりました。一番人気は後楽園球場(当時はまだ東京ドームがありませんでした。)でのプロ野球観戦。私は散歩(行先不明)を選びました。参加者は私を含めた野獣(=男子)わずか3名で、引率教師は北京原人というあだ名のついたO先生(学年主任で社会科教師)。

まず、水道橋から黄色い電車に乗り、秋葉原で青蛙色の電車に乗り換えます。東京駅を通過し、降車駅は有楽町。そこから延々と歩きました。そう、そこは日本一の繁華街、銀座だったのです。夜のネオンがとても美しく、歌謡番組でしか見たことのない派手な服装をしたお姉さんが、いるわいるわ(^o^)。途中、ホームレスっぽい人から声をかけられました。「お兄ちゃんたち、どこから来た?」こんな夜の時間帯に銀座に中学生がいるとは予想外だったのでしょう。

ところで、私の卒業した埼玉県熊谷市立M小の修学旅行先は、2泊3日で鎌倉と箱根です。その時、まさか中学の修学旅行が東京になろうとは夢にも思いませんでした。実際昼の東京は退屈・・・ところが、夜の東京は別世界でした。「東京の魅力とは、実は夜の繁華街なのだ!」私はそう学んだのです(^_^)。

O先生の粋な計らいをきっかけに、O先生を尊敬するようになりました。普段顔の色は酒焼けし、二日酔いの消臭剤代わりか髪には強烈に臭う整髪剤。授業中教室で煙草は吸うし、その吸殻を2階の教室の窓から投げ捨てるような教師です。「ただの酔っぱらい」だと思っていましたが、間違いでした。「只者じゃない酔っぱらい」だったのです(@_@;)。

2015.11.17 塾講師という仕事(第82話:形式より内容)

塾講師という仕事(第82話:形式より内容)

すっかり日が短くなりました。この時期、どの学年の塾生にとっても、1学期に比べて学習内容が高度になっているので、大変でしょう。しかし、夜が長い分だけ勉強に読書にまとまった時間を確保できるのも事実。学校の年間カリキュラムというものは、うまく作られているのです。塾生は湯冷めと睡眠不足にだけは注意して、秋の夜長を存分に楽しんでください。

さて、中3生は、県立高入試Ⅱ期選抜まで残り4ヶ月を切り、私立高入試だと残り2ヶ月まで来ました。そろそろラストスパートに向けてギアを上げていく時期でしょう。本番で大ジャンプ(=合格)するには、何と言っても助走(=準備)が大事ですからね。

まず、1日あたりの勉強時間について。よく質問を受けますが、個人差があるので一般的な助言は難しいな~。具体例からいきましょう。例えば、「今日は5時間勉強したぞ!」と口にする子がいたとします。凄いと思いますか?もしこの程度でビビるようなら、まだまだ。重要なのは勉強時間ではありません。勉強して身につけるはずの中身が問題なのです。

本当に優秀な子って、勉強時間やノート何ページなどという形式的なことは気にしません。そんなことより「今日は図形のこういうタイプの問題が解けるようになった!」という実質的な目標達成感を重視しています。「このタイプの問題がまだ解けないから、今日はわかるまでやろう!」「このタイプは解けるようになったから、今日は終わり!」みたいな。だから、数学の勉強が1時間で済む日もあれば、2時間半かかってしまう日もあります。スポーツや楽器の練習だって同じこと。サッカーでキーパー付きのシュート練習をするなら、5本決めたらアガり。決まらない日は5本決めるまで続けるのです。

ところが、これまで勉強時間や自主勉ノート提出ノルマといった形式面にこだわるあまり、時間をかけているわりには成績が上がらない子を多数見てきました。このうち自主勉ノートについては、以前LIBERO(第80話)(第58話)で指摘した通り。

そういう形式面ばかり気にする子って、実は勉強中あまり頭を使っていません。「何時間勉強するか?」「ノートを何ページ埋めるか?」ばかりに注意が向き、書いた内容を体系的に理解する手間を省くようなのです。

解いた問題を自分で答え合わせして、誤答に×をつけ、赤ペンで直す時もそう。解けない問題の模範解答をただノートに書き写すだけで、「なぜ間違えたのか?」「どうすればスムーズに正解にたどり着けるのか?」をじっくり詰める手間を省くのです。「家庭学習は、内容が身についたかどうかを基準にする」という当たり前のことが実践できていません。飛躍する絶好のチャンスを自ら逃しているわけです。

こうした傾向がある子って、なかなか成績優秀者の仲間入りができない成績中下位層の子。気持ちはわかります。○がなかなかつかず正答率が半分にも満たないと、たとえ重要なプロセスだと頭ではわかっても厳しい現実に心が耐えられず、考える手間を放棄したくなるのでしょう。その姿勢さえ変えられれば、飛躍は時間の問題なんですが・・・。

ところで、最近部活で思うような成果が出せないと感じている中1・中2生はいませんか?もしそう感じるなら、まずこれまでの自分の練習への取り組み方を振り返ってみてはいかがでしょう。決められた練習時間内にノルマをこなすことが目的化し、実は練習中ほとんど頭を使っていないのではないか?とね。

「自分はそのケースに該当するかも・・・」「時間はかけているのに上達しない!」そう感じる人は、今後内容理解最優先に意識を変えてみてください。大化けへの道はそこからです。

この視点からすると、県立高校受験生が家で勉強する教科は、数学または英語から1教科、理科または社会から1教科で、原則1日2教科ペースがお奨め。学校の授業がある日は、その辺りが限界かな。まとまった時間が取れる休日なら、国語を入れて3教科もいいでしょう。

1日5教科全部勉強するような無謀な計画は避けること。入試直前の最終調整なら、わからなくもありません。でも、秋から冬にかけては、まだまだ知識・技能をレベルアップさせる大切な時期。受験生の知識・技能って、入試直前まで伸び続けます。「今日はこの単元がわかるまでやろう!」と自分が納得いくまで掘り下げていくと、例えば数学1教科だけでも知らぬ間に数時間ぐらい経過してしまうもの。こんなペースで普通の受験生が1日5教科もこなすのは、ほぼ不可能だとわかるはずです。

次に、ストレス解消法について。部活を引退した受験生は、受験勉強のストレスをいかにして解消したらよいのか?まあ高3生なら、友人と酒や麻雀という究極のストレス解消法があり・・・いや、これは男子校でしか通用しないな(>_<)。ちなみに、私の一番のお奨めは農作業。体を使うのはもちろん頭も使うし、新たな発見で感動できるし、お手伝いにもなって喜ばれるし、良い事ばかりです(^o^)/。スマホだけは極力時間制限しないとね。今持っていない子なら、心配御無用。


最後に、右上の写真をご覧ください。ネットで見つけた、ある小学2年生用漢字ドリルです。問題は、この漢字の文字列・・・偶然か?やはり意図的なのか?いずれにせよ、マジで勉強していると、意外な発見でストレス解消できることもあるという一例です。賢い小学2年生なら「父上、お仕事がんばってるんだ。男はつらいよ(@_@;)!」と理解したうえで、漢字を覚えるのでしょう。

2015.10.19 塾講師という仕事(第81話:護憲道)

塾講師という仕事(第81話:護憲道)

学生時代、先輩からよく言い聞かされたことがあります。「酒を美味しく飲みたいなら、よほど気心の知れた人と飲む以外、政治と宗教とプロ野球の話はタブーだ!トラブルのもとだからな。」と。今回そのタブーを一部破ってみます。ここは飲み屋じゃないし(^_^)。

さて、もうひと月以上前になりますが、9年ぶりに東京へ行ってきました。塾の教え子、力君の結婚披露宴に呼ばれたのです。実は、彼の父上は私の前職場の塾長です。毎年4月中旬、喜多方ラーメンを食べて三春の滝桜を見るために、教え子を連れて必ずここに泊まりに来ます。

式の前日、塾長はわざわざ国見まで車で迎えに来てくれました。まず、夕方6時頃「じょーもぴあ」こと宮畑遺跡の案内人でもある縄文文化研究家ジョバンニ氏(最近ではLIBERO第74話に登場)を迎えに福島市の街中へ行ってから東北道へ入り、南下します。周囲の景色は暗くてわかりませんが、白河の関を抜けると標識には懐かしい関東の地名が次々に現れ、興奮してきます。埼玉県と東京都の境を流れる荒川を越え、しばらくした頃でした。「あれ何だかわかりますか?」左手を見ると、妖しげな細長い棒状の光。「おっ、あれが東京スカイツリー?」「正解!」

土曜の晩にもかかわらず車の流れはスムーズで、夜9時過ぎには東京三鷹の塾長の秘密基地に到着。前祝いの宴会は9時半からスタート。塾長、ジョバンニ氏、私の中年男3名に、塾長の教え子の青年2名で合計5名。

懐かしい話題満載で次第に盛り上がり、話題は安保法制反対デモから憲法へ。青年の1人がある不安を口にしました。「もし外国が日本を攻めてきたら・・・?」現政権の支持率が下がらない謎を解くカギは、この問いにありそうです。

「日本がアメリカの言いなりになって攻撃を仕掛けない限り、それはない。石油も出ないし強い一神教もない、こんな国を攻める理由がない。」そう口にしようと思ったその時でした。塾長が驚くべき説明をしたのです。

「そう質問してくる人があまりに多いのだが、そういう問いの立て方自体が間違いなのだ。前文に始まり103条にかけて一文も無駄のない完成度を誇る日本国憲法。ここに書かれていることは『他国から絶対に攻め込まれない国になれ!』と読むのが正しい。では、他国から絶対に攻め込まれない国とは何か?それは、戦争する可能性ゼロを前提に世界中から信頼される国だ。万が一、日本を攻めようとする国が出てきたとしよう。だが、そんな国はまず国際社会が絶対に許さない。『国際社会からそれだけ信頼される国を作りなさい!』と日本国憲法は言っているのさ。」

今まで聞いたことがない、魂が揺さぶられるような説明・・・ついに現憲法の本質に辿り着いたような気がしました。最後は、昔感動した懐かしいウルトラセブン最終回のDVD鑑賞で宴会を締めくくり、気がつくと朝の4時。それから眠りにつきました。

翌日の披露宴の最後、少なくとも200人はいたであろう出席者の前で、彼は新郎の父親として衝撃のスピーチをします。まず、前夜皆で憲法について語ったことを述べ、「私は、自衛隊は違憲だと思っています。」と話を切り出したのです。これには、さすがの私も酔いがさめました。場内は静まり返り、ホテルの従業員は直立不動。そして、前日述べた憲法解釈を再度披露した上で、最後にこう結ぶのです。「だから、新郎新婦は人から信頼される人間になってもらいたい!」場内は割れんばかりの大拍手。


「自衛隊は違憲。」久々に耳にしました。あれは高3の政治経済の授業・・・当時、同級生の間では「やはり自衛隊は違憲ではないか?」という意見が合憲派を圧倒していたのを思い出します。複雑な心境でした。

「憲法をいくら読んでも、自衛隊が合憲とはどうしても読み取れない。前文にも9条にも自衛の文字はないし、むしろ自衛さえ放棄しているようにも読める。しかし、自衛隊には恩義がある。幼い頃あれだけお世話になった人の職業を違憲とするのは抵抗がある。どうすればいいのか?」

私は、夏暑くて有名な埼玉県熊谷市で生まれ育ちました。ここは航空自衛隊の基地があり、自衛隊は身近な存在です。父も熊谷基地勤務の自衛官で、その後宮城県の松島基地に配属されました。小学校時代の私は自衛官のO先生がボランティアで開いた道場に毎週末通い、柔道に打ち込んでいました。道場では、武田信玄風林火山なども暗唱させられました。先生は柔道を通じて、本当は現憲法の奥義「丸腰といへども負けずやはら道」を伝えたかったのだろうと今では思っています。

しばらくして「自衛隊は違憲ではない」というのが政府見解であることを知りました。自衛権(たとえ憲法に書かれていなくても、攻め込まれたら反撃できる権限)なら認めてもよかろうという論理です。当時、そんな見解があることを知って、気持ちが少し楽になったことは確かです。

でも、矛盾するようですが、大学進学後選挙権を得てから今まで、私は自民党には1度も投票したことがありません。恩を仇で返してきたのではありません。自民党が自主憲法制定を党の目標の1つに掲げていることを知り、この党を選挙で大勝させることに危険を感じたからです。自衛隊が外国軍と戦闘する確率をゼロに近づける。これこそ、私の少年時代隊員が戦争体験者で占められていた自衛隊の恩義に報いる道だと判断したのです。

にもかかわらず、第3次(=大惨事)ア○内閣という危険な政権が始動してしまいました。何が危険かって?それは、彼らが日本国憲法を「押しつけ憲法」「みっともない憲法」などと愚弄し憎悪する態度です。戦後築いた価値を次々に破壊している昨今の下劣さは、自らをあの戦争指導者の後継者だと宣言したに等しく、自民党はついに改憲マニアの極右勢力に乗っ取られたと理解するのが正しいでしょう。

そんな状況下、護憲の論理に力を与えてくれた中原塾長を誇らしく思います。戦争体験者の遺志を受け継ぐには、現実に合わせて憲法を変えるのではなく、現実を憲法の理念に合わせる努力こそ正しい道だと確信しました。

2015.6.10 塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

新学期が始まって、早くも3ヶ月。梅雨入りはもう間近。2学期制の高校は、4日連続の中間テスト直前です。中学生は中間テストが終わって、ホッと一息といきたいところでしょう。でも、今月下旬にはもう1学期末テストが待っています。おまけに、今は中体連のシーズン中で部活の練習も追い込みのピーク。

特に今の時期、中1生は最も難しい学年だと言っていいでしょう。中学生活に適応するのが簡単などころか、苦労する子が毎年必ず存在します。町の小学校がまだ1か所に統合されていなかった頃、超小規模校のK小・O小・M小の卒業生の中にそういう子が目立っていたのを思い出します。

今は統合されたK小から全員そのままエスカレーターでK中へ進学しますから、以前ほどは目立たなくなりました。でも、小学校との違いに戸惑う子は今でも存在します。「中学生活って、なぜこんなに慌ただしいのか?」そして、中間テストや期末テストの得点と学年順位という厳しい現実に直面して初めて衝撃を受け、1学期終了時に渡される通信簿の5段階評定を見た瞬間、親の血圧は頂点に。「うちの子、こんなにおバ〇だったとは(@_@;)?」

環境の激変による違和感・・・わかる気がします。以前LIBERO(第07話)でご紹介したことがありますが、中学入学直後の新たな環境への適応には私も苦労した思い出があります。おそらく皆さんとは違った意味で。例えば、服装です。制服のない小学校で育ったせいか、入学後しばらくの間、詰め襟の制服着用を義務づけられる中学生活の息苦しさには、相当違和感がありました。「葬式じゃあるまいし、軍隊でもあるまいし、全員真っ黒の同じ格好をして毎週朝礼だなんて、不自然だ!」みたいな。

幸い通信簿についての違和感はありませんでした。私の頃は、小学校1年生の1学期だけが4段階評定で、2学期からは5段階評定。これが当たり前だと思っていましたから、中学入学までに免疫ができていました。宮城県名取市立M中に転校した時は10段階評定で、これには驚きました。でも、実際に評定が出てみると、今までの2倍の高評価を受けているようないい気分だった記憶があります(^_^)。

さて、この辺でマジな話題に切り替えます。中学時代の私と今の中学生との大きな違い。その1つは「自主勉用ノート」作成・提出義務の有無にあります。ちょっと待った!自発的にやる勉強が義務(@_@)?少なくとも私は、小中高時代を通じて自主勉用ノート提出なんて求められた記憶はありません。10年以上前まで東京の塾で仕事をしていた頃も、そんなことを話題にする生徒はいませんでした。

ところが、この地で塾を立ち上げて以来今日に至るまで、自主勉用ノート提出に悩む中学生の多いこと。無理もありません。今では1日あたりノート1ページがノルマだったり、教材に直接書き込んだものを提出するのは不可なのに、「数学の友」という書き込みスペースの狭い副教材に限ってノートではなく教材に直接やることが義務だったり・・・。この地域の伝統的なやり方なのか?福島県独特のやり方なのか?それとも、私が知らないだけで、今では全国どこの公立中学でも似たようなものなのか?

いずれにせよ、ハッキリ言って、大きなお世話です!勉強のやり方もペースも自ら試行錯誤を経て、ようやく自分に最適な方法に辿り着くもの。それができない子がいた時に、はじめて個別に具体的な助言をすればいいだけの話で、最初から一律に義務づけるのはどうかなあ?

困りましたね。思い切って義務を無視し独自の方法を貫き、それで抜群の成績が維持できれば伝説になれます。でも、リスクが大きい。

では、義務を100%受け入れたら、どうなるか?例えば、実際に自主勉用ノートを毎日コツコツ作成して提出しているにもかかわらず、さっぱり成績が上がらず、学力の伸びない子は山ほどいます。なぜだと思いますか?

それは、「ノート作成とは、あくまで学力向上のための手段である」という当たり前のことを忘れ、ノートを提出して「やる気ポイント」を稼ぐこと自体が目的化してしまうからです。

彼らの大きな特徴として、複数教科の勉強を1冊のノートで済ませる点が挙げられます。何月何日に何の勉強をしたという具合に、提出用ノートを単なるノルマや日記の感覚で作成しているのです。提出する時、楽だからでしょう。まさか、そのやり方って義務?(@_@;)

このやり方には大きな問題があります。教科別の知識・技能の体系化がしにくいため、学習内容が頭に残りにくいのです。さらに深刻なことに、そのようなノートは作成して提出すること自体が目的ですから、返却後確認印を見たら最後、同じページが開かれることは2度となし。これでは、効果の期待度はゼロに等しい。いや、それどころか、貴重な時間を無駄に浪費させられる子どもの苦痛を想像すると、効果はマイナスと見るべきでしょう。

そうした悲惨な塾生を救うため、私はこれまで言い続けてきました。「塾で作るノートは全て自主勉用ノートとして活かせ!」「自主勉用ノートは必ず教科別に作れ!」と。私が今K中生なら、必ずそうするはずだと思うからです。

2015.03.06 塾講師という仕事(第79話:東北人の先進性)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 まずは、美智子皇后のご発言の引用で締めくくった前回の続きから。

あのご発言を知った時、まずピンときました。「美智子皇后はあの番組をご覧になったのではないか?」と。それは震災後10か月余りが経過した2012年1月15日、NHKのETVで放送されたドキュメンタリー番組、「日本人は何を考えてきたのか第2回~自由民権東北で始まる」のことです。

気になったので調べてみたところ、あの番組が初めて放送された8日後の1月23日(月)、天皇皇后は東京都あきる野市(旧五日市町)を訪れ、五日市憲法草案を見学されていたことがわかりました。ちなみに、ああいう施設は月曜日に休館することが多いものです。

あの番組は、東日本大震災の悲劇に遭遇した東北人の悲しみに寄り添い、復興へ向けて前進しようとする東北にエールを送るために、東北で生まれた優れた知性を紹介することを意図して、企画されたのでしょう。東北人必見の価値があると思われるため、簡単にご紹介しておきます。


今から150年近く前の1868~1869年、日本版南北戦争とも言える戊辰戦争がありました。この時東北全体が賊軍とされ、多くの人が命を落としました。特に会津藩の悲劇は、福島県人の皆さんならよくご存知でしょう。その後、薩摩長州中心の藩閥政治に対抗するべく自由民権運動が盛んになっていったわけです。

中でも、福島と高知は自由民権運動の二大中心地だったのです。今でも両県の行き来は大変なのに、当時民権家の間で深い交流があったそうです。民間憲法の起草者として、高知の植木枝盛の名は高校の日本史で出てきたため、知っていました。でも、その憲法草案の内容がどれほど優れたものかは知りませんでした。浪江町出身の苅宿仲衛という民権家の名とその憲法草案については全く知らず、この番組で初めて知りました。

ところで、戦後から今に至るまで「日本国憲法はアメリカからの押しつけ憲法だから、破棄して自主憲法を制定すべし。」などと主張する人たちがいます。その主張が言語道断であることを改めて確認できるでしょう。

番組では、戦後GHQが現憲法草案を作る時に大いに参考にした、日本人の作った重要な案を紹介しています。それは憲法研究会という在野の人々による案で、現憲法にかなり採り入れられています。そのメンバーの中で唯一の憲法学者、南相馬市出身の鈴木安蔵の功績は極めて重要です。高知の植木枝盛の憲法草案を再発見し、日本でも明治時代から既に民主主義が構想されていた事実をGHQに理解させたからです。

明治初期に生まれた憲法草案には、その後埋もれて日の目を見なかったものが多数ありましたが、その水準は既に現憲法の域に達していました。例えば、岩手県久慈市出身の小田為綱の憲法草案。この番組で初めて知りました。

極めつけは、宮城県栗原市出身の千葉卓三郎が、放浪の末辿り着いた先で地元の青年との議論の末まとめた五日市憲法。これは、私の中高時代の社会科教科書には載っていませんでしたが、今の中学用歴史教科書には植木枝盛の東洋大日本国国憲按と並んで載っています。この草案を1968年に発掘した歴史学者の色川大吉さんが、当時の衝撃を番組の中で語っていました。

私の母校の高校の大先輩でもある憲法学者の樋口陽一さんは、番組の中でこう総括しました。「自由民権運動は日本国憲法への地下水脈の水源で、敗戦でその水が表に出る機会を得たと理解している」と。

また、高校時代に樋口さんの1年先輩だった菅原文太さんが、番組の案内役を務めています。この番組は、昭和の大スターで、晩年は山梨県で農業をやっていた「長靴を履いた知識人」、菅原文太さんの追悼番組として見ることもできるでしょう。

2015.02.13 塾講師という仕事(第78話:中3公民の重要ポイント)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 今回は中3受験生の多くが苦手にしている社会科をテーマにしてみましょう。受験科目としての社会科は、一般に暗記科目と言われることが多いようです。その点については、私も否定しません。まず、知識がなければ、どうにもなりませんからね。しかし、暗記というものは、まず内容を自分なりに理解してからでないと、なかなか頭に入らないものです。受験生にとっては大変だと思いますけれども、まずはじっくり理解してから覚えることを心がけてください。

さて、今回は中3社会科の公民分野から日本国憲法を採り上げます。受験生の立場からすれば、覚えることが多すぎて辛いと感じているかもしれません。この辺でひと休みしながら、少し考えてみましょう。そもそも憲法って、どういう決まりだと理解していますか?校則や交通ルールのように私達が日常生活で意識的に守らなければならない決まりでしょうか?

違います。簡単に言えば、権力者に勝手なことをさせないように、私達が権力者に守らせる決まり、つまり私たちの強~い味方。中3公民の教科書にも載っている「立憲主義」という考え方、これこそが憲法の本質です。

だから、今の日本国憲法に国民の義務の規定が少ないのは当然なのです。それどころか、国民の三大義務とされている「子どもに普通教育を受けさせる義務」「「勤労の義務」「納税の義務」でさえも政府の義務と考えることができます。つまり、国民がその3つのことを果たせるように、政府は必要な仕組みを整え、国民を支援しなければならない、と。

実は、私が「立憲主義」を初めて知ったのは、大学進学後に憲法を学んでからです。中学高校時代の教科書に「立憲主義」という記述はなかったと記憶しています。これほど重要なことが昔の教科書に出ていなかったのに、少なくとも今世紀に入ってからの教科書には載っている事実。ずっと疑問でしたが、最近その謎が少し解けました。

簡単に歴史を辿ってみます。まず、明治時代の1889年に、君主権の強いドイツを参考に制定された大日本帝国憲法下。臣民の権利が相当制限されていたにもかかわらず、当時の帝国議会の議員には、自分達が権力を縛るという強い自覚があったそうです。少なくとも今の政治家と比較したら失礼なほど憲法の本質を理解していたことになります。確かに、立憲改進党や立憲政友会に代表されるように、「立憲」と名のつく政党が数多くあったことが何よりの証拠。

ところが、戦後は「民主主義」が強調され、主権者である国民に直接選ばれたのだから、自分達こそが一番偉いという感覚を国会議員が持ち始めます。こうして、いつの間にか「立憲主義」の重要性があまり意識されなくなってしまったようです。

それが、1980年台に入って社会主義の力が弱まって冷戦終結への流れができると、19世紀ドイツの伝統である権力制限の論理が再評価されます。「立憲主義」は民主主義に優越するという考えがヨーロッパ全体に浸透したのだそうです。日本の中学高校用教科書の執筆者が「立憲主義」を記述するようになったのは、その影響と言えそうです。「立憲主義」とは、時に過ちを犯す民主主義にさえ歯止めをかけるものだと理解しておきましょう。


最後に、現憲法擁護者の象徴と思われる方が、2013年10月の誕生日に述べられたという実に味わい深いご発言の一部を引用しておきます。その方とは、美智子皇后です。どんな文脈なのか全文を読んでみたい方は、宮内庁のホームページをご覧になってみてください。

>五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。 

2014.12.05 塾講師という仕事(第77話:「男らしい」とは?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 先日、中3国語の授業でこんな問題を扱いました。突然ではありますが、読者の皆さんも一緒に考えてみてください。

次の各文の「らしい」の中から、意味や働きが他と異なるものを1つ選び、記号を書きなさい。

ア あすは雨が降るらしい。

イ こんどの日曜日に、行くらしい。

ウ 彼は、じつに男らしい。

エ 暗くてわからないが、どうも犬らしい。

まず、アとイの「らしい」については、動詞にくっついていますから、いずれも「~と思われる」という意味の推定の助動詞だとわかります。厄介なのは、ウとエの名詞にくっついた「らしい」です。試しに、名詞と「らしい」の間に「である」を入れてみると、ウは「彼は、じつに男であるらしい」、エは「暗くてわからないが、どうも犬であるらしい」。エは、「ある」という補助動詞にくっついても違和感がないので、アやイと同じ仲間だろうと判断できます。ところが、ウだけは違和感がありますね。そう、正解はウ。文法的に言えば、ウは「男らしい」という形容詞であって、「男だと思われる」という推定の意味ではないからです。


ここで、「男らしい」という形容詞が気になってきました。私の少年時代はよく耳にしたものですが、最近ほとんど耳にしなくなりました。死語になりかけているのではないか?そう思っていたら、高倉健さんの訃報が飛び込んできました。そうか!「男らしい」男の代名詞は、この人でしたね。

思わず高倉健さんの思い出話を書き始めていたところ、今度は菅原文太さんまでが・・・。つい先日、福島県知事選挙で菅原文太さんが熊坂候補を応援に来たのを知っていただけに、思わず絶句!「男らしい」男が、戦争を知っている私の両親と同世代の人が、次々にこの世を去っていきます。

以下は、思い出話・・・まず、私が高倉健という名を知ったのは高1の時です。クラスメートで山岳部員のO君が教えてくれました。普段物静かな彼が珍しく、高倉健さん主演の映画「八甲田山」を見て感動し、山岳部で八甲田山に登ったことを熱く語っていました。

高倉健さんをスクリーンで初めて見た日のこともよく覚えています。あれは、サッカーの練習が休みになった日でした。麻雀をやろうと思ったら面子が1人足りません。3人は予定を変更し、仙台駅に近い東宝劇場へ。それが「野生の証明」との出会いでした。

当時は角川映画が元気で、テレビでこんな宣伝CMを流していたっけ。「男はタフでなければ生きていけない!優しくなければ、生きていく資格がない!」「お父さんこわいよ!何か来る!大勢でお父さんを殺しに来る!ジャ~ン♪男は~誰~も皆~無口な兵士~♪」我ながらよく覚えているな。このフレーズに刺激され、当時男子校育ちの野獣は内なる野性に目覚めるのでした(^o^)。

これが映画デビューとなる薬師丸ひろ子の顔がアップになったあのポスター。私は高倉健よりむしろこの不思議な雰囲気を持った少女のほうが気になっていました。

でも、映画を見て最もしびれたのは、やはり高倉健さんの魅力でしたね。高校生の私が日本人の中年男に初めてカッコ良さを感じたのは、「野生の証明」の高倉健さんだったのです。

今年の正月の深夜、NHKのBSでこの映画をやることを偶然知り、独り興奮しながら見ました。初めて見た当時は気づきませんでしたが、あまりの豪華キャストに驚きました。深夜とは言え、残酷なシーンもあるこの映画をNHKが本当にやるのか?一瞬目を疑いました。昨年度朝の連続テレビ小説「あまちゃん」に出ていた薬師丸ひろ子のデビュー作だからなのか?それとも「高倉健さんの余命は長くない!」という鋭い直感を持ったスタッフがNHKにいたのか?偶然とは思えません。

余談ですが、山形県在住の友人が興味深い事実を教えてくれました。この映画のロケ地として最初に選ばれたのは、実は山形県だったそうです。ところが、山形県は依頼を断ったため、ロケ地は他県に変更されたという経緯があったとか。断った理由は見当がつきます。だって、自衛隊が相当危険な組織として描かれていますからね。山形県から自衛隊に入隊する人って、多いのかも。でも、断った山形人は、その後完成した映画を見て後悔したんじゃないかな~?(^_^)

だって、この映画おもしろいんだもの。そういえば、ある映画の中で、殺し屋役の主人公松田優作が「何だよ、今日はこれから『野生の証明』見に行こうと思っていたのに・・・」と言ったので、思わず吹き出してしまったを思い出します。 

2014.11.11 塾講師という仕事(第76話:スマホとの付き合い方)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 近頃ふと疑問に思うことがあります。塾での勉強時間以外、塾生はどんな余暇を過ごしているのでしょう?実は私、これまで全くと言っていいほど塾生の余暇については気にしていませんでした。学校で授業を受け、塾で内容の濃い学習を積み、最低限復習と宿題をこなしていれば大丈夫。日常生活の注意点については普段学校でいろいろ言われ、各自うまくやっているのだろうから、敢えて塾が口出しすることではない。そう思っていました。

ところが、今年度の中3生の学力の伸び具合がどうも思わしくありません。例えば5年前の中3生と比較してみると、現塾生の家庭学習と余暇の過ごし方に問題があるのではないかと感じるようになってきました。

5年前の中3生と言えば、塾にケータイを持ち込む子を初めて見かけた学年でした。今頃の時期のある日の授業前、ケータイを操作している子がいました。その時、後から部屋に入ってきてそれを見た子がこう言ったのです。「お前、ケータイなんか持ってんの?」「うん、母ちゃんがいいって言うから・・・」「中学生にケータイは要らねんでねえか?」ちなみに、当時のこの発言者は、福島東高を経て現福島大生のT君。この時ケータイをいじっていた子は、その後第1志望の県立高受験に失敗しています。

わずか5年前なのに、現中3生と比較するだけでも随分違うと思いませんか?学校にケータイを持ち込むのは論外で、場所が学校外だろうと中学生がケータイを手にすること自体が時期尚早。そういう雰囲気がまだ残っていたのです。ちなみに、親からケータイを買い与えられていても学力優秀な中学生がいるという話は、今でも私の耳には入ってきません。

そのケータイ(ガラケー)も今では次々に捨てられ、爆発的な勢いで主流となった携帯端末は、皆さんの多くが既に手放せないであろうスマートフォンです。そこで、今回は小中高生にスマホを持たせることの是非を問う場を敢えて設けてみたいと思います。

まず、それこそ愚問だという意見があるでしょう。例えば、こんな意見。家庭にテレビが登場した頃、ビデオが登場した頃、テレビゲームが登場した頃、パソコンが登場した頃、ケータイが登場した頃・・・その都度、教育関係者を中心に子どもへの悪影響を懸念する声があったにもかかわらず、子どもはそれなりに適応してきた。だから、今子どもがスマホを持つのは時代の流れで、これまで同様何ら問題なし、と。


時代の流れか~自分の中高時代、友人との余暇の過ごし方って、どうだったのか?ちょっと思い出してみます。DVDどころかVTRさえ普及しておらず、テレビは各家庭1台が普通で2台以上ある家庭なんて聞いたことなかったあの頃・・・。

まず中学時代(宮城県名取市立M中への転校後)、部活が休みの日の放課後は友人宅で音楽を聴きながらトランプ(主にセブンブリッジ、時々ポーカー)。4人揃って時間に余裕があれば麻雀。いずれも約1時間。

次に高校時代・・・部活が休みの日の放課後は雀荘へ直行。4人揃わない時は映画館へ。たまに日曜の部活が休みなら、土曜の晩は友人宅で麻雀、その後酒。帰宅はダイヤモンドサッカーが始まる深夜0時直前。シンデレラか?

随分明かしてしまいましたね。もしも今私が「未成年がスマホだなんて、10年早いぜ!」と言ったとします(@_@)。どうなるでしょう? おそらくこう反論されるはずです。「高校生からギャンブルとアルコールに手を出していた人に、そんなこと言われたくない!」とね。これで、おわかりでしょう。私がこれまで塾生の余暇の過ごし方について口出しできなかった本当の理由が。そう、人のことなんて言えないのです(^_^;)。


でもね~塾講師としての立場上、これ以上塾生の無制限のスマホ使用の現状を放置するわけにはいきません。スマホの何が問題かって?それは、時間と場所を問わずネット接続できるこの高価なおもちゃの出現で、ネット依存症に陥る子ども急増の危険性が飛躍的に高まったことです。この恐ろしさは、私と友人が時と場所を制限し合いながら、たまに楽しんでいた麻雀や酒なんぞとは比べものになりません。

おそらく男子ならオンラインゲーム、また男女共にLINEのようなおしゃべりツールに手を出す子が多いでしょう。特に既読表示の悪用は問題です。相手の都合も考えずに即時返信を強要するなんて。もし毎日時間無制限でこんなおもちゃで遊んでいたら、長時間集中して勉強するのはまず不可能。十分睡眠をとることも難しくなり、学校では授業中居眠りばかり。互いの足を引っ張り合う可能性大です。

危惧する声があまり聞こえてこないのはなぜかって?簡単なことです。テレビのCMをご覧になればおわかりのように、IT企業はテレビの重要なスポンサー。社員の高額年棒を維持したいテレビ局が、お得意さんの売上を減らしてまで、彼らを激怒させるような番組を本気で作ると思いますか?また、行政による対応が後手に回るのは世の常です。

自分は依存症に陥る危険があると思ったら、最初からこのおもちゃには手を出さないこと。もし既に手にしているなら、家族や友人と遊び方のルールについて納得いくまで話し合い、使う日や時間帯や場所を制限することです。通塾自体が制限に繋がりますね。

そこで、当塾ではこんなルールを提案します。まず、今後塾へのスマホ持ち込みは高校生から認めることとし、中学生以下は持ち込み禁止!もしルール違反が発覚したら、レッドカードで一発退場!これでいかがですか?子どもを守るためなのです。もちろん、より良い案があれば、受け入れます。ご意見のある方は、遠慮なくご連絡ください(^_^)。

2014.10.03 塾講師という仕事(第75話:ミッション・インポッスィブル)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 すっかり日没の早い今日この頃です。塾生は秋の夜長を有意義に過ごしてください。当然ですが、「読書と学業に励め!」という意味ですからね。例年2学期以降、特に彼岸を過ぎると、どの学年の教科も学習内容がグッと高度になっていきます。学校教育の年間カリキュラムというものは、この時期から深く学ぶよう設計されているのです。

さて、今回の話題は今年度中3生の学校成績から。夏期講習中、受講生の1学期学校成績を見せてもらいましたが、思わず溜息が・・・。どういう意味かって?それは皆さんのご想像にお任せします。

ご存知だとは思いますが、この機会に再確認しておきます。この地域から通学可能な県立高校の中で、学校の内申点をさほど重視せずⅡ期選抜(宮城県は後期選抜)当日の学力試験の得点を重視する学校は、わずか3校しかありません。橘高が3:1、福島東高が5:1、白石高が7:3のウエートで本試験の得点を重視して入学者を選抜しています。今年度の中3生がこの3校を第一志望としているなら、学校成績に目くじらを立てる必要はありません。もっとも、橘高と福島東高の2校については、学校の5段階評定で5が1つもとれないまま勝負に行った勇者は、当塾には過去存在しませんがね。

一方、この3校以外の学校だと本試験の得点と内申点のウエートは全て1:1。つまり、福島県立高校の入試は、他県と比べ内申点のウエートの高い学校が多いことを意識しておきましょう。では、内申点でハンデを負う子が合格するには、どうすればいいのか?まず、目標内申点に少しでも近づけておくこと。そして、本試験で高得点すること。これに尽きます。

しかし、どうしても第一志望校が求める内申点に届かなかったとします。そんな子でも本試験で逆転勝ちできるのか?皆さんの関心事は、その点でしょう。そこで、当塾の過去のデータから成功例を採り上げてご紹介します。


まずは、昨年度福島北高に合格したF君。けしからんことに当塾で唯一受講していた数学が2、社会も2。合計は24ポイント(>_<)。ちなみに5段階評定オール3なら27ポイント。それを大きく下回る成績で福島北高を受験した当塾生は、彼が初めて。学校の三者面談では私立高の専願を勧められたはず・・・。

彼はなぜ合格できたのか?実は、本番では意外にも数学の得点が最も高く26点。次が社会で24点。5教科合計は114点。見事です。それにしても、内申点と本試験の得点の出方って、随分違うでしょ?


次にLIBERO(第71話)でご紹介したJ君。彼の5段階評定は数学・英語・理科がそれぞれ4で、合計30ポイント。この内申点だと福島県北地区では福島商業までが限界で、彼が当初考えていた福島南高の受験は無謀に思えました。そこで最後に選択したのは、彼の父上の母校でもある白石高普通科。ここなら十分勝算がありました。彼は読書経験が豊富で、国語の5段階評定こそ3だったものの、読解力が抜群でした。塾の授業では、不可解なことがあると、納得いくまでよく質問しました。後期選抜では5教科合計319点で、見事合格。

この程度の内申点でも本試験で6割のハードルをあっさりクリアしたのは、彼が初めて。ちなみに、内申合計30ポイント以下の子が福島県立高Ⅱ期選抜で140点以上とれた例は、過去当塾には見当たらず、130点台が限界です。


ついでに、ユニークな例を1つご紹介します。昨年度福島西高普通科に合格したT君。昨年度私が指導に最も苦労した子です。主要5教科の5段階評定は全て4。9教科合計ポイント33。ちなみにオール4だと36ポイント。西高普通科なら、かろうじて及第点です。しかし、ここまで成績を上げるのに随分苦労しました。何しろ彼の国語力は目を覆いたくなるほどで、中2終了時まで国語の5段階評定はずっと2だったのです。おまけに、国語が弱い子の西高受験は過去全滅。まさしくミッション・インポッスィブル。

ある日の授業終了後、彼はこんな悩みを打ち明けました。中学の事前面接練習で、将来なりたいものがうまく答えられず、1人だけ不合格にされ、面接の追試を命じられたとか。彼は心にもないことを口にしてごまかすことを極度に嫌う性格なのです。自分の大人の姿を今語れないって、まずいことでしょうか?私はまずこう言いました。「お前さんは正直でよろしい。震災後の先行き不透明な時代に自分の将来なんて、中学段階でそう簡単に明確に答えられるわけないよな。」

ふと、彼には他の子にない特長があることを思い出しました。それは、この地域では珍しく親子共にサッカー好きで、彼の母上は福島ユナイテッドFCの熱烈なサポーター(入試には関係ないか・・・)。社会科が得意で、特に世界地理と近代史に強く、世界史に強い関心を持っていました。そこで、私が面接担当者なら及第点を与えると思う一つの解答例を提示しました。

「将来就きたい職業は、まだイメージできません。ただ、今のところ世界史にとても興味があります。高校に入ったらとにかく世界史を思いっきり勉強してみたいです。それが将来自分の職業にどう役立つのか?わかりませんが。」追試面接時、中学の担任教師はこの答え方にも首をかしげたそうです。志望動機として弱いとか。普通そう思いますよね。

しかし、周囲の多くが嘘つきなら、正直者は必ず輝く・・・面接本番、彼は私の助言を参考に正直に答えたそうです。それが合否にどう影響したかは不明。ちなみに本試験の彼の得点は得意の社会が最も高く36点。案の定、国語が足を引っ張り、5教科総合は140点。ふう、危なかった!(^_^;)正攻法では勝ち目が薄いと見れば、奇策に活路を見出す。塾講師って勝負師でもあるのです。 

2014.09.01 塾講師という仕事(第74話:サッカー談議)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 ハードな夏期講習が終わり、夜涼しい1週間の充電期間を経て、ついに2学期突入です。

さて、今回はW杯観戦記の完結編。日本代表の1次リーグ敗退が決定したというのに、その後もサッカー談議を酒の肴に盛り上がるような大人って、いったい何を考え、どんな楽しみ方をするのか?そんな変人(?)を知る機会って、そう多くないのでは・・・?というわけで、今回はその一例をご紹介してみます。まずは、ラテンびいきの私とゲルマンびいきの友人(正確には兄貴分)ジョバンニ氏との対談(メールのやり取り)から。

▼ベスト16開始直後の私の送信メール

睡眠不足で、何もやる気が起きない今日この頃です。さて、ベスト16が出揃った時点で、まずベスト8は次のように予想しました。ブラジル、コロンビア、フランス、ドイツ、オランダ、コスタリカ、アルゼンチン、ベルギーです。ここまで順調に半分的中。でも、僅差ですね。1次リーグであまりにも番狂わせが起きすぎました。だから、この先は比較的落ち着くのではないかと思いました。

① 今大会のチリ強かったなあ。PK戦負けは、気の毒としか言いようがありません。あのブラジルが、嬉し泣きしていましたもんね。

② メキシコも強かったです。あのオランダをあそこまで追い込んだんですから。それにしてもスナイデルの同点弾・・・南アフリカで日本がやられた一撃とイメージがダブりました。最後のPK・・・メキシコには気の毒でした。

③ スアレスがあんなことにならなければ、ウルグアイだろうと思いましたが、スアレスのいないウルグアイにそれほど魅力を感じませんでした。先発メンバーを8人も入れ替えたのに、日本をあそこまでボコボコにしたコロンビアには勝てないだろう、と。

④ コスタリカとギリシャは全く読めませんでしたが、ギリシャには相当腹が立っているので(笑)、コスタリカを応援し、冷や汗ものでしたが、胸をなでおろしています。

ところで、アメリカがベルギーに勝つのでは?というジョバンニ予想・・・十分可能性あります。クリンスマン監督は何かもってます。私が今回予想を外すとしたら、ここです。

ついでに、私のベスト4予想は・・・ブラジル、ドイツ、オランダ、アルゼンチン。決勝はブラジル対アルゼンチンで、優勝はアルゼンチン。新聞の見出しは「マラカナンの悲劇、64年目に再び!」

▼準決勝第1試合終了直後の私の送信メール

ドイツ、おめでとうございます。決勝が楽しみですね。実は私、今朝思いっきり寝坊してしまい、慌ててテレビのスイッチを入れたら、ブラジルの子どもが泣いている映像が流れていました。これでブラジルが負けていることだけはわかりましたが、スコアが0-6???

6という数字の意味がしばらくわかりませんでしたが、数々の信じられないゴールシーンの映像を見て、何が起こったのかがようやく理解できました。要するにターミネーター2、クローゼが入れた2点目で、ブラジルが切れてしまったんですね。信じられないことですが、ブラジルはサッカーの国際試合でたぶん初めて大敗する経験をしたわけです。

▼ジョバンニ氏からの返信メール

生で見て録画でも見てしまいました、ドイツvsブラジル。泣いてる子どもはかわいそうでしたが、やはりサッカーでしか貧困から抜け出せない国を作ってはいけません。元はと言えばスペインがいけないのでしょうが、そろそろその呪縛からも抜け出せなければいけないと思いましたよ。ドイツファンの私でも。

W杯などのスポーツや祭りで自国の応援に熱狂するのは良い。でもそれはたまにやるから良いのであって、年がら年中日本ニッポン騒いでいるネトウヨがよほどさみしいんだろうな、と哀れにしか見えないように、負けて混乱が生じるような国では情けないと思うんです。ここは残酷なまでに冷静沈着だったドイツを褒めないと。というわけで明日のオランダvsアルゼンチンもオランダにがんばってもらって、経済混乱のアルゼンチンに変化を促したい。

▼準決勝第2試合終了直後の私の送信メール

ジョバンニ様の視点で今大会のゲーム全般を振り返ってみると、これほどおもしろい大会はないですね。今大会のドイツは(オランダも)、まるでEUの理念を背負っているかのようで、「チームの完成度が頂点に達した今こそ、ふざけたラテンを徹底的に叩きのめす」という強い意志のようなものすら感じます。

少なくともドイツは、メルケル首相からこう言い聞かされていたんじゃないでしょうか?「今のあなたたちなら必ず優勝できます。決勝戦には私も行きます。今大会ラテンの国と対戦したら、徹底的に叩きのめしなさい!」(笑)そう言えば、ドイツは初戦のポルトガル戦からメルケル首相が観戦していました(あれ以後、来ましたっけ?)。決勝は来るはずですが、初戦から来るなんて。EUの理想と現実のギャップに憤慨した指導者が、愛する我がチームに望みを託すことって、十分あり得ますもんね。

一方、残念ながら、あれだけ充実していたオランダが決勝に出られませんでした。オランダって、ここぞという時にどうしていつもああなってしまうのでしょう?コスタリカ戦でPK戦に持ち込まれたのが大誤算。やはり準々決勝の相手コスタリカを侮っていたのでしょう。あのPK戦が、アルゼンチン戦でのPK戦に大きく影響したのは間違いなし。

それにしても今大会のアルゼンチンは守備の完成度の高いこと。こんなに守備の強いアルゼンチンは見たことがありません。ベスト4進出時点で当然優勝しか考えていません。決勝にさえ出られれば、オランダにはどんな勝ち方でも構わないと考えていたはずです。メッシが封じられることは想定内で、PK戦も想定内のように見えました。将棋で言えば飛車や角に相当するディマリアを欠いたアルゼンチンが、オランダに勝つのは難しいだろうと思いましたが、PK戦に活路を見出す手があったんですね。

さて、決勝は?正義の象徴ドイツvs悪の象徴アルゼンチン(笑)。ドイツ優勝と見る人が大部分でしょう。そのほうがいいんだろうと私も思います。実際、今大会最も良質のサッカーを見せているのはドイツですし。ラテンが目覚めるためには、ラテンがサッカーで完膚なきまでに叩きのめされる経験をすべきだと思うし。

1つだけ懸念材料を挙げておきます。ユーロ2012で、圧倒的に有利と思われたドイツが準決勝でイタリアにやられた事実・・・ここしばらくメッシが目立たないのが不気味なんです。もしディマリアが決勝戦で復帰して躍動し、メッシが本領を発揮してアルゼンチンが先制するようなことが起こったらどうなるのか?またユーロ2012準決勝のようにドイツが精神的な脆さをさらけ出すのか?いや、これがドイツのゲルマン魂復活につながるのか?

純粋にサッカーの試合としておもしろいのは、アルゼンチンが先制し、試合終了ロスタイムのコーナーキックでドイツが同点ゴール。延長戦で撃ち合いを演ずるも3-3の同点。PK戦の末、ノイアーがヒーローになり、メルケル首相のガッツポーズも見られるというのが、理想かな~。ちなみにドイツがPK戦で負けたシーンを私は見たことがありません。

ただ、私はすでにアルゼンチン優勝と言ってしまいましたから、今更変えられません。今回だけは、ジョバンニ様のドイツに優勝をお譲りし、予想を外す快感を味わってみようと思います(すでにブラジル準優勝を外してるし)。

▼決勝戦後のジョバンニ氏からの返信メール

ドイツファンとして、また大げさな言いかたをすれば世界史的な視点からしても、とてもいい結果でした。ドイツの勝利がもたらしたものは、移民をたくさん抱えた多民族社会であっても、それぞれの出自を超えた一つの共同体として何かをやり遂げることができるということを示したのではないでしょうか。ドイツは地域のスポーツクラブを通じて、計画的に育成し、強化し、この結果にたどりついたのだと思います。それはグローバリズムに経済圏としての国境を侵され、偏狭なナショナリズムや原理主義への退行により文化圏としての国境も危機にさらされている国家というものが、やりようによってはまだ国民の夢を実現する装置として機能し、国民を満足させることができるということだと思うのです。これは、国でできることがその下部構造である地域共同体でできないわけはないという希望にもなりますし、「ローカルな対立を減らしていく仕事は、いつかはグローバルな対立も解決できるという自信を持たせるのに役立つ(ウンベルト・エーコ)」と思うのです。

もうひとつおもしろかったのは、ドイツがブラジルに大勝した後のドイツ国内の議論です。そこでは他の国のプライドを粉々にしてまで自国のプライドを保つ必要があるのかという議論です。簡単に言うと点を取りすぎだということ(笑)。聞き様によっては勝者の憐みという傲慢さを感じるかもしれませんが、私としては、どんな国にもナショナリズムはあると認めること、そして、自国のナショナリズムのためにそれを犠牲にしてはならないという、まるで日本国憲法の前文に謳われている理念のような話と受け止めたいと思います。

 私は今日からおふくろの見舞いに千葉へ行きます。何かいい肴があったら、W杯の総括でもしながら一杯やりましょう。


ついでにもう1つ、西日本新聞(8/18朝刊)というメディアに載ったこんな記事もご紹介しておきます。サッカー元日本代表監督、岡田武史氏の論稿です。日本がサッカー強豪国になるためにやるべき教育について真剣に考えている人は、この意見にほぼ同意するだろうと思われます。これを最後に、LIBEROでのサッカーの話題はしばらくお休みします。

>◆情報を読み解く力必要

サッカー・ワールドカップ(W杯)の解説の仕事で約1カ月半、ブラジルに滞在した。帰国後、妙な感覚に陥ることが多い。私が普通だと思っていたことは実はそうではなく、逆に私が間違っていたのか、と。

ブラジルでまず感じたのは「スタジアム以外が全然盛り上がっていない」ということだった。イベントもなく、看板も街角にない。開催に反対する反政府デモなど、いろんな理由はあっただろうが、サッカー王国での大会に期待して行ったのに、これまでに見たW杯の中でも驚くほど街中が盛り上がりに欠けていた。

とはいえ、ブラジル代表の試合の日は違った。商店は全部閉まって、本当に街中から車も人もいなくなる。ブラジルが得点すれば方々から歓声が上がり、テレビを見ていなくても分かる。ブラジルにはサッカーが根付いており、一人一人が直接、W杯につながっていると実感させられた。

一方、日本はどうか。日本代表が負けても人々は渋谷でハイタッチをする。1次リーグで敗退した代表が成田空港に戻ると、千人を超えるサポーターが出迎え、歓声を上げてカメラを向ける。これは果たして普通のことなのだろうか。

「壮行会」と銘打った大会前のイベントは、ジャニーズ事務所のコンサートのような華やかさだった。メディアや広告代理店が空気を作り、多くの人がそれを介して、間接的にW杯に接しているようにも感じた。

私はこれまで、代表が掲げた攻撃的サッカーは悪くないと言ってきた。ただ強豪相手に攻められたなら、守らなければならない。これはごく当たり前のことだと思うのに、メディアもサッカー界も何も疑わず「攻撃的サッカー」へ流れてしまう。日本人は空気に流される。残念ながらメディアはそれを抑える安全弁として 機能していなかった。

安倍晋三政権が、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈の変更を閣議決定したことを、ブラジルで知った。そんなことがあるわけはない、国会議員も国民もばかじゃない、まずは先送りだなと思っていたから心底驚いた。帰国して、何事もなかったかのような空気に、また驚いた。

大国間に生きる小国として、自衛隊の存在を含め、安全保障政策については憲法解釈で対応してきた。だが、集団的自衛権までは無理があるだろう。これでは立憲国家ではなくなる。国民投票をした上で改憲し、その上で集団的自衛権の行使を認めるのなら、納得せざるを得ないが。

国民の側にも責任がある。単に選挙権だけを行使すればよいというものではない。民主党の失敗が引き金と思うが、誰が政権をとっても一緒と、半ばあきらめが出ているように思う。民主主義では、国民一人一人が責任を分担する、ということを忘れている。

よく、コンピューターに人間が支配される映画がある。今まさに皆がえたいのしれない空気に支配され、思考停止に陥っているのではと恐怖感を持っている。

日本人がメディアを信じる割合は世界でも屈指の高さで、先進国では群を抜いているとの調査結果があるそうだ。一方、最近ではインターネットで自分の欲しい情報しか見なくなっており、興味がありそうなニュースが自動的に表示されるサービスまである。

今、国民一人一人が「メディアリテラシー」(情報を読み解く力)を身に付ける必要があるのではないか。自分で疑い、考え、判断ができる。そんな教育を学校でやっていく。遠回りに見えるが、それしか道はないように思える。

2014.07.07 塾講師という仕事(第73話:南米の底力)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 あれは6月25日(水)早朝でした。あの試合に限らず、3戦ともまるで8年前のジーコ・ジャパン惨敗の再現のようでした。あの日、中学校は期末テスト。朝起きて偶然にもあの試合の後半だけをリアルタイムで観戦した人は、最悪のタイミング。まさに悪夢。

あの日、私は朝4時半に起きて前半のキックオフから観戦。エース、ファルカオを怪我で欠き、しかも主力8人温存で臨んできたコロンビアを相手に、前半終了直前に岡崎が同点ゴールを叩き込むのが精一杯。後半、ハメス・ロドリゲスら主力2人を投入しただけのコロンビアにサンドバッグ状態にされる始末。南米に若きスター誕生のきっかけを提供する役割を果たして試合終了。最終戦の相手コロンビアは、予想をはるかに上回る強敵でした。後半戦への微かな期待と惨敗との落差に、私はショックのあまり午前中ずっとダウンしたまま・・・。

模擬試験でよくA判定やB判定の好成績を残すものだから期待していたのに、本番では全く力を発揮できずに次々に受験に失敗する教え子の姿を見ているようで・・・職業病かな?長い目で見れば良いプロセスを経てきたかもしれませんが、結果が悪いと辛いものですね。私も自分の仕事では、やはり最低限求められた結果だけは出さないとダメだな、という思いを改めて強くしました。

ベスト16が出揃った時、未練たっぷり想像してしまいました。日本と同じく平和憲法を持つコスタリカとの再戦(事前試合では3対1で日本の勝ち)が実現していたら・・・本田や香川ら主力選手の出来があそこまでひどくなかったら・・・。でも、そんな不完全燃焼の気分は、その後のハイレベルな決勝トーナメントを観戦しているうちに吹っ飛びました。

何しろ本番での日本チームは全般に動きが悪く、生命線だったはずの攻撃が相手にさほど脅威を与えていないように見えました。また、ゴールキーパーと2人のセンターバックを中心とする守備については、今大会のベスト16以上のレベルには程遠いと感じました。

ところで、今大会は過去記憶にないほど接戦の好ゲームが多く、私のようなサッカー狂にとっては毎日楽しくて仕方がありません。

最大の悩みは、試合の放送時間帯。地球の裏側にあるブラジルとは12時間の時差がある関係上、日本でのテレビ観戦は厳しい時間帯になっています。日本時間午前3時の1試合目終了と同時に寝る予定が、延長戦ばかり・・・ドラマの展開と結末が気になって、最後まで目が離せません。また、早朝5時開始7時終了予定の2試合目も延長戦・・・。

そのせいで最近昼過ぎまでほとんど寝ています。どうせ梅雨で天気悪いし。まあ4年に1度世界中が熱狂するお祭りだし、サッカー中毒患者である塾講師の夏期講習前の貴重な充電期間だと思って大目に見てください(^_^;)。


最後は塾講師らしくまとめますか。私が中学以降サッカーに親しんでいて良かったと思う点は、日米関係中心の世界観から自由になれたこと。また、中高時代世界地理の知識習得に苦労しなかったこと。例えば、コーヒー豆の生産高世界一はブラジルでコロンビアも上位。カカオ豆の生産高世界一ならコートジボアールで、次はガーナ。銅の生産高世界一ならチリ・・・興味のあることは勝手に頭に入るもので、当時の知識は今でも通用しています。学校教育とは一見無関係に見えることでも少年時代好きなことに熱中していると、それがいつか自分の仕事に繋がるらしいのです。 

2014.06.10 塾講師という仕事(第72話:16年前の思い出)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 ついに2014年の梅雨がやってきました。4の倍数にあたるオリンピックイヤーとは2年ずれて4年に1度訪れる西暦を世界のサッカーファンはワールドカップイヤーと呼んでいます。サッカーに関心のない方は、これから約1か月間メディアの過熱ぶりにうんざりするかも(既にそうかな)。しかし、私にとってはスリリングな1か月が始まります。

私がワールドカップの決勝を初めてリアルタイムでテレビ観戦したのは、サッカー部員だった高2の時です。以来この大会から目が離せなくなり、2010年の前回大会まで、この大会の決勝戦だけは見逃したことがありません。

日本がこの大会に初出場したのは、16年前の1998年フランス大会からです。97年秋にアジア最終予選でイランに劇的な勝利をあげて初出場が決まった瞬間、私は感激のあまり現地生観戦を決意したのでした。

その後、本大会1次リーグ第2戦日本対クロアチア戦のチケット入手に成功。この試合を中日に1週間強仕事の休みを取り、私にとって初の海外旅行が実現しました。私用で仕事を1週間以上休むというのは、当時は非常識(今もそうですね)。理由は何にしたか忘れましたが、上司には正直に言わなかったのは確かです。でも、職場の飲み仲間は私の渡仏を確信していたとか(^o^)。

16年前は、今とは大きく違います。パソコンの普及率はごく僅か。ケータイもデジカメも見かけませんでした。フランスの通貨はまだユーロではなく、フランです。日本人女子の間でキャミソールというファッションが流行っており、あの恰好で猛獣だらけのフランスの街を歩く図太い子もいたな~。

さて、試合。前半にビッグチャンス。中田ヒデのパスを受けたゴン中山のシュートが惜しくも相手キーパーに阻まれ、クロアチアのゴール裏にいた私達は大きなため息。日本のゴール裏となった後半、クロアチアのエース、シュケルのシュートを川口防げず。目の前でゴールを叩き込まれ、意気消沈。するとクロアチアサポーター席で突然発煙筒が次々に焚かれ、お祭り騒ぎが始まりました。その後何度か反撃を試みるものの結局アルゼンチン戦と同じく0対1で完封され、あっけなく1次リーグ敗退が決定。

初めてのワールドカップ生観戦は、ほろ苦い思い出となりました。当時は岡田監督の臆病な采配に不満ばかりが残りました。しかし、時間が経って冷静になると、あれが強豪国に対する当時の日本サッカーの最大限の抵抗だった、と理解するようになりました。

ちなみにあの時対戦したアルゼンチンは、その後ベスト16で若きベッカムを挑発し、退場に追い込んでイングランドを下します。しかし、罰が当たったのでしょう。ベスト8で試合終了間際にオランダのベルカンプに魔法のような美しい決勝ゴールを決められて敗退。

一方、クロアチアは波に乗り、ベスト8で強豪ドイツを完封して準決勝へ進みます。地元フランスに負けたものの3位決定戦でオランダを下し、3位に輝きました。あの時の日本の対戦相手って、それほどの強敵だったのです。

次は、観光。さすが世界一の観光大国と言われるだけのことはあって、見どころ満載。でも、あれだけ広い六角形の国です。わずか1週間では、行ける場所は首都パリから大西洋に面した試合会場ナントにかけてのごく一部の地域に限られました。

まず、北緯50度近いパリのシャルルドゴール空港到着後、ひたすら西へ。ノルマンディーからブルターニュにかけての北海に面した西経の世界へ足を踏み入れます。この地域のチーズは絶品。帰国後国産のチーズでは満足できず、しばらくチーズが食べられませんでした。世界遺産で有名な修道院モンサンミッシェルへも足を延ばしました。

 そこから大西洋に面した試合会場ナントへ。サマータイムを導入しているとはいえ、夏至が近い6月の夜8時だとまだ明るく、その時刻に海水浴客が大勢いるのには驚きました。日没は夜10時頃。高緯度地方の6月は、昼がやけに長く梅雨のない不思議な世界です。

クロアチアに負けた日の夜、大西洋のある田舎町のレストランでお店のマダムと意気投合し、カラオケに誘われたのは予想外。まさかフランス人にカラオケに誘われるとは・・・迷った末、寝坊して翌日の計画が狂うリスクを恐れ、断念。もし誘いを受けていたら、その後どんな展開になったのか?後悔しています(^_^;)。

どうやってコミュニケーションがとれたのかって?実は私、大学の第2外国語でフランス語を選択し、フランス文化にどっぷり浸かっていました。渡仏を決意してから半年、しばらく使わずに錆びついていたフランス語の錆を落として準備していたのです。ちょうどワールドカップ特集をしていたNHKのテレビ講座とラジオ講座で調整を続けながら。

翌日、河口の街ナントからロワール川を上流へと遡ります。目的は古城巡り。圧巻でした。多くは13世紀(日本では鎌倉時代)にできたとか。しかし、この時代のフランス人の絵の下手なこと。旧石器時代にラスコーの洞穴絵画を遺したフランス人の足もとにも及ばない拙さです。当時は、イタリアや極東日本のほうがはるかに表現技術のレベルが高かったことがわかりました。

フランス北西部は全般的に大丘陵地帯。日本で言えば、北海道です。日本との大きな違いは、どんな田舎にも至る所にサッカー用グランドがあること。これは羨ましかったな~。

最終日は首都パリ。ルーブル美術館は諦め、オルセー美術館に入りました。今まで画集でしか見たことのなかった本物の名画に出会い、感激しました。

ふう~今大会の日本代表の展望を書こうと思ったら、16年前の思い出話で終わってしまいましたね。ご容赦を!

2014.05.12 塾講師という仕事(第71話:白石高校普通科の合格者誕生)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 新年度を迎えて1か月余り。少々遅くなりましたが、まず昨年度の高校入試結果をご報告しておきます。昨年度中3卒業生11名の進学先は以下のとおりです。

☆桜の聖母学院高(大学進学アカデミック):1名

☆白石高(普通):2名

☆福島北高:3名

☆福島西高(普通):3名

☆福島東高:1名

☆保原高(普通):1名

無事に全員第1志望校に合格し、当塾の高校受験合格率100%はこれで4年連続に更新されました。今回は、昨年度中3卒業生が例年とは異なる特徴を3つ挙げておきます。

第1に、職業科(農業系、工業系、商業系)への志願者がゼロだった点。特に、当塾でこれまで最多受験者数をマークしていた福島工業の志願者がゼロだったのは、開塾以来初です。こんな年もあるんですね。

第2に、桜の聖母学院への進学者が初めて誕生した点。福島県を代表するこのカトリック系女子校については、当塾からは過去何人も県立高の滑り止めとして受験しました。つまり、これまで第1志望とする子がいなかったのです。ちなみに、中1から3年間当塾で英語を学んできたK中バスケット部員のHさんは、得意になった英語をさらにレベルアップさせ、またこの学校のバスケット部でプレーしたかったため、専願で合格を決めました。

第3に、国境(=国見峠)を越えて宮城県への高校進学者が久々に出た点。過去に看護科へ進学し、学校紹介文をLIBERO(第52話)に投稿してくれた女子が1名います。しかし、普通科の受験者が出たのは開塾以来初めてです。

白石高普通科への進学者とは、どういう子なのか?よくわからない方が多いでしょう。そこで、この機会に当塾卒業生2名の野獣(=男子)の例をご紹介してみます。

1人はU君。「桃の遺伝子を研究して果物王国福島の農業に貢献したい!」という子です。ところが、地元福島大学ではそれが学べないことを知るや、思い切って高校から県外で武者修行することを決意。おもしろい子でしょ?

中2の6月に入塾した頃、中の上程度の成績で英語が悲惨でした。平常授業は、中3の1学期まで数英理社の4教科を受講、夏期講習以降全5教科受講して、一気に頭角を現しました。中3の内申5段階評定の合計ポイントは35(オール4だと4×9=36ポイント)。福島県立高なら福島西か福島南のⅡ期選抜で土俵に立てるレベルに相当します。

しかし、私の授業中の感触からすると、Ⅱ期選抜なら橘か福島東に上位合格できるし、仙台のナンバースクールなら後期選抜で仙台三高か宮城一高(旧宮城一女高)あたりに合格できるレベル。案の定、彼の後期選抜の得点は見事なものでした。国語85点に英語86点・・・5教科総合376点。この成功体験を自信に、彼はいずれ将来の目標を達成し、福島の農業の発展に貢献してくれることでしょう。

もう1人はJ君。小4秋から入塾した5年半に及ぶ通塾生で、読書経験豊富。国語の読解力とギャグのセンスが抜群でした。ところが、困ったことに正確な知識を習得する意欲が希薄で、学校成績は最後までパッとせず。数学と英語はそれぞれ4、残りはほとんど3。この程度の内申では福島西や福島南とは勝負にならず、受験するのは両校に失礼というものです。

彼は英語が好きだったこともあって、当初福島南(国際文化)を志望していました。当塾はこの学校との相性が抜群ですが、不思議なことに過去11名の合格者(=受験者)は全員が女子。そこで、彼は当塾初の男子合格者を目指していました。

もし、福島南が橘と同様にⅡ期選抜筆記試験と内申の比率3:1で合否判定する方針を変えなければ、私が「待った!」をかけることはなかったでしょう。ところが、福島南はつい最近筆記試験と内申を同じウエートにして合否判定するよう方針転換してしまいました。これでは彼の長所が全く活かせません。

そこで、私が彼に勧めたのは白石高校。まず、宮城県立高校は後期選抜の筆記試験と内申を7:3の比率で合否判定する学校が多く、内申点の悪い子が筆記試験で逆転合格可能なことが最大の魅力。また、知識が大雑把でも、資料の読解力と記述力のレベルが高い彼なら力を発揮できそうな出題傾向も大きな魅力でした。

私はずっと言い続けてきました。「福島西や福島南には届きそうにない。それでも大学進学を見据えたハイレベルな教育を受けたいなら、白石高校へ行け!」と。ところが、頑固な福島人はこれまで私のアドバイスを誰一人受け入れてくれませんでした。当塾が震災前に福島西高の不合格者を5名も出している一因は、それなのです。J君は、ついに私のアドバイスを受け入れた第1号となりました。実は彼の父上って、白石高校の卒業生なんですって。やっぱりそうか・・・もし彼の父上が筋金入りの福島人だったら?(^_^;)

2014.03.05 塾講師という仕事(第70話:県立高校入試直前)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

三寒四温の今日この頃、今年度の受験シーズンも大詰めです。受験生が、合否の鍵を握る問題を自力で解けるようハードトレーニングを積む時期は終わりました。入試直前の今は、本番でベストパフォーマンスを発揮できるよう調整すべき時期。夜は十分睡眠をとり、試験を受ける日中の時間帯は5教科全般にわたり各自気になる単元を繰り返し復習してください。そして、本番では制限時間を目一杯使い、本来解けるはずの問題で普通に得点できれば、それでOK!

さて、今年度の中3受験生は、当塾にとって節目となる10回生に当たります。私がこの地に移住した10年前、彼らはまだ幼稚園児。その幼稚園児が、その後小学校卒業時のあの大震災の悪夢を乗り越え、高校入試に挑戦するまでに成長しました。例年国語の弱い子が目立つ当塾にしては、珍しく国語力に長けた子が相当数育ち、この点に限れば彼らは過去最強かな。

ところが、彼らの多くは性格が大雑把。正確な知識習得に詰めの甘さのある子が目立ちます。英語がイマイチなのが何よりの証拠。本番では、まず英単語のスペリングミスに単純な計算ミスや漢字・送り仮名の書き間違いのような、つまらない失点は極力避けましょう。それが合格への最大の鍵です。ぜひ、答案用紙に記述した内容を必ず1度は見直してください。

もし難しくて解けなかったのなら、諦めもつくでしょう。もっとも、そういう問題はどの受験生も苦戦するため、実際は合否に影響しませんがね。ところが、本来解けるはずの問題を落としてしまった場合、話は全く別。必ず悔いが残ります。全員が悔いなく普段通りの力が発揮できることを願っています。

ところで、一般にこんなことがよく言われます。教育とはその子の個性を大切にし、長所を伸ばすべきものだ、と。そのこと自体は否定のしようがありません。そして、もし受験で自分の得意な3教科を自由に選択でき、その合計得点で合否が決まるというルール変更でもあれば、私は塾生の長所を徹底的に伸ばす学習指導に専念することでしょう。

しかし、全5教科の合計得点で合否が決まる現行制度の下では、「生徒の長所を伸ばせばよし」とするだけで試験場へ送り出すのは、やはり無謀だと思わざるを得ません。少なくとも福島県立高Ⅱ期選抜の入試問題については、現在社会科を除く4教科は問題量が多く、優秀だとされる子でも得意教科で制限時間内に8割以上の答案を作成するのは、簡単ではないからです。

特に、国英社が苦手で理数を得意とする子が本番で高得点するのは、現状ではかなり困難。数学と理科の作問者は特に頑固だからねえ(>_<;)。簡単な問題と解く手順が面倒臭い問題とがハッキリしすぎていて、受験生の点差がつきにくいのです。数学と理科の学力の高い子を本気で発掘したいなら、作問者はもっと無駄な力を抜いて、抑制の効いた、受験生の点差が開きやすい中レベルの良問を中心にセットしてくれればいいのにね・・・。

県立高の5教科入試で最低限の結果を出すために、私の指導方針はまず国語力を重視し、どの教科でも出題頻度の高い苦手単元の克服を最優先してきた理由が、これでおわかりでしょう。過程を最重視するのが教師だとしたら、結果を最重視するのが勝負師。塾講師は相反する2つの役割を果たさなければなりません。塾生の入試直前は教育者であることを一旦捨て、勝負師に徹するのです。絶対に負けが許されないサッカーの試合に監督として臨んだら、良い内容なのに3対4で負けるより、内容がひどくてもウーノ・ゼーロ(=イタリア語で1対0)で勝ちを拾うほうを選びます。

私だって、塾生の短所には目をつぶって長所を徹底的に磨き、躍動させたいという教育者としての気持ちは人一倍持っています。生徒が秀才ばかりなら、それもいいでしょう。でも、大部分の子にとって、長所を徹底的に磨くのは高校進学後で十分。受験というものは、大一番で自分の得意教科・単元が封じられ、苦手だと思い込んでいた教科・単元に救われることがよくあるのです。受験生の幸運を祈ります。 

2014.02.07 塾講師という仕事(第69話:願いは叶う)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年度も節分を経て立春を迎え、受験シーズンもいよいよ大詰めです。高校入試も、既に私立高入試に福島県立高Ⅰ期選抜を終え、ここまでの結果はパーフェクト。早々と進学先を決めた皆さん、合格おめでとうございます。

あとは最終関門、宮城県立高後期選抜と福島県立高Ⅱ期選抜の挑戦者を合格へ導くだけとなりました。最後の関門に挑む受験生の皆さん、残りあとひと月です。本番当日はベストコンデションでスタートラインに立てるよう、しっかり準備してください。

今年度の中3受験生といえば、あの3.11直後の大混乱期に小学校を卒業して、中学生になった学年です。普通の卒業式ができなかったそうです。あれからもう3年・・・どの子も充実した日々を過ごし、心身共に大きく成長しました。反面、先行き不透明で明るい未来図が描けず、心の中に何らかの不安を抱えながら中学生活を送ってきた子も少なくないことでしょう。

ふと、自分の中高時代はどうだったかが思い出されます。千年に一度というあの巨大地震に遭遇し、あってはならない最悪の事故に若くして苦しめられている彼らと比較するのは、どうかとも思います。しかし、私が宮城県で過ごした昭和時代の様子を多少知ってもらうことは、けっして無駄ではないでしょう。

さて、私の中高生当時、知らぬ間に次々と原発が全国に建設されていたのは、動かしがたい事実です。今多くの人を苦しめている福島第一原発も、その1つ。その汚点さえなければ、当時は比較的おおらかな社会だったように記憶しています。

まず、戦争体験者が多数健在でした。そして、野党が強力で、常に与党に睨みを利かせていました。だから、昨今のように「集団的自衛権の行使」を公言し、日本国憲法の空文化を企んで、次々に危険な手を打つような勢力は、強大になりようがありませんでした。職場からの使い捨て、リストラの恐怖に怯える大人なんて聞いたことがなかったし、国内で年間3万人を超える自殺者が何年も出続けるような世の中になるなんて想像できなかったし・・・。

「日本国民が戦争に巻き込まれないよう努力してくれたことはわかった。しかし、こんなに危険な原発の建設を簡単に許すなんて・・・当時の大人は一体何やってたんだ!」そんなふうに怒りをぶちまけたくなる中高生は、相当な数に上ることでしょう。気持ちはよくわかります。私が今の塾生の世代だったら、そう思うはずです。しかし、当時の戦中世代が皆金に目のくらんだ人間ばかりだったわけではありません。

こんな例はどうでしょう。実は、私には2人の弟がいます。同じ高校の後輩でもあり、地元では佐野三兄弟と言われていました。その弟の1人が高校時代、東北電力女川原発建設反対運動に参加していました。そのきっかけを問うと、予想外の答が返ってきました。「化学のW先生が参加しているのを知ったからさ。W先生のやることだったら、間違いないだろうと思ってね。」

原発が国策になっていた当時、高校の化学担当の現役教師が、原発に反対する立場をとって行動していたことに大きな意味があります。それにしても、ここまで生徒に信頼されるW先生って、スゴイね(^_^)。ちなみに、W先生は私の高校時代にもいましたが、私のクラスの化学担当ではありませんでした。「な~んだ、今より希望が持てる世の中だったんだ。」そう感じる方がいらっしゃるかもしれません。

一方、当時の私・・・出口の見えないトンネルの中をさまよっているかのような鬱屈した気分を味わっていました。それは、当時の私がサッカー小僧だったから。プレーすることそのものは楽しくて仕方ないし、芝生のグランドが少ない点を除けば、不満は感じません。しかし、世界のサッカー界における日本サッカーの立ち位置を知れば知るほど、何ともいえない劣等感を心の中に抱えていくことになるのです。

あれは、埼玉県から宮城県名取市M中に転校したばかりの頃、サッカー部の友人と初めてワールドカップのテレビ映像(録画)を見た時の衝撃。世界最高峰のサッカーとはどういうものか思い知らされました。「プロ選手ゼロの日本サッカーが世界を驚かせたり、ブラジルや西ドイツやイタリアやオランダと対戦したりする日はまず訪れまい。これからの自分にできることは、4年に1度この大会でヨーロッパと南米の列強が繰り広げる世界最高峰のプレーをリアルタイムで楽しむことくらいだな。」そう割り切るしかありませんでした。

ところが、今はどうでしょう。当時全く想像できなかったことが、次々に現実になっているではありませんか。Jリーグ誕生は、夢の実現の序章に過ぎませんでした。あれから20年が経ちました。ワールドカップ出場は当たり前になりました。また、世界中のサッカー小僧があこがれる名門クラブでエースナンバーを背負ったりキャプテンマークを腕に巻いたりする日本人選手が誕生しているし、最後は力負けしたものの代表チームは真剣勝負でイタリアと壮絶な撃ち合いを演ずるし、オランダとは互角に渡り合うし、強豪ベルギーをアウェーで粉砕してくるし、今年のブラジル大会ではベスト8を目標に掲げているらしいし・・・。

話を戻しましょう。今年の受験生に、こう伝えたかったのです。

第1に、どんな時代にも良いことがあれば悪いこともあり、今最悪でもその状況は長続きしない、ということ。たとえ今が辛くても、自分の好きなことを探求し続けていると、自分の望む状況が生きている間に訪れるようなのです。

第2に、楽しみとは、一見地味そうなことの中に見出せるということ。並の選手(受験生)なら嫌がる守備(苦手単元)を几帳面かつ楽しそうにやることが、勝利(合格)の確率を飛躍的に高めてくれる。イタリアサッカーが、そう教えてくれます。(^_^) 

2013.12.02 塾講師という仕事(第68話:偏差値40台の県立高校)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

ついに今年も師走に入り、いよいよ受験シーズンを迎えることになりました。今回は県立高校の受験情報をご提供しますが、特に成績が受験者の平均点に達しない子でも進学可能な学校を話題にします。

まず、試験の成績で偏差値50と出た場合、これが母集団(受験者)の平均値であることは、皆さんご存知のとおり。では、このレベルに達しない場合、例えば模擬試験(福島新教研模試・新みやぎ模試)の偏差値が40台でも合格圏内に入る県立高校(ここから通学可能な学校)は、どれくらいあるのでしょう?最新のデータからそれを列挙してみます。

49:福島商業(会計ビジネス)・福島西(デザイン科学)

48:福島工業(電気)・白石(看護)

47:福島工業(機械・建築・環境化学)

46:福島明成(食品科学)

44:福島北・保原(商業)・白石工業(電気)

43:福島明成(生産情報)

42:福島明成(生物工学)・保原(普通)・白石工業(機械)

41:福島明成(生物生産・環境土木)・白石工業(建築)

いかがですか?意外と多いことにお気づきでしょう。ただ、注意すべき点がありますので、それを3点指摘しておきます。

第1に、福島県のⅠ期選抜を受験する場合の注意点から。現在、学校成績の学年評定(5段階)で1教科なら2があっても合格を認める学校があります。それは、福島北高と福島工業の2校。一方、1教科2があるだけで合格を認めないと思われる学校もあります。現在わかっているのは福島明成高です。どうぞご参考に。

明成高のⅠ期選抜は、当塾では中3冬期講習のみの受講生1名を含めると、過去7名が受験しました。そのうち、合格者はわずか男子2名。不合格者5名が全員女子というのは偶然ですが、彼女らの中3の内申に1教科だけ2があるという共通点は見逃せません。その1教科が体育でも不合格です。ちなみにⅠ期不合格者のうち4名は、その後Ⅱ期選抜で再挑戦し全員合格。1名はⅡ期選抜を梁川高に出願変更し合格。

第2に、宮城県立高校の前期選抜を受験する場合の注意点です。福島県立高校のⅠ期選抜と比べてみると、興味深い。福島のⅠ期選抜は、無謀だからやめるよう中学の担任から助言されることがあるものの、基本的に自己推薦入試です。だから、出願して受験するなら誰でもできます。ところが、宮城県の前期選抜は、学校成績が各高校の求める基準に達していないと、挑戦権すら与えられません。さらに、学校成績が良く前期選抜の受験資格が得られても、県で一斉に実施する国数英3教科各50分の筆記試験と作文で各高校が求めるハードルをクリアしなければ合格できません。また、面接がないことから、いかに3教科の学力を重視しているかがわかります。

例えば白石高(看護)の受験資格だと、中1の1学期~中3の2学期の5段階評定で平均4.2以上です。5が2つなら、残りは全部4で何とかクリア!もし3を1つもらってしまったら、5が3つ必要です。このレベルを2年9ヶ月継続しなければなりません。高いハードルでしょ?ちなみに今年度この学校の普通科へ当塾から初挑戦する中3クラスの野獣(=男子)2名は、学校成績が前期選抜の受験資格に届かず。後期選抜の一発勝負に全てを賭けることに決定です。さあ、どうなるか?

第3に、低倍率の学校を受験する上での注意点です。例えば、こう思う方はいらっしゃいますか?「志願倍率1.0倍以下の県立高を受験すれば100%合格でしょ♪」ちなみに、昨年度Ⅱ期選抜で定員割れしたのは、福島県北地区では福島西高(デザイン科学)と保原高(普通・商業)。特に保原高(普通)は3年連続で定員割れし、今年度は40名の定員削減を決定。

また、定員割れこそしないものの、最近の福島工業も低倍率校の代表でしょう。一般に低倍率校はレベルダウンが避けられません。例えば福島東高に届かない場合、以前は福島西高(普通)や福島南高(文理)に合格する力がありながら福島工業進学を選択した野獣が結構いたものですがね。

話を戻します。志願倍率1.0倍以下の県立高を受験すれば、本当に100%合格できるのか?答えはノーです。今挙げた低倍率3校は、実は不合格者を相当数出すことがわかっています。それにしても、定員割れした学校を受験したのに不合格にされたら、それは屈辱でしょうね(>_<)。県立高入試を突破するって、そんなに甘くないでしょ?

2013.11.06 塾講師という仕事(第67話:東北に初の歓喜)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

東北人にとって悪夢の始まりを意味するあの3.11をひっくり返すと・・11.3。時刻は夜10時前でした。この時、東北に歓喜が訪れることになろうとは・・・。偶然なんでしょう。しかし、何か運命的なものを感じたりもします。中3生の皆さん、2次方程式を解いて解が3と11と出たら、x=11を先に書こうね(^_^)。ついでに、1946.11.3が日本国憲法公布の日だったこともお忘れなく。

さて、9年前に仙台に誕生した弱小球団が、野村監督就任以降着実に力をつけ、今年は星野監督就任3年目。そのチームが数々の苦難を乗り越えて、ついにパリーグを制覇し、日本シリーズへ進出。相手はセリーグを圧倒的な強さで勝ち上がったあのジャイアンツ。こんな夢のカードの実現可能性については、かつてLIBERO(第42話)で触れたことがあります。その夢が本当に実現したのです。日本シリーズ進出が決まった時、原監督は「このチームは強いです!」と言いました。役者は揃いました。日本一を賭けて戦うのに、これ以上ふさわしい相手は考えられません。1993年Jリーグ誕生以来長いこと冷めていた私の野球熱に、20年ぶりに火が点きました。

その日本シリーズは予想外の展開・・・アウェーでの第5戦を終え、3勝2敗で先に王手という嬉しい誤算。第6戦はホーム仙台に戻って先発はマー君。お膳立ては整いました。ところが、結果は皆さんご存知のとおり。「ジャイアンツのことだから、これで息を吹き返すのでは?」という嫌な予感が頭をよぎります。

翌日の最終戦。この日が日曜日というのはありがたかったな~初めて試合観戦に集中。それにしても初回の守りは冷や汗ものでした。先発の美馬がいきなり長野にデッドボールで、その後2アウト満塁の大ピンチ。ここで打たれたら、終わってしまうかも・・・。

しかし、嶋と美馬は最大のピンチを凌ぎ切り、そこからツキが巡ってきたような気がしました。美馬の球は適度に荒れていて、それがかえって功を奏し、ジャイアンツのバッターは打つタイミングを狂わされているように見えました。美馬は意図的にあんな投球ができたのか?嶋のリードが冴えていたのか?それとも、実は甘かった美馬の球をジャイアンツのバッターがことごとく打ち損じていたのか?

特に、シリーズを通じて相手の大黒柱阿部慎之助を封じることに成功しました。これでは、いくらジャイアンツでも打線の歯車が狂わされるのは無理もないのか?まずは阿部慎之助を封じ、心理戦で優位に立つ。これこそがイーグルス首脳陣の狙いだったのか?真相はわかりませんが、結局嶋と美馬はあれよあれよという間に6回を無失点に抑えてしまいます。

攻撃でも、序盤で杉内と澤村から計3点を奪えたのは大きかったな~。あれでジャイアンツは精神的に追い込まれていったでしょう。おまけに、イーグルスのバッターは簡単に3者凡退してくれません。ジャイアンツは冷たい雨の中、守備の時間を延ばされてリズムが狂い、それがバッティングに影響したのか?おまけに、あの日の球場の雰囲気は、テレビの映像で見た限りジャイアンツにとって完全なアウェーだし。

その後の継投にも驚きました。「星野監督、9回にマー君とは、いくら何でもファンサービスし過ぎでは?」と思いましたが、マー君が志願したそうですね。まるで高校野球のノリになってきました。彼にもいろんな思いがあったのでしょう。第6戦で不敗神話が崩壊。たとえ肉体的に苦しくても、最後に自分の精神面だけは整理しないと気が済まん、と。

その願いは叶いました。試合終了直後、涙を流しながら大喜びしている多くの人々の映像を眺めているうちに、私もいろんな思いがこみ上げてきました。今イーグルスを応援している東北人(特に40歳以上)の8割くらいは、かつて巨人ファンだったのではないでしょうか?地元にある野球のチーム名だって、確か「国見ジャイアンツ」でしょ?サンフランシスコ・ジャイアンツではなく読売ジャイアンツ(=巨人)って、多くの東北人にとって長いこと特別な存在でした。そのチームを倒しての日本一だからこそ、この勝利は価値があるのです。

東京に住んでいた頃、私は西日本出身の人とよく酒を酌み交わしました。その時、必ずと言っていいほど出てくる話題はプロ野球です。福岡人ならライオンズやホークスを、広島人ならカープを、大阪人ならタイガースを、名古屋人ならドラゴンズをそれぞれ熱く語っており、羨ましいと思いました。

一方、東北出身の野球ファンの多くはジャイアンツ。ちなみに私が東京で会った福島人は、全員がジャイアンツ(^o^)。保護者の皆さんなら、わかっていただけるはずです。だって、応援したいプロ球団が東北には存在せず、テレビのプロ野球中継がジャイアンツ一色の環境で育ったら、そうなるのは無理もありません。そんな状況が異常だと気づいたのは、私は大学入学後で、西日本人との付き合いが深くなってからのことです。

今の私はけっしてアンチ巨人ではありません。江川や篠塚を応援していた過去を否定することはできません。むしろジャイアンツをリスペクトしています。ナベツネだけは相変わらず嫌いですけどね(^_^)。そのチームを東北のチームが倒して日本一になり、東北新時代の幕開けを予感させてくれたことに感激しているのです。生前熱烈な巨人ファンだった母に報告しておきました。「高橋由伸はまだがんばっているよ。でも、由伸のジャイアンツに勝って、日本一になるほど強いチームが仙台にできたんだ!」とね。

札幌在住の弟は、こう言っていました。「お袋がジャイアンツを応援していたのは、生まれ故郷の福島県出身の中畑を応援したかったからさ。もしお袋が生きていたら、地元チームのサポーターになるはずで、きっとマー君や嶋に思いっきり声援を送っていたと思うよ。」

2013.10.01 塾講師という仕事(第66話:猛獣誕生)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

彼岸を境にすっかり日暮れが早くなった今日この頃・・・高校受験生だと本番まで約5か月。例年2学期の中間テストが終わるこの時期を境に、こちらも自然に新たなスイッチが入ります。ここから先はどの学年も、特に英語と数学と理科を中心に、学習内容がグッと高度になっていくからです。毎年のことですが、教育の年間カリキュラムというものは、よく考えられているな、と感心します。前半の単元は慣れるまで緩めに、慣れてきた後半は高度に設定されているのです。

受験生については、私はそれほど心配していません。よほど能天気な子でない限り、2学期以降学業に手を抜いてボロボロになるケースは考えにくいからです。ただ、努力してはいるけど、どうも伸び悩むケースならよくあります。もしそのケースに該当しているなら、心配御無用!本気で努力さえ続けていれば、結果が出るのは時間の問題です。

問題は、非受験学年の子かな。「1学期中はなんとかついていけたのに、2学期からついていくのが難しくなった」と言う子が少なくありません。2学期以降の学習内容の濃さに対する危機感が希薄で、部活等を最優先して学業に手を抜けば、必ずそうなります。

例年当塾でも年度途中の入塾生は少なくありません。彼らの多くは、以前の学年の2学期以降苦手教科を作っています。そう言えば、今年度は中3を中心に途中入塾生が多いですね。まだ自信が持てず不安を抱えている子も少なくないでしょう。そこで、今回は昨年度の中3途中入塾生の例をご紹介します。ちなみに昨年度の中3途中入塾生は2名。共にK中野球部に所属していた野獣(=男子)です。

まずは、11月半ばになってから当塾に駆け込んできたK君。秋も深まったある日のこと。ある母親からこんな電話が。「入試まで残り僅かですが、ここにきて本人がやっと本気になりました。今まで通塾経験はありませんが、知人からお話を聞きました。子どもをそちらに通わせたいと思います。西高普通科か東高希望ですが、どうかよろしくお願いします。」

この時点では、本人がどれほどの潜在能力の持ち主なのか見当がつきません。まず、面談時にこれまでの学校成績の記録を見せてもらいました。定期テストも学力テストも学年順位は40番前後。学校の5段階評定に5はなし。3と4のみで、4が多め。野球部の部長だった点が評価されたとしても、東高や西高普通科の受験生にしては学校成績が・・・このデータからは受かる要素が全く見当たらず。

しかし、本気になった子は必ずどこかで化けるもの。英語と数学の授業を重ねていくうちに、徐々に合格の可能性が見え始めます。そして、ついに冬期講習で国語を担当した時、確信しました。「この子は只者じゃない。粗削りな点が修正できれば、西高普通科は必ずクリアできる。東高まで届くかどうかは英数の伸び次第だな。」

その後、私立高進学を固く禁じられていた彼は東高を敬遠し、手堅く西高受験を選択。Ⅱ期選抜の一発勝負に賭けました。合格発表当日、本番での彼の勝負強さには脱帽。国語が驚異の48点。合格発表会場で自分の得点を確認しに行った時、西高の先生に叱られたそうです。「こんな問題なぜ間違えたんだ?」と。「そりゃあ、お前さんに対する期待の表れだな。期待されている人間は、よりハイレベルなことを求められるものなのさ。」彼にそう伝えておきました。

それにしても、一番驚いたのは西高の先生でしょう。K中の5段階評定で国語の成績3の子が、県立高入試本番の国語で満点近い成績を残したのですからね。ちなみにこの年度の国語は、合格者の県平均点が28.9点で例年並みだったものの、46点以上とれた子は福島県内の中3新教研模試受験経験者全体で僅か9名。つまり、本番当日の彼の国語の得点は県内トップクラスだったことになります。

国語ばかりではありません。本人がずっと悩んでいた英語が37点に数学が35点で、3教科合計は120点。よくぞここまで伸びたものです。一方、そこそこの結果は出せると本人が思い込んで独学に頼った理社がどうも振るわず、5教科総合は164点。結果論ですが、東高でもクリアできたはず。でも、これで良かったのではないでしょうか?西高の先生から大事にされながらの充実した高校生活が期待できるのですから。

いかがですか?現行制度の学校成績って、必ずしもその子の学力を正確に反映しているとは限らないことが、おわかりいただけたことでしょう。途中入塾生は苦手分野を抱えて悩んでいるケースが多いものですが、本気で取り組めば、必ず道は拓けるということです。特に、学校でさっぱり評価されていない野獣でも、通信簿に表れない隠れたセンスを持っている子はとても多いのです。それを見抜いて開花させ、凶暴な猛獣に育てることも塾の大切な役割の1つなんです(^_^)。

2013.07.01 塾講師という仕事(第65話:対照的な進学例)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

当塾卒業生の中で今春大学へ進学した子が目立ちます。特に、今年高校卒業1年目となる彼らは、小学校高学年から当塾に通い始めた子が多く、小5春から中3卒業時まで5年間在籍した子を初めて送り出した学年でもあります。だから、彼らの高校卒業後の進路については、私も少々気になっていました。そんなわけで、今回は小学校高学年から通塾していた子の進路の例を話題にしてみます。


まず、1人目はT君。先日、都会人に国見産のサクランボを味わってもらおうと思いつき、Y農園へ足を運んだところ、彼の母上から福島大現役合格の話を耳にした次第。センター試験ではかなり高得点できたんだとか。孝行息子ですね。

ちなみに、彼はO小5年スタート時からK中3年卒業時まで当塾に5年間在籍。小学校高学年の2年間算数をしっかり積み上げ、中学3年間平常授業で数学と英語を受講。夏期・冬期・春期の各講習は全て参加し、国語力も相当なレベルに達しました。

けっして学校成績抜群ではありませんでしたが、数学と英語の評定だけは中学3年間5を貫き通しました。バスケット部に所属し、進学先は福島東高。中学校で実施される各種テストの学年順位は10番前後まで上がりましたから、実力相応校を選択した典型例です。

高校時代は一転してソフトボール部の活動に明け暮れ、勉強は学校の課題をこなす程度。高校では塾にも予備校にも通わず、それほど勉強したわけでもなかった彼が、なぜ現役合格できたのか?彼の母上に訊ねたところ、「初めて見る問題でも、なんとなく答がわかるんだそうです。塾に通っていた頃、頭の中に引き出しをたくさん作ってもらったのがよかったそうで、先生のおかげです。」なんて感謝されてしまいました。

「引き出し」とは何か?おそらく問題解決のパターンを数多く学んだこと(成功体験)だと思われます。未知の問題に遭遇した時、通常は自分が既に所有する知識・技能を駆使して対処しようとします。もしそれで解決できない場合、欠けている知識・技能を新たに取り入れ、脳のハードディスク内に保存していたファイルを自力で更新していく。それをひたすら繰り返す。その姿勢を早い段階で身につけたことが、長い目で見ると役立ったということかもしれませんね。

今、彼は大学でバスケットボールに再び夢中だそうです。高校のクラス対抗スポーツ大会でバスケの試合に出場した時、女子の黄色い声援を浴びる快感に目覚め、地味なソフトボールはやる気がしなくなったとか。誰かさんと似てるな~小学校時代あんなに打ち込んでいた柔道をあっさり捨て、その後サッカーの魔力にハマっていった元野獣とね(^_^)。


最後に、もう1人。今年会津大に合格したN君をご紹介しておきます。彼が入塾したのはF小6年の途中からで、当塾在籍期間は3年半ほど。各種講習は全て出席し、毎回国数理を受講。K中時代の成績はY君より上で主要5教科の評定は全て5、実力テストだと少し下。福島東高受験生レベルの成績ですが、彼が進学先に選んだのは福島商業(情報処理)。当然Ⅰ期選抜で合格。トップ合格だったかもね。

理系ではなく、むしろ文系の福島商業ですが、理系の会津大の県内指定校推薦枠が3つもあるそうで、彼の高校受験時から母上はその枠を狙っていたというのです。福商志願者に限らず、将来リケジョを目指す女子なら会津大という選択肢は参考になるかもね。それにしても彼の母上の目標達成への恐るべき執念・・・おお、MYゴッドマザー!確認してないけど、会津人かな?(^_^)

2013.06.17 塾講師という仕事(第64話:算数・数学学習の心得)

最近、気になる略語があります。人名の略、例えば読売新聞社の渡辺恒雄をナベツネ、俳優の松平健をマツケン、広島カープの前田健太をマエケンと略すパターンは昔からあります。また、すっぽかし=土壇場キャンセルならドタキャンと略すパターンもお馴染みです。

ところが、私の学生時代にはなかったもので最近よく見かけるのは、漢字四字熟語の略語。例えば、就職活動がシュウカツ、結婚活動がケッカツではなくてコンカツ。最初何の料理名かと?それなら、最近よく使われている五字熟語、例えば草食系男子だといずれはクサオ、肉食系女子はニクジョか?(@_@;)

それはさておき、最近私の目に留まったのは、リケジョ。理系女子の略語だそうです。近年の不況にもかかわらず企業から引っ張りだこ。つまり、就職の強さの代名詞に。今企業は競争が激しく、業種にもよりますが、競争相手は国内にとどまらず海外の割合が高まるばかり。そんな厳しい環境でサバイバルゲームに勝つには、野獣(=男子)の発想だけではもはや頭打ち。

そこで、今リケジョに注目が集まるというのはわかり易い話です。野獣にはない感性を発揮して新商品開発の貴重な戦力になりそうだし、何より真面目に仕事しそうだし・・・下手な野獣を雇うよりはるかに企業に利益をもたらすはずだという期待があるのでしょう。

こうなると、オツムの弱い野獣は今後ますます肩身が狭くなるな~。そう言えば、K中だって全般的に女子の方がずっと成績優秀で、一方野獣の内申点はホントに悲惨だしね。だから、近年の当塾最大のテーマは、か弱い野獣をいかにして強い猛獣に育てるか?なんです。私って、野獣の調教師か(^_^)?

さて、この辺でマジな話を。将来優秀なリケジョを目指す女子、また将来強い猛獣を目指す男子が、小中高生の段階で高いレベルに達しておきたい教科と言えば、まず算数・数学。いい機会です。今回は、私の前職場塾長が塾報に投稿した記事をここに転載します。図だけは、見やすいように少し編集してあります。私も日頃同じことを言っていますが、算数・数学を学ぶ者の心得として再確認しておきましょう。

 >数学のお話~ノートの書き方~

昔書きましたが、もう一回。まず、「目」のお話をしましょう。別に、視力がいいとか、可愛らしいとかではありません。

突然ですが、広告の裏でもいいですから、馬の顔を簡単に書いてみてください。書きましたか?まず、長い顔の形、そして横についている「目」ですね。さて、なぜ馬は顔の横に「目」がついているのでしょうか? 彼らはご存知のように草食動物です。つまり、常に肉食獣に狙われている弱い存在です。神様はそんな彼らのために、後ろから忍び寄る肉食獣から逃げるために、後ろまで物を見ることができるような「目」を顔の横につけました。ということは、彼らの目は上下よりも左右に動きやすくなっています。

今度は人間の顔を書いてください。「目」はどこにありますか?まさか、横にはついてないでしょうね。まあ、たまにそんな人いることはいますが・・・。そう、正面に2個ついているはずですね。私たち人間は肉食獣(?)ですね。獲物を追うのが私たち人間の立場です。だから、目は横についている必要がなく、正面についてないといけないんです。つまり、左右に動かすことは余りないはずです。

私たちが目玉を左右に動かすのは、悪いことをするときが多くありませんか?のぞきやカンニング・・・。人間はもともと目玉を上下に動かすことがほとんどなんです。事実、目には上下左右4本の筋肉がついていますが、上下の筋肉が太くなっています。解剖学的にも「目」は上下に動かすようになっているわけです。と、いうことは、ノートの書き方を見ただけで、数学ができる子、数学ができない子の判断があっという間にできる!!!

つまり、ノートの書き方が上下になっているかどうか、「=」が横についているかで、「数学力」が一瞬にして判断できると言うことです。では、具体的にノートの使用例を見てみましょう。

例1 悪い書き方

(2×4+12÷3)×6-15=(8+4)×6-15=12×6-15=72-15=57

この書き方だと目の動きが下の図1のようになります。

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

図1

なんだこりゃー。実はこれ以上に「目」があっちこっち左右に大きく無駄に動くんです!!!間違いが多発しても当然です。さらに、どこで間違えたか瞬時に判断できません。

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

図2

例2 良い書き方

  (2×4+12÷3)×6-15   

=(8+4)×6-15

=12×6-15

=72-15

=57 

この書き方の目の動きは上の図2のようになります。一目瞭然ですね。目の動きが圧倒的に楽です。見間違いは大幅に減ります。しかも、間違えた場合でも、どこで間違えたかがはっきりとわかります。そして、自分がいつも間違える計算ミスの「癖」までがはっきりわります。これが、計算力をアップする秘訣なんです!!!

図3



さて、このような式を書くとノートの右半分があいてしまって無駄なような気がします。そこで、ノート使用法として、図3のような具合にしてください。

ノートのまん中に線を引いて、ノートの見開きを4ページにするんです。そうして、(1)が終わったら、1行あけてその下に(2)、下がなくなったら横の「2ページ目」に(3)・・・。こんな具合にすべてを上下の書き方にするんです。横にずるずる書かないこと。あと、もう一つ大切なこと。分数は分子分母を1行ずつ、2行で書くこと。とにかく小さい字は間違いのもと!! これが、まず数学を正確にできるようにする方法の第1です。

図4



このノートだとグラフ・図形のときも便利です。グラフ・図形は図4のように必ずノートに書いてください。関数や図形が苦手と言う子ほどグラフ・図形をノートに書きません。

必ずグラフ・図形は書きなさい!!

まん中の線を境に、左側にグラフ・図形を、右側に計算などを書くんです。さらに、グラフ・図形は左側にいっぱいに入るくらい大きく書くこと。書いた図には、直線の式や座標など、わかったことをどんどん書き入れていきます。だから、小さい図では意味がない!! はっきり大きく書くこと。

これが、見やすいノート、そして点数が上がるノートです。そして、賢い生徒のノートです。まずは、ノートの書き方からチェックしてみましょう。

引用はここまでです。

いかがですか?少々注釈をつけておきます。塾講師という仕事柄、私は塾生からよくこんな質問を受けます。「数学って、将来役に立つんですか?」確かに、数学そのものを仕事にして、日頃難しい問題ばかり解いたり新作問題を作ったりしている人って、限られています。では、将来数学そのものを仕事にしないであろう多くの人は、数学を学ぶことにどんな意味があるのでしょうか?

あれはざっと十数年前に遡ります。東日本大震災が起こる数年前に他界した知識人、加藤周一氏があるテレビ番組でこんなことを述べていたっけ。

「一般国民が二つの言語、すなわち日本語と数学の双方または一方を用いて、手に入れることのできない重要な情報はほとんどない!」

実に興味深い発言です。あの番組で、加藤氏は地域語としての日本語と世界共通語としての数学の重要性を説いていました。英語なんぞよりはるかに重要な言語があると言わんばかりに。余談ですが、英語はもちろん独語でも仏語でも達人の域にあった加藤氏ほどの人が、英語を最重要言語の1つに挙げなかったことの意味は大きいと思います。当時「小学生から英語を!」と英語早期教育を煽る声が強かった中での発言です。グローバル化の限界に人々が気づいた後、ローカル化を最重要視する時代が来る。アングロサクソンの支配力が強い時代はもう長続きしない。そんな予見があったのかも・・・。

話を戻します。将来数学を仕事にしない人でも、数学を学ぶことによって、どういう能力が養えるのか?仕事柄私が感じるのは、問題解決のための手順(段取り)を大切にする力ではないか?ということです。今回転載した記事にあった計算問題(例2)1つとっても、無意識のうちに作業手順をノートに見やすく記録していることに気づくでしょう。

人間のやることにミスはつきもの。だから、自分のミスを発見したら、まず自分が残した記録を頼りにその原因を突き止め、作業工程を見直す。次に正しい手順で問題解決を図り、正解に辿り着く。この姿勢はあらゆる仕事に通じます。ちなみに、この地道な作業を最も怠ったのが某電力会社でしょう。

こうした観点からすれば、暗算が得意かどうかなんて、どうでもいいことです。そんなことより、小学校高学年なら数字の性格を見抜く感覚を養うことが重要かな。例えば、48は約分のし甲斐があるけど、47だと約数が2つしかないから約分なんぞ考えるのは時間の無駄だ!みたいな。また、文章題や図形の問題を解いていて、自分の導いた解が現実の世界であり得る値なのかどうか?そうした判断力を身につけることも重要です。

そのために、小学校高学年から習慣づけなければならないのは、ノートに筆算や途中式などの自分の論理的思考過程を大きな文字で堂々と記録し、証拠を残す姿勢なのです。

ところが、困ったことに、暗算でサクッと答が出せないことを恥ずかしいと感じ、最も重要な筆算をノートの隅っこでコソコソやり、挙句の果てにそれを消しゴムで消し、自分の出した結論に対する責任逃れとしか思えない証拠隠滅を図る子の多いこと!これでは、まるで犯罪者になるためのトレーニングを積んでいるようなものです(>_<)。

まず「筆算を堂々とやるのが恥ずかしい!」という感覚を捨てること。筆算とは、けっして自分のノートを汚す恥ずべき記録ではなく、むしろ責任感の強い個人を育てるための貴重な記録なのだという意識を持つこと。そこが出発点ではないでしょうか。そして、自分のこれまでの算数・数学に取り組む姿勢は間違いだと感じたら、ぜひ今回のアドバイスを受け入れ、実践してみてください。

2013.03.03 塾講師という仕事(第63話:気合の入れすぎ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

 かなり春の雰囲気漂う今日この頃、今年度もいよいよ大詰めです。県立高Ⅱ期選抜に国公立大入試合格発表を直前に控え、スリリングな日々が続きます。受験生は無駄な力を抜き、ベストコンデションで大一番に臨んでください。

例年最終倍率発表後のこの時期、私は県立高Ⅱ期選抜で出題の可能性が高い単元や難易度まで予想し、中3の授業で強調してきました。特に昨年度の気合の入れ方は、過去記憶がないほど。彼ら(現高1生)に対しては特別な思いがありました。「震災の影響で部活も受験勉強も思い通りにできなかった彼ら・・・既にⅠ期は惨敗。せめてⅡ期だけは少しでも楽にしてやりたい!」

ところが、その気合が裏目に。理科では相当数予想を外してしまいました。例えば、地震が出題されるかどうか?これについては、2つの可能性を考えていました。1つは、他の都道府県とは異なり、大震災と原発事故に苦しむ被災者の心情を考慮すれば、福島で地震の出題はないという見方。もう1つは、過去のデータから今回は理科で大地震がくる周期に当たり、受験生になかなか高得点を許さず空気の読めない理科の作問者のことだから、地震は出題されるという見方。迷った挙句、私は授業で後者を強調。結果は、空振り三振。

Ⅱ期筆記試験翌日の朝刊を見た時の衝撃は、昨日のことのように覚えています。あんなに青ざめたのは初めてでした。「理科には参ったな。数学もあの出題ではそんなに高得点できまい。国語と社会が弱いAは大丈夫だろうか?こうなると勝敗の鍵は英語・・・今回も決して簡単とは言えないが、塾で徹底的に鍛えた彼らの英語力を信じるしかないな。」

実は合格の連絡が入る直前、急に弱気になり始め、ネガティブなことをあれこれ考えていました。強引な出題予想をして、それを外した責任をどうとるか?この学年の国語力育成が思い通りにならなかった責任をどうとるか?最後に全員合格が判明した瞬間、ようやく救われました。たとえ予想を外されても、彼らはそれに対処する術を身につけていました。彼らの成長は私の予想を超えていたのです。

これで、ようやく悟りました。大人の気合の入れすぎは禁物だと。教師ばかりではありません。母親の気合の入れすぎも禁物です。ふと6年ほど前の記憶が蘇ってきました。

あれは忘れもしません。福島西高普通科Ⅱ期選抜の筆記試験を終えた直後のA君から衝撃的な報告。1時間目の国語の筆記試験の最中に腹痛が襲ってきてトイレに駆け込み、完全に集中力が切れたとか。「何だって?国語の苦手なお前さんが、よりによって大一番の真っ最中にトイレで運落とした・・・もう勝負ありじゃないか。朝飯何食ったの?」「カツ丼です。普段朝には食べないんですけど、お母さんが『今日は勝つど~ん』とか言って・・・」恐ろしい肉食系女子の母上。大一番の日の朝に草食系男子にそんな脂っこいものを・・・(@o@;)

気の毒な草食系男子のA君。案の定、A君は不合格。あの年度は5教科総合の平均点が130点超、国語の平均点が30点超。そんな高得点の争いで国語が20点を大きく割っては、どうにもなりません(>_<)。

しかし、その3年後、A君は福島成蹊高特進科から現役で秋田大工学資源学部へ合格したのだから、偉いですね。現在就活中だとか。震災の影響もないし、あの稲庭うどんはいつでも食えるし、秋田美人はいくらでもいるし・・・いいよな~(^o^)/。

2013.02.03 塾講師という仕事(第62話:教科書改訂と検定試験)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

節分を迎えました。今年度も残り2ヶ月弱。さて、今年度注目すべき点の1つは、中学生の学習内容が昨年度までと比べ濃くなったこと。現中2・中3生は、年度初めに配布された教科書を手にした時から、そのことを意識したはずです。今回は、その中学校用新教科書を話題にしてみましょう。

すでに数学と理科については、文科省が別冊教材を併用させ、2年かけて新学習指導要領への移行を進めていました。だから、生徒も徐々に免疫力をつけ、学習内容高度化の衝撃はさほど感じなかったでしょう。しかし、中2・中3英語と中2社会(特に、地理)については別。慣れるまで大変だったかもしれません。

まずは、英語の変更点について。中学3年間で教科書に出てくる単語数はこれまでの900語から300語は増えて1,200語超。確かに、新教科書は収録されている長文がボリュームアップし、ページ数も増加しています。ただ、英文法のレベルについては、大きな変化はなし。

塾の助けを借りずに独学で英語を勉強していた中2・中3生は苦労したことでしょう。新旧いずれの教科書でも見た覚えのない新出単語が、1ページに1語のペースで何気なく本文に登場します。その都度自力で調べた子は英語だけでもかなりの時間を費やしたはず。まあ~高校生にもなればそんなこと当たり前ですから、「高校生活を乗り切る免疫ができたかな」とポジティブに捉えればいいことなんですがね。

一方、今年度の内容の濃さすら感じていない来年度中3生の英語力がどうなっているか?想像を絶する学力格差拡大の嫌な予感・・・。

次に、地理。今年度最も大きく内容が変わった科目が、実はこれ。単元が地域別に再編成され、知識体系が私の中学時代にグッと近づいた印象を受けます。新教科書を手にして、目が点になってしまった中2生は少なくなかったでしょう。昨年度まで使っていた教科書は一体何だったんだろう?ってね。

思えば、2002年に小学校からスタートした学習指導要領改訂は衝撃でした。「教育界の2002年問題」と言われていたっけ。「何?円周率が3?」「3桁×2桁程度の筆算もやらずに、算数の授業で電卓使用?」「台形の面積の公式は?」「不等式も解の公式も記数法も三角形の重心も円の内接四角形も接弦定理も・・・中学数学から消えるって?入試で何を出そうってのよ?」「高校の複素数平面は?」

当時、塾・予備校関係者の多くは史上最低レベルの教科書誕生に怒りをあらわにしていました。「乏しい資源の国は頭で勝負しなきゃならんのに、この国の政府は一体何を考えてるんだ?」「こりゃ一億総白痴化計画だな!」「本気で棄民化政策を実行するらしい!」「明らかに財政難解消が目的の教育予算大幅削減計画だが、これはやり過ぎだな!」「中学の世界地理が、アメリカに中国にマレーシアにフランスだけ?これで国際化に対応しろと?冗談でしょ?」「そんなにアメリカと心中したいかね?」・・・飲み屋でよく飛び交っていた会話です。あれから10年になりますか。

さて、習得すべき知識・技能の増加を特徴とする今回の教科書改訂。塾講師という立場からすれば、素直に歓迎したいと思います。まだ物足りなさが残りますが、将来大学で高等教育を受けようという強い意志の持ち主にとっては、一歩前進と見ていいでしょう。

さあ、今後生徒はどう乗り切ればいいのか?ようやく教科書がまともになってきたのです。これをベースに家庭学習をしっかり積み、当塾で将来高校入試や大学入試に直結してくるプラス・アルファの内容まで学んでいく皆さんなら、特別心配することはありません。

今後皆さんに注意していただきたいのは1点だけ。それは、漢検・英検・数検、等の検定試験との付き合い方です。ここで塾を開いた頃驚いたのは、各種検定試験に熱中する親子の多いこと。ゆとり教育の不安を煽る大人や単科塾の教師に一杯喰わされましたね。ちなみに私、漢検は別として、中学生が挑戦する検定試験は3級で十分だと思っています。そんな金と暇があるなら、読書と趣味に打ち込むことを最優先すべきだと思うから。えっ?検定試験挑戦自体が趣味?(@_@)

検定試験は、入試とは問題の質が全く異なります。入試で新入生を選抜する高校側は、検定試験など眼中にないように思われます。例えば、英検や数検の準2級に合格しても、それは「普通科の高1生なら朝飯前の基本問題」が解けるレベルに達したに過ぎません。県立上位高Ⅰ期合格にも有利とは言えません。例えば数検準2級合格しても、県立高Ⅱ期選抜の数学で高得点できて進学後も安泰とは限らないのです。

過去にLIBERO(第33話)でご紹介したこんな例があります。小2から英語を習ってきて中3秋に英検準2級に合格した子が、福島南高(国際文化)のⅠ期選抜で不合格。ショックから立ち直ってⅡ期選抜で再挑戦し、160点台に乗せてようやく目標達成。幸い当塾で国語と理社を受講していたから事なきを得たものの、もし英語だけに頼っていたら・・・。

もう1例。中3で数検準2級合格者が3人出た年度があります。高1内容中心の独学は大変だろうと思った私は、仕方なく夏以降特別に対策授業を実施。では、彼ら3人がその後どうなったか?福島高のⅠ期選抜に2人挑戦し、2人とも不合格。Ⅱ期選抜は1人が再挑戦で合格し、1人は橘高に志望校変更して合格。内申点が悪かったもう1人はⅠ期選抜を見送り、Ⅱ期選抜で福島東高に合格。

驚いたのは、数学の得点の出方です。高1レベルの数学の資格を持っているのだから、高校入試程度の数学なら高得点できるはずだと皆さんは思うことでしょう。しかし、3人中2人は30点にも届かず、正規の中3数学受講生に惨敗。彼らに限らず、数検準2級に手を染めた子がⅡ期選抜本番で高得点できる保障は全くなく、過去には福島西高(数理科学)で不合格者も出たほどです。バランス感覚の欠けた数学教師に煽られて、その気になってしまったのかもしれませんね。

何度でも言いますが、数検と英検の準2級は高1基本レベルの先取り学習に過ぎず、合格しても自慢できるほどの価値はなし。この地域だと、福島高なんて楽勝だというレベルにない受験生が下手に手を染めると、県立高入試で5教科総合力のバランスを崩し、最悪の場合不合格になる危険性さえあることを知っておいてください。

2012.12.05 塾講師という仕事(第61話:サッカーとバレーボール)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

あ~あ、奇跡を期待していたのに、やはりダメか・・・ベガルタ仙台。結果的に広島のリーグ初優勝と新潟のJ1残留に大きく貢献してしまうとは。広島と新潟には脱帽。今シーズンの広島は、やはり一枚上手だったと認めざるを得ません。最終戦で、同じくJ1残留を賭けていた神戸にアウェーで勝ってしまうのですから。これで諦めがつきました。いわき出身の高萩はなかなかいい選手です。

今度仙台がリーグ優勝争いをするのは、一体何十年後になることやら?私が生きている間に、歓喜は訪れるのかどうか?かなり弱気な私です。2位じゃダメなんですかって?ダメなんです!トップとらなきゃ。トップとらなきゃ歓喜だけは絶対に味わえません。日本柔道界がいい例でしょう。「金じゃなきゃメダルじゃない!」と誰もが口にする世界があるんです。わかったか?蓮舫!(^_^)

冷静に考えれば、J1の2位が快挙であることくらいわかっています。でも私、2位はもういい加減飽きたのです。つい夏の高校野球とイメージが重なるもので。東北のチームは甲子園で決勝まではいくけれど、どうしても優勝できない。優勝旗は白河の関をどうしても越えられないのです。駒大苫小牧高の活躍で、津軽海峡はあっさり越えてしまったというのに・・・ついボヤキが出てしまいました(>_<)。

さて、この辺で頭を切り替えましょう。嬉しい話題もあります。福島ユナイテッドのJFL(J2のすぐ下の全国リーグ)昇格は、県内では久々の明るいニュースではないでしょうか。原発事故の影響で選手が多数抜け、練習場所の確保もままならなかったはずなのに、よくぞここまで這い上がってきました。偉い!今後は、私もこのチームの試合を観戦してみます。

実は15年以上前、JFLに福島FCというチームがありました。しかし、日本がW杯初出場を決めて歓喜に沸く頃、財政難で消滅。ユナイテッドはこれからが正念場で、福島FCの二の舞にならないことを願うばかりです。

この昇格のニュース、今月1日(土)中2社会クラスでK中男子バレー部部長のT君から教えてもらいました。「先生、福島ユナイテッドが昇格決めました!」1週間前にベガルタ仙台が優勝を逃してガックリきていた私は、この一言で少し元気を取り戻します。私より一足早くこの情報を入手し、授業で報告するなんて彼は偉い!そう言えば、T君はバレー部だったな・・・。

ふと自分の中学時代の記憶が蘇ってきました。あれは宮城県名取市立M中3年の梅雨時の昼休み。体育館で、サッカー部の4人があるゲームを始めました。床にボールを置き、それをフリーキックのように蹴ってバスケットボールのリングに入れるというゲーム。バスケ用のボールはちょっと重いので、使ったのはバレー部の練習用バレーボール。軽いので、蹴ると簡単にカーブがかけられます。カーブをかける感覚をつかむのに最適な遊びです。簡単ではありませんが、カーブをかけて蹴り、小さなリングに入るとこれが快感♪何度やったかわかりません。

ところが、ある雨の日でした。いつものように体育館でこのゲームに夢中になっていると、突然「こらあ~!」。振り向くと、そこには女子バレー部顧問のH先生が般若のような形相で仁王立ち。「まずい!(>_<;)」「お前らあ~ここへ並べ~!」恐怖に怯えて直立不動になった私達に飛んできたのは、強烈な往復ビンタ。当時の教師は、キレたらこの程度の体罰は当たり前。気持ちはわかります。だって、H先生にとって神聖なバレーボールが、サッカー部の野獣どもの汚らわしい足で弄ばれている現場を初めて目撃したのですから。実は前から話だけは聞いていて、我慢していたのかもしれません。塾生は真似しないでね(^_^)。

その一件以来、どうもバレー部と聞くと、中学時代の罪悪感が蘇ってくることがあります。一方、今でも体育館に入る機会があると、あのゲームをやりたくなって血が騒ぐ自分がいるのです(^_^;)。

2012.11.05 塾講師という仕事(第60話:昔を懐かしむ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

夜はコタツがないと少々辛い今日この頃ですが、秋晴れの夕暮れ時の趣は清少納言のおっしゃる通り。例年この時期は、プロ野球シーズン締めくくりの日本シリーズに加え、サッカーJリーグがいよいよ大詰め。私にとって季節の変わり目を意識する頃です。本業では、受験生にラストスパートの合図を送り、非受験学年も学習内容がレベルアップするため、自然に新たなスイッチが入ります。

さて、今年のプロ野球はご存知の通りジャイアンツの日本一で閉幕。優勝シーンをぼんやり眺めているうちに、私もかつて巨人ファンだった事実をふと思い出しました。中畑や江川や篠塚や原らが活躍している頃までは結構見ていたのです。「4番原辰徳、チャンスでどうも打てん。ホントに腹が立つノリ!」なんてね。でも、江川が引退した頃から次第に興味が失せ、1993年Jリーグ開幕を機に、プロ野球に熱くなることはなくなりました。

私がかつて巨人ファンだったのは、母の影響です。母は熱狂的な巨人ファン。絶好調中畑清が打って巨人が勝つと大喜びし、負けていると不機嫌そうにテレビのチャンネルを変えていたっけ。宮城県名取市からここ国見に移住して間もない頃、この世を去りました。毎週末、東京から藤田病院の病室へ駆けつける度に「由伸は今日打ったかい?」なんて訊いてきたほど。「そんなこと気にする元気があるくらいだから、大丈夫!」と思ったんですけどね。

ちなみに母は生まれが南会津で、育ちはいわき。夏の高校野球、福島県代表の磐城高校が甲子園の決勝で神奈川の桐蔭学園に負けた時、とても悔しそうだったのを微かに覚えています。

中通りの事情にも通じていました。母は看護婦(=看護師)で、福島県立医大付属看護学校(現福島県立医大看護学部)の卒業生。つまり、広い県内3地域を知る筋金入りの福島県人。「俺、山口県人とは気が合うんだ!」なんてうっかり口にしたら、激怒したかもしれません。これで、ご理解いただけたことでしょう。いくら生まれも育ちも福島県外だとは言え、私を「よそ者」扱いするのは間違いだと(^_^)。

つい昔のことを思い出してしまいましたが、今私が最も気になるのはJリーグ。今シーズンはベガルタ仙台が優勝争いしているし。サッカーの国内トップリーグで東北のチームに初優勝のチャンスが巡ってきたのです。最後は歓喜か失望か?目が離せません。母の血を受け継いでしまった以上、仕方ないよな~。


ところで、この秋は昔を懐かしむ機会が続きます。先日のある秋晴れの日、山形県在住の旧友と久々に再会しました。前回ちらっと話題にしましたが、大学時代に「秋田県境美人頻出説」を教えてくれた男です。彼は山形県に戻ってから今日まで自説を封印していたとか。そうだよな~奥さんをはじめ、万が一山形県の女子の耳に入ったら最期、どんな目に遭うかわからないもんね。

今度は私から、日本海世界に詳しい彼に、ある説の真偽を確認してみようと一瞬思いましたが、封印しました。山形県内での酒の席、彼が酔った勢いでうっかり口にする危険を避けるためです。一昔前なら男子校の社会科の授業で使えそうな話。ところが、ついに東北地方の男子校は東北学院を残してほぼ絶滅したようで、今使えそうなのは塾の授業で、受講者が野獣(=男子)だけの現中2社会くらいかな~。

気になりますか?では、絶対に激怒しないという条件で。それは名付けて「日本海一県跳びの法則」。まず、秋田美人と言えば昔から有名ですが、美人の産地は他にもあり。

秋田を起点にその北は♪青森跳ばして北海道♪秋田の南も続きます♪山形跳ばして新潟県♪富山は跳ばして石川県♪福井も跳ばして京都どす♪

次は太平洋?うっ、そろそろ跳ばされた県の関係者から強烈な怒りの嵐が吹き荒れそうな嫌な予感・・・(>_<;)。これ以上のコメントは控えさせていただきます。

私の説ではありませんよ。「福島らすちじん協会」というグループの学習会で知った説。私も会の一員で、公式サイトには過去何度か投稿しております。山形の旧友にこのサイトのことを伝えると、後日「投稿文が相変わらず大学時代の語り口そのままで、懐かしい」という意味の返信が。

なるほど、男子は20歳過ぎ頃までの育った環境が重要で、そこから先はほとんど進歩しないらしい・・・こりゃ大変、10代の野獣(=男子)は徹底的に勉強させて頭脳を鍛えなきゃダメだということですね(^_^)。

最後は、「めだかの学校」風に会の宣伝を。

写真が綺麗~♪夢の中~♪そっと覗いてみてごらん~♪そっと覗いてみてごらん~♪みんなで宴会しているよ~♪(^o^)/

2012.10.01 塾講師という仕事(第59話:日本海へ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

暑く長かったあの夏が嘘のように、急激に涼しくなった今日この頃です。今回は私事ながら、暑かった夏を思い出しつつ、震災後初めて行った海の思い出を綴ってみます。

あれは梅雨のある日のこと。国見のある店に相馬産のミズダコが並んでいました。「ついに相馬の魚が一部復活したか・・・」と感慨に浸りながら眺めていると「セシウム不検出」の表示。これを買わない手はありません。思わず手が伸びました。早速、家でワカメにキュウリと一緒に酢の物に。

ひと切れ口にしただけで、ビビンときました。「こんなに美味いタコを食べたのは、過去に記憶がない!」なるほど、それもそのはずです。後で知ったのですが、相馬沖のミズダコって築地辺りでは知る人ぞ知る高品質食材なんだとか。これで、久しく足を運んでいなかった海への強烈な想いに火が点きました。


そして、夏期講習終了後の8月最終週、家族を巻き込んで、海を目指しました。保育所は無理矢理欠席に。このパターン、この時期の恒例行事になったりして。「今日は幼稚園休もうね!」「今日から学校?いや、そんなのいいから、海へ行こうよ!」なんてね。

行き先はすんなり決まりました。まず、国見インターから東北道を北上し、山形道から鶴岡へ。懐かしい~8年ぶりですが、夏は初めて。ここは、私が東京から福島に移住した直後の2004年3月、約2週間の合宿で雪道に怯えながら念願の自動車免許を取得した思い出の地。一人前になって故郷に帰ってきたような気分に加え、放射線からの解放感は何物にも代え難い。昼食は、海鮮丼に庄内地方特産の「だだちゃ豆」で腹ごしらえです。

食後は地元の土産物を買い込み、国道7号線を北上。日本三大急流の1つ最上川河口の港町酒田を越えると、海岸沿いに風力発電の巨大な風車が何基も立ち並んでいます。そのうちに、羽越本線と出会いました。線路と並ぶように海岸沿いの道を北上すると、ついに今回の目的地である庄内地方最北端、遊佐町の湯ノ田温泉に到着。秋田県までもう少しの場所です。

そんなマイナーな温泉地、どうやって見つけたのかって?ふふふ、旅の達人の野性の嗅覚ってやつです。いや、慣れ親しんだ太平洋を避け、これまであまり縁のなかった日本海のマイナーな温泉地でくつろいでみたかったのです。海に沈む夕日を眺めながらゆったりお湯に浸かり、潮風の涼しさと匂いを感じ、浜を洗う波の音をBGMに現地ならではの地魚に舌鼓を打つ・・・そんなイメージ。

それだけではありません。地図を調べると、東側には標高2,200m超の東北屈指の名峰鳥海山がそびえ、西側の日本海にはその鳥海山から飛んできたという伝説のある飛島が浮かんでいます。また、これまで海辺や島では飲料水の味に感激した記憶がないのですが、ここは鳥海山の麓だから期待は膨らむし。北緯39度超、福島第一原発から200km超。

有名な観光地とは違って過疎地と思われるこの場所なら、万が一日本海地震に遭ったとしてもこのルートから鳥海山方面へ脱出でき、大津波から逃げ切れる・・・。あの時以来、生命の危険に対する警戒心だけはゴルゴ13並みに発達したようで(^_^)。ここは絶対行くしかないと決心しました。

そして、実際に行ってみて思いました。いつか鳥海山に登ったら、必ずここに寄ろうと。

最大の驚きは、砂浜のあちこちから冷たい水が噴水のように湧いていること。海水が温かいので、その違いはよくわかります。片足を突っ込むと、まるで底なし沼のようで、小さい子どもはちょっと危険です。砂ばかりでなく、岩場もあちこち点在しています。

 宿の女将さんに見た様子を話すと、鳥海山の湧き水は海底のあちこちから出ているそうで、地元の魚が美味しいのはそのおかげなんだとか。飛島の浮かぶ水平線に夕日が吸い込まれていく瞬間を鑑賞しながら料理を味わい、女将さんの話に深く納得しました。翌朝、目の前に広がる海に小舟が数隻浮かんでいます。よく見ると、50m先あたりで海女さん達が漁をしていました。宿の目の前は漁場なのです。

残念だったのは、この地方自慢の天然の岩牡蠣が食べられなかったこと。牡蠣の旬って冬だと思っていましたが、実は岩牡蠣の旬は真夏で、お盆前までだそうです。もし本気で食べたくなったら、7月の夏休み前?8月のお盆直前?それとも、奥の手・・・ここに移住?でも、快適なのは今の時期だけで、冬はきっと・・・朝日の魅力も捨て難いし、悩ましいね。

 もう1つ。秋田県に入れなかったのは残念。大学時代、山形県出身の友人から何度も聞かされた話を久々に思い出しました。「不思議なことに、県境を越えて山形県から秋田県に入ると、急に美人ばかりの別世界になるんだ!」ただ、秋田美人は東京や仙台への流出が止まらず、今秋田県内は減少傾向という説も。いずれにせよ真偽を確かめるチャンスだったのに、「パパ、早くクラゲ水族館に行こう!」だって。

ちなみに私、クラゲだけは苦手で今でも食べられません。海無し県埼玉の小6の学校行事、臨海学校で川崎から木更津までフェリーに乗った時の衝撃があまりにも強かったのです。汚くて臭い東京湾の海にプカプカ浮いていたクラゲの大群の印象が頭から離れなくて。おまけに、千葉県富浦の海水浴場では同級生の中で私だけがクラゲの標的になり、腕にひどいミミズ腫れ・・・あれは痛かったな~。

しかし、奴隷が水族館行きの命令に逆らうのは不可能。後ろ髪をひかれる思いで秋田を背にし、再び鶴岡へ南下します。海沿いにある鶴岡市立加茂水族館に入るや否や、子どもは大はしゃぎ。飽きるまで見学した後は、涼を求めて一気に標高の高い蔵王温泉へ向かいました。

2012.07.09 塾講師という仕事(第58話:自主勉用ノート?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年度に入ってから、中2生からこんな悩みを耳にします。「1日1ページ、1週間7ページ、1年365ページの自主勉用ノート提出がプレッシャーになっている」とか。小中高を通じて、少なくとも私の頃にはなかった自主勉用ノート提出。現在あくまでノート提出のみ求められる学年もあれば、書き込み教材提出でもOKという学年もあります。K中ばかりでなく、K町のJ中やD市やF市の中学でも程度の差こそあれ状況は似たり寄ったりのようですね。

一体いつから、どういうわけで生徒は自主勉用ノート作成に追われているのか?そして、それは誰が何のために奨励(あるいは、義務化)しているのか?どなたか真相をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください!この件については、わからないことだらけでコメントのしようがありません。ただ、気になる点があるので、今回はそれを指摘してみます。


まず、いろんな教科の学習内容を1冊の提出用ノートに書いている子がいて、「それではダメだ!」と学校で指摘されることがないらしいという点。本来ノートというものは、国語なら国語用、数学なら数学用というふうに教科ごとに使い分けたほうが後で活用し易いはずです。仮に提出専用の自主勉用ノートを作っても返却後2度と活用機会がないとしたら、そんなものは作るだけ時間の無駄。手段が目的化し、手間暇かけるわりに、さっぱり学習効果が上がらない典型例でしょう。

もう1点。こちらのほうが深刻かもしれません。自主勉用ノート提出にばかり気をとられると、学校文化の外にテーマを持っている自主性のある子ほど、スキル向上の時間が奪われるという可能性です。多くの中高生が学校生活の外で何に取り組んでいるか?教師や保護者の皆さんなら、よくご存じのはず。

中高時代といえば、学業や部活以外にも様々な分野に関心が広がる時期です。例えば、小学校の時にはほとんど聴かなかったジャンルの音楽と出会い、ハマるのはほぼこの時期。私の頃は、聴くばかりでは物足りず、中学生からギターを手にする者も多く、暇さえあれば練習し、作詞・作曲まで手がける者もいました。私の弟もその1人です。

音楽ばかりではありません。毎朝新聞配達を日課とする者、読書に熱中する者、鉄道マニア、TVドラマに飽き足らず芝居や映画にハマる者、部活とは無関係のスポーツに関心を持つ者、週末は釣り師に変身する者、雨で校庭が使えない日は友人宅に集まってトランプや麻雀に興じる者。「確率の勉強」だなんて母上に苦しい言い訳したりして(^_^;)。

実は、自主的な勉強と遊びの厳密な線引きって、難しいのですよ。それなのに、「自主」とは名ばかりで、事実上強制されて作らされるノートを提出すればポイントが入り、自主的に高度な頭の使い方をする遊びにポイントが入ることはないなんて・・・馬鹿げていると思いませんか?だって、自主勉用ノートには書けないけれども自分の好きな分野を探求している子と、自主勉用ノートに英単語のスペルを何度も書いてページを埋める子とでは、どちらが高度な頭の使い方をしていますか?言うまでもないでしょう。

「自主勉用ノート提出なんて、無意味だから拒否!」という選択もあり得ます。しかし、その意思を貫ける勇者はごく少数のはず。今の学校では、内申の「関心・意欲・態度」の項目が重視されています。ましてや入試で内申点を重視する高校が圧倒的多数の福島県では、なおさらです。


そこで、現実的な対処法を1つ。あくまで教科別にノートを作る姿勢を貫き、塾で使うノートは全て自主勉用ノートにすること。それでは英語と数学のノートばかり増え続け、他教科の勉強をサボっていることがバレちゃうじゃないか?そんな不安を持つ子も出るでしょうが、心配ご無用。ノート提出をうるさく言う人って、どうせ英語か数学の教師でしょ?

2012.06.06 塾講師という仕事(第57話:入試問題の難易度設定)

実施年度国語
数学英語理科社会5教科総合
平成09年32.325.4
25.428.226.1137.3
平成10年24.620.024.823.822.1115.3
平成11年23.820.825.824.522.0117.0



平成22年27.821.822.927.429.4129.2
平成23年29.822.323.723.822.5121.8
平成24年25.520.523.721.524.6115.9
塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

福島県立高校Ⅱ期選抜合格者の年度別平均点

興味深い資料が手に入りました。今回はそれを話題にしてみます。まず、上の表をご覧ください。福島県立高入試(Ⅱ期選抜)合格者の平均点のうち注目すべき年度をピックアップしたものです。公表されてはいませんが、全受験者の平均点なら、さらに下がります。ご存知のように、当塾中3受験生の県立高入試最終合格率は100%。しかし、実は多くの子がⅡ期選抜本番で満足のいく得点をあげられず、合格発表日まで不安な時間を過ごしていたようです。その原因が、ようやくハッキリしました。

5教科総合平均点が110点台というのは、少なくとも平成8年度以降過去17年間で3回。今回は2番目に得点しにくい回だったことになります(平成7年度以前となると、私は把握しておりません)。前年度との落差という意味でも過去最悪レベル7の大事故に匹敵する平成10年に比べれば、まだまし。とは言え、たかが県立高入試の合格者平均点が100点満点に換算してわずか46点というのは、やり過ぎでしょ。

特に、昨年度の受験生の多くはあの大震災の影響をもろに受け、じっくり腰を落ち着けて受験勉強に取り組む状況になかったはずです。そんな受験生相手に入試問題を難しくする意図が私にはわからないのです。

もし機会があれば、お知り合いの現高1生にお伝えください。「本番で思うように得点できなかったのは、君のせいではない。今回の作問者の頭が原発事故を起こしたらしいから、もう気にするな!」とね。

最近3年間で最も注目すべきは、数学と英語が揃って得点しにくいことでしょう。

今回の数学については、平均点の低さ以上に得点分布の異常さが際立っています。16~30点のわずか15点の範囲にⅡ期選抜合格者の約2/3(6,579名)が団子状態。36点以上だと119名、41点以上はたったの10名、46点以上はゼロ。これでは、数学がデキる子もデキない子も似たような点数になり、学力の判定基準としては使い物になりません。

一方、福島県の英語は、国語や数学に比べれば点差の開く教科だと言えます。ところが、11~15点しか得点できない受験生の度数が最多という傾向は相変わらず。この点数は、放送問題を中心に4択問題でしか得点できないことを意味します。このレベルが県内で最も厚い層だなんて悪い冗談です。

やれやれ・・・過去に県立高入試で何度か失敗を繰り返しておきながら、なんら反省がなく、今回も懲りずに大失敗しています。これでは、受験界の福島第一原発だな。

ここまで好き放題言っておいて何ですが、実は私も過去に苦い思い出が・・・あれは、東京のある進学塾(生徒数1万人超の規模)で数学の月例テスト作成を任された頃です。初めて作問した数学のテストの平均点が100点満点でたったの41点。当然、クレームの嵐が吹き荒れました(>_<)。

飲み屋で上司からこんなふうに言われたっけ。「気合の入れすぎだろう。問題が美しすぎる。試験問題の良し悪しは、受験者の学力レベルとの関係で決まるもの。自己満足に陥らず、50分という制限時間内に問題を解かされる生徒の身になって、平均が50~60点になるよう難易度を設定するように!」飲み屋での話って、たまには深いね(^_^)。

この大失敗をきっかけに、その後私の作問が数学科の主任から高い評価を受けている旨を上司から耳にするようになりました。良問とは何か?それがわかるようになったからです。

自慢話をしているのではありません。東北復興のために教育が重要だと本気で思うなら、少なくとも入試問題作成者の某電力会社並みのKY感覚を改善してもらわなくちゃ。いい問題も入っているって?そんなの当たり前です。でも、そんな程度ではダメなのです。単に作業手順が面倒なだけで受験生の正答率がゼロに近い愚問は極力なくし、努力した子が達成感を持てるように、センスの良い点差の開く問題を多数セットできるバランス感覚が必要なのです。

ところで、「今回は震災で避難生活を送る子が不利にならぬよう、意図的に受験生の点差をつきにくくした」との見方はどうでしょう?あはは、そこまで空気が読めるなら、意図がバレぬよう、かつ受験生を苦しめぬよう、平成09年以上に思いっきり簡単にしたんじゃないかなあ? 

2012.04.09 塾講師という仕事(第56話:中3卒業生の受験奮闘記+お知らせ)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

最近、自宅でウグイスの鳴き声を耳にするようになりました。意外にも、この辺りで聴いたのは初めてで、今年度はいいことがありそうな予感♪と、自分に都合のいいように解釈して新年度のスタートを切ることになりました。塾生の皆さんもご入学・ご進級おめでとうございます。ゴールデンウィークまで約3週間。この間に新しい環境に慣れて、学校生活がうまく軌道に乗ることを願っています。

さて、毎年の恒例となりましたが、今回も当塾中3卒業生の受験奮闘記からいきましょう。まず、この春高校受験を終えた卒業生合計10名(男子6:女子4)の進学先のご報告から。

☆橘高:2名         ☆福島高:1名

☆福島工業高(機械)1名   ☆福島商業高(情報処理)2名

☆福島西高(数理科学)1名  ☆福島東高:2名

☆福島明成高(生物生産)1名

今回の当塾卒業生がこれまでの卒業生と大きく違う点は、次の3つ。

第1に、全員が県立高へ進学したこと。しかも、福島県北地区を代表する人気校ばかり。「福島南高と福島北高が加わっていたら、もっと酒が美味かっただろうに~。」と一瞬思いましたが、わずか10名での内容ですから、これ以上の贅沢を望んでは罰が当たるというもの。そういえば、前回も卒業生の第1志望校最終合格率は100%でしたが、私立高専願での合格者が1名いました。余談ながら、通学の便を重視して県立の福島北高や保原高への進学を敬遠した典型的なケースで、そのような選択をされる方は少なくないようです。

第2に、福島西高(数理科学)のⅡ期選抜で初めて合格者が出たこと。Ⅰ期選抜での合格者なら過去に1名いますが、今回はⅠ期を敬遠しⅡ期の一発勝負に全てを賭けていた子です。本番では、独学で勉強していたという数学と理科が振るわず、当塾で受講していた文系教科がうまくいって合格できたようなもの。学校成績を当てにしてⅡ期選抜の得点力を見積もることが、いかに危険かを改めて確認。

第3に、今回のⅠ期選抜の合格率が1/8と過去最悪だったこと。私はⅠ期については慎重な見方をするほうで、これまで実際の合格者数は毎年私の予想を上回ってきました。ちなみに今回の事前予想は、「男子3名は堅いけど、実際はその倍くらいになるんだろう。」というもの。実は、今回のⅠ期対策は冬期講習以後かつてないほど気合を入れ、その甲斐あってか、予想問題がほぼ的中した学校が数校あったほど。それなのに、あれほど惨敗するなんて・・・。特に、学校成績抜群の男子2名が不合格にされたのはショックでした。

今ではこんなふうに思っています。「今回の入試は激戦になるのでは?」というあの噂について。「そんなはずはない!」と私は一蹴しましたが、Ⅰ期選抜に限っては正しかったのでしょう。

私が軽視していたのは、「今春のK中の卒業生は優秀」という噂。高校入試のⅠ期選抜業務担当者には、おそらく「特定の中学に偏ることなく、多様な中学から成績上位者を採ろう。」という意識が働くはず。例えば、ある中学から同じ高校を受験する子が多かったとします。学校成績がその集団内で下位に入ってしまう子は、Ⅰ期合格が難しいことになります。逆に、低レベルの集団にいたほうがⅠ期合格の可能性が高まるとしたら、おかしな話ですが、現実はそういうものかもしれませんね(>_<;)。 


最後に、新年度の月謝についてお知らせします。

震災後の厳しい経済状況を考慮し、当塾の受講料金体系を全面的に見直しました。ズバリ、4月分からクラス授業の月謝および夏・冬・春の特別講座の受講料を値下げし、個別指導料金体系はクラス授業とは区別することにします。「もっと早く決断してほしかったのに・・・」とのご批判はあるでしょう。しかし、昨年度は他に優先しなければならない課題があまりに多く、料金体系まで頭が回りませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。

もう1点。あの震災で住む家を失って仮設住宅での避難生活を余儀なくされていたり、一家の大黒柱が失業したり・・・そんなご家庭の状況を最大限考慮し、場合によっては受講料無料でお子さんを受け入れることにしました。学ぶ気は十分あるのに、ご家庭の経済的な事情で通塾を完全に諦めている方が身近にいらっしゃいましたら、その旨をお伝えください。

2012.02.08 塾講師という仕事(第55話:学力とは?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年度の高校受験もいよいよ大詰めですね。受験生はこれまで抱えていた迷いが吹っ切れ、やっと目標達成に向けて全力を尽くす気になったことでしょう。もし、まだ気持ちの整理ができない人がいたら、この記事を読んで頭を冷やしてみましょう。

さて、今回は内田樹という人が書いた文章をご紹介します。テーマは学力。昨年9月にネット上に公開された文章で、一読してすぐLIBEROで話題にする価値があると思いました。今回その全文をご紹介します。


>「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。本が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。中学二年生になったつもりで読んでね。

「学ぶ力」

日本の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。

そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは「試験の点数」のことなのでしょうか。わたしはそうは思いません。

試験の点数は数値です。数値ならば、他の人と比べたり、個人の経年変化をみるうえでは参考になります。でも、学力とはそのような数値だけでとらえるものではありません。「学力」という言葉をよく見てください。訓読みをしたら「学ぶ力」になります。わたしは学力を「学ぶことができる力」、「学べる力」としてとらえるべきだと考えています。数値として示して、他人と比較したり、順位をつけたりするものではない。わたしはそう思います。

例えば、ここに「消化力」が強い人がいるとしましょう。ご飯をお腹いっぱいに詰め込んでも、食休みもしないで、すぐに次の活動に取りかかれる人は間違いなく「消化力が強い」といえます。「消化力が強いです」と人にも自慢できます。しかし、それを点数化して他人と比べたりしようとはしないはずです。「睡眠力」や、「自然治癒力」というものも、同様のものだと思います。どんなときでもベッドに潜り込んだら、数秒で熟睡状態に入れる人は睡眠力が高いといえるでしょう。この力は健康維持のためにもストレスを軽減するうえでも、きわだって有用ですが、睡眠力を他人と比較して自慢したり、順位をつけたりすることはふつうしません。怪我をしてもすぐに傷口がふさがってしまう自然治癒力も生きるうえでは、おそらく学力以上に重要な力でしょうが、その力も他人と比較するものではありません。わたしは「学力」もそういう能力と同じものではないかと思うのです。

「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、個人的なものだと思います。「学ぶ」ということに対して、どれくらい集中し、夢中になれるか、その強度や深度を評するためにこそ「学力」という言葉を用いるべきではないでしょうか。そして、それは消化力や睡眠力と同じように、「昨日の自分と比べたとき」の変化が問題なのだと思います。昨日よりも消化がいいかどうか、一週間前よりも寝つきがよいかどうか、一年前よりも傷の治りが早いかどうか。その時間的変化を点検したときにはじめて、自分の身に「何か」が起きていることがわかります。もし「力」が伸びているなら、それは今の生き方が正しいということですし、「力」が落ちていれば、それは今の生き方のどこかに問題があるということです。

人間が生きてゆくためにほんとうに必要な「力」についての情報は、他人と比較したときの優劣ではなく、「昨日の自分」と比べたときの「力」の変化についての情報なのです。そのことをあまりに多くの人が忘れているようなので、ここに声を大にして言っておきたいと思います。自分の「力」の微細な変化まで感知されている限り、わたしたちは自分の生き方の適不適を判定し、修正を加えることができます。

「学ぶ力」もそのような時間の中での変化のうちにおいてのみ意味をもつ指標だと私は思います。その上で「学ぶ力」とはどういう条件で「伸びる」ものなのか、それを具体的にみてみましょう。

「学ぶ力が伸びる」ための第一の条件は、自分には「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」という「学び足りなさ」の自覚があること。無知の自覚といってもよい。これが第一です。

「私はもう知るべきことはみな知っているので、これ以上学ぶことはない」と思っている人には「学ぶ力」がありません。こういう人が、本来の意味での「学力がない人」だとわたしは思います。ものごとに興味や関心を示さず、人の話に耳を傾けないような人は、どんなに社会的な地位が高くても、有名な人であっても「学力のない人」です。

第二の条件は、教えてくれる「師(先生)」を自ら見つけようとすること。

学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、だれに教わったらいいのかわからない、という人は残念ながら「学力がない」人です。いくら意欲があっても、これができないと学びは始まりません。

ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。街行く人の中に、ふとそのたたずまいに「何か光るもの」があると思われた人を、瞬間的に「師」に見立てて、その人から学ぶということでももちろん構いません。生きて暮らしていれば、至る所に師あり、ということになります。ただし、そのためには日頃からいつもアンテナの感度を上げて、「師を求めるセンサー」を機能させていることが必要です。

第三の条件、それは「教えてくれる人を『その気』にさせること」です。

こちらには学ぶ気がある。師には「教えるべき何か」があるとします。条件が二つ揃いました。しかし、それだけでは学びは起動しません。もう一つ、師が「教える気」になる必要があります。

昔から、師弟関係を描いた物語には、必ず「入門」をめぐるエピソードがあります。何か(武芸の奥義など)を学びたいと思っていた者が、達人に弟子入りしようとするのですが、「だめだ」とすげなく断られる。それでもあきらめずについていって、様々な試練の末に、それでもどうしても教わりたいという気持ちが本気であるということが伝わると、「しかたがない。弟子にしてやろう」ということになる。そのような話は数多くあります。

では、どのようにしたら人は「大切なことを教えてもいい」という気になるのでしょう。

例えば「先生、これだけ払うから、その分教えてください」といって札束を積み上げるような者は、ふつう弟子にしてもらえません。師を利益誘導したり、おだてたりしてもだめです。だいたい、金銭で態度が変わったり、ちやほやされると舞い上がったりするような人間は「師」として尊敬する気にこちらの方がなれません。

師を教える気にさせるのは、「お願いします」という弟子のまっすぐな気持ち、師を見上げる真剣なまなざしだけです。これはあらゆる「弟子入り物語」に共通するパターンです。このとき、弟子の側の才能や経験などは、問題になりません。なまじ経験があって、「わたしはこのようなことを、こういうふうな方法で習いたい」というような注文を師に向かってつけるようなことをしたら、これもやはり弟子にはしてもらえません。それよりは、真っ白な状態がいい。まだ何も書いてないところに、白い紙に黒々と墨のあとを残すように、どんなこともどんどん吸収するような、学ぶ側の「無垢さ」、師の教えることはなんでも吸収しますという「開放性」、それが「師をその気にさせる」ための力であり、弟子の構えです。たとえ、書物の中の実際に会うことができない師に対しても、この関係は同様です。同じ本を読んでいても、教えてもらえる人と、もらえない人がいるのです。

「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。

第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。

第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。

第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。

この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力」です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で「学力のある人」です。

逆に、どれほど知識があろうと、技術があろうと、このひとことを口にできない人は「学力がない人」です。それは英語ができないとか、数式を知らないとか、そういうことではありません。「学びたいのです。先生、教えてください。」という簡単な言葉を口にしようとしない。その言葉を口にすると、とても「損をした」ような気分になるので、できることなら、一生そんな台詞は言わずに済ませたい。だれかにものを頼むなんて「借り」ができるみたいで嫌だ。そういうふうに思う自分を「プライドが高い」とか「気骨がある」と思っている。それが「学力低下」という事態の本質だろうとわたしは思っています。

自分の「学ぶ力」をどう伸ばすか、その答えはもうお示ししました。みなさんの健闘を祈ります。


いかがでしょう?私が一読して思わず笑ってしまったのは、学ぶ力に必要な3つ目の条件、「師を教える気にさせる力」です(^_^)。日頃から何となく感じていたことをズバリ文章で視覚化してくれたな、と思ったのです。筆者の内田樹氏とは、現在神戸を拠点に活躍する知識人で、自ら合気道の道場を開いている武道家でもあります。なぜ今この人の文章を採り上げたのかって?それは、内田氏の文章がたまに入試の国語の長文問題で出題されることもありますが、それだけではありません。

昨年度とは対照的に、今年度の中3生の多くが福島県立高Ⅰ期選抜で苦杯を喫しました。すでに最後のⅡ期選抜に向けて気持ちを切り替えられた塾生はいいのです。しかし、厳しい現実に直面して気持ちが混乱している塾生に、もう1度「学ぶ者の心構え」を見つめ直す機会を提供したかったのです。

「学力」とは、どういう力か?これは、人によって定義が異なります。ちなみに、私は仕事柄、試験で得点する力もその1つであるという立場は捨てられません。そして、受験とは人生における通過点の1つで、人との優劣を証明する戦いではなく、自分の弱さとの戦い、つまり、弱い自分に打ち克つための貴重な学習機会だと理解しています。

最後に、内田氏の言説・・・私にとっては、忘れかけていた大切なことにハッと気づかされることがよくあり、塾生とその保護者に推薦できるブログの1つです。中学生にはまだ難しいですが、知性に磨きをかけたい高校生以上なら「内田樹の研究室」というサイトを知っておいてもいいでしょう。現時点でアクセス数が2千万件を軽く突破している個人の良質なブログなんて、そう多くはないと思います。

2011.12.04 塾講師という仕事(第54話:激戦予想?)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

今年も師走がやってきました。自分の過去をざっと振り返ってみても、これほど悲しく、あれこれ考えさせられた年は記憶にありません。現段階では、これからバラ色に輝く新年が訪れる予感は残念ながらしてきません。でも、散々苦しめられてきた分、来年は今年よりはるかに多く良いことが巡ってくるはず。そんな予感ならあります。

さて、現中3生が挑戦する今年度の高校入試について、ちょっぴり気になる話を何度か耳にしました。今回はそれを話題にしてみます。ズバリ、「今度の高校入試は、激戦になるのではないか?」という話。その根拠は「大震災で浜通りから中通りに避難してきた多くの受験生が、福島市の県立高校を受験するから」だとか。1人だけではありません。複数の方が同様の内容を語るところをみると、不安に感じている方は潜在的に少なくないのでしょうね。

それについて、私の見解を述べておきます。結論から言えば、今度の高校入試が特別激戦になることはないだろうと予想しています。

まず、激戦を予想される方が挙げている根拠について。相双地区を中心に新たな受験生が福島市の県立高受験に加わるのは事実です。元々中通りの住人である受験生・保護者が不安になる気持ちは、わからなくもありません。こんな例があります。避難のためK中に来た転校生がとても優秀で、転校してきていきなり学年トップの座に君臨してしまったとか。この衝撃は相当なものだったようです。当塾の中1生が、顔をひきつらせながら証言していましたからね(^_^)。

しかし、冷静になってみましょう。入試が激戦になる場合とは、受験者のレベルが高いか、または受験者の増加によって受験倍率が上がった場合です。しかし、今度の高校入試で本当にそんなことが起こるでしょうか?

ちなみに、少子化の影響で年々入学定員を減らす傾向にある福島県立高入試において、今回定員を増やす学校が福島市内に3校あります。福島商業(情報処理)、福島東、福島南(国際文化)で、いずれも40名ずつ合計120名。被災して避難してきた受験生を積極的に受け入れようという強い意思を感じます。

では、「入学定員を現状維持する高校の入試こそ新たな受験者増加により激戦になる」との見方はどうでしょう?

しかし、これにも疑問があります。そもそも「今度の県立高入試は受験者が増える」という仮定は正しいのでしょうか?あの原発事故の影響で、県外に脱出した方も相当な数に上ることを忘れてはなりません。当塾生の中でさえ、道東への移住のため退塾した子がいるほどです。泊原発からは遠いし、魚介類が抜群に美味い地域ですから、個人的には羨ましいですけどね(^_^)。ましてや県庁所在地で放射線量も高い福島市周辺地域なら、減った中学生も相当な数に上るはずです。

そう考えると、「今年度の県北地区の高校受験倍率は、昨年度と比べて大きな変動はないだろうから、今度もほぼ例年通りの入試になる」とみなすのが妥当です。いや、この際ライバルなどという狭い見方は捨てたらどうでしょう。海の民はおおらかです。これから浜通りや阿武隈高地出身者との新たな出会い、新たな人間関係が生まれようとしているのですよ♪そんな新生活をポジティブにイメージしながら勉強に励んだらいかがですか? 

2011.10.03 塾講師という仕事(第53話:不敗神話)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

彼岸入り以後、急激に秋らしくなってきました。それにしても彼岸前までの暑かったこと。日常に疲れた時はしばし旅に出て、五感を刺激するのが一番なのですが、まるで奴隷のような今の私に遠出の許可は下りず(おっと、ここだけの話ですよ)(^_^;)。近場でのアウトドアの楽しみも絶望的。春の山菜、夏のイワナにヤマメ、秋のキノコに木の実、年中飲める山奥の沢の水。それらは、つい最近まで福島で生きる醍醐味だと思っていただけに、原発事故だけは本当に痛い!

そんな今年の夏、私にとって貴重な娯楽の1つは、サッカーのテレビ観戦になってしまいました。夏にインドアライフだなんて情けない限りですが、畑仕事を断念してすっかり意気消沈している中、元気なサッカー界からの刺激に触発されて気力を持続させることに成功。まず、ワールドカップでついに世界の頂点に立った「なでしこ」の激闘にはしびれました。何回吠えたかなあ?

女子の偉業に刺激を受けてか、男子もなかなかのもの。代表チームは着実に進化しているし、今年はベガルタ仙台もいい。特に、イタリア人ザッケローニ氏の代表監督就任以来、今のところ男子代表チームは不敗神話更新中。ホームゲームとは言え日本が韓国を子ども扱いする試合なんて、生まれて初めて見ました。本当に最後まで続けば、2014年ブラジル大会では優・・・まさかねえ~。でも、夢があるのはいいことです。今のペースで順調に進化を重ねれば、自分が生きている間にひょっとすると・・・そんな期待を抱かせてくれます。そう言えば、「なでしこ」のエース澤選手がいいことを言っていました。「夢は見るものではなく、叶えるものだ!」

さて、ここでふと気になったのは「不敗神話」。実は、当塾にもそれに値する事実があることを思い出しました。県立高入試における開塾以来の不敗神話が。まず、福島東高と福島南高がそれぞれ11戦全勝。福島明成高が6戦全勝。橘高と福島北高がそれぞれ5戦全勝。開塾以来5人以上が受験し、かつ全員最終合格できた県立高校なら、この5校が該当します。

「たかが7年程度の合格実績で不敗神話とはオーバーな!」そう笑われるかもしれません。しかし、あえて今「不敗神話」を表明し自らを奮い立たせたほうが、今後の仕事に対する高いモチベーションを維持できるというものです。チャンピオンになったボクサーが、これからの防衛戦で連戦連勝していく決意を表明するようにね。

ここで、塾生は間違ってもマイナス思考には陥らないことです。「不敗神話を崩壊させる第1号は自分?」みたいな。サッカー界から刺激を受けた一塾講師が、過去の仕事を振り返っている時にふと気づき、独りで勝手にプレッシャーを楽しんでいるだけです。そんなこと気にするより「不敗神話更新中の縁起のいい塾で勉強している以上、自分も大丈夫!」というプラス思考で、自分の目標達成に向けて努力を積み重ねることが何より大切でしょう。

最後に1つだけ。当塾の不敗神話をいくら何でも意図的に捏造された「原子力安全神話」なんぞとは一緒にしないでくださいね。同じ「神話」でも大違い。その最大の違いは、安全確保の確率を100%にしようとする日々の努力の有無なのです。もちろん努力しているほうが当塾ですよ(^_^)。 

2011.07.08 塾講師という仕事(第52話:宮城県の学校情報)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

前回の予告通り、今回は宮城県の学校情報をお届けします。

皆さんもご存知のように、福島・宮城の隣接協定により、国見町の中3生は進学先として宮城県内の高校受験が認められています。少なくとも私の知る範囲では、県立の白石高と白石工業高の2校。その他、仙台高専名取キャンパス(旧宮城高専)の受験なら認められているはずです。実は以前、福島県新地町の自宅から常磐線で宮城高専まで通っていたという人に会ったことがあるものですから・・・。

さて、今回はまず当塾卒業生Yさんから白石高校を紹介してもらいます。彼女は中学3年間当塾で英語を受講し、白石女子高校看護科へ進学。K中時代の成績は5が5つあり、中でも英語の力は相当なもの。県立高入試本番でも英語はあっさり70点台に乗せ、5教科総合でも500点満点中300点の大台を軽くクリアした実力者です。では、どうぞ。


>私は宮城県白石高校の看護科に通っています。昨年度、男子校と女子校が統合し、共学校となりました。ここで、まず白高のメリットをご紹介します。

メリットその1

校舎がピカピカです!夏は風が通って涼しく、冬は暖房でポカポカです。

メリットその2

服装は自由!集会の時などはスクールジャケット着用ですが、普段は皆さんが来ているような私服で登校することができます。もちろん、スクールジャケットは制服と同じでとてもかわいいので、毎日それを着ることもできます。 

メリットその3

購買や食堂はメニューが豊富!購買ではパンや弁当だけでなく、唐揚げや竜田揚げ、シュークリームなどおいしいものがいっぱいです。食堂では日替わり定食の他、季節によって変わるメニューもあり、今なら冷やし中華が楽しめます。

メリットその4

行事がたくさん!定期戦や白高三大祭とよばれる体育祭、合唱祭、文化祭に加え修学旅行など楽しい行事がたくさんです。クラスの絆が深まり、思い出がいっぱいできます。

この他にも、部活の種類が多いことや駅から徒歩で通学できることなど、白高に入学すれば素敵な高校生活を送ることができます。

次に、科について説明します。白高には、大学進学を目指す普通科と看護師を目指す看護科があります。

私が通っている看護科は高校3年+専攻科2年の最短コースで看護師国家試験を受けることができます。看護科の特徴は、実技の授業や病院実習があることです。実技の授業では、実際に注射や点滴などの医療器具を使い、将来の業務に必要な技術を身につけます。病院実習では、実際の医療現場で患者さんのケアをさせていただきます。大変なこともありますが、同じ夢を持つ仲間と協力しながら充実した毎日を送っています。看護科は5年間クラス替えがないので、皆とても仲が良いです。

私は入学する時、県外ということもあり、正直迷いや不安でいっぱいでした。しかし、そんなことは全く心配する必要はありませんでした。大学進学を目指している人や看護師を目指している人には、オススメの学校です。ぜひ白石高校に入学してください。佐野塾に通って勉強している皆さんなら、絶対大丈夫!


いかがでしょう?では、私から少々補足しておきます。

私の知る白石高校とは、宮城県南地方を代表する県立の進学校で、白石城下という恵まれた所に位置する歴史ある男子校です。ところが、戦後65年を過ぎて宮城県にもようやく高校男女共学化の波が押し寄せ、これまた県立の伝統校白石女子高校と統合し、両校の長所を併せ持つ新たな高校として生まれ変わりました。

新キャンパスは国道4号線沿い。その新キャンパスの他、男女別学時代の白石高校と白石女子高校の施設を全て使えるのですから、こんなに贅沢な環境は考えられません。白石駅までの片道交通費は福島駅と同じく320円。しかも東北本線NO.1の車窓(藤田~貝田)を1日に2度楽しめるのが嬉しい。

Yさんが述べたように、将来看護師を目指す子にとって理想的な環境であることは言うまでもなし。また、大学進学を目指す普通科からは東北大や国立大医学部への進学者なら毎年必ず一定数出していることから、入学後生徒がどれだけ勉強しているかは容易に想像がつきます。ちなみにYさんの妹Aさんは今年の当塾卒業生の1人ですが、姉の勉強する姿勢を見て恐れをなし、福島西高普通科への進学を決断したとか(^_^;)。

ここで、皆さんが気になるのは、この学校の入試の難易度でしょう。幸いなことに、福島県北地区の県立上位5校に比べれば、少し楽かな~♪県庁所在地から離れているため、高倍率にならないからです。合格最低ラインは、福島県北地区で挙げれば、おそらく福島商業より少し上あたりかな?つまり、福島西高普通科までもう一息というレベルまで達すれば合格できると思います。

でも、この高校で本当に充実感を味わうには、入学後のハードな勉強に耐えられるだけの学力を予め身につけ、高校入試では余裕で合格できる準備をしておくことが大切でしょう。Yさんのようにね。

この辺で、福島県と宮城県の高校の違いを簡単に整理しておきます。まずは、生徒の服装。福島県内は大部分の高校が制服着用を義務づけられており、私服通学を認めているのは、安積高校くらいしかないはず。ところが、宮城県の高校は東京と同様生徒に私服通学を認めている学校が数多く、白石高校もその中の1校です。

また、福島県の高校って食堂がないそうですが、宮城県はだいたいどこの高校にも食堂があります。これは、母親や下宿生活をする生徒にとっては大助かり。多くの自宅通学生・下宿生・教職員にとっても温かいスープ付きのメニューを注文できるのはとてもありがたいのです。

最後に、部活について。例の原発事故以来、浴びる放射線量を抑えるために、エネルギッシュな高校生が大幅な活動制限を強いられる場面を見るのは、耐え難いものがあります。例えば、外で太陽を浴びながら楽しむことが魅力の野球、サッカー、ラグビー、テニス、陸上競技、水泳、登山、スキー、ボート・・・こうした活動を納得いくまでやりたい場合、私なら福島市よりずっと放射線濃度の低い宮城県内の高校を進学先として選択するような気がします。

もちろん部活等の対戦相手は宮城県内の高校になります。大きな大会だと、会場はほとんどが仙台。鉄道網の発達も浴びる放射線量も福島県中通りとは比べものになりません。

さて、ここまでお読みになった皆さんの中には、だんだん不愉快になってきた方がいらっしゃるかもしれません。「佐野塾は塾生に福島を捨てるよう煽っているのか?」みたいな。確かに、私は誕生以来引っ越しを繰り返し、10回目の引っ越しでやっとこの地に辿り着いた「よそ者」です。誕生以来福島県で生きてきた皆さんとは、福島に対する愛着は比べようもありません。

しかし、今闘っている相手が子どもの将来に危険な放射線となれば、リアリストに徹しないとね。勝負事に負けないためには、危険を顧みずに押すだけでなく、形勢不利と見たら、危険を減らすべく一旦引いてみることも必要です。今は引くタイミングのような気がするのですよ。 

2011.06.14 塾講師という仕事(第51話:合格率100%)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

1000年に1度と言われるあの超巨大地震に遭って1回目のダウン。さあ立ち上がろうと思っていたのも束の間でした。先月は、皆様ご存知のように、人生で1回しか経験することのない実の父親の死に遭遇。私にとっては随分長い3ヶ月でした。

ボクシングに例えれば、全く無警戒のままリングに上がったものの、誰もかわせない強烈なパンチを僅か1ラウンドの間に2発まともに浴び、2回ともダウン。特に、先月の第3週はパンチの衝撃で頭が全く働かず、どう過ごしたのか、いまだによく思い出せないほど。しかし、2回目のダウンから何とか立ち上がったところでラウンド終了のゴングが鳴り、KO負けだけは免れた気分です。

これは保護者の皆さんの温かい励ましと、何事もなかったかのように普段通り授業を受けに来てくれる塾生のおかげであると思っております。日常を取り戻すことが何よりの薬であることを改めて実感した次第。この場を借りて、皆さんに深く感謝いたします。

さて、この辺りで頭を切り替えます。当塾も2004年ゴールデンウィーク明けの誕生以来満7歳になりました。大震災と父の死により、私の頭の中では1つの時代の終焉と、新たな一歩を踏み出す段階の到来を意識せずにはいられません。いい機会です。これから新生佐野塾の歴史を刻んでいくために、過去7年という歳月を総括してみます。

この7年間、当塾が一貫して目指してきたのは、一生の財産となる基礎学力を塾生に身につけてもらうこと。それを目に見える形で示すために、特に需要の多い高校受験で塾生の第1志望校合格率100%達成に挑戦してきました。そして、昨年度ようやくその悲願を達成したことは、皆様ご存知のとおりです。

ここで、成功の要因を分析しておこうと思います。今後の参考のために。

第1に、昨年度は無謀な受け方をする子がいなかったこと。最後まで合否の読めない子がいたのは事実。でも、それはいつものことです。全員が実力相応校を第1志望校として選択したのは、大きいですね。

第2に、中1の1学期以前から当塾に在籍し、最後まで当塾の指導を信じてくださるご家庭の子が多かったこと。ちなみに昨年度の卒業生は、県立高受験者13名中10名が中1の1学期以前からの通塾者です。

第3に、県北地区屈指の人気校福島西高普通科の受験結果が2戦2勝だったこと。特に、Ⅱ期選抜では初の合格者が1名誕生。これで西高の通算成績は、やっと4勝5敗。まだ負け越していますけどね。この学校だけは当塾にとって悪女のような存在で、これまで相当煮え湯を飲まされてきました(>_<;)。惚れればすぐ裏切るし、一時期「K中は西高から嫌われている!」なんて噂も流れていたほど。

でも、本当は悪女ではありませんでした♪内申点が少々悪くても、Ⅱ期選抜で6割の壁、つまり150点を突破すれば必ず合格できることが、ようやく証明できました。(^o^)/ 

最後に、今年度の受験生の志望校についてのご提案です!原発事故による放射線が高校生活に与える悪影響をご心配される方が多かろうと思われます。部活1つをとってみても、野球、サッカー、ラグビー、テニス、スキー、陸上競技、水泳等のスポーツが大きく活動制限を受けるのは、あまりに理不尽。今こそ、国見の地の利を生かす、すなわち国見峠を越えて宮城県白石市内の高校(白石高校、白石工業高校)や名取市内の宮城高専という選択肢を真剣に検討すべき時ではないでしょうか?このテーマについては、次回のLIBERO(第52話)で特集します。

2011.04.18 塾講師という仕事(第50話:東日本大震災)

塾講師という仕事(第80話:中学校生活への適応)

2011.3.11.14:46・・・嫌でも記憶に刻まれてしまったこの文字列、パスワードとして使う気にはなれません。あの時を境に私達の世界は一変してしまいました。皆さんもさぞ苦悩されてきたことでしょう。電気・水道・ガス・灯油にガソリンが使えるありがたさを噛みしめながらも雑用に追われる日々。なかなか本業に専念できないもどかしさ。さすがに私も落胆しました。3月28日からようやく業務を再開し、活力を取り戻しているところです。

実は私、あの宮城県沖地震で被災経験があります。しかし、今回の本震ばかりは異次元の世界。宮城県沖地震もすっかり霞んでしまいました。何しろ余震でさえあれに近いのが来るのですから。これで皆さんも精巧な地震計並みに感覚が研ぎ澄まされてしまったのではないでしょうか?「今のは震度5弱だ!」みたいな。

あの時、私は国道4号線を桑折から国見へ向かって運転中でした。「おかしい・・・どうもハンドルをとられる。強風ではない。地震か!」前の晩、就寝中に2度も地震があったことがふと頭に浮かび、そう直感しました。まず、周囲に危険がないかを確認しながら車を左に寄せて停車。やはり、来ました。「強い!」慌ててエンジンもストップ。そこから先は全てが予想外。「これでもか!これでもか!」とますます増幅する強烈な揺れ。一向に収まる気配がありません。近くを流れる小川の水が大きく跳ね上がっています。安全な場所にいるはずなのに、「車が横転するんじゃないか?」と思わんばかりの揺れ。50mほど離れた場所に立つ民家の屋根瓦が次々に崩れ落ち、家全体が斜めに傾いてしまいました。「恐ろしい。こんな揺れは宮城県沖なんてもんじゃない!」

しかし、この地震の本当の恐ろしさは、そんな程度では済みませんでした。福島県中通りにいる私達が次々に来る余震に悩まされている頃、太平洋岸で暮らす人々は想像を絶する脅威に直面していたのです。停電の間、単1電池を6個も詰めたラジオから信じられない情報が流れてきました。そして、電気復旧後、テレビの映像を見て我が目を疑い、言葉を失いました。それは、ハリウッド映画でもインド洋の大津波でもなく、かつて私とかかわりのある東北地方太平洋岸で起こった現実なのです。


あれは2006年夏期講習を終えた8月最後の週でした。塾講師の研修の旅という名目で、東北の魅力を思いっきり満喫しようと、まず秋田県湯沢市界隈を旅しました。美人ばかりいるらしいし・・・。そこでの3泊のうち1泊は人が滅多に入らない清流でキャンプ。山の自然・文化の魅力を存分に味わいました。

今度は海が恋しくなり、太平洋を目指し横手を経由して東へ進み、岩手県を横断。遠野をじっくり見学した後、大船渡を抜け、陸前高田の碁石海岸へ。海岸の石がまるで黒い碁石のように丸く滑らかであることから、その名がついたようです。海沿いにいい雰囲気の民宿を発見し、そこで1泊することに決定。予約なしでも何とかなるのも三陸の魅力です。

風呂上がりの晩飯に豪華な刺身の盛り合わせが出たのはもちろんですが、毛ガニが丸ごと出てきたのにはびっくり。でも、それ以上に感激したのはサンマの塩焼きでした。醤油は不要。頭と骨以外は全部平らげました。朝獲りの旬のサンマって、高級魚と呼びたくなるほど甘くて味わい深い魚だったのです。

やはり、三陸の海は偉大でした。山で美味い物を求めると、獲物を仕留める高度な技術はもちろん食材の調理法に技巧を凝らさなければなりません。ところが、海ときたら「美味い物とは何か?」という問いに対する答を簡単に出してしまうのですね。

翌日、陸前高田の眺めを堪能した後、宮城県唐桑半島を先端まで探検。天気に恵まれたこともあるでしょうが、ここは日本離れした光です。「東北のイタリア」と名付けることにしました。昼食は気仙沼港の魚市場内の食堂で煮魚定食を注文。その美味さは言うまでもなし。食後はもちろん魚市場で海産物をいろいろ買い込み、気仙沼を出発。

「気仙沼へ行ったら、フェリーで大島へ渡って、そこの民宿で過ごすのがお奨めね。きっと気に入るよ。」気仙沼出身の知人からそう念を押されていましたが、時間がなく断念。今思えば、あのアドバイスを忠実に守り、強引に予定変更してでも大島で1泊しておけばよかった。「その気になれば、いつでも行けるさ!」と思ったばっかりに・・・。

気仙沼を出て、少しひなびた感じの旧歌津町に旧志津川町(現南三陸町)の景色を眺めながら車を走らせます。人々は昔ながらの景観を守っていました。旅の最後は北上川の河口探検。東北一の長さを誇る川の河口はやはりスケールが違いました。それにしても、さすが日本を代表するリアス式海岸です。三陸沿岸は東北の宝、いや国宝だと感じました。本来陸奥・陸中・陸前の3つを合わせて三陸と呼ぶのですから、厳密に言えば陸前沿岸=南三陸、つまり長大な三陸海岸の一部を旅したに過ぎませんが。

さあ、ここからどういうコースで福島へ帰るか?本当はここから仙台まで海岸線のコースを楽しみたかったのですが、女川で原発に興ざめするのは御免だと思い、石巻から松島に塩釜を経由するコースは諦めて内陸を走り、現大崎市の古川インターから福島へ戻りました。


さて、この辺りで私の記憶を中学時代まで遡らせてください。

あれは中2の時です。海なし県埼玉から宮城県名取市へ引っ越しました。自宅は東北本線名取駅から徒歩15分。名取から列車に乗れば、仙台まで15分。当時の私は、とにかく海に憧れていました。自宅から6kmの市内東端には太平洋が広がっています。仙台平野の起伏のない平坦な道をまっすぐ、自転車に乗れば30分もかからずに到着できるなんて凄いことです。市の人口は当時約5万。天気予報は、仙台よりも福島県浜通りを参考にしました。そのほうが当たる確率が高いのです。

食生活も大きく変わりました。埼玉にいた頃魚は大嫌いで、海の魚が美味いだなんて1度も思ったことがありません。ところが、名取では食卓に出てくるどの魚も美味い。以来すっかり魚好きに。市内の魚屋には閖上港から毎朝新鮮な魚が届くからです。

海釣りの魅力を教えてもらったのもこの時期です。いとこからアドバイスを受けながら閖上の釣具店で投げ釣り用の釣り道具を手に入れ、夏の週末にはいとこに連れられ弟も一緒に何度も出かけました。ハゼとカレイがよくかかり、釣れた獲物は家で母に唐揚げにしてもらいました。美味かったですよ。

そんな名取市内で唯一不満だったのは、海水浴場がなかったこと。典型的な砂浜海岸でしたが、波が荒く海底で急に深くなる箇所があるらしく、全て遊泳禁止区域になっていました。

そこで、真夏に近場でどうしても海水浴がしたい時は、サッカー部の仲間数人と自転車でまず閖上へ行き、名取川河口の閖上大橋を渡って海岸沿いに北へ進み、仙台市荒浜の深沼海水浴場(現若林区)まで何度か足を延ばしました。閖上から4kmくらいです。とにかく自転車1台あれば、片道10kmくらいなら当然のように足を運んだものです。この海水浴場の唯一の欠点は、遠くに仙台港の石油タンクや工場らしき建物が見え、少々違和感をおぼえること。

これに耐えられない時は、松島方面の海水浴場まで足を運びました。行き先は決まって野蒜海岸。仙台から仙石線に乗って、本塩釜や松島海岸を越え、野蒜駅(旧鳴瀬町、現東松島市)で降り、歩いてすぐの砂浜海水浴場です。中2の夏休みにはるばる埼玉から訪ねてきた友人数人をここに案内し、とても喜んでもらえたのも良い思い出です。

ついでに高校時代。この頃は部活が忙しく、海水浴の記憶はなし。ただ、独り自転車を走らせ、名取市内の北釜へ足を運ぶことがありました。やはり自宅から6km。仙台空港のすぐ近くで、周囲は田んぼが広がり、閖上の賑わいとは対照的に人が少ない所です。車を気にせずサイクリングをしたくなったり、読書に集中したくなったり、海と飛行機を眺めながら独り物思いに耽りたくなった時の貴重な海岸でした。


石巻市中心部から南東方向へ突き出た牡鹿半島にも触れておかねば。ここに初めて足を踏み入れたのは高1の時。当時、私の母校は修学旅行がない代わりに、高1と高2それぞれ6月に宿泊行事がありました。高2で行った蔵王の山小屋での一泊も懐かしいですが、高1で行った牡鹿半島沖の網地島巡検(生物・地学の実習)はとても印象深い体験でした。

まず、バスで仙台を発ち石巻を経由して牡鹿半島の先端部鮎川港まで行きます。牡鹿半島の道は左右両側に海が見え、すばらしい。鮎川はかつて捕鯨基地として賑わった港です。そこからフェリーで網地島へ。ここは全くと言っていいほど観光地らしくなく、まさに秘境。本州を離れて島に渡って民宿で宿泊を体験したのは、この時が初めてです。

ホヤという海洋生物を知ったのもこの時。見た目から「海のパイナップル」と呼ばれ、これを初めて食べて美味いと感じる人は酒飲みの素質十分だとか。ちなみに私は刺身だと味より歯ごたえに魅力を感じ、味なら刺身より塩辛のほうが美味いように感じます。いずれにせよ、ホヤに合うのは、やはり宮城の地酒かな。

網地島へ行ったのはその1度だけですが、鮎川なら大学時代に2度訪ねています。鯨料理のフルコースを楽しみながらの酒宴が目的で、その後は麻雀。まず、ゴールデンウィークの真夜中に4人で車1台東京を出発し、東北道を北上します。早朝、名取の実家に立ち寄り、皆でひと眠り。昼は松島で遊覧船に乗り、湾内を一周。遊覧船を追ってくるカモメに餌をやりながらはしゃいだ後、瑞巌寺をじっくり見学して心を清めてから一気に牡鹿半島鮎川へ。今この界隈は全て石巻市に入っているようですが、当時は確か牡鹿町だったかな。まだ女川原発が運転を開始する前のことでした。


今、かつての思い出の地が泣いています。オイルショックと200海里以降遠洋漁業を大幅に制限され、伝統食文化が理解できない狂信者から沿岸捕鯨まで禁じられ、「我欲」なんぞ持ちようもなく慎ましく暮らし、長い間日本の豊かさを支えてきた人々が、あんな悲惨な目に遭うなんて・・・。そして、国内屈指の農業王国福島県は最悪の人災まで加わり、フクシマと表記されてチェルノブイリと並び称され、世界史に名を刻むことになるなんて・・・。

でも、もう私の涙は枯れ果てました。強烈な怒りも通り越しました。既に東京をはじめ様々な地域に住む友は、行動しています。狂人の都知事再選を許したことを恥じ、消費電力を気にしつつ馬車馬のように働き、自粛ムードを無視して東北の酒を飲みまくり、放射線検査合格済みの福島県産食品を大量に店頭に並べるよう店に働きかけ、沿岸部被災地の瓦礫撤去に黙々と汗を流し、東北を援護しています。

そんな友に私も負けてはいられません。本業の人材育成業務はもちろん、あとは自分が貢献できることを見つけて一生懸命尽くすのみ。微力ながら、それこそが犠牲になった方々の鎮魂へ、そしていつの日か東北が輝きを取り戻す原動力へと繋がるのですから。

 

最後に、こんな絶望的な状況の中で1つだけ良いお知らせがあります。開塾7年目にして、ついに県立高校入試合格率100%を達成しました。合格者の皆さん、本当におめでとうございます。そして、大震災後の落胆した状況下、私はもちろん後輩に勇気を与えてくれて本当にありがとう。

☆橘高:1名   ☆福島北高:2名   ☆福島工業高(機械)1名   ☆福島工業高(情報電子)1名   ☆福島商業高(情報処理)2名

☆福島西高(普通)2名  ☆福島東高:1名  ☆福島南高(文理)1名  ☆福島明成高(生物生産)1名  ☆保原高(普通)1名